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妹に裏切られた聖女は娼館で競りにかけられてハーレムに迎えられる~あれ? ハーレムの主人って妹が執心してた相手じゃね?~

第1話


 すえた匂いがする。熱気が気持ち悪い。男の声が耳障りだ。

 アナベルは後ろに手を組まされ、胸を突き出す形で立たされていた。どんなに気丈に振る舞おうとしても、体が震えてしまう。なぜならこの聖女を絶対に手に入れてやろうとする男達のギラギラした目が自分を捕らえていたからであった。

 ここは場末の娼館の競り場だ。広間に椅子を並べ、木箱を連ねてステージとしたようなちゃちな作りの会場である。アナベルはそのステージの中央に立たされて、大鞭を持った女将に見張られていた。逃げようとしたら容赦なく打たれることを知っていた彼女は大人しく立ち尽くす他ない。やがて嫌な笑みを浮かべた娼館の主人が現れると、客へ向かってこう告げた。


「今宵、お集まりのお客様! あなた達は幸運です! なぜなら聖女を一晩自由にできるかもしれないのですから!」


 おお、と会場が騒めく。

 私は聖女だけど、あなた達の望んでいる聖女じゃない!

 アナベルはそう言いたかったが、彼女に発言する権利はなかった。


「どうして聖女がこんなところにいるんだ!」

「そうだ! 説明しろ、主人!」


 そんな声に主人は下品な笑い声を漏らした。

 そして信じられないような嘘を平気で吐いたのだ。


「ひひひ、この聖女は淫乱でしてね。自ら一晩、男達の自由になると志願してきたんですよ。だからお客様達は安心して聖女をお買い下さい。それでは競りを始めましょう! 競り落とした方は一晩中聖女を好きにできるのです! 一万ゴールドから!」

「二万ゴールド!」

「三万ゴールドだ!」

「俺は四万だ!」


 男達が手を挙げ、値段が跳ね上がっていく。アナベルはそれを見詰めながら泣いていた――自分は今夜、男の玩具になる。その事実が込み上げて来て、胸をきつく締め上げる。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。それにはこの国の聖女と名高い実の妹が絡んでいるのだが、彼女の姿はどこにもない。きっと美しい王宮で王子と愛を交わしているのだ。




。・゜・。。・゜・。。・゜・。。・゜・。・゜・。。・゜・。




「ねえ、お姉様。聖女の力を私のために使ってくれない?」


 妹イザベルがそう言い出したのは十三歳の時だった。

 残忍で好色な性格をしたイザベルに逆らうことはできない――彼女が殺した動物の数も、女から寝取った男の数も、両手両足の指じゃ足りないほどなのだ。そんな恐ろしい妹の頼みを断れるはずがない。そして祈り、結界、治癒、聖魔法……その全てをアナベルがこなし、全てイザベルの手柄にした。人と関わる治癒や聖魔法は“妹から力を授かってきました”と言い訳し、自分の力を使っていた。次第にイザベルは国の聖女として認められ、祭り上げられていった。


「私ね、この国の王子様と結婚するの。だからお姉様はいらない」


 イザベルは聖女としての実績が認められ、第一王子の婚約者に決まったそうだ。

 でもどうして姉の私は用済みなのだろうか――そう尋ねると妹は嘲笑った。


「だってお姉様の力ってペテンでしょう? あれなら私だって誤魔化せるわ。やり方はプロのペテン師に習ったから、もうお姉様はいらない。さようなら」

「私の力はペテンなんかじゃないわ……! それにあなたはこの国の王子じゃなくて、隣国の王子が好きだったでしょう……? あの彼はもういいの……?」


 砂漠の国の王子ファース――彼がこの国に顔を出してからというもの、イザベルはかなりの執着を見せていた。絶対に落として自分だけの恋人にする、と常々言っていたのだが、執念深い彼女がそれを忘れて、この国の王子に鞍替えするなんて有り得ない……アナベルははそう訝しんでいた。


「だーかーらー! その王子様を落とすために王妃になるの! 隣国同士だから交流があるでしょう? お姉様の頭ってカボチャなのかしら?」


 やがてイザベルは“お姉様が王子様と婚約した私に嫉妬して、殺そうとしてきた!”と国に訴えた。王子の婚約者を殺そうとした罪は重い――アナベルは場末の娼館に売られてしまった。そして娼館の主人は、イザベルそっくりな彼女を本物の聖女と偽り、競りにかけたのだった。

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第2話


「十五万ゴールド!」

「十六万と五千ゴールド!」

「十六万八千ゴールド!」


 値段はどんどん釣り上がっていく。アナベルは殺気立った男達を見て、わなわなと震えていた。あそこにいるのは聖女反対派の伯爵だ――彼が競りに勝ったら、どんな屈辱を受けるか分からない。あっちで喚いているのはイザベルに求愛して振られた子爵令息だ――彼が競りに勝ったら、きっと暴力を振るわれる。彼女はそんな風に悪い想像をしてはひとり震えるだけだった。


