後編
「しかし、それにしても皆、殺気立っていますね」
エミリアは宿舎の雰囲気をそのように表す。
「それはまあ、仕方ないかと。なにせ妃の位が掛かっているのだから」
アイシャはそのように説明する。
「後宮は陰湿で険悪な場所と聞いていたが、その伝聞は間違っていなかったということか」
女の園である後宮はドロドロとした女の情念が渦巻いており、なかば女の戦場と化しているという噂は本当であるようだ。なにせ妃ではなく、その候補ですらこの有様なのだから。
このように殺気立った娘たちを一箇所に纏めておくとなにか事件が起こるぞ、エミリアは予言者でも名探偵でもなかったが、そのように予測する。その予測は即座に当たる。
宿舎の広間にいた金髪の女性が悲鳴のような声を上げたのだ。
「ないわ、ない! 私の大切な髪飾りが無くなっている!」
ヒステリックな声が広間に響き渡る。
「なにがあったのだろう」
広間に集まっていた女性たちが彼女を取り囲むように集まると尋ねた。
「いったい、なにを無くしたというの?」
金髪の女性マリアンヌは言った。
「お父様に貰った大切な金の髪飾りが無くなったのよ。そうよ、この広間には泥棒がいるんだわ」
泥棒という不穏当な言葉に周囲のものはざわつく。
未来の妃候補たちは騒然となるが、妃教育を担当する女官が現れると静かになった。
それほどの威厳があったのだ。
髪をタマネギのように束ね、堅苦しい眼鏡を付けた女性、彼女は妃候補生たちを指導する教官であった。彼女は剣呑な口調で言う。
「髪飾りが紛失したというのは本当ですか」
「はい、指導長様、私の大切な金の髪飾りがないんです。先ほどまであったのですが」
「ならば誰かが盗んだということになりますね」
「はい」
「皇帝陛下の妃候補を集めたこの宿舎で盗難事件ですか、これは由々しき問題ですね」
指導長であるフレデリカはそのように言うと犯人捜しをする旨を伝える。
「犯人捜し!?」
騒然となる令嬢たちにフレデリカは毅然と言う。
「なにをざわついているのです。マリアンヌの髪飾りがなくなった。その犯人はこの中にいる。早く突き止めてその不届きものを排除しなくては」
たしかにそうなのだが、どうするつもりなのだろう、令嬢のひとりがその方法を尋ねる。
「単純ですよ。あなたたちの持ち物をチェックします。この場でなくなったのですから、誰かがマリアンヌの金の髪飾りを持っているはず」
たしかに単純であるが、あまりにも乱暴な方法なのではないか、とひとりの令嬢が主張する。それに対しフレデリカは、
「あなたは自分の持ち物を調べられるのがいやなの? やましいところがあるのかしら」
と言った。そのように言われてしまえば沈黙せずにはおられず、令嬢たちはそれぞれに持ち物を披露した。皆、この宿舎にやってきたばかりでかなりの量であったのでチェックに時間が掛かるが、8人目の令嬢の荷物をチェックするとその中から件の金の髪飾りが出てきた。
それを見た指導長はその持ち主である令嬢を冷酷に見下ろし、「有罪」と言った。
その荷物の持ち主は、
「ち、違うわ。私は髪飾りなんて取っていない。人の物を盗むほど落ちぶれていない」
そのように主張をするが、実際に物証を突きつけられると他の令嬢たちは冷たい視線を送らずにはいられない。犯人と名指しされた少女は絶望色に顔を染めるが、それを見てアイシャは、「可哀想……」と同情した。
「アイシャは彼女が無罪だと思うのですか?」
「だってあんなに必死に違うって否定しているじゃない。私は彼女が無罪だと思う。きっとなにかの間違いよ。間違って荷物に紛れ込んでしまっただけだと思う」
「なるほど、アイシャはあくまで性善説を信じるんですね」
「エミリアは彼女を疑うの?」
「いいえ、わたしは彼女の無実を信じていますよ。ただ、わたしはもっと辛辣な答えを予想していて。――マリアンヌさんがライバルを貶めるために彼女の荷物に髪飾りを紛れ込ませた、と思っています」
「え!?」
人のよいアイシャはマリアンヌが被害者であると信じ込んでいたようだ。
「そ、そんな卑劣なことをする人間がいるの」
「この後宮にはいるようですね」
「なんでそんなことが分かるの」
「マリアンヌさんはフレデリカ女史が荷探ししているとき常にチラチラと彼女の荷物を見ていました。ちゃんと見つけてくれるか心配だったのでしょう。それに彼女の荷物から金の髪飾りが出たとき、彼女は僅かに口元を緩ませた」
「あなたはそれをずっと観察していたの? あの状況で!?」
