04) 生々しい幻覚。その残り香
【新潟県城ノ岬市】
この近未来型都市も平成の大合併が行われるまでは城ノ岬村と呼ばれるどこにでもありそうな寒村・漁村しか無かったのだが、いつの間にか新潟県内でも有数の大都市圏として生まれ変わった。この驚くべき成長には他には無い特殊な理由がある。元号が平成に変わって直ぐに近海の海底でレアメタルとレアアースが発見され、国内最大規模の埋蔵量が確認されたのである。
「資源を他国に頼る時代の終焉」
技術立国である日本が、自国の貧弱なエネルギー供給事情と希少金属の輸入事情を劇的に転換させたのがこの城ノ岬市であり、寒村が続いた長き歴史を塗り替え、飛躍的且つ奇跡的に発展した日本で一番熱い都市であったのだ。
全人口二万人の内、古くから漁業で生計を立てて来た村民は約五百人程度。それ以外の住民は採掘関係の企業雇用者や労働者であったりと周辺商業者で街はあっという間に膨れ上がり、寒々とした漁村に並立する様に立てられた近代建築の数々が、新旧の街並みをツートンカラーに彩るいびつで見事な街が出来上がった。
そして私立城ノ岬高校一年生の犀潟智也は、この街が村であった時代から漁業を営んでいた漁師の家系で、今でこそ旧市街と呼ばれてはいるが漁村側のひなびた日本家屋に住んでいる。
祖父の時代に漁業は廃業したので今は漁業と全く無縁なのだが、智也の父親は採掘会社に就職して一ヶ月半分以上を海上採掘基地で過ごし、母親は新市街にある建設会社の事務員として働いている事から、家が完全に留守になる事は、心が弱っていた智也にとって酷く都合が良かったのは事実。
依田真衣香の死が未だに智也を縛り喪失感に苛まれている現状……父親が泊りがけの自宅不在で、母親が朝早く出勤して行った後は、誰とも顔を合わせたくない智也にとって地獄に現れたオアシスのようでもあった。
――だが誰かに気を遣われたり、人目を気にしなければならない日々もようやく終わりを告げる。七月の初めに不登校から脱出して学校に通い始めたのだが、ほどなくして学期末テストを折り返して、早々に夏休みに突入したからだ。
“とりあえず、あの手この手の言い訳を並べて独りになる苦労は無くなった”
赤点を取って夏休み中に補習授業を受ける事は何とか避けた智也。やれば出来るのだが目的が「夏休みに学校へ呼ばれない」事を旨としている以上、必要以上に勉強に没頭はせずに“無事”独りの夏休みを迎える事となる。
朝早起きして母親と顔を合わせながら元気をアピールする必然性は失せ、学校に登校してクラスメイトから気遣いを受ける重さも無くなった。いよいよ誰からも自分自身からも咎められる事無く、朝から晩まで自室に引きこもりながら、心ゆくまでくよくよしていられる時期が来たのだ。
――昼前までグズグズしながら布団の中で寝て起きてを繰り返し、空腹に耐えられなくなったら起きて自炊する――
朝に母親が昼食を作り置きするかと聞いて来たから夏場は悪くなるからいらないと答えた以上、自分で自分の世話をしなくてはならないのだが、だいたいのメニューはインスタントの袋麺と炊いてあるご飯でしのぐ。そして夕飯までは自室のパソコンでゲーム実況動画などをぼんやりと眺め、夕飯時に母親と顔を合わせつつ、再び自室でゲーム実況動画を見るだけの日々が始まったのだが、そんな生活を続けて一週間もしない内に智也にピンチが訪れてしまった。
「……これはマズイ事になった、買い置きが無い」
いつも通り昼前に目を覚まし、空腹に負けて二階からダラダラと一階のお勝手に赴いた智也だが、炊飯器が保温になっている事を確認した後に戸棚を開けると、普段ならあるものが無い事に気が付いたのだ。
「忘れてた、昨日のがラスイチだったっけ」
袋麺が無い。昨日の昼に食べ切ってしまい、母親に買って来てとも言っていない。そうであるならば今日の夕方にでも母親と連絡を取って買って来てもらえば良いが、さて、今この空腹をどうするかと思案を始める。
――そうめんが無い、ふりかけも無い。せめて冷蔵庫に卵は……無いか。納豆もシャケフレークもマヨネーズまでも!――
「……なるほど思い出した。備蓄食料の谷間の時期だった」
昨晩の夕飯の際に明日仕事上がりに買い物して帰ると言っていた。母は確かにそれを告げていた。
一瞬母を憎らしくも思ったがそれは完全なるお門違いで、それすらも忘れていた自分が徐々に徐々に腹立たしくなって行く。――そこまで自分は呆けていたのかと
「仕方がない、コンビニに行こう」
普段着に着替え、財布をポケットにしまって自転車をまたぐ。漁村側の旧市街は海岸線に沿う形で旧国道が走り、旧市街を内陸側へ迂回する新国道が交差する場所に最初のコンビニがある。智也の家から自転車に乗れば五分と経たずにコンビニにたどり着く事は出来るのだが、その道中で智也が必ず胸が締め付けられる思いになる場所がある。そう、依田真衣香の自宅があるのだ。
真衣香の家もやはり古風な二階建ての日本家屋で、彼女の部屋は二階にあった。第二の自宅のように何度もお邪魔している馴染みの場所なのだが、真衣香が事故に遭って亡くなった以降も、たびたび彼女の部屋のカーテンが開けられたり窓が開けられているのを智也は何度も確認している。
ここからは彼女の両親に確認した訳ではなく、あくまでも智也の想像の域を超えないのだが、愛娘が死んだ事を未だに認めたくない真衣香の母親が、彼女の部屋をせっせと掃除しながら部屋の空気を入れ替えているのではと想像に絶えないのだ。
四十九日法要が終わった際に真衣香の両親は智也に向かってこんな事を言った……真衣香を忘れないでいてくれるのは嬉しいが、智也君はまだ若くて将来がある。過去に生きるのはやめるんだ。そう言われた以上易々と真衣香の家を訪問して仏前で手も合わせる事が出来ず、さりとて彼女の部屋の窓が開いていれば気になってしょうがない。
「俺は空腹なんだ、だからこの道を通ってコンビニに行く」
誰が聞いている訳でも無いのにそう何度も自分に言い聞かせながら、漕ぎ出して数十メートルも進まない内に自転車ごと転倒してしまう。「はうっ! 」と情け無い叫び声を上げながら、ガラガラガッシャンと横転して自分も道路に投げ出される様な壮絶な転び方をしたのだがそれもそのはず。見てはいけないものを見て、腰を抜かしてしまったのだ。
「……真衣香!? 真衣香が今、……」
細い旧国道を挟む様に並ぶ舟屋の様な古式建築の家々。智也が進む方向の三件ほど先の家の壁際に、真衣香らしき少女が立っていたのだが、智也の姿に気付いたのか、彼を見るなり家屋と家屋の間にスッと入って姿を消したのだ。
「真衣香、真衣香! 」
Tシャツに短パン姿の智也は両膝を擦りむいてしまい、結構な血を滴らせているもののそんな事には一切気を向けず、腰砕けでヘロヘロのまま真衣香のいた場所へ駆け寄った。
「……あれ? ……いない……。なんだ?幻覚でも見たと言うのか?」
幽霊を見たとは言い難いあまりにも生々しい本人の姿に、呆然と立ち尽くしたままの智也。いよいよ本格的に痛み出した両膝に気を取られるまでのしばしの間、智也はその場で彼女が残した匂いを懐かしんでいた。