「俺は十八万ゴールドだ! はっはあ!」


 そう叫んだのは鬼畜として有名な侯爵だった。でっぷりと太った肉厚の顔面から恐ろしい眼球が覗いている。彼は女を痛めつけて犯すのが大好きだと噂で聞いたことがある。恐ろしいことに侯爵の相手を務めた女はもう二度と人前に立てない体にされるという――アナベルは目の前が真っ暗になった。


「い、嫌よ……! あの人に買われるのだけは絶対に嫌……――」

「うるさいッ! お前は黙って見ていなさいッ!」

「ああっ!」


 アナベルの背中に大鞭が打ち付けられ、彼女は体を跳ねさせた。すると客達は色めき、立ち上がって歓声を上げた。聖女が痛め付けられている姿を見るのは彼らにとって愉悦でしかない。“もっとやれ!”という最低な野次の中、ただひとり冷静に会場を見詰める美青年がいた。


「……百万ゴールド」


 美青年の声に会場が大きくどよめいた。

 しかし彼はにやりともせずにアナベルを見詰めている。


「ひゃ……百万ゴールドです! 百万ゴールドが出ました!」

「ふざけるなよ! 競りを台無しにする気か!」

「どこのどいつだ! ぶん殴ってやる!」


 美青年に向かって、ひとりの客が立ち上がった。その客は拳を振り上げると、彼に襲いかかっていく。しかし美青年はそれを華麗に躱すと、相手の腹を蹴り飛ばした。蹴りを受けた客は胃の中身をぶちまけて完全に伸びてしまったようだ。美青年はそれを見て、にっこりと微笑んだ。


「大変失礼しました、続きをどうぞ」

「い、いえ……これ以上の値段はないようです……」

「そうですか。それでは百万ゴールド、これで彼女を身請けしたい」

「み、身請けですか……!? それはちょっと……――」

「では、二百万ゴールドでどうです?」

「な、何ですと……!?」


 娼館の主人は女将の耳元で囁き、値段の相談している。強欲の彼はもっと値段を釣り上げられるかどうか、相談しているのだった。アナベルはと言うと、目を見開いたまま謎の美青年を見詰めていた。黒い切れ長の目、真っ白い肌、黒い長髪を真ん中で分け、後ろでひとつに結んでいる。こんな美青年は他に見たことがない――彼は一体何者なのだろうか。


「もう一声……もう一声で身請けさせましょう……」


 娼館の主人が揉み手でそう訴える。

 すると美青年はにやりと口を歪めた。


「では、三百万ゴールド。これ以上は出せません」

「売れました! 聖女は三百万ゴールドで売れました!」


 わあああっと会場が大きく沸き上がった。

 客達は憤然と立ち上がり、娼館の主人と女将へ唾を吐く。

 そんな混乱の中、美青年は素早くステージへ登ると、アナベルを連れ去った。


「さあ、聖女様。波止場に船を待たせてあります。参りましょう」

「船……? もしかして他国へ行くのですか……?」

「その通りです。あなたはある尊きお方のハーレムへ入るのです」

「ハ、ハーレムですって……――?」


 そしてアナベルは小型船に乗せられて、旅立った。

 行き先が隣国のハーレムであることを知らないまま――

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第3話


「聖女アナベル、よくぞ我が国へ来てくれた! 心から歓迎しよう――」


 そう言って両手を広げたのは美しき王子ファースだった。

 流れるような金糸の如き髪、野性的な魅力を放つ褐色の肌、吸い込まれるようなエメラルドの瞳……彼は妹のイザベルが好きそうな飛び切りの美青年だった。一方、アナベルはその手に抱かれるべきなのか、それとも逃げるべきなのか、どちらとも決められずに狼狽えていた。するとファースはクスクスと笑って、手を降ろした。


「素直に抱かれても可愛かっただろうし、狼狽えている今も可愛いよ?」

「えっ……えっ……あのう……――」

「ふふ、落ち着くがいい。アナベル、僕は君を玩具にするつもりは全くない。ここまで売られてきた経緯も全て知っている。そんな君を大切な客人として扱うと誓おう」

「そ、それは本当ですか……?」

「本当だとも。信じてくれ」


 ファースは忠誠を誓う騎士の如くアナベル手に口づけた。

 そして再び動揺し始めた彼女を椅子に座らせると、テーブル一杯の料理と果物を勧めた。娼館に囚われていた間、ろくな食事がもらえなかった彼女はその恵みに感謝し、有難く頂戴しながら話しを聞いていた。


「我が国は今、途轍もない発展を遂げている。正直、前時代的なアナベルの祖国とは縁を切りたいと思っているのだ。しかしあの国には聖女という興味深い存在がいる――そのため、国交を維持していたがそれもう終わりだ。だって真の聖女はもう手に入れたのだからね?」

「私が聖女だと知っているのですね……?」

「ああ、あの国には我が国のスパイがいくらでもいる。分からないことはほとんどない。君の妹が性悪のペテン師だってこともね?」


 その言葉にアナベルは果物を喉に詰まらせそうになった。そんな彼女に黒髪の美青年サレクが水を勧めてくれる。サレクとは娼館でアナベルを競り落とし、ここまで連れて来てくれたあの美青年だった。


