暗雲
なんだかんだで、楽しく毎日が過ぎていく。
私、働かなくていいのかしら。
でも、私が何か仕事をしようとすると、みんな長に止められているからと、取り上げてしまう。
毎日散歩や本ばかり読むのも、限界だわ。
どうせなら、本だけではわからないことも学びたい。
シュラに仕事がないなら、勉強したいと伝えてもらったら、あの老爺たちが来てくれて、色々教えてくれた。
わからなかったことを、わかるようになる瞬間は、とても楽しい。
一日の終わりを惜しみたくなるほど、時間が早く過ぎるのを感じる。疲れても、どこか気持ちは楽だと自覚していた。
こんな毎日を送れるのは、シュラのおかげ。
彼の庇護下にいるからで、自分の力じゃない。
それはわかっていても。
伸び伸びと過ごせる毎日があることは、かけがえのない宝物。
シュラ……ありがとう。
何かあると、シュラがすぐそばに来てくれるし。
彼が来ない時は、思わず周りを見て、姿が見えるとホッとするの。
そういえば、最近……特に。
彼が他の鬼女と話していると、胸がズキっと痛むようになった。
何を話しているのか、誰なのか、どういう関係なのか。
気軽に彼女の肩に、ポンと触れただけで、悔しく思ってしまったり。
まるでヤキモチ。
───いいえ、きっとそう。
シュラが私以外に関心が逸れることが、面白くないんだもの。
私……変わったんだ。
シュラに会えないと、恋しくなってしまう。
そんな自分に。
そう考えながら、今日も庭園を歩いていると、景色がグニャリと歪んだ。
え!?
どうしたんだろ。
目が、目がまわる……。
私は、急に眩暈に襲われて転びそうになった。
「クローディア!?」
「……あ」
気がつくと、私は誰かに支えられている。
顔をあげると、シュラだった。
いつの間に?
「具合が悪いのか?」
会話するのは、久しぶり。嬉しくなって、思わず笑顔になる。
「少し、眩暈がしたの。ありがとう、シュラ」
「眩暈? 医師を呼ぶか」
「ううん、もう平気」
そう言って起き上がろうとしたのに、力が入らない。
「あれ? おかしいな」
「いい。部屋に運ぶ」
彼は、私を抱き上げて歩き出した。初めて会った時も、こうしてくれたよね。
温かい……。
最初は怖くて仕方なかったのに、今はこんなにも安心する。
「ありがとう」
「気にするな、疲れが出たんだろう」
「他のことも、色々。みんなも、とても親しくしてくれるし」
「あー、それはクローディアの人柄だよ」
「え?」
「ライもゼカも、クローディアが優しくて大好きだと言ってる。あの爺やたちも、クローディアは、頭がいいと褒めてたぞ」
「そ、そんなこと」
「他の連中も、クローディアを悪く言う奴はいない。慕われるかどうかは、本人の行動次第だから、俺は何もしていない」
「シュラ……」
「もっと、自信を持て。な?」
「ええ……」
ここに来てから、私はいろんな意味で変われた。国にいる時より、私らしく振る舞えている気がする。
それは、受け入れてくれる鬼たちがいるから。
シュラ、何よりも、あなたが私を大切にしてくれるから……。
力を抜いて、彼の胸に体を預けると、頭に優しい重みがかかった。
頬をのせてくれてるんだ。
美しい庭園の中、とてつもなく幸せで。
私……シュラが好きだわ。
はっきりと、そう自覚した。彼も……同じならいいのに。
ゆっくり意識が遠ざかる。貧血かしら……。
視界が暗闇に沈むと、人の話し声が聞こえてきた。
「……かなりのご執心だな、鬼の長は。嬉しい誤算だ」
───誰? この声は……シュラじゃない。
でも、知っている人の声。
これは……テス王?
「こうなると、ウドレッダ姫ではなくて正解でしたな。ま、美貌だけが取り柄のウドレッダ姫では、こうまでならなかったでしょう」
このしゃがれ声……モノケロガヤ。
どうして、二人の声が聞こえるの?
ゆっくり目を開けると、二人がこちらを見ている場面が映し出された。
ええ!?
