ベクトル:井戸の中のカエル、大海へ旅立つ
『小さな世界』
小さな枯れかけた井戸の中に、蛙たちの小さな世界があった。
井戸の壁には、きれいな花や美味しそうな食べ物が生えており、それを採るための「ジャンプ力」が、蛙の世界での実力を示すものだった。
井戸の中では定期的にジャンプ大会が開かれ、より高く飛べる蛙が称賛され、自然と序列も決まっていった。
主人公の蛙、“ベクトル" はジャンプはまだ上手くないが、いつか井戸の上まで届くような大ジャンプを決めたいと夢見る蛙だった。
井戸の上に広がる空を見上げて、「あの上には何があるんだろう」と時折思うこともあったが、ジャンプ大会の準備や日々の生活に追われ、ゆっくり考える暇はなかった。
いつものようにジャンプ大会の日がやってきた。
リーダー蛙が大ジャンプを決めて優勝し、みんなの注目を集める。
ベクトルも素直に称賛する。
「すごいね。リーダーなら、この井戸の上まで跳べるんじゃないのかな?」
リーダー蛙はにっこりと笑って答えた。
「どうだろうね。でも、そこまでして上を目指す必要もないんじゃないかな。今の暮らしで十分、楽しいだろう?」
『ロボット』
そんな穏やかな日々が続いていたある日、突如として井戸の上から、蛙と同じくらいの大きさのロボットたちが次々と落ちてきた。
ロボットたちは、無言で、ただじっとその場に立ち尽くしていた。不気味な静けさが井戸の中に広がる。
それでも蛙たちは、「まあ、ただのガラクタだろう」と気にも留めず、いつものようにジャンプ大会の準備を進めた。
やがて、またジャンプ大会の日がやってくる。
ところが・・・
大会が始まった瞬間、沈黙を守っていたロボットたちが突然動き出した。蛙たちのジャンプに競うかのようにジャンプを始めたのである。
だが、そのジャンプは蛙たちよりも正確で、はるかに速かった。
壁に咲く花も、食料も、ロボットたちによってあっという間に奪われてしまう。
リーダー蛙の華麗なジャンプも、その前では通用しなかった。ジャンプの頂点で掴もうとした花は、ロボットにあっさり横取りされる。リーダー蛙の表情には悔しさがにじんでいた。
井戸の中はざわつき、ベクトルも大きな衝撃を受けていた。
それ以降、蛙たちはロボットに勝てず、壁の高いところにあった豪華な食料や花は全く取れなくなってしまった。
手に入る食料と言えば、地面近くにある粗末で味のない苔や藻ばかりだった。
かつて賑やかだった井戸の暮らしは一変し、蛙たちは黙々と、わびしい生活を送るようになった。
『打ち砕かれた誇り』
ロボットに栄光を奪われたリーダー蛙は、ついに怒りを爆発させた。
「こんな奴らに好き勝手させてたまるか!」
仲間の蛙たちに檄を飛ばし、リーダー蛙は井戸の中で戦いの準備を始めた。
長いこと使われていなかった木の棒や石、古びた道具をかき集め、戦いの道具とする。
多くの蛙たちも、リーダーの言葉に従い、次第に戦いの空気に染まっていった。
しかし・・・
いざ戦いが始まると、事態はまるで歯が立たなかった。
ロボットたちは、どんな攻撃にも対応し、全く弱点がない。
木の棒は折れ、石は弾かれ、蛙たちは次々と跳ね返されていく。
そして、戦いの余波で井戸の壁にひびが入り始めた。
上から落ちてくる土や石。崩れていく花と食料。
蛙たちの誇りも、居場所も、少しずつ壊れていった。
それでもリーダー蛙は諦めなかった。
「まだだ!まだ終わりじゃない!」
『気付き』
「ここまでして、本当に戦う意味があるのか。」
跳ね飛ばされ、土にまみれながらベクトルはそう思い始めていた。
次の瞬間、目の前にいた一体のロボットが、ふいに動きを止めた。
それはまるで、ベクトルの心の変化に応えるかのように見えた。
静止したロボットの前で、ベクトルははっとする。
「……もしかして、このロボットたちは僕たちにだた反応しているだけなのかもしれない。花を奪ったのも、戦っているのも……僕たちの“強い思い”に応えているだけなんじゃないか。」
「だとすると、今はまだ僕たちの思いとの間にズレがあるようだが、上手く使えば僕らの生活をより良いものにすることが出来る・・・。彼らは敵ではない。」
ベクトルはそのことを急いでリーダー蛙に伝えに行った。しかしリーダー蛙は戦いを止めなかった。
リーダー蛙は、自分がかつてジャンプで最強であった過去の日々に戻りたいだけだったのだ。
『未知へのベクトル』
仕方なくベクトルは持ち場に戻り、あの静止したロボットと再び対峙する。
「こんな戦い無意味だ。それより僕はこの井戸の上に出たい。そこに何があるのかを知りたい!」
その瞬間、静止していたロボットは動き出し、ベクトルを抱えてジャンプした。
井戸が崩壊しようとする中、そのジャンプは蛙の世界の最高記録を超えて、なおも上昇し続け、ついには井戸をも飛び出して遥か上空にまで舞い上がった。
その上空で、ベクトルの目に広がる景色—— それは、地平線の彼方まで続く広大な海、 “ブルー・オーシャン” だった。
「・・・大きい。なんて、大きいんだ!」
その一部始終を井戸の下から見上げていた蛙たちは、騒然としていた。
「あれは、何なんだ?」
「・・・新しい記録、なのだろう・・・」
「じゃあ、俺も!」
「リーダー!どうしますか!」
「・・・・・」
戦いをやめてベクトルの後を追おうとする蛙もいれば、なおも戦い続ける蛙もいた。
そのころ、ロボットはベクトルを抱えたまま、井戸から遠く離れた静かな場所へ着地していた。
「……みんなは、どうなったのだろう」
そう思ってみても、もはや知るすべはない。
「さっき空の上から見えた、あのとても大きな“水たまり”に行きたい。どうすれば行けるのかな。」
するとロボットが、胸のモニターに地図を映し出した。海までのルートが示される。
「でも……お腹が空いて、たどり着けるか心配だな」
ロボットは、小さく光りながら自分の体にあるタンクを示した。
そこにはジャンプ大会で獲得していた食料が、手付かずの状態で蓄えられていた。
「君、頼りになるね。」
そうしてベクトルはロボットを連れて1歩を踏み出した。未知なる世界に向けて。