26) 哀しき咆哮
「スフィダンテの着艦シークエンス、データロード完了の返信がありました。スフィダンテ着艦行けます! 」
「了解、誘導ビーコン発信! 」
「ドックのガンサイトモニターとスフィダンテのモニターをリンク。軸合わせ行うぞ! 」
「軸合わせ終了! 」
「神州とスフィダンテの相対速度差出ます! 神州まで十キロ! 」
『こちらスフィダンテ、犀潟智也。着艦シークエンス起動します。軸合わせゼロ点マッチ完了……』
スフィダンテと犀潟智也は無事神州に着艦し、神州は一路航空自衛隊小松基地に帰投を始めた。凱旋と言う言葉が似合うような、まさに見事な帰投。スフィダンテも神州も見事に初戦を飾ったのである。
乏しい武器を頼りに、見事ソ連軍のリバティ・ギアを撃破したスフィダンテ。それを駆る犀潟智也が格納庫でコクピットから出て来ると、整備班の作業員たちは我先にと智也に近付いて彼をクシャクシャにする。慌てて逃げるように通路へ出ると、既に非番のクルーたちがそこで智也を待ち構えており、大歓声に迎えられた智也は再びそこでもみくちゃにされてしまった。
異世界ソビエト連邦の圧倒的な軍事力とリバティ・ギア軍団に国土を蹂躙され、わずかな難民とともにこの世界にやって来た神州の乗組員にしてみれば、たった一機であっても味方になったリバティ・ギアがソ連のリバティ・ギアを撃破したとなれば、彼らにとってこれほど胸のすく話は無い。
故郷を追われた日本共和国の人々にとってソ連軍を撃退した智也はまさに英雄、まるでそれは英雄の帰還だったのである。
警戒態勢のランクを一つ下げて準警戒態勢にした神州は、喧騒が終わり落ち着きを取り戻したかのような普段の静けさの中、新たな母港である小松空港へと帰投して行く。
榎本艦長が操舵室に戻ったCICもその機能を終えて、常駐職員だけの閑散とした空間に戻っていたのだが、通信班のアジア系日本人ジェシー・ラットリーが暇を持て余して枝毛の処理をしていた時、マーゴットが通路からCICへと戻り、ジェシーの隣の席へと付いた。
席に座ったまま何も言い出さず、肩ひじを机に置いて頬を乗せるマーゴット。ため息を何度も吐いて他人の興味を引こうとする稚気は見せないものの、酷く陰鬱な表情であるのは確かだ。
神州帰還後に“犀潟智也に呼び出された”マーゴット。智也から何を聞かれて彼女がどう答えたのか大体の察しがつくジェシーは、好奇心から生じる乙女トークなどはなはだする積りなど無く、マーゴットの肩に手を添えて優しく撫でてやるのが精一杯。
そしてジェシーの優しさが彼女の強張った心情をときほぐしてくれたのか、親友の気遣いに感謝するようにマーゴットも智也との会話の内容を話し出した。
「全部話したよ」
「真衣香ちゃんの事? 」
「うん、隠す事無く全部話した」
「そっか。彼、ショック受けてたでしょ」
「そうね。手が……震えてた」
「思い詰めないでマーゴット、あなたが悪い訳じゃないのよ」
「分かってる。秘密にしたまま上辺だけ取り繕うよりもマシだとは思ってる」
「それで、彼は受け入れられそう? 割としっかりしてるように見えるから……」
がっくりと肩を落とす。マーゴットのその絶望的な反応を見て、時間がかかりそうなのかとため息を吐き、誕生した新たな英雄の前途多難さを心配するジェシーであったが、次の瞬間にマーゴットから出た言葉で完全に凍り付いてしまった。ぽつりと出た言葉のその内容に震撼し、思考を完全に停止させてしまったのだ。
――話すタイミングを間違えた、これは私のミスよ。彼、智也君はね、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症させてるかも知れない。真衣香ちゃんの話をした事で私がトドメを刺してしまったのかも――
静まり返るCIC。マーゴットとジェシー以外に会話を重ねる者がいなかったから、室内にその言葉が響き渡ったと言うのも理由なのだが、部屋のあちこちに据えられている大型機械の低い作動音がだけが際立って聞こえる今、まるで若者たちの多難な前途を表現するかのような、暗雲立ち込める不気味な静寂とも言えたのである。