「サ、サレクさん……ありがとうございます……」

「いいえ、聖女様。礼には及びません」


 そんなやり取りをする二人をファースはにこにこと見詰めていた。

 そして急に思い付いたように身を乗り出すと、こう言ったのだ。


「そうだ、アナベル! 聖女の力を見せてくれないか?」

「はい、勿論です、ファース様。どの力をお見せしましょうか」

「それでは、擦り傷を負ったというサレクに治癒をかけてくれるか?」


 ファースは座っているサレクの足首を指差した。よく見てみると、確かに赤い擦り傷ができている。もしかして男に殴りかかられた時、怪我をしたのだろうか。言ってくれればすぐに治したのに――


「聖女様の手を煩わせる訳には……」

「サレク、遠慮するな。僕が見たいんだ」

「かしこまりました、ファース様。それでは聖女様、お願い致します」


 そしてアナベルはサレクの足首に治癒をかけた。

 すると赤かった足首はみるみるうちに白肌へ戻っていった。


「素晴らしい……! 跡形もなく消えたよ……!」

「このくらいは朝飯前です。力を溜めておけば、欠損も治せます」

「何だって……!? 隣国はこんな素晴らしい聖女を手放したのか……!?」

「祖国では聖女の力はペテンだと言われていましたから……――」


 アナベルの言葉に、ファースは信じられないという顔を見せた。

 そしてサレクは立ち上がると、丁寧なお辞儀をした。


「ありがとうございました、聖女様」

「い、いいえ……! とんでもないです……!」


 サレクは世話役として、このハーレムで高い地位にいるという。娼館で見た時は恐ろしい男だと思ったが、改めて見ると礼儀正しくて優しい人物だ。しかしハーレムの世話役と言うことは、彼は宦官のはずである――つまり男性自身を失っているという訳だ。アナベルがそのことを痛ましく感じていると、ファースが見透かしたかのように言った。


「アナベル、ここにいるハーレムの世話役に宦官はいないんだよ」

「えっ……!? そうなんですか……!?」

「僕はね、ハーレムの女や世話役の男に重たい枷を嵌めるのは嫌いなんだ。勿論、浮気は表向き禁止しているけど、中には世話役と子供を作ってハーレムを出ていく女もいる。だからサレクが好きなら、誘ってもいいんだよ?」

「そ、そんな……誘うなんて……――」


 サレクが少しだけ頬を染めている――そう見えたのはアナベルの目の錯覚だったのだろうか。彼はすぐさま顔色を戻すと、深々とお辞儀をして仕事へ戻っていった。残されたアナベルはファースに請われるまま聖女の力を発揮するのだった。

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第4話


 まさか妹が執心している王子様のハーレムに入ることになるなんて――そう思いながら、アナベルは花が咲き乱れる中庭を歩いていた。もしこの事実をイザベルが知ったら、きっと恐ろしい手段に出る……そんな不安が胸を支配する。今後、彼女は何が何でもファースに会いにくるだろう。その時、このハーレムの存在を知られたらどうなるのか、想像したくもない。

 王子が枷を嵌めないと公言しているハーレムは平和そのものだった。女性達は誰しも気安く話しかけてくれるし、優しくしてくれる。世話役達もよく気が利き、悪さしてくることもなかった。そしてアナベルが売られてきた事情を話すと、皆揃って同情してくれる。だからこそイザベルの所為でこの平和を壊したくない、彼女はそう強く願っていたのだった。


「あら、アナベル、おはよう。私達と一緒に散歩しましょう?」

「アナベルったら本当に可愛いわね。後で髪を結ってあげるわ」

「ミーファ、ユイラ……」


 そこに現れたのは褐色の肌をしたミーファとユイラであった。

 アナベルはハーレムの人気者だったが、特にこの二人とは仲が良かった。


「それにしても、あなたの妹は酷いわよね。もし復讐するなら、手伝うわよ?」

「私も手伝いたいわ。アナベルを苦しめる奴は許せないもの」

「そ、そんな……あの子はとても恐ろしいのよ……! 危険だわ……!」

「大丈夫よ! 私は弓の名手なのよ?」

「私は武術ができるわよ?」


 そう言ってふたりは笑みを見せる。ハーレムを構成する女性達は才色兼備――それに尽きた。ファースは芸のない女性が嫌いらしく、必ず一芸に秀でた美女を選んでいた。そのため弓の名手ミーファと武術の達人ユイラはここへ迎えられたのだった。


「ありがとう……二人共……」


 今まで得られなかった仲間の温かさにアナベルは涙を滲ませる。

 その時、遠くの建物からサレクがこちらへ向かってくるのが見えた。


「サレクさん、どうかしたんですか?」

「ファース様がお呼びです。すぐにいらして下さい」


 アナベルの胸に一抹の不安が過った――




。・゜・。。・゜・。。・゜・。。・゜・。・゜・。。・゜・。




「君の妹、イザベルが親善交流のためにこの国へ来るらしい」


 その言葉にアナベルは目の前が真っ暗になった。

 平和は終わった……妹に滅茶苦茶にされる……そんな恐怖で一杯になる。

 しかしファースはそんなアナベルをよそに微笑を浮かべると、こう告げたのだ。


「僕はイザベルをこのハーレムに案内しようと思っている」

「そ、そんな……そんなことしたら、妹は何をするか……!」

「大丈夫だよ、アナベル。僕が色々と手を打っておく。君はただ僕の傍で、にっこり微笑んでいるがいい。いいかい? 決して泣いちゃいけないよ?」


 そしてイザベルが砂漠の国へやって来る日が訪れた――

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第5話


「お招きに与り、光栄ですわ! ファース様!」

「ようこそいらっしゃいました、聖女イザベル様」


 イザベルは満面の笑みで、ファースにお辞儀した。彼女は気候を無視したドレスで身を飾り、額に汗を流している。そんな彼女にファースは笑みを浮かべつつハンカチを差し出した。それを見るなり、イザベルは歓喜する。この王子は絶対に私に気がある――そう思い込んで内心笑っていた。

