02 リック
孤児院はやはりイメージ通りに貧しく、常にお腹を空かせる場所だった。
しかし、薪があり暖かい部屋が用意されていた。
一つしかないその部屋に、皆集まって寒さを凌いだ。
(暖かくて涙が出そう……)
新入りの私を心配してくれたのか、小さな男の子が身ぶり手ぶりで話をしてくれた。
彼がここでの一番の友達になったのは言うまでもない。
――でも、私は本当に運が良かったみたい。
ここのシスターが、幼い私達に色々な事を教えてくれたのだ。計算、文字、裁縫、刺繍。
貧しい孤児院でこれが異常だと気付いているのは私だけだろうか?
でも、そのお陰でこの孤児院から出ていく子ども達は街の人々から重宝されていた。
◇◇◇
「お前さ、早くみんなとあっちで遊ぼうぜ?これからは、俺たちみんな家族だからな!」
頭の後ろで両手を組み、いかにもやんちゃな男の子が話しかけていた。
――そうだ。
周りには小さい、幼い子ども達しかいない。
それでも、笑顔で力強く生きる彼らの前で私がメソメソとしているなんて恥ずかしい。
「私、デイジーっていうの。皆の名前を教えてくれる?」
「俺がみんなに紹介してやるよ!ついでに歓迎会だ!」
「あなたの名前は?」
「リックだ!宜しくな、ちびっ子!」
濃い茶髪に、イタズラっぽく光る瞳は綺麗な藍色。
こんなに小さい子に心配されちゃって。私ってば随分と情けない。
「ここの事、色々と教えてくれる?早く慣れて、みんなとも仲良くなりたい」
「おう!ここでは俺が一番喧嘩が強いんだぜ!何かあったら頼ってこいよ」
(ふふふ、子ども同士では喧嘩が強いのが自慢なのね)
ここで初めて笑えた。ありがとう。
―――それから、十一年。
「リック、デイジー、頑張ってくるね!今までありがとう。皆のためにも頑張ってくる。たまに顔を見せるから、忘れないでね」
ベスはこれから独り立ちして、仕立て屋に弟子入する。
「ベスなら大丈夫だよ。いつも通りで大丈夫!頑張りすぎないか心配だよ」
「そうそう!お前心配性だから、まずは自分の事に集中しろよ。俺たちは大丈夫だし、お前だって上手くやれるって!」
「うん、また会いに来るからね!」
そう言って、ベスは迎えに来た女性について行った。
「行っちゃったね、ベス。仕立て屋さんで頑張れるかな。真面目な子だけど、少しそそっかかしい所があるから心配だわ」
「大丈夫だろ?ベスは素直で、頑張り屋だった。そりゃ全部が全部上手くいけばいいけどさ。世の中、俺たちに厳しいじゃん。落ち込むことがあったら、立ち上がれるように励ましに行こうぜ!」
『これだから、親のいない子供は』『まともに育ってきていないから役立たずだ』『絶対にこいつがやったんだ、卑しい孤児だから』
私たちは、その立場で蔑まれ時に利用される。
「リックも。リックも心配だわ。一年後に職人になるんでしょ?鍛冶屋は特に厳しいんでしょ?あなたやっていけるの?」
「大丈夫だって!お前が俺の心配か?あんなに小さかったちびっ子が偉そうになったな!……それに」
ニカッと笑って私の茶髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「俺たちが頑張らないと、他のチビ達が仕事につけないじゃないか。俺たちが、あいつらの未来を繋げてやらねーと」
「そうだね。これからここに来る不幸な子も、今ここにいる子も。みんな素敵な未来があるといいよね」
――そしてそれは、シスターのお陰でもある。
文字の書き方、計算の仕方。刺繍や剣術。
十六歳までしか居られない、この孤児院の子供たちのために、平民でも中々学べない事や最低限のマナーも教えてくれた。
シスターは厳しいけれど、愛情に溢れた瞳で私たちを育ててくれている。
私を見る時にだけ、彼女に混ざる複雑な表情。
なんとなく感じる事がある。
(彼女はきっと……)
ベスを見送った帰り道、別れが悲しかったのか。
リックの言葉が嬉しかったのか。
そのリックとの別れも近づいているからか。
声を出さずに、気づかれないように涙を流した。
黙っていたけれど、隣のリックには気づかれていたかもしれない。
でも、綺麗な夕焼け空だったから。
泣きたくなってしまったのだ。ベスを見送りに来た私たちは、孤児院まで無言で歩いて帰った。
◇◇◇
――ある暖かい春の日。
「おいデイジー!さっき先生に連れて来られた子、滅茶苦茶かわいかったぞ!」
「またサボってたの、リック。後で覚えてなさいよ」
リックの話によると、金髪碧眼で、キラキラしている十三歳の女の子だそうだ。私より一つ下だ。
――相変わらずリサーチ力が凄いねぇ。
最年長の彼は、世間話で掃除中の私の邪魔をするが、それは彼なりの気遣いだろう。
ここでは、十六歳の彼が最年長。私は十四歳で古株だ。
だからなのか特別に仲は良い。
でも、もうすぐお別れが迫っている。
「へぇ。こんな時期にここに来るのは珍しいわね」
子どもが捨てられるのは圧倒的に冬が多いが、たまに事故で親を亡くして来る子もいる。
入ってきたばかりの子は皆、何かしら傷を抱えているので問題行動を起こしたりするのだ。
「新人のフォローは手伝ってね、未来の鍛冶屋さん」
リックは半年後に、鍛冶屋の見習いとして雇われる事が決まっている。
――その時が私達とのお別れの日だ。
「まぁ、慣れてるしな!任せとけって。お前も掃除なんて切り上げて、挨拶に行ってくれば?」
「そうね、歓迎してることを教えてあげないとね。行ってくるわ」
◇◇◇
――結論から言うと……その子と私は仲良くなれなかった。
「ねぇねぇ、ここでは女子メンバーの中でデイジーが一番のリーダーなのかしら?」
「まぁ、歳が上っていうのもあるし結構古株だからね。新しく入ってきた子の面倒は任されているわ」
「デイジーって大人っぽいよね。ねぇねぇ、ここって貴族の人が結構慈善活動で顔を見せたりするのかしら?」
「そうね。視察に来たり、不要なものを寄付してくれたり、食材を送ってくれたりするわね」
「ふーん。じゃあ、やっぱりストーリー通りにするのが一番いいかな?」
――ストーリー?