◇ ◇ ◇
巡空艦神州の艦内において、唯一艦橋要員以外の乗組員たちが本物の空を見れる場所がある。基地などに寄港した際に物資を搬入するカーゴベイの目視誘導用管理室がそれで、人の顔ほどのサイズの丸い覗き窓がいくつか並び、レーダー照準に頼れない場所でのドッキングを管制する部屋である。
戦闘航海中は気圧維持の目的で完全に艦内でも閉鎖・遮断される部局であるのだが、整備班の中でも物資管理担当に所属している依田真衣香は、通常航行中に限りと言う条件の下で艦長から許可を貰い、いつもここで空や大地に魅入っていた。
――小松空港まであと十五分――
真っ青な夏の空を優雅に飛んでいた神州、その飛行時間の終わりが迫り始めたちょうどその頃。真衣香がいつも通り独りで目視誘導管理室で空を眺めていると、そこに珍しい客が現れた。この神州においては新参者とも言って良い黒髪の少年、犀潟智也である。
「あっ……」
身体をピクリと反応させ、落ち着きの無い表情で智也を見る真衣香。智也が神州にやって来てからは何かにつけて彼から離れるように行動し、極力言葉を合わせるどころか視線すら合わせようとしていなかったのだが、個室でバッタリ二人になってしまえば、自然を装って逃げるにも逃げれず焦っているのだ。
「真衣香、君にまつわる話を全部聞いた」
「……そう、聞いたの」
真衣香はそうとしか反応出来なかった。何故なら、彼女の住む次元世界での犀潟智也は、真衣香にとってだけでなく、日本共和国にとっても裏切り者以外の何者でもなかったのだから――。
突如リバティ・ギア軍団を率いた異世界のソビエト連邦は、一切の妥協も交渉も無いままに東日本の自治領から西に向かって侵攻を開始。日本共和国の領土を蹂躙して共和国体制を完全に崩壊させた。西日本側の自由主義国家が滅亡し、列島全てが『ソビエト連邦日本自治州』に変わったのである。
形だけ日本人政府を作らせて運営するもそれは、あくまでもソビエト共産党側の命令を履行するだけの傀儡政権であり、内実はプロパガンダと恐怖政治蠢く共産主義社会そのもの。日本はどっぷりと赤い絨毯の海に浸かってしまったのだ。
低すぎる経済発展率を誤魔化すプロパガンダが巷に溢れ、密告と盗聴と粛清と暗殺・行方不明が日常茶飯事のイベントとなった日本自治州で、戦火から生き延びた人々は飢えや絶望にひたすら耐えていたのだが、そこに突如希望の星が現れたのだ。
宝クジに当たったかのような僥倖な出来事……それこそがリバティ・ギア・ポータルの出現。
――飢えに苦しんでいた依田真衣香とその両親が、党管理となって禁止されていた個人での漁を行っている際に、偶然投網に引っかかって上げられたのがポータル。依田真衣香をポータル管理者と任命して、犀潟智也への移譲を求めたのである――
本来ならば、真衣香の住む世界の犀潟智也がスフィダンテの契約者となって搭乗する流れになっていたのであろうが、真衣香はそれを拒んだ。
その時既に日本自治州共産党青年部に入っていた智也は、ソビエト共産党の手先となって不満分子を炙り出し、罪も無い人々を処刑台や再教育施設と言う名の絶滅収容所に送り込んでいた。そう、真衣香が契約者として認めてポータルを渡す訳が無いのだ。
真衣香は地下抵抗組織「自由の旗」と接触し、異世界にジャンプする事が出来る日本共和国最後の巡空艦神州に保護を求めたのである。まだ見ぬ犀潟智也とスフィダンテに、母国奪還の望みを託して。
その時だった。日本放送協会改め日本労働者放送組合が全国へ向けてテレビ緊急特番を放送した。それがリバティ・ギアのポータルを取得しながら党に報告せず、そのまま持ち去って逃亡を図る真衣香の両親の、テレビ公開処刑の生中継であったのだ――。
「スフィダンテ・ポータルの存在を知っていたのは君と君の両親だけ。そして地域の不審者情報を取りまとめるのが、君のいた世界の犀潟智也。つまり犀潟は両親や君の命を党に売り渡した仇、そう言う事だね」