 彼女は今日、ファースを落とすつもりだった。そのために媚薬も仕込んでいるし、聖女としての力を発揮するペテンも準備済みだった。そのためにも、この外交を成功させなければならない、とイザベルの肩に力が入っていた。やがて馬車でハーレムまで連れてこられたイザベルは女の匂いを漂わせる建物に首を捻った。立ち込める香水の匂い、艶のある笑い声……ここは一体どんな施設なのだろう。そう思って後を付いて行くと、中庭で戯れる女達を発見した。


「ファース様……ここは……――」

「ああ、ここは僕専用のハーレムです。今から女達を紹介しますよ」

「そ、そうですか……。そうなんですか……」


 イザベルは内心苛立ち始めていた。この王子はとんでもない大馬鹿者だ。淑女に対してハーレムを紹介するなんて、無神経にもほどがある。いや、それとも意中の相手であるこの自分をハーレムへ入れたいがために連れてきたのだろうか――イザベルは現実を自分自身の都合の良いように解釈すると、広間の椅子へ座り込んだ。


「イザベル様、少しだけ待っていて下さい。今、召使を連れてきます」

「はい、ファース様」


 蒸し暑い室内で、じっと待っているのは退屈だった。イザベルは楽しいことを考えようとして、姉のことを思い浮かべた。聖女の力を持っていた目障りな姉――あいつから全部奪ってやったことを思い出すと笑いが止まらない。きっとアナベルはこうしている今も、娼館で客を取らされて苦しみ抜いているだろう。一方、妹の自分は念願のファースを手に入れようとしている。そう思うと、最高の気分だった。


「お待たせ致しました――」


 その声に顔を上げると、ご馳走を手にした召使達が入ってくるところだった。召使達はイザベルを取り囲むと、お姫様のように恭しく傅いた。やっぱり、ファースは私をこのハーレムへ迎えようとしているんだわ、イザベルの予想が確信に変わる。


「ご馳走の味はどうです、イザベル様?」


 その時、ファースがひとりの女を伴って戻ってきた。

 彼はイザベルの正面に座ると、自分のすぐ近くへ連れの女を座らせた。

 その女は真っ赤なヴェール付きのドレスを身に纏っており、顔全体を隠していた。


「……その女は誰です?」


 イザベルが殺気立った声を出した。

 女狐は殺してやると、その目が語っていた。

 するとファースはくすくす笑ってこう言った。


「この子は僕のお気に入りの姫だよ。この世で最も美しい姫だ」

「はぁ? そんな女がこんな辺鄙な所にいる訳……――」


 うっかり素を出しそうになり、イザベルは口を噤んだ。

 するとファースはお道化たように目を見開いて見せた。


「おや? それは聖女様の素かな? もしかして育ちが悪いのかな?」

「な、何を……! 失礼ですよ……!」

「失礼なのはどっちだろうね? さて、僕の言葉が本当であることを証明するため、我が寵姫の顔を見せようか――」


 そしてファースは赤いヴェールを捲り上げた。そこに現れたのは化粧を施されたアナベル――美しく装った彼女は妹の何層倍も魅力的だった。何より憂い秘めたその表情は召使達の目を奪い、ごくりと喉を鳴らさせた。

 一方、姉が目の前にいることを知ったイザベルは頭が真っ白になった。あの忌々しい姉は今頃娼館にいるはずなのに、どうしてこんな場所にいるのだろうか。まさか自分からファースを奪うために亡命して……いいや、愚図な姉にそんなことできるはずがない。きっとこの王子が姉を娼館から買い上げたのだ。そうだ、それしかない。


「ファース様! そいつは娼館で客を取っていたアバズレです! そんな女と関わるのはやめて、この私を敬うのが先決でしょう!?」

「――は? 誰が、何を敬うって?」


 ファースの目が冷たく光り輝いていた。

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第6話


「だーかーら、この私を敬うべきなのよ! 私はこんなにも美しくて、しかも聖女なのよ!? そこの女! さっさとファース様の隣りから退きなさい!」


 イザベルは椅子から立ち上がると、アナベルを突飛ばそうとした。

 しかしその両手は傍で控えていたミーファとユイラによって掴み止められた。

 苛立ったイザベルは手を振り払おうとするが、鍛えている二人に適うはずがない。


「何よ、こいつら……! ファース様、手を放すように言って……!」

「おやおや、イザベル様。無礼を働こうとしたのはあなただろう? まず敵意がないことを表し、謝罪してはどうかな?」

「はっ! なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ!」


 そう吐き捨てると、イザベルはなおもアナベルへ向かっていこうとする。恐らく手を放せば、姉は妹によって暴力を振るわれてしまうだろう。ここまで手に負えない女だったとは……ファースは内心溜息を吐く。いや、危険人物であることはすでに分かっていた、自分は計画通り徹底的にやるしかないのだ。


