急転直下
「シュラ……?」
「……」
急に目の前のシュラが、目を見開いたまま動かなくなった。
ど、どうしたの?
時を止めたように、息をしているのかもわからないほどに固まっている。
「シュラ、どうしたの?」
瞬きもしない。大丈夫なの?
心配していると、彼はゆっくり口を開いた。
「───なんて……」
「え?」
「ほ、本当に言うなんて……」
「は?」
言えと言った鬼が、何言ってるの?
まさか、私が恥ずかしがって、言えないと思っていたの?
「もう、あなたが言えと言ったのよ?」
「あー……言うんじゃなかった」
いきなり目の前で、彼は両手で顔を覆う。その手が、みるみる真っ赤に染まっていった。
いいえ、手だけじゃない。腕も耳も喉も、肌が見えているところは全部赤い。
まさか、照れてるの!?
ここまでさせたくせに、今更?
「シュラ? これはお芝居でしょ? お芝居のセリフのつもりで『好き』と言っただけよ?」
「ああああ! ごめん!」
「え?」
「……破壊力を舐めてた」
「一体、何な……」
「もう黙っててくれ! 頼む!!」
彼は身を丸めて、顔を伏せたまま、頭をバリバリ掻いていた。
それから何度も伏せた顔を撫で、自分を引っ掻くように両手で腕や胸を撫でている。
え、え、何これ。
そんなに照れてるの?
今度は、必死に太腿を膝に向かって擦り始めた。まるで、小さな男の子が女の子の前で照れてるみたい。
いつもは、あんなに澄ました顔しか見せないのに。こんなに、可愛いところがあったなんて。
シュラは何度か深呼吸をすると、絞り出すように言った。
「……ごめん」
「え?」
「馬鹿なこと、してごめん」
さっきまであんなに積極的だったのが、嘘のよう。
「ちゃんと、やめてくれたじゃない」
「無理強いしたのは、俺だから」
声まで震えてる。
気の毒になってきちゃう。
「シュラ」
「ごめん!」
「いいの、いいの。ね? もう気にしてないから」
正直、不愉快さはなかったもの。
ドキドキしていたし、ゾクゾクときたものもあった。
彼にばれたくはないけれど。
シュラは、顔を上げない。
そうだ、調査はいいのかしら。
このまま何もしなかったら、わからないまま。
別のアプローチをするの?
そう思っていると、シュラはいきなり起き上がる。
あ……今なら顔が見える。
え!
見たこともない、動揺した顔。
飾り気もなければ、取り繕ってもいない顔。
これは……素の顔?
胸がドキン! と、高鳴る。
な、な、何今の。
胸の鼓動が早くなる。私の顔も次第に赤くなっていくのが、わかった。
シュラは、そんな私に気づきもせず、窓から飛び出して行く。
ええ!?
思わず外を見下ろすと、30メートルはある高さを飛び降りて、駆けていくシュラの後ろ姿が見えた。
月夜に照らされ、頭を掻きむしりながら走っているのだとわかる。
その必死さが、滑稽で可愛らしい。
「……ぷ、クスクス」
思わずその姿に、笑いが込み上げてくる。
変な人。いいえ、変な鬼。
迫る時は、グイグイくるくせに。
女慣れした、ただの軟派な鬼なのかと思ったのに。
胸の中に、温かい気持ちが広がっていく。
この気持ちは、なんだろう……。
シュラの姿が見えなくなって、寝床に戻ると、彼のいた場所には、温もりが残っていた。
ほんのりと、シュラから香る香水の匂いもする。
シュラ……。
心の中で名前を呼ぶと、むず痒いような、特別なような、不思議な気持ちになる。
今まで、こんなふうに感じたこと、なかったのに。
彼が触れた頬や、手や、太腿をそっとなぞる。感触を思い出すと、胸を絞られるような思いがした。
自然と体を横たえ、彼が横になっていた場所に手を置いて目を閉じる。
とても、幸せな気持ちで、その日は眠ることができたの。
翌日は、気持ちよく目覚めた。
今までのくせで、早めに目が覚めるのだけど、何をすべきかしら。
結局、仕事らしい仕事は与えられなかったから、今は下手に動かないほうがいいみたい。
なら、憧れの二度寝ができるよね。
深呼吸して目を閉じる。
───なんて幸せなんだろう。
このまま、時が止まればいいのに。
再び意識を手放し、泥のように眠り込んで数時間後。
久しぶりに、たくさん眠れたことを喜んでいると、ゼカとライが寝室の外から声をかけてきた。
「クローディア様ー」
「起きていらっしゃいますカ?」
「は、はーい」
「失礼いたしまス」
「どうぞ」
二匹の小鬼は、顔を洗う水を入れた桶と、飲み水を持ってくる。
ふふ、よちよちして、可愛い。
私は二匹から受け取ると、水を飲んで顔を洗った。
そういえば、シュラはあれからどうしたんだろ。
「ねえ、ゼカ、ライ」
「なんでしょウ」
「シュラも起きてるの?」
「……ア」
「……え、ト」
二匹は顔を見合わせている。え、何?