城に戻ってきたの? 私。
いえ、違う。
彼らの姿は、まるで水晶玉の中に映るかのように、曲線に歪んでいる。
テス王は満足そうに、モノケロガヤの肩を叩いていた。
「クローディアの魂をクリスタルに移植することで、鬼の世界を宝珠に映し出せるようにするとは。素晴らしいぞ、モノケロガヤ」
「下手な呪具は、鬼どもに察知されます。しかし、宝珠であれは、奴らにとっても秘宝。クローディア様の体を媒介して、あちらの世界の情報を手に入れられると踏んだまで」
「ククク……クローディアなんぞ、どうせすぐに食われるか、苦役を科されるかと予想して、少しでも長持ちすればいい程度だったのにな」
「こうも深く鬼の一族の中に入り込み、大切に扱われるとは驚きです。お陰で、“鬼神棒”の在処もわかりましたし」
「ふふふ、鬼神棒さえ手に入れれば、鬼の一族も殲滅できよう。あとは、誘き寄せるだけ、だな」
「しかし、王。クローディア様の魂とクリスタルは、そう長くは持ちません。異物に無理やり定着させているため、離れ始めています」
「は! ならば急がねばな! 宝珠を返すと伝えて、今度こそ鬼の長を呼び寄せるぞ」
「クローディア様はどうします?」
「放っておけ。クリスタルと共に、砕け散ってもかまわん。ことが済めば、保管していた体も、山の獣たちの餌にすればいい」
「酷い方だ。まるで鬼ですなぁ」
「ふははは! ならば、私こそ鬼神棒を持つのにふさわしかろう。全世界を我が手にし、鬼の世界も奪ってやる。くくく! ははは!!」
そんな……!!
そんな酷いことを考えていたの!?
モノケロガヤは、笑い続ける王に不気味な笑みを浮かべ、
「馬鹿な王だ……」
と呟いた。
目の前が、また暗くなっていく。
どうしよう、どうしよう。シュラに伝えないと。
でも、私の体を媒介して向こうにも筒抜けなら、教えたこともバレてしまう。
私の体も処分されてしまうかも。
なんとかしないと!!
光が見え始めて、私は目を覚ました。
ここは、私の部屋?
そばにいた小鬼のライが、私を見て嬉しそうに笑う。
「目を覚ましタ! 若様ー!!」
大声を張り上げるライを、ゼカが嗜めにきた。
「シー! 大声だメ!」
「いいノ! 若様、クローディア様、お目玉焼きしター」
お、お目玉焼き?
何それ。
「モー! 伝言下手くそなライ! お目覚めになりましタ、でしょ!!」
「意地悪、ゼカ!!」
ふふ、ライは微妙に言い間違えるのよね。
あ、でも待って。
もしかしたら、これは……。
「ゼカ」
「はイ、クローディア様」
「シュラを呼んできて」
「わかりましタ」
ゼカがいなくなると、私はライをそばに呼んだ。
「ライ、よく聞いてね」
「はイ、クローディア様」
この会話も、テス王たちに筒抜けなら……。
やがて、シュラが部屋に入ってきた。
「大丈夫か? クローディア」
「ありがとう、シュラ」
「一応医師に診せたんだが、その……」
「ええ」
「魂が不安定だと」
……やっぱり。モノケロガヤの言うとおり、私の魂とクリスタルが、乖離しつつある。
異物なのだから、当たり前よね。
もし、乖離したら、私は元の体に戻れるのかしら。
ダメなら、彼ともお別れになる……。
私はシーツを、ぎゅっと握りしめた。
「鬼神棒でなんとかしようとしたんだが、核であるクリスタルが、力の負荷に耐えられないことがわかった。割れそうになるんだよ」
「ん……」
「でも、何もしなかったら、クローディアの魂は失われてしまう。俺は……」
「シュラ、いいの」
「何、言ってんだよ。ダメに決まってる」
「そんなことよりも」
「そんなこと? 馬鹿を言うな!!」
シュラが、大声を出して怒り出した。
みんな、びっくりしてその場に固まる。
「やっとできたんだよ、これが」
シュラが手を開くと、ケースに入った美しい指輪があった。
なんて、綺麗なんだろ。
「素敵……」
「俺の角を研磨して作り出した、指輪だ」
「角!?」
「鬼は生涯で二度、角が生え変わる。子供から大人になる時……そして、誰かを本気で愛していることが、わかった時」
「え……」
「あの夜に……俺の角は生え変わった。これはその時、落ちた角だ」
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