「ふむ、イザベル様。怒りを収めて聞くがいい」


 ファースはそう言って、アナベルの肩に手を回す。

 イザベルが文句をぶちまけようとした瞬間、遮るようにこう告げた。


「この寵姫は僕にとって特別な存在だ。君みたいな下品な女とは訳が違う。さらにはハーレムの女とも格が違うんだ――そうだろう? ミーファ? ユイラ?」

「はい、ファース様。だってアナベルは正室となるお人ですものね」

「ええ、ファース様。アナベルはただひとりの奥様になる人ですわ」


 その答えにイザベルは体を震わせた。


「せ、正室……? 奥様……? まさかこの女を妃に迎えるつもりなの……!?」

「ご察しの通りだよ、イザベル様。アナベルはやがて僕の正式な妻となる。何ならここで愛の口づけを交わしてみせようか?」


 ファースは悪戯っ子のように笑うと、緊張で固まっていたアナベルの首筋に口づけた。唇を受けた彼女は悩まし気な吐息を漏らし、召使達の視線を集める。ファースはそんな彼女に口づけの雨を降らせる振りをしながら、こう囁いた。


(アナベル、笑顔だよ、笑顔)

(は、はい……!)


 次の瞬間、アナベルはにっこりと微笑んだ。それは堅い蕾が花開いて、その美しさを周囲に知らしめるような素晴らしき笑みだった。指示を出したファースも、ミーファも、ユイラも、召使達も、誰しもがその魅力に飲み込まれた。……ただひとり、それを優越の笑みと解釈したイザベルを除いては。


「ふっ……ふっ……ふざけるなああああああぁッ!」


 イザベルは地団太を踏み、暴れるだけ暴れ始めた。

 それを押さえているミーファとユイラも力負けしそうだ。

 そんな時を見計らい、ファースは一束に纏まった写真を取り出した。


「落ち着き給え、イザベル様。それよりこの写真を見てもらいたい」


 そう言ってテーブルに撒かれた写真にはおぞましい光景が映っていた。細切れとなった女性の死体、鼻を削がれた女性、腹を裂かれた少女……さらにはイザベルが見知らぬ男と交わっている複数の写真がそこに散らばっていた。


「これは君が祖国で行った悪事の記録だ。僕はこれを隣国へ届けようと思っている。もしこれが王族に知れれば、君は破滅するだろう。さあ、どうする?」


 アナベルは写真を見て、小さく悲鳴を上げた。

 一方、イザベルは写真を一瞥すると、態度を豹変させた。


「ねぇ、ファース様ぁ……? 私をハーレムに入れたいんでしょう……?」

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第7話


「は? 何を言っているんだい?」


 ファースが問うと、イザベルは愉快そうに肩を揺すった。

 そしてしなを作りながら、彼に流し目を送る。


「ふふん……駄目な男だと思ったけど、この私の価値を分かってるじゃない……」


 その態度にファースは呆れ返った。この女は暑さで頭がやられているのかもしれない、本気でそう思った。しかし彼女が言わんとしていることを聞いてやるのも必要だろう。彼は気持ちを切り替えると、ひとり楽し気なイザベルに向かって尋ねた。


「……ちょっと君の言っている意味が分からないんだが、理解できるように説明してくれるかい?」


 するとイザベルは口の片端を持ち上げて、語り始めた。


「ふん、全部全部この私を手に入れるための計画なんでしょう? ハーレムなんて汚らわしい場所に招いたのも、不細工な姉を使って嫉妬させたのも、あんな写真で国にいられなくしようとしたのも……私をハーレムに入れて独占するためよね!」


 その発言にファースも、アナベルも、聞いていた全員が固まった。

 なぜこの女はこんなにも自分の都合の良いように解釈できるのだろうか――誰しもがそう思っていた。


「そりゃあ、そうよね! 私という人間は美女でありながら聖女――国の宝よ! ここまでしなきゃ、祖国を捨ててこんな砂漠の国に嫁ぐはずないものね! ファース様、あなたの計画は成功したわ! ハーレムに入ってやろうじゃない!」


 場はしんと静まり返っていた。

 ただひとりファースだけがゆっくりと口を開く。


「……ほう? 僕のハーレムに入りたいと?」

「ええ、入ってやってもいいわ。ただし、一番の寵姫としてね」

「なるほど、それが君の希望か。でも僕のハーレムに入るのはとても難しいんだ。条件として美女であること、そして一芸に秀でていることが必須だ」

「あらあら、それなら私にうってつけだわ! 私はこの通りの美人だし、聖女の力も有り余っているものね?」


 イザベルは姉を見下しながら、そう言い放った。その言葉を聞いたファースはそっと手を上げる。それはミーファとユイラに手を離せという合図だった。二人は一瞬躊躇ったが、すぐに指示通りにする。すると解放されたイザベルは満足そうな笑みを浮かべて、こう言った。