「どうしたの?」
「若様……ヘンになっタ」
「ボーっとしてル」
「え!?」
「こんなこと、初めてでス」
「昨夜も遅くまで外を走り回っていて、帰ってきた時は、服がボロボロになっていたそうでス」
「ディアベル御前が、呆れて叱りつけていましたが、全然聞こえていないそうでス」
そんなに動揺してたの?
今度は、私が心配になってきた。
「それで……クローディア様が起きたら、お呼びするよう、ディアベル御前に言われていまス」
「え!」
私は慌てて身支度を整えると、すぐに向かった。
呼ばれたのは最上階の部屋。
部屋の入り口で、ディアベル御前が私を待っていた。
「おお、ようきた」
「おはようございます」
「おはようございます。朝からすまぬな」
「いいえ」
「昨夜からシュラが、おかしくなってな。話を聞かせてくれぬか」
「は、はい」
「今まで、あの子と女人の秘め事に首を突っ込んだことはないんじゃがな。妾も見たことがないほど、変わってしまって」
「え……」
「頼む。恥ずかしいであろうが、人払いはすんでおる。決して口外せぬから」
「は、はい。あ、あの……かくかく、しかじか」
「なんと!」
事情を聞いたディアベル御前も、目を見開いて驚いている。こういう表情は、二人ともよく似ていた。
「あの子が、女人の前でそんなふうになるとはのう。これは、一大事」
「病気にでも、かかったのでしょうか?」
「病は病でも、これはつける薬のない病」
「え!!」
「ほほほ。思い出すのう。かつて妾も、我が夫をこの色香でメロメロにしたのじゃ」
「あ、あの、ディアベル御前?」
「我が夫も、今のあの子のように、呆けていたのであろうな……ふふ、まさか、我が息子が人間の小娘にしてやられるとは」
「あの?」
「よいよい、よくわかった。あのバカ息子が悪い。わざわざ、己にトドメを刺す言葉を言わせるからじゃ」
「どういう意味ですか?」
「ふふ。あの子も今になって、そなたへの気持ちがなんだったのか、自覚しておるのよ」
「よく……わかりません」
「くくく、では手を貸そう。ゼカ、ライ」
ディアベル御前は、二匹をそばに呼ぶと、ヒソヒソと耳打ちした。
なんだろう?
「わかりましタ」
「わかりましター」
二匹は返事をすると、私を庭園に案内してくれた。
「わあー」
色とりどりの花々と、それを世話する若い鬼たち。
みんな、私に気がつくと深くお辞儀をした。
「クローディア様」
「ようこそ、クローディア様」
「おはようございます。いきなり来て、ごめんなさい」
「いえいえ、ここは長の庭園。クローディア様も自由に出入りいただけます」
「長の……」
「最上階の長の部屋からも、ここは見渡せるようになっているのです」
「ふうん」
私は建物を振り向いて、最上階を見上げたけれど、シュラの姿は見えなかった。
「そうだ、この花を一本いかがです? ディアベル様にもお勧めするよう言われまして」
若い鬼の男性が、とても綺麗な花を私に渡してくる。
「素敵!」
「髪飾りがわりに、鬼女たちがよく頭に刺すのですよ」
「あ、じゃ、お願いします」
「では……」
その時だった。
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