「はい」
「すごい。探偵さんみたい」
「物好きなだけですよ」
「ならばそのことをフレデリカ女史に伝えないと。このままじゃあの子が犯人にされてしまう」
「それはそうなのですが、問題がありまして」
「問題?」
「わたしはとある理由で目立ちたくないのです」
アイシャはなにを言っているの? 的な顔をする。
ちなみに目立ちたくない理由はアホを演じたいからである。能ある令嬢は爪を隠したいのだ。
「まあ、そっちのほうはわたしの個人的な理由ですし、最後の試験で落ちるという作戦もあるのでどうにかなるのですが、問題は状況証拠しかないことです。わたしが先ほどの可能性を言及してもフレデリカ女史が信じてくれるかどうか」
「それでも言及するしかないわ。お願い、あの子を救ってあげて! あの子は私と同じ西域出身の子なの! 草原の民は盗みなんて絶対にしないわ!」
アイシャは必死で哀願してくる。なんでも彼女は先ほど声を掛けたとき快く雑談に応じてくれたようで、エミリアと並んで仲良くしたいらしい。心優しいアイシャらしい理由である。この後宮に来て初めて出来た友人であるし、エミリアは一肌脱ぐことにした。
「分かりました。しかし、わたしひとりではどうにもなりません。アイシャも協力してくれますか?」
「分かった。私にできることならばなんでもするわ」
そのように言うとエミリアはアイシャに耳打ちをした。エミリアの策を聞いたアイシャは目を丸くさせる。
「あなたって天才ね……」
そのようにつぶやいた。
「いえいえ、ただの騎士の娘ですよ」
そのように返すと、エミリアとアイシャの令嬢救出作戦が始まった。
衛兵を呼ばれ、拘束されそうになっている令嬢のもとへ向かうと、彼女が無実であることをフレデリカ女史に告げる。その言葉を聞いたフレデリカ女史は「なんですって?」と眉をつり上げる。
「あなたはこの娘、リリアンが無罪だと主張するの?」
「はい、わたし、見ていました。あのマリアンヌさんがリリアンさんの荷物に金の髪飾りを入れる瞬間を」
エミリアは強く主張する。
「それは事実なの? 神の御名に誓って宣言できる?」
「はい、できます」
そのように言うと当のマリアンヌは「嘘よ、嘘」と激しく主張する。
「その子たちはグルなのよ。私は侯爵家の娘よ。その子たちは身分卑しい下級貴族でしょう。わたしの宝飾品に目がくらんで共謀して盗んだに決まっているわ」
なるほど、そうきたか。たしかにエミリアは貧乏貴族の娘、リリアンも西域の田舎貴族の娘。そのように主張されれば真実味を帯びてくるが、エミリアには作戦があった。
こちらの言葉が正しいことを証明するため、マリアンヌに質問をする。
「マリアンヌさん、あなたはリリアンさんが金の髪飾りを盗んだと言いますが、どのような根拠でそのように主張するのですか?」
「根拠ってそのこの荷物の中から出てきたのだからその子が犯人に決まっているでしょう」
「ちなみに金の髪飾りはいつ紛失していたんですか」
「知らないわ。いつの間にかよ」
「いつの間にか盗まれていつの間にかリリアンさんの衣服の中から出てきたと主張するのですね」
「ええ、そうよ」
「彼女の荷物の中にある衣服の〝ポケット〟に入っていたと主張するんですね」
「そうよ」
「そうですか。それではアイシャ、草原の民の服を見せてあげてください」
エミリアがそのように指示をすると彼女は自分の荷物の中の衣服を皆に披瀝する。草原の民のドレスは馬に乗りやすいように丈が短かった。さらにいえばそのどれにも「ポケット」は付いていなかった。
「な!?」
顔面を蒼白にさせるマリアンヌ。
「そうです。草原の民にはポケットという文化がないんです。馬上ではポケットにものを入れると落ちてしまいますから。なのにあなたはポケットの中に入れたと言った。あなたは自分のポケット付きのスカートに金の髪飾りを詰め込んでリリアンさんの荷物の中に紛れ込ませましたね」
「……ち、違うわ、そんなことしない」
マリアンヌはこの期に及んでしらを切ろうとするが、指導長であるフレデリカはその言葉を信じなかった。
「マリアンヌ・スカーレット侯爵令嬢、あなたは家柄は素晴らしいけど、その心根は腐っているようね。あなたのような人物は皇帝陛下の妃に相応しくありません。荷物を纏めて領地に帰りなさい!」
フレデリカ指導長がそのように言い放つと、マリアンヌは涙目になりながら兵士たちに連行される。その光景を見ていた令嬢たちは胸をすっとさせるが、必然と視線はエミリアに集まる。あの見事な推理に皆が感服する。
