17) 負けるよりはマシ
ここは巡空艦『神州』の士官室。一般的な兵士たちの管理統率を行う立場である、少尉など尉官クラス以上の階級を士官と呼び、その士官だけが入室を許される部屋がある。つまりは幹部クラスの休憩所であり会議所であり食堂だ。今その士官室に数名の「制服組」が集まり、難しい顔をしながら視線を犀潟智也に集中させていた。
――あの凶暴なソビエト連邦軍に唯一対抗出来るリバティ・ギア――
――この世界が初めて手に入れたリバティ・ギアのスファダンテ――
ソビエト連邦にに蹂躙され、勧告された無条件降伏を受諾し、その幕を閉じてしまった異世界の日本共和国。
その共和国からこの世界に亡命して来た神州の乗組員たちは、スフィダンテこそが反転攻勢の証だと思っており、依田真衣香が持つスフィダンテ・ポータルに導かれるようにソ連軍の追跡網をかいくぐり、賭けのような危険な旅をおかしてこの世界にたどり着いた。だが契約者となった犀潟智也が言うには、スフィダンテには一切の武装が施されておらず、赤子のように完全な丸腰。現状ではまるで戦力にならないのだそうだ。
スフィダンテを回収し、空腹の智也に食事を与えた際に彼が食堂でそう告白した事で、乗組員は驚き艦内は騒然となってしまった。落胆する者や怒りに震える者も少なくはなく、パニックを抑えるためにと配慮した榎本艦長は、緊急避難として智也を士官室へと案内したのであった。
「なるほど、育成要素のある特殊なリバティ・ギア。それがスフィダンテだと言う事か」
智也からスフィダンテの性能にまつわる説明を受けた榎本艦長は、目の前のコーヒーが人肌よりぬるくなってしまっても口をつけようとはせず、そう呟きながら壁にかけられた世界地図を意味無く凝視している。
そしてこの士官室には今、榎本艦長麾下神州の幹部クラスの士官たちが集っており、岸田副艦長や戦術長、甲板長や機関長が揃っているのだが、それぞれがそれぞれに難しい顔をしながら「どうしたものか」と首を傾げて悩み苦しんでいた。
「何でも良いんです、プレイヤー・ウィールを提供して下さい! 」
智也が榎本艦長や神州の幹部たちにそう懇願するも、誰一人として口は開かずに難しそうな表情のまま。
この士官室にはもちろん、日本政府側から派遣された鴻巣参事官と永谷三等空佐も同席しているのだが、事が事だけに余計な口出しはせずに、この話し合いの成り行きをただ見守っているだけ。つまりは壁掛け時計の秒針だけが無意味に進んでいる状態なのだ。
「犀潟君、提供したいのは山々なんだけど、この艦にプレイヤー・ウィールは一つしか搭載していないんだ」
「一つ……たった一つですか? 」
――空飛ぶ戦艦『巡空艦』の動力は化石燃料とプレイヤー・ウィールの高速回転から発生させた魔力エネルギーのハイブリッドが基本である。短距離加速パワーの化石燃料動力と静音長距離安定の魔力動力と考えれば良い。
艦の規模にもよるが、大抵の艦の構造は化石燃料エンジン二機と魔力エンジン二機で成り立っており、魔力エンジンで浮力と揚力を得ながら、化石燃料のガスタービンエンジンで加速を得て飛行する。
だがこの巡空艦神州は独特のコンセプトで作られた日本共和国最後の最新鋭巡空艦で、起死回生のチャンスを逃し終戦直前に世に出た船。今まで実質不可能と言われていた巨大プレイヤー・ウィールの製作と、それに対して膨大な呪文の刻印を刻む事に成功し、この巨大プレイヤー・ウィール一本で艦の動力から電力全てが賄えるようになったのだ。
「国が疲弊しててね、多数の巡空艦を建造するだけの力が無かったからこそ、一点豪華主義に徹して神州が作られたんだ。こちらの歴史書に記されている戦艦大和や武蔵と同じなのさ」
榎本艦長は言葉を続ける。――だからプレイヤー・ウィールを供出してくれと言われても、はい分かりましたとはなかなか言えない。プレイヤー・ウィールを君に提供すれば神州は海に落下して鉄のイカダに変わり果てるし、そもそも我々はこの世界の日本国政府に亡命を認められ、その下で活動する以上、この神州も心臓部のプレイヤー・ウィールも好き勝手に貸したり譲ったり出来ないんだ。
榎本艦長の説明にぐうの音も出ないほどに納得した智也は、沈痛な面持ちで押し黙る。それと同時に艦長たちがやって来たと言う、日本共和国と言う名の異世界日本の滅亡にも思いをやる。何故神州がリバティ・ギアを求めて逃避行の旅に出たのか気になったのだ。
