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六章 野球する土曜日

1、

「まだ、九時だよ」猪狩は眠そうな目を擦って言った。

「九時に迎えに行くって言ったろ」

 藤井は約束どおり九時に猪狩の家に迎えに行った。彼は車で来ていた。彼の車はWILL VS。一人暮らしのくせに、一丁前に普通車だ。維持費が高いだろうに。大学中は軽自動車でいいと思っている猪狩だが、今のところそれすら叶っていない。

 猪狩は一応時間には間に合っている。九時には準備を済ませ待っていた。ただ、猪狩は朝にめっぽう弱い。休日の九時はまだ時間外である。


 H大のグラウンド。そのすぐ横に車を停める。H大はかなり広いので、構内を車で移動しても何らおかしくはない。学生たちも、ほとんど自転車に乗って移動している。途中で藤井が、免許を取ってから初めて巻き込み確認の必要性を感じた、と言い出した。それほど容赦なく自転車が車のすぐ横を走っていた。グラウンドはその構内の端にある。外野の奥は木が生い茂っており、ボールが入っていったら、まず探すのは難しいだろうな、などと眠い頭で猪狩は考えた。

「まだ、試合前じゃん」

「ああ、十時プレーボールだから」

「……あと三十分寝られた」

「そのくらい気にするな」

 猪狩は辺りを見渡した。野球部員がウォーミングアップをしていた。ベンチではマネージャーが試合の準備をしていた。その中に頭に包帯を巻いた南原が目に付いた。

「南原」藤井も彼に気がついて声をかける。

「おう、藤井か。猪狩も」

「大丈夫なのか?」

「ああ、普通にしてる分にはな。試合には間に合わなかったけど。ま、見ていってくれよ」

 シートノックが始まり、南原がベンチから出てきた。

「今回ベンチ外なんだ」

 グラウンドではO大の選手が声を張り上げてノックを受けている。


 シートノックが終わり、両校の選手がベンチ前に集まる。審判の合図で一斉に走り出しグラウンドに整列した。キャプテンが握手をかわし、審判の「礼!!」の言葉で全選手が頭を下げ、声を張る。