「テレビ中継では党に通報したヒーローとしてインタビューを受けていた。……分かってる、理屈では分かってるの!あの世界の犀潟智也とあなたは全く違うと言う事が」
「でも俺を見ると、思い出したくない事を思い出し、憎しみや苦しみが蘇って来るんだね」
「……ごめんなさい」
真衣香は哀しそうな表情で謝罪する。顔も声も、肉体的には全く同じの智也を前にすると、どうしても脳裏にあの光景がフラッシュバックするのである。
ーー人民広場で絞首刑にされ、風鈴の舌のようにフラフラと揺れる父と母の遺体を背景に、満面の笑みでインタビューに答える智也の笑顔がーー
「謝らなくて良いよ、謝る必要は無い」
「でも、この世界のあなたは何も悪い事はしていない。この世界の真衣香と平和に暮らしていた」
「それも過去の事だ。それにもう……俺に真衣香を弔う資格は無い」
【真衣香を弔う資格が無い? 】――何故急にそんなネガティブな事を言い出したのかと不思議に感じた真衣香は、それまで俯いていた顔を上げて智也の顔を見詰め、そこで気付いた。泣き出すのを堪えるかのようなクシャクシャな表情の彼から、溢れてむせ返るほどの悲愴感が漂っていたのである。
「俺は人を殺した。……パンチが敵に当たって炎の柱が貫いた直後、痛みで気絶する瞬間にバッチリ見てしまったんだ。上半身黒コゲになった人を! 」
「犀潟智也落ち着け。それはスフィダンテに乗って敵を倒した結果だ、君がいなければ…… 」
「人殺しに良いも悪いも無い! 俺はこの手で、この手で人を殺したんだ。他人の人生をそこで終わらせちまったんだ! 」
右手で頭をかきむしりつつ、ついつい声を荒げてしまった事を後悔する智也。どんな表情をして良いのか自分でも分からなくなり、怒っているのか悲しいのか笑っているのか……自嘲を前面に押し出した後悔の顔のまま、息を一つついて落ち着きを自らに課し、再び理性的な自分を装って語り出す。
「君の世界の犀潟智也が、どんな人間のクズだったかなんて俺には関係無い。だけど俺ももう……人殺しになっちまったから、もう立派な事なんて言えねえ、そいつと同じクズだ」
「それは違うぞ! 君はみんなを助けてくれた、救ってくれたんだ! 」
その言葉がどれだけの慰めになるのか真衣香には分からない。だが目の前の智也にスフィダンテのポータルを託したのは、何を隠そう真衣香自身である。
今は憎くて憎くて殺意すら覚える智也の顔が、相変わらず腹立たしくもあるのだが、その苦悩と哀しみの表情が真衣香の胸に突き刺さるのは確か。彼を励まそうと言う気持ちだけは湧いて来ている。
だが、思い詰める智也の心的負担は相当だったようで、真衣香の言葉はまるで彼の心には刺さっていなかったのだ。
「君に契約者になれと言われてポータルを渡された事は怨んでいない。あの時俺が決断しなければ、親父やお袋だけでなく、日本の半分が消滅していたから」
……詰まるところ「俺が乗る」運命だったんだ。犀潟智也とは、どの世界に存在していても人の死に密接に関わる死神なのかも知れない。だから奴の代わりに俺を恨んでくれて構わない、怒りをぶつけてもらっても構わない……
真衣香にではなく自分自身に言い聞かせるようなものの言い方で、智也は情け無い作り笑いを一つ放ちその場を去ろうとする。
「待って、待って智也! 」
異世界から来た真衣香が、初めて智也を呼び捨てにする。フルネームや“君”などと言った見えない壁を感じさせる、距離の遠い呼び方ではなく、感情的な近しい呼び方だ。
だが、智也は彼女の呼びかけに応える事無く部屋を出て行った。
“自分の幸せを求める資格などもう無い。そして後戻りの出来ない地獄行きのチケットを握りしめながら、一生このまま人殺しとして進むしかない”
真衣香の視界で小さくなって行く智也の哀しそうな背中は、語らずともそう言っているように見えたのだ。
◆ 対決!リバティ・ギア「アレスタイプ」 編
終わり