「ようやく素直になったのね。さあ、私をハーレムに……」

「それではイザベル様。ひとつ試験をしよう」

「試験? 何よ、それ?」

「もし君が聖女の力を発揮できたなら、ハーレムの寵姫にする。しかし君がただの女だったら、この写真と共に国へ送り返す。いいね?」

「ファース様は本当に素直じゃないのね! でも面白いわ! やってやるわよ!」


 そしてイザベルがハーレムへ入るための試験が始まった。

 彼女は広間の中央に立ち、周囲ではファースとアナベル達が見守る。

 イザベルは今までとは打って変わって神妙な面持ちを見せると、両手を伸ばした。


「聖女には奇跡を起こす力があるわ。貧民へ金貨の雨を降らせ、無罪の人間を牢から消し去り、遠い未来を言い当てる……そんなありとあらゆる奇跡を起こすことができるの。だから私は今、この砂漠の国に恵みの水を湧かせましょう――」


 次の瞬間――

 イザベルの手から水が溢れた。

 それは次々と溢れ、彼女の服を濡らしていく。


「そ、そんな……これは奇跡だわ……!」

「あなたの妹、本物の聖女だったの……!?」


 ミーファとユイラが動揺しながら、アナベルを見る。

 妹の起こした奇跡を目にしたアナベルは驚きの表情で固まっていた。

 まさかイザベルが聖女の力に目覚めていたなんて――そう思いつつ恐怖に震える。

 一方、ファースと傍らに立つサレクは目を細め、その技を見詰めていた。

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第8話


「ふっ……こんなものね」


 イザベルが広げていた手を握ると、水は止まった。その奇跡を目にした召使達は大いに騒めき、彼女に手を合わせる者まで現れた。そんな中、ミーファとユイラは恐怖に震えるアナベルを強く抱き締め、イザベルを睨み付けていた。

 その時、拍手の音が響いた――その出所はファースである。


「素晴らしい。それが聖女の力ですか」


 そう言ってサレクを伴い、イザベルへ歩み寄る。

 彼女は優雅にお辞儀をして二人を迎えた。


「どう? 私は紛れもなく聖女だったでしょう?」

「そうですね。あなたは間違いなく奇跡を起こした」


 その瞬間、イザベルは壮絶な笑みを浮かべながら遠くの姉を見た。

 “私は勝った。この先、お前がどうなるか楽しみだ”――そんな言葉が頭の中に響いてくるようで、アナベルは眩暈を起こした。やはり駄目だった、ファースも妹に取り込まれてしまった。このままでハーレムが滅茶苦茶になり、自分は殺されるだろう。そう思った時、ファースが言った。


「そう、奇跡……ただしペテン師なりの奇跡をね」

「はあっ!? って、ちょっと……! 離しなさいよ……!」


 サレクはイザベルの横に回ると、手首をねじり上げる。

 するとその手首から透明な細長い管が垂れ下がった。


「失礼――」


 そう断りを入れ、サレクはナイフを取り出してイザベルの服の脇部分を切り裂く。そして服の切れ目に手を突っ込むと、水が入った袋を取り出した。その袋にはさっき見えた透明な管がぶら下がっている――


「随分と初歩的なペテンだね。脇の下に水入りの袋を入れておき、手首に通した管から水を溢れさせる……よくもまあ、そんな子供騙しが通用すると思ったものだ」

「あんたッ……淑女の服を切り裂くなんてッ……! 無礼だわッ……!」

「無礼で結構。ところで、このままだと国へ強制送還となるが、いいのかい?」

「くッ……!」


 するとイザベルはカードの束を取り出した。

 それを目の前に掲げ、大声でアピールした。


「私は表を見ずに、カードを言い当てることができるわ! 聖女の奇跡でね!」

「それはカードの表を人に見せる時、あらかじめ裏返しておいた次のカードを確認するという手法ですね。手品なら、私も何通りかできますが……勝負しますか?」


 サレクがそう言って、種明かしをする。

 完全に読まれていた――イザベルの力は全てペテンである。

 すると彼女は鬼の形相でサレクを睨み付けた。


「うるさいうるさいうるさいッ! アンタなんて死ねばいいッ!」


 次の瞬間――イザベルはスカートを捲り上げ、太腿に仕込んでいたナイフを抜いた。あまりにも間合いが近過ぎて、サレクと言えど避け切れなかった。イザベルが繰り出すナイフの切っ先が彼の頬を掠め、血が溢れる。あとほんの少しずれていたら、眼球を傷付けられていたような際どい攻撃だった。