「しゃーす!!」

 O大の先攻で、H工大の選手が守備に着く。O大のベンチ前では円陣が組まれている。

「あれが監督か」

 三十代くらいの男が円陣に混じって選手に檄を飛ばしている。長身で穏やかな表情をしている。顔と檄の言葉にギャップを感じる。

「あれで、キレたら恐いんだぜ」南原はおどけて、わざと身震いした。

 O大の攻撃が始まる。一番はセカンドの本田。

「あいつは嫌なバッターだぜ。粘り強いし足が速い」

 南原の言うとおり、ツーストライクから三球連続でファール。ボールをはさんだ後、レフト前に流し打ちでヒット。ベンチの後ろでマネージャーが歓声を上げる。

「な?」南原が満足そうに言った。

 次の打者は猪狩の知らない人だった。南原がいうには三年生らしい。

 その初球、いきなり本田が盗塁を試みた。結果はセーフ。

「な?」南原がまたも満足そうに言った。

 打者が送りバントを成功させ、一死三塁。「三番レフト片山くん」とコールがかかる。

「あいつは一年でセンスはあるんだけどな……」

 片山は初球を打ち上げサードフライ。二死三塁となった。

「零点かな」藤井がつぶやいた。

「まさか」南原は首を振った。

打者のコールがかかる。「四番ファースト大西くん」

 彼は左打席に入る。

「キャプテンは誰よりもバットを振ってるんだ」

 一球目、外の変化球、ボール。

「自分が振らないと他の部員に示しがつかないってさ」

二球目、内角のストレート、ファール。

「何か青春野球漫画みたいだけど」そう言って軽く笑った。

 三球目、

「とにかくあの人は打つよ」

 ストレートを引っ張り打球はライトへ。鋭いライナーで、ライトの頭上を越えた。

「っしゃ!!」藤井が叫んだ。ベンチでも歓喜の声が聞こえる。

「な?」南原が言った。三度目である。

 四番大西の二塁打の後、五番打者が倒れO大の得点は一点。

「なあ」藤井が遠慮がちに言った。「エースって高木だったんだろ?」

「まあな、今日は山本だな」

「どうなの?」今度は猪狩が聞いた。

「まあ、見てな」

 H工大の先頭打者に対しての初球、右打者に対するインコースのストレート。

「そんなに球速くないな」藤井が言う。

 二球目、今度はアウトコースへのストレート。打者はそれを強引に引っ張り、レフト前へ。無死一塁。

「ここからだ」南原が言った。

 二番打者は素直に送りバントで、一死二塁。三番打者が左打席に入る。

「あいつは左打者には強いんだ」

「そりゃサウスポーだからな」藤井が当たりまえだと言わんばかりに言った。

「あそこまで左に強い左腕もめずらしいぜ」

 などと言っている間に打者は外のスライダーで三振。二死二塁。

「高木はいいピッチャーだった」南原がふと口にする。

 次は四番打者、右打席に入る。

「140キロは出なかったけど、いい所までいってた」

 外のスライダー。ストライク。

「コントロールがいい訳じゃないけど、崩れなかった」

 外のストレート。ボール。

「山本は精々125だろうな」

 インコース、ストレート。引っ張って大きなファール。

「けど、俺は山本に魅力を感じてるんだ」

「左だから?」藤井が首を傾げる。

「それだけじゃない」

 山本の四球目。カーブ。しかしそれはいつまでも届かないようにさえ思えた。結局打ち上げてファーストフライ。O大は無失点で切り抜けた。

「あいつのカーブは無茶苦茶遅いんだ。80キロあるか疑わしい」南原はけらけら笑っている。

「遅え……」藤井が苦笑した。

 その後は膠着した展開となった。打ちつ打たれつ、それでいて得点に繋がらない。試合が動いたのは五回裏、H工大の攻撃。九番打者がエラーで出塁し無死一塁。そこから盗塁を試みる。捕手が送球をやや逸らしセーフ。

「俺ならアウトなのに……。何やってんだよ」南原がつぶやく。

 無死二塁。一番打者は送りバント成功。一死三塁。捕手がタイムを掛け、山本に駆け寄る。

「ここだな」藤井がつぶやく。

 二番打者が右打席に入る。

「スクイズだな」と南原。

 果たして、結果は本当にスクイズだった。が、山本が大きく外して失敗。結局この打者はサードゴロで二死三塁。次は左の三番打者。

「ここで抑えろ!」藤井は必死になっている。

 初球、大きく外れてボール。二球目は変化球でストライク。そして、三球目。

「あっ!!」誰かの叫び声が聞こえた。

 山本の投じたボールは、打者の背中を直撃した。デッドボール。

「あちゃー!」南原は額に手を当て、天を仰ぐ。

 そして四番打者。一球目だった。あのスローカーブ。うまく引き付けて一塁線へ。ファーストは捕れない、長打コース。

「あらら」藤井はため息を漏らした。

 結果、二点タイムリーツーベースとなり、後続を抑えるも逆転を許す。一対二。

 グラウンド整備にはいるその間両チームは円陣を組んでいる。

「落ち着いていこう」そう言ったのは監督。

「まだ一点だから。焦らずに少しずつ返していこう。流れが悪いからこの整備で一回切り替えてな。ちょうど一番からだ、初回のつもりでいこう!」

「はい!!」一斉に部員が返事をする。

 ベンチの横で本田が何者かと話している。パイプ椅子に座って「H」の帽子を被っているがH工大の物とは違う。

「あれ、誰? 何してるの?」猪狩は南原に聞いた。

「ああ、ボールボーイだよ。ファールボールとかを捕りに行くやつ。H大が当番校だからな。あいつは本田の友達って言ってたかな? 工学部とか言ってた気がするけど、忘れた」

 その後、何度かチャンスを作るも得点には繋がらず。山本も好投するも、さらに一点を失い、一対三でO大の負けとなった。

「まあ、いい試合だったな」と藤井。

「いや、でも勝ちたかった」南原は悔しがっている。自分は怪我で出ていないのだからなおさらだろう。

「帰るか」猪狩が提案する。

「おう、今日はありがとうな」南原は笑顔で応じる。猪狩と藤井の二人は駐車場へと歩き出す。

 駐車場に行くとスーツを着た、グラウンドにふさわしくないような男がいた。もうこの一週間で見慣れてしまった。伊勢である。

「何してるんですか?」猪狩が尋ねる。

「野球しているように見えるかい?」伊勢は苛立たしく言った。

「捜査、進んでないみたいですね」

「もう、訳がわからんよ」

「睡眠薬でも出てきました?」猪狩がそう言うと伊勢は目を丸くした。

「あ、本当に?」意外そうに猪狩が言う。

「本当に出てきたよ。意味がわからん。何かわかったの?」

「いえ、全然」

「あ、そう」伊勢は猪狩を訝しげに見た。しかし、ため息をつくとそのままグラウンドの方へと向かった。

「苛立ってるな、あの刑事さん」

「そのうち何とかなるだろ」

「どうやって密室にしたのかな? それがわからないとどうしようもないんじゃない?」

「違うよ」猪狩は否定した。

「へ?」

「大事なのは『どうやったか』じゃなくて『なぜやったか』だよ」

「おまえ、何かわかっただろ」

「さあね」


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