鬼の世界での目覚め
暗闇の中、ゆっくり意識が浮上してくる。私、一体どうなったんだろう。
ドン!!
何かに体が揺さぶられる衝撃。服が破れる音。直後、温もりに包まれて静かになる。
目を開くと、大きな布に包まれて、私は誰かに抱えられていた。
……え、何?
ブン! と風を切る音が耳のそばで聞こえて、その“誰か”の手に握られた、美しい銀色の棒が見える。
棒には文字が刻まれていた。
「───鬼神棒」
ぼんやりと呟くと、すぐ近くで声が聞こえる。
「へー、読めるのか? 人間が読めるなんて、珍しいな」
「!!」
声がした方を見ると、見知らぬ男性が私を見下ろしていた。なんて綺麗な顔……。
この美しい人に、抱き抱えられてるの!?
そしてよく見ると、彼の頭には二本の角。
お、鬼!!
驚いて体を硬直させていると、彼は私から目を逸らし、前を睨みつける。視線の先には、二匹の鬼が倒木の下敷きになっているのが見えた。
赤鬼と青鬼だ……一体どうしたのかしら。
倒れた赤鬼が、必死に顔を上げて、縋るような声を出した。
「───イ、イシュラヴァ様、いえ、シュラ様。こ、これは……ですな……」
「言い訳すんな。人身御供を連れてくるだけの任務だったのに、彼女を食おうとしただろ?」
シュラと呼ばれた男性は、有無を言わさぬ強い口調で叱りつけた。
食べる!?
何? どういうこと?
私、怪我しているの? 痛みはないんだけれど。
そっと体を触ると、片袖が破れていた。でも、腕はあるし、傷もない。
何これ……何が何だかわからない。もう一匹の青鬼も、私を指さして叫んだ。
「シュラ様! この人間の体は生身に見えますが、えらく硬い。咬んだところが、クリスタルに変化しやがった」
え? クリスタルに変化?
思わず体を覗きんだけれど、別に変化はない。
硬いなんて、触ってみても柔らかい私のいつもの体よ?
何言っているの? この鬼たち……。
シュラは、私をチラリと見て、首を傾げた。
「こうして抱いていても、普通の人間の女に見えるがな……後で詳しく調べるか」
「し、調べる?」
「その体にどんな秘密があるのか、興味がある。お前は俺の人身御供だ。当然権利がある」
「!!」
あなたの? なぜあなたに権利があるの? この鬼……高位の鬼なのかしら。
「シュラ様!」
「シュラ様、その人間は何かおかしい。わ、我々が処分を……!」
二匹の鬼は、私をチラチラ見て涎を垂らし始める。こ、怖い! 食べられたくない。
あっちに行って!!
思わず身を縮めると、シュラが私を抱く手に力を込めてきた。
……? まるで守ってくれているみたい。
彼は二匹の鬼に向かって、鬼神棒を向けると、クルリと回した。
すると二匹を押し潰していた倒木の下から、木の根が這い出てきて、彼らを縛り上げる。
「あがが!!」
「シュラ様、ぐ、苦しい……!」
「アカヒコ、アオヒコ。お前らは、勝手に俺の人身御供に手を出した。罰として、しばらく謹慎してろ」
「そんな!!」
「人間を庇うのですか?」
シュラは、布に包まれた私を抱えたまま、すくっと立ち上がった。
わ……!
か、片腕で抱いたまま立ってる。
すごい力。
人間の腕力とは、全然違うんだ……。
シュラは二匹の鬼たちに、毅然と言い放つ。
「鬼の一族の長は俺だ。このイシュラヴァ・ヤシャ・クリガーの決定に逆らうな」
彼に恫喝された赤鬼と青鬼は、諦めたようにガックリと肩を落とす。
鬼……鬼の一族。彼はその長。つまり王なのね。
私はもう一度、恐る恐る彼を見上げた。
顔が近くて恥ずかしいけれど、不思議と怖さは感じない。
彼は私を抱えたままゆっくり歩き出し、チラリと私の方を見た。
「ごめん、怖かったな、大丈夫か?」
「え……」
「名前は?」
「名前……」
「俺の名前は聞いてただろ? お前は何と呼べばいい?」
え……ええ?
鬼の一族、て、こんな気さくに話しかけてくるものなの?
さっきの鬼たちに対する厳しさとは真逆の態度に、戸惑うばかり。
鬼は野蛮で獰猛で、人間を引き裂いて食べると聞いていたけれど。
彼は答えを待っている。言わないと……。
「私は、ク、クローディア。クローディア・リゴ・ストロベリ、と申します」
「クローディアか。ストロベリ王家の、直系の子孫なんだろ?」
「……はい」
「お前を送りつけてきたということは、宝珠をもう少し借りていたい、てことだよな? 本当は返す気ないんだろ」
「そ、そのようなことは」
言い淀んでいると、前の方から品のいい女性が近づいてきた。
「そのようなことはある、であろうが。人間」
「母様」
この人が、彼のお母さん? 頭に角があるし、とても綺麗な人。本物の『鬼女』なんだ。
初めて見る。
「外では、御前とお呼び」
「へいへい、すんません。ディアベル御前」
「ドラ息子が。礼儀すら忘れたか」
仲のいい親子なんだろうな。笑いながら二人は、テンポよく話している。
「それにしても、人間は身勝手よの。三百年前に、人身御供に免じて一度延長を認めたら、また同じことをやるのだから」
彼女はそう言いながら、長い爪を生やした手を伸ばしてくる。
今度こそ、裂かれる……!?
思わず唇を噛み締めると、意外にも優しく頭を撫でられた。
───え?
何これ……思っていたのと違う。
「また、このような若い娘を犠牲にするとはな。これでは、どちらが『化け物』かわからぬではないか。なぁ、小娘」
ディアベル御前は、長い爪を生やした手で、私の頬を撫でた。
その手を引く時に、長い爪が頬を僅かに掠めてピッとキズが入る。
「う!」
「あ、すまぬ……ん?」
彼女の目が険しく細められて、傷口をじっと見ていた。
え、な、何? 血が流れているのかしら。
「ここを見よ、シュラ」
「なんですか? ……あ、これか。さっきアカヒコたちが言っていたのは」
え、え、え?
傷口がどうかしたの?
戸惑う私の目の前に、ディアベル御前が大きな鏡を向けてくる。
切れたはずの私の頬は、硬いクリスタルと化していた。
「え!? そんな!!」
混乱する私の目の前で、ゆっくりとクリスタルが元の肌に戻っていく。
触ると柔らかい……感覚もある。なのに、今のは何!?
私の体は、どうなってしまったの?
「面白ぇな。衝撃が加わると、体がクリスタル化して、傷を負わねえようにしてあるわけか。ますますお前に興味が湧いたよ、クローディア」
シュラは、不適な笑みを浮かべて、私を見ていた。
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