「クッ……――」

「早く! あの女を捕らえろ!」


 ファースはすぐさま召使に命じて、イザベルを取り押さえさせた。

 そして数人の男に取り囲まれたイザベルは瞬く間に床へ押し付けられたのだった。


「サレクさんッ……!」


 アナベルはサレクへ駆け寄ると、その頬に手を当てた。

 血が一瞬で止まり、傷が塞がる――サレクの頬は完全に元に戻っていた。

 彼女の起こした治癒はイザベルのちゃちな奇跡とは明らかに格が違っていた。


「素晴らしい……! 本物の聖女だ……!」

「妹はペテンだが、姉は本物だ!」

「アナベル様、万歳!」


 聖女の力を目にした召使達は興奮して、声を上げる。

 そんな歓声の中、ファースはイザベルを冷たく見下ろしていた。


「どうやら、ハーレムへ入ることはできなかったようだね。それでは君を隣国へ帰し、姉のアナベルをこの国の聖女として認めることにしようか」

「な……何ですって……姉が聖女に……!? 私の男を奪って王妃になった上に、聖女の座まで奪う気なの……!?」


 するとファースは歪んだ笑みを浮かべて、こう言い切った。


「残念だったねぇ、イザベル様。君は姉に全てを奪われたんだよ」

「あ……ああ……あああああぁああああぁああぁッ……――」


 “姉に全てを奪われた”――その言葉を耳にした途端、イザベルは絶叫した。それは姉に対する呪詛のようで、ファースは心の底からおぞましいと感じた。もしここでこの獣を取り逃がしたら、アナベルは命を失うだろう。そんなことは絶対にさせまいと、すぐさま彼女を運んでいくように命じたのだった。

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第9話


 許さない! 絶対に許さない! 必ず殺してやる!

 そんな怨念を渦巻かせながら、イザベルは檻の中で寝転んでいた。ここは隣国へ向かう列車に備えられた牢である。砂漠の国で何度も逃走を試みた彼女は身体を拘束され、檻の中に転がされていた。食事と水は最小限しか与えられず、排泄は厳重な警備の上で行われる。そんな屈辱の中、彼女はアナベルへの怒りを煮詰めていた。


「あのクソ女……アナベル……! あんなもの元から姉じゃなかったけど、今となってはただの目障りなゴミでしかないわ……! 国へ戻ったら、すぐに殺す手筈を整えるわよ……!」


 イザベルは頭の中で、何度もアナベルを八つ裂きにする。

 すると余計に血が滾り、興奮のあまり我を忘れていった。 


「そう……あいつ……! 憎きファースも同じよ……! あいつにはアナベルが男に玩具にされるところを見せてやるわ……! そして必ず私のことを好きなるように仕向けて、その心を弄んでズタズタにしてやる……!」


 恐ろしいことに、イザベルはファースがまだ自分を好きになる可能性があると信じていた。彼の残忍な言動は自分への関心の高さによるものだと解釈していた。自分を痛め付けたいのなら、その趣味に付き合ってやってもいい――そう思うほど彼女は愚かで、自己愛が強かった。

 イザベルはひとり列車に揺られながら悪しき計画を立てていた。まず国へ帰ったら王子に助けを求める。きっとあの写真も送り付けられているだろうから、あれは捏造だと涙ながらに訴えればいい。王子は自分を溺愛しているから、簡単に許してくれるだろう。自分を本当に愛している男というものは、他の女が死んだって気にしないものだ。きっと上手くいく。

 そして国での罰を逃れたら、すぐに傭兵を雇って砂漠の国へ行く。恐ろしく強いという傭兵達をイザベルは知っている。用心深く行動し、機会が巡ってきたのを狙ってあのハーレムを占拠しよう。そうしたらアナベルとファースを捕えて、この世の地獄を見せてやる。アナベルは別に雇った下衆共の玩具にし、ファースはゆっくりと落としていく。もし抵抗したら薬を使ってもいい――全ては自分の思いのままだ。


「うふふ……楽しみだわ……――」


 やがて列車はイザベルの国へ辿り着いた。彼女は拘束を解かれると、小さな檻へ入れられて馬車に積まれた。行き先はどうやら王宮ではないらしい。一体どこへ行くのだろうと思っているうちに馬車が止まった。そこは王都の中心から離れた古い屋敷だった――確か王家が所有している屋敷だと説明を受けたことがある。なぜここへ自分を運んだのか、イザベルは分からなかった。


「やあ、イザベル。俺の愛しい人よ」


 やがて檻が屋敷内へ運ばれ、扉が開けられた。

 それを待ち構えていたのはにっこりと微笑む第一王子である。


「まあ、王子様! 私の帰りを待っていてくれたのね?」

「勿論だよ、イザベル。君の帰りを今か今かと待ち侘びていた――」


 なぁんだ、やっぱりチョロいわ――イザベルはそう思った。王子は自分が好きで好きでしょうがないのだと悦に浸る。彼女と王子は熱い抱擁を交わし、くるりと一回転ダンスを踊ると、彼が導くまま奥の部屋へ入っていった。王子の腕にしっかりとしがみ付きながら、彼女は世界が自分の思い通りに回っていることを喜んだ。もう少しすればアナベルもファースも思い通りに堕ちる、そう確信していた。


「さあ、この中へ」


 屋敷の最奥に辿り着くと、王子は扉の前でそう言った。


「この先に何があるの?」

「父上と母上、そして貴族達が君のためにパーティを開いているんだ」

「まあ……! そうだったのね……!」


 イザベルは嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべた。

 煌びやかなパーティは彼女の好きなもののひとつだった。

 そして彼女は胸を高鳴らせながら、その鉄で造られた扉を開いた。


「皆、ただいま! 聖女イザベルが帰ってきたわよ!」


 両手を広げ、勢いよく部屋に飛び込んだ彼女はその直後、固まった。そこには王子の言葉通り、国王と王妃、そして貴族達がいた。しかしその人々の後ろにはありとあらゆる拷問器具が並んでいたのだ。爪を剥ぐためのペンチや針、内側に棘の付いた鉄籠、関節を伸ばすための滑車、火責め用の油と棒、鉄でできた拘束具……そんな道具を背に人々は笑っていた。