(……う、不味い。いきなり目立ってしまった)
目立たず、でしゃばらず、静かに妃試験を受けて、順当に不合格になることを夢見る少女にとってこの事態は好ましくない。
エミリアは今さらながらに弁明する。
「……ええと、わたしがポケットのことに気が付いたのはアイシャのおかげでして。ここに来てからずーっと西域のファッションのことについて話していたんです」
ね? ね? と懇願するように尋ねると、アイシャに以心伝心したのか、彼女は話を合わせてくれる。
「は、はい、そうです。たまたま民族衣装の話をしていて。まっったく奇遇ですー」
アイシャは演技が下手なので棒読みであるが、なんとか〝たまたま〟事件を解決したという態に持って行くことに成功――したのだろうか。少なくとも他の令嬢やフレデリカは矛を収めてくれた。
こうして28人いた妃候補が27人になるとその27人による共同生活が始まるが、その27名を影から見守るものがいる。
実は広間の奥には隠し部屋があり、広間を覗くことができるのだ。
そしてそこにはこの国の最高権力者がいた。
そう、この国の皇帝が一部始終を見ていたのだ。
彼は横にいた腹心の武官にこのようにつぶやく。
「今回の妃候補には面白い娘がいるな」
武官は鷹揚にうなずく。
「たしかにあのエミリアという娘、とても賢そうです」
「本人は必死に目立つまいとしているが、賢すぎて賢さを隠せないタイプに見える」
「今回の妃候補で一番賢いのではないでしょうか」
「ああ、第一候補だな」
「ですね。陛下もそろそろ身を固めなければなりません」
「ああ、叔父上が裏で蠢動しているからな」
若き皇帝アルベルトには10歳年上の叔父がいるのだが、彼はこの国の帝位を狙っていた。それもひとえにアルベルトに子がおらず帝国を継承するものがいないという理由であった。無論、そのような理由だけでは帝位を奪うことはできないが、なにを理由に帝位を奪われるか分かったものではなかった。
またアルベルトには腹違いの弟がおり、彼らも虎視眈々と帝位を狙っている。これまたアルベルトに子がないことを理由にする可能性があった。
アルベルトとしては子作りなどしなくても自分が死ねば彼らの子息、あるいは彼ら自身に帝位をくれてやってもいいと思っているのだが、竹馬の友である腹心はその意見に反対のようだ。
「陛下が子を成せば小うるさい彼らも黙りましょう。素直に御子をお作りあそばせませ」
「おまえも独身ではないか」
「我がヴァレンシュタイン家が滅んでも余人は嘆きませんが、リーンベルク家は違います。ましてや現在のリーンベルク家の当主は名君であらせられる。その血筋は残すべきでしょう」
それに、と腹心は続ける。
「陛下は賢き娘とならば子を作ると約束しました。そのために各地から娘を集めているのです。私の苦労も察してほしい」
「たしかに言った。俺は頭の中が綿菓子のような令嬢と恋愛する気はないからな」
「はい、ですので、あのエミリア、と言ったでしょうか、あの娘ならばちょうどいいのではないでしょうか」
「たしかに頭の中は綿菓子ではないだろうが、逆に難物だぞ。俺がその気になっても向こうがならないかもしれん」
「万乗乃君たる皇帝の寵愛を拒否する娘などおりますまい」
「さあて、どうだか。俺は皇帝だが、皇帝だからといって海の水を飲み干すことも星を砕くこともできない。俺は不可能という言葉を知っているから今まで戦にも政争にも勝ち続けてきたのだ」
そのように言うと、未だに自分は「馬鹿だ」と言い張っているエミリアという少女を見つめる。
「世界を手に入れてもたったひとりの女が手に入らないこともある」
「その逆に世界を天秤に掛けてもたったひとりの女が手に入ればよしという言葉もあります」
「ああ、今後、どうなるか未知数だが、今回の妃候補生は面白そうなやつばかりだ」
若き皇帝アルベルトはそのように纏めると酒を所望した。
腹心であるエドガーはテーブルの上に置かれたふたつのワイングラスにワインを注ぐと皇帝の酒宴に付き合う。
アルベルトはワイングラス越しに令嬢エミリアを見つめると、エドガーに、
「自分のことを馬鹿と言い張る賢き令嬢に乾杯」
と言い放った。
エドガーはにこりと微笑み、それに応じた。
エピローグ完結です。
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