20) 急襲作戦開始! 後編
『艦長より神州の全乗組員に達する。今より三分後に弩作戦を開始する! 高度限界まで神州を急上昇させてスフィダンテを射出、その後に敵艦隊の予想進行方向へ向けて降下し艦隊戦を行う。ダメコン指示が予想される事から、各部所は艦内放送に常時耳を傾け、行動指示を厳となせ! 』
日本海沿岸を覆っていた分厚い雲を突き抜け、雲一つ無い宇宙との境界線を目指す巡空艦神州。落日の夕陽が空をオレンジ色に染め上げる中、神州もそれを全身に浴び神々しいほどに燃え上がっている。
『こちら艦橋、操艦担当の岸田だ。ただ今をもって第三戦速から最大戦速に変更、高度限界への急上昇を始める! 限界点でスフィダンテ射出後は一瞬自由落下状態になる事から、総員シートに身体を固定せよ! 』
『こちら戦闘指揮所、戦術長の徳永だ。格納庫班はスフィダンテのカタパルト射出準備に入れ! 空力抵抗排除を優先するから、一瞬だ! 一瞬で上げるぞ! 』
艦橋や戦闘指揮所からの艦内放送がけたたましく流れ、乗組員たちも「いよいよ神州は戦闘状態に入るのだ」と自覚したのか、艦内の空気は緊張でピリピリと張り詰めている。
そして気分だけの問題だけでなく、実際に水平値から船首側が上がり、船尾側が下がっている環境下でマックスパワーの最大戦速にシフトした事から、乗組員たちは身体に強烈な重力を感じ始め、足元がつまづいて転んでしまえばそのまま廊下を滑り落ちてしまいそうな体感を覚えていた。
◆ ◆ ◆
神州の格納庫で背中を甲板に横たえる仰向けの状態になったスフィダンテは、既にプレイヤー・ウィールを起動させており臨戦態勢は万全。
後はカタパルトハッチが開いて射出されるのを待つだけであり、シートに固定された智也の身体は完全に真上を向いている。そして徐々に徐々に前のめりの重力を感じるようになって来た事から、神州がいよいよ限界高度に向かって速力を上げ始めたのだと肌で感じていた。
スフィダンテが手に入れたプレイヤー・ウィールは豆粒だった。魔装徹甲弾の弾頭に搭載されたそれは手のひらの上で転がるような代物で、巨躯をもって敵と戦うリバティ・ギアにとっては笑い話のレベルにあるような「チンケ」な物だった。
だがしかし、現状では無手のスフィダンテが戦の神アレスに勝てる確率など皆無に等しく、火属性モンロー効果の小さなプレイヤー・ウィールでも無いよりはマシだと判断した智也は、スフィダンテにラーニングさせたのである。
――接近戦に持ち込んで拳の先からこの魔法効果を発揮させる。そしてその威力が充分発揮されるための衝撃力を得られる速度を計算した結果、この『弩作戦』が立案されたのだ。
敵の進行方向を予測し、最大戦速で限界高度まで上昇した神州から更にカタパルト発進させたスフィダンテは、高度八千メートルに到達後敵の艦隊とアレス目掛けて急降下。
アレスと交錯する瞬間に右パンチを放ち、そのモンロー効果の熱量と衝撃力をもってアレスを内部から破壊する。
交錯ポイントへの微調整はスフィダンテ・ポータルが行なってくれるとしても、ただの高校生が八千メートル上空から地球の重力に引かれて落下するならば相当な度胸と根性が必要となって来る。
その高空の真の恐怖が分からないからこそ、智也はやってやると簡単に結論を出してしまったのだが、共和国世界の依田真衣香があまりにも冷たい態度を取るので、ヤケになっていた部分がある事も否めなかった。
智也とスフィダンテが神州に回収された後に格納庫で二人は再会したのだが、目を合わせない、口を開かない、近付けば遠ざかると……あの海岸で必死に智也を探していた真衣香とは別人のように冷たかったのだ。
今もこの格納庫に隣接する待機所の分厚いガラス窓の向こうで、スフィダンテを眺める整備班のメンバーの中に真衣香はいる。モニターをズームインさせて彼女の姿を拡大させるも、他の整備兵たちは目を爛々と輝かせてスフィダンテを見詰めているのに、彼女だけはそっぽを向いて自分に興味を示そうとはしていない。
『智也君どうしたの? 何を見てるの? 』
モニター画面が急にスフィダンテのガンサイトカメラに切り替えられた事で、オペレーターであるマーゴットの端末は砂嵐画面になってしまった。
「すいません、ちょっと……」
『こっちも同期出来た。あら、真衣香ちゃんを見てたのね。仲は良かったの? 』
「……ですね。だけど彼女はもうこの世にはいない」
『気持ちの集中が必要なタイミングで、余計な事聞いちゃったね、ごめんなさい』
「マーゴットさんが謝る事じゃないです、事実は事実で受け入れないと。彼女は彼女であっても別人です」
『智也君は強いのね。あの子もちょっと訳ありだから、あなたが無事帰って来たら教えてあげる』
俺は強くなんかない、今は調子の良い事を言ったけど事実なんて全く受け入れられていない……。智也がその台詞を口にしようかどうしようかと躊躇した瞬間、艦内に岸田副艦長の艦内放送が怒号のように響き渡り、智也の心情は完全にかき消されてしまった。
『こちら艦橋、副長の岸田から全乗組員に達する! 現在高度六千五百メートル、最大戦速で仰角最大値に到達! 高度限界まで後三十秒だ! 』
『こちら戦闘指揮所、戦術長の徳永だ! カタパルトデッキ解放まで後十五秒、カウントダウン始め! カタパルトデッキ解放後大気ブレーキがかかって本艦は失速するぞ、総員身体の固定厳守! 』
――あまり詳しくは覚えていない――
数字を刻む艦内放送が一定のリズムとなって淡々と鼓膜をくすぐるのだが、ゼロまでちゃんと聞けていたのか怪しい。
スフィダンテのコクピット正面のモニターでは、格納庫の天井を映していたのだがいつの間にかそれが開き、簡単に言うと宇宙が見えた。雲がふわふわと気持ち良さそうに流れて行く空ではなくて、シミ一つない真っ黒い綺麗なカーテンに小さな星粒がびっしりと付いていた……つまり宇宙だ。
ああ、自分で言い出したのも何だけどすごいところまで連れてこられたなと思った瞬間、重力と言う名のものすごい衝撃が身体を押さえ込んで来た。身体中の血液が全部足の方に持って行かれるような気がして目の前と頭が真っ暗になったのだ。
これがブラックアウト現象かと納得する暇も無く、耐Gスーツが下半身に集まる血液をせき止めるようにギュウギュウと身体を締め上げる。頭は朦朧としながら下半身がキツくて痛いと自覚した時、とうとう地球が見えたのだ。
スフィダンテ・ポータルが自動で姿勢制御を始めた結果、うつ伏せの体制から仰向けの状態になった事で下界が丸見えになったのだが、智也はその光景に完全に怖気付いてしまったのか、渾身の力を込めて目を瞑ってしまった。もちろん、自由落下状態に入る直前に擬似無重力状態を体験した事で胃が悲鳴を上げた事も理由の一つではあるのだが、普段そこで生きてそこで生活している世界があまりにも遠く感じ、現実世界から離れてしまった自分に恐怖したのだ。
ともあれ、弩の矢は放たれた。やり直しや二度目のチャンスは有り得ない、一撃必殺の一本勝負。スフィダンテが覚えたばかりの炎の拳は、戦と狂乱の神に通じるのであろうか?