「お帰り! イザベル!」

「ひっ……――」


 イザベルは踵を返し、入ってきた扉を開こうとした。

 しかし扉には鍵がかけられており、その隣りで王子が笑っていた。

 カシャン、と音が鳴ってイザベルの手首に手錠が嵌められた――それを見た彼女は自分が拷問を受けるのだと悟った。


「さあ、パーティを始めようか?」

「いや……嫌よ……どうして……嫌嫌嫌嫌嫌ッ! いやああああああああああああああああああああぁッ!」

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第10話


「結婚おめでとう! アナベル、お幸せに!」

「本当におめでとう! 心から祝福するわ!」


 ミーファとユイラが花びらの雨を降らせる。

 その柔らかな花吹雪を受け、アナベルは微笑んだ。


「ありがとう、二人共! あなた達は私の本当の親友よ!」


 美しい花嫁衣装に身を包んだアナベルが、涙を流しながら二人の額に口づける。婚儀を終えた花嫁行列が、国で最も大きな聖堂から出て街を練り歩いていた。今日は聖女の結婚式――国を挙げての祭りとなっていた。


「うっ……うっうっ……アナベル……――」


 そこにひとり涙にくれる男がいた――彼はアナベルの横で、こう嘆く。


「ううぅっ……サレクを誘っていいとは言ったけど、結婚までするなんて……!」

「ファース様、いつまでも泣かないで下さい!」

「そうですよ! 今日は結婚式なんですから!」

「あぁ……アナベル……!」


 涙するのはこの国の王子ファースだった。

 彼はアナベルを心から愛していた――しかしその彼女はハーレムの世話役であるサレクを選んだのだ。控えめな二人はひっそりと、しかし着実にその愛を育んでいたのである。そして寛大な心の持ち主であるファースは聖女アナベルと世話役サレクとの結婚を認め、盛大な結婚式を挙げさせた。しかし未練はまだまだ消えないようで、こうして泣きながら花嫁の後を付きまとっていた。


「ファース様、そんなに悲しまないで下さい……」


 困り顔のアナベルに話しかけられ、ファースは満面の笑みを浮かべた。

 花嫁衣装の彼女はどこまでも美しく、今からでも奪いたいくらいだった。


「ああ、アナベル! 困らせて悪かったね! あの恐ろしい妹はもう二度とこの国へは来れないから、安心して暮らし給え!」

「ファース様、そのことなのですが……――」


 あれからイザベルはすぐに隣国へ送り返した。

 勿論、その悪事と散々な外交成果の手紙と一緒に――


「イザベルは王族が管理するお屋敷に軟禁されて、生きているのですよね? 酷い目に遭っていませんよね?」

「ああ、勿論だよ」


 ファースがにっこりと目を細める。

 彼だけが知っている事実を隠したまま。


「花嫁がそんなこと心配するものじゃないよ。さあ、花婿の元へ行ってやり給え。遠くで恨めしそうにこちらを睨んでいるよ?」

「あっ……! サレクを忘れていたわ……! すぐに行きます!」

「ああ、行ってらっしゃい」


 花婿の元へ戻る花嫁を見て、ファースは微笑んだ。

 アナベルにはとても知らせることのできない事実がある。

 それはこの自分が墓の中まで持っていこう――そう決意していた。


「イザベル様……自業自得ですよ……――」


 ひとり呟いたファースはその事実を思い出す。

 イザベルは国に送り返された後、酷い拷問を受けたという。なぜなら彼女が殺した女性のほとんどは貴族の娘で、さらには王女までもが含まれていたのだ。特に第一王子は可愛がっていた王女の死の原因を知り、深く傷付いたという。そして王族と貴族達は絶対に殺しはしないと、ギリギリのところで彼女を生かし、痛め付けた。

 その想像を絶する苦しみの中で、イザベルは聖女の力に目覚めた。ただしそれはほんのわずかな力で、アナベルには到底敵わないものだった。しかしその力に目を付けた王侯貴族達はイザベルを国家防衛の奴隷とすることにした。聖女の力を魔道の力で吸い上げ、結界に生かしたのだ。しかもその力の吸い上げには強い痛みが伴うという。だからイザベルは今もなお苦痛の中でもがき苦しんでいるのだ。

 それを優しい姉には告げられない――ファースは涙を拭って前を向いた。


「アナベル! サレク! 悔しいけど、結婚おめでとう!」


 彼はようやく祝いの言葉を言った。

 そんなファースに二人は最高の笑みを見せる。

 花嫁行列は長く続き、国の平和を謳っているようだった。


―END―

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お子様世代でお互いの子供を結婚させるのです…… お子様世代イチャイチャを皆で見てほっこりするのです…… 相手のお子さんを愛で、彼らに似た孫を手に入れましょう…… まぁ、窮地を助けてくれた相手に惹かれ…
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