「ここの孤児院って、いい子ちゃんばっかりよね。街でも役に立つって評判だし。虐めとか無いの?」
「虐めがないようにするのが年長組の役目よ。あなたも小さい子達の喧嘩の仲裁をしてくれると助かるわ」
「うーーん……。このままじゃあ埒が明かないし仕方ないか」
――パンッ!
ルイーズはいきなり自分の頬を叩き始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、デイジー!私が悪かったからもう叩かないで!」
あまりの展開に気が動転してしまう。
「――え?え?」
「生意気でごめんなさい!ちゃんと出来なくてごめんなさい!もうあなたに逆らわないわ、デイジー!叩かないで!」
ルイーズの大声にシスターも周りの子供たちも集まってきた。
「シスター!デイジーが私を何度も叩くんです!助けてください!私……私……早くここに慣れようと頑張っていただけなのに。生意気だって……!」
「デイジーが何でお前なんかにそんな事言わなきゃいけないんだ?」
リックが、不穏な目つきでルイーズに聞く。
「きっと、私の顔が可愛いから……。嫉妬したんだわ」
「はぁーー!?デイジーがお前に嫉妬したって?その顔に?デイジーも顔自体は可愛いだろーが!」
ちょ、ちょっとリック……。
恥ずかしいから止めて……!
「お前被害妄想激しすぎ。流石にないわ」
「ちょっと!なんてこと言うのよ!小汚い子供のモブの癖に!」
――モブ?
(この子、もしかしたら……)
「ごめんなさい、ルイーズ。ちょっと勘違いさせちゃったのかしら。別にあなたが特別だとはちっとも思わないし。引き取られていった子の中には貴方よりも可愛い子が居たから、今更私が嫉妬する理由がないわ」
私もこれ以上長引かせたくないから、即座に謝罪した。
「な!なんなのよ!何でみんな、その女の事を信じるのよ」
――パンッパンッ!
シスターが手を叩いて注目を集める。
「ほらほら、何かお互いの誤解があっただけみたいだから、他の子達はもう寝なさい!明日は文字のテストをしますよ!」
ゾロゾロと部屋に戻っていく子供たちを尻目に、ルイーズが私を睨む。
「なによ、あんたたち。ただのモブがこの世界の主人公に楯突いてるの?ここは私の為の世界でしょう?邪魔する奴なんていらないのよ!」
私に恨み言を言ってくるルイーズの言葉、その端々に前世で覚えのある単語が聞こえる。
「デイジーなんて、ただのモブでしょ。なんでみんな私を信じないのよ」
皆が居なくなった廊下で、ルイーズに押されて私は倒れ込んでしまった。足が痛い。
明日の洗濯は私が当番なのに。シスターにも、他の子にも迷惑をかけちゃうじゃない。
(この子……。思った通り、転生者なのね)
リックが慌てて抱き起こしてくれる。
「お前……、マジでいい加減にしろよ」
物語ですって?ストーリーですって?モブですって?私たちは今、確かに生きているのに。
主人公ですって?本来は皆が自分の人生を生きている。世界の主人公?そんな存在なんていない。
――皆、精一杯生きているのに。
◇◇◇
「デイジー!今日もまたルイーズが絡んでくるだろ。俺の後ろにいろよ、絶対だぞ!」
世の中は厳しいの。特に親のいない孤児には。
でも、ここにいる彼らは優しい。悪意を受けても、傷ついても他の孤児院の家族の為にそれを我慢する。
「また、リックも一緒に悪者にされちゃうよ?最近なんてあなたは『私の子分で、無理矢理やらされてる』らしいじゃない?」
「あの、性悪女。本当に頭がおかしいな。デイジーが真面目に料理も掃除もチビ達の世話をしてるのを知らない奴なんていない。大丈夫、みんなお前の事をわかってるよ」
やってもいないことで責められるのは辛い。
それが大勢からになると、少し辛い。
でも、リックの言葉に救われる。
「ありがとう。あなたがわかってくれてるだけでも私は幸せよね」