「日本共和国の共和国って、つまり貴族や皇族が存在しない国って事ですよね? 」
「犀潟君はなかなかに博識だね。そう、我々の世界では第二次世界大戦の末期に本土決戦があってね、列島の隅々まで焼け野原になったんだ。国土も戦勝国に分割されて戦後が始まった。分断された日本共和国がソ連のリバティ・ギア軍団に蹂躙されたのは八年前になる」
「そうだったんですか……。敵が異世界のソ連ならば、俺のいるこの世界も蹂躙されますかね? 」
「巨大な共産主義国家は基本的に飢えるからね、領土や経済などの国家財産は喉から手が出るほどに欲しいと思うよ」
――いずれにしても、異世界ソ連とは戦わなければならない。たとえ自分の操るリバティ・ギアが使い物にならない案山子でも――
全長2キロもある槍を持つと言われるリバティ・ギア、ギリシャ神話十二柱の一つで戦を司る神アレスに無手でどう戦うか。沸騰した血液が霧となって全身の毛穴と言う毛穴から吹き出して来そうなほどに苦しい表情で塞ぎ込む智也。
すると彼を見ていた女性士官の一人が何かを閃いてハッとした表情に変わるのだが、閃いた内容が内容なのか、みるみる申し訳なさそうな顔へと変わりつつも「あ、あの……」とか細い声で智也を呼ぶ。
「フォレスト少尉どうしたね? 遠慮しないで言ってみなさい」
艦長から堂々と発言するべきだと優しく諭されたのは武器管制官のリンジー・フォレスト少尉。金髪の白人なのだが顔の形が険しくなく、アジア人的ななめらかさを持つハーフの人物である。
そのフォレスト少尉が僭越ながらと枕言葉を口にしながらおずおずと発言する。
「当艦に搭載されている主砲、62口径5インチ単装砲の砲弾の弾種に、通常弾頭とは違う魔装徹甲弾があります。敵の魔法防御を無効化して敵本体にダメージを与える魔力モンロー効果を狙った弾頭で、信管として小型のプレイヤー・ウィールが内蔵されているのですが……」
モンロー効果とはくぼみのある円錐形に爆薬を成形させて、起爆時一定方向に強い穿孔力が生じさせる現象で、爆発時の衝撃力を一点に集中させる効果である。
そして魔力モンロー効果とは、弾頭に内蔵させた火属性のプレイヤー・ウィールに魔力を発生・最大限まで充填させつつ、着弾の衝撃で火属性魔法を発現させて、魔法の一点集中衝撃で敵の魔法防御を破壊しつつ、敵本体に火属性のダメージを与える事を言う。その魔装徹甲弾がこの神州に二十発ほど保管されているそうなのだが、それを説明するフォレスト少尉の表情は決して明るくはない。
「直径1センチメートル、高さ2.5センチメートルのプレイヤー・ウィールなんです。そんな小さなものが果たしてリバティ・ギア同士の実戦で役に立つかどうか……」
シンと静まり返る士官室。沈痛な空気が充填してしまった室内の空気を変えようと思ったのか、日本政府代表で神州に乗船している鴻巣参事官がハンカチで額の冷や汗を拭きながら口を開いた。神州から技術提供を受けたデータで日本政府もプレイヤー・ウィールを目下製作しているから、何とか今を切り抜けてはくれまいか、と。
攻撃三倍の法則、もしくは三対一の法則と言う戦術用語がある。
敵を撃破しようと試みるならば敵の三倍は兵を揃えよと言う格言にあたる言葉で、今のこの状況を当てはめるならば、自軍は巡空艦神州一隻に対し、異世界ソ連艦隊は二隻の巡空艦と一隻の輸送艦で追跡して来ている。
どんなに神州が最新鋭艦だと言っても三倍の法則で言えば負け。更に敵にはリバティ・ギアのアレスタイプが随行しており、こちらの切り札であったスフィダンテは丸腰の赤ん坊。
「勝てないかも知れないけど、負けるよりはマシだ! 魔装徹甲弾のプレイヤー・ウィール……俺にください」
智也は決意した。身勝手で卑怯な言い方かも知れないが、まず残された父親と街にいる母親、つまり両親が心配である事。そして逃げ回っていても問題が解決する訳ではなく、むしろ悪化して一般市民に被害者が出る可能性がある事。その懸念が昨日まで生きる屍と成り果てていつもメソメソしていた智也の背中を押したのである。
「勝てないかも知れないけど、負けるよりはマシ……か。犀潟君は良い事を言うね」
結論は出たとして、立ち上がる事で会議の終わりを告げる榎本艦長。犀潟智也に全面的に協力する事を士官たちに厳命し、士官たちは智也を囲みながら肩を寄せ合うように士官室を出て行く。
いよいよ、この世界でも神々の装置、自由を勝ち取るための装置、『リバティ・ギア』同士の戦いが始まるのだ。




