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中編

 11月17日、エミリアが後宮に収められる日、その日は宮廷から馬車がやってきてそのまま後宮に送られる手はずになっていた。エミリアとしては身の回りのものを鞄に詰め込むだけであとはなにもせずに待っていればいいのだが、弟と妹は姉の旅立ちを悲しんでいた。


「お姉ちゃん、もう会えなくなっちゃうの?」


 末の弟は目を真っ赤に腫らしながらそのように尋ねてくるが、エミリアはゆっくりとかぶりを振る。


「いいや、そんなことはないよ。お姉ちゃんはちょっとだけ後宮で勉強してくるだけ。すぐに戻ってくるよ」


「すぐにってどれくらい?」


「そうだね。お月様が何回か満ち欠けするくらいかな」


「よく分からないけど待ってる。それまで泣かなかったら御褒美をくれる?」


「もちろんあげるよ。後宮からなにか珍しいものを持ってきてあげよう」


 指切りしながらそのように約束をすると、隣家の夫人に妹と弟を頼むように告げる。彼女は気のいい女性でオドリック家の娘と息子を我が子のように可愛がってくれているのだ。後事を託すのに彼女以上の存在はいなかったが、一応、エミリアには父親もいた。


 今日は仕事で家を留守にしていたし、頼りがいのない父親であるが、それでも隣家の夫人と力を合わせれば子育てくらいできるだろう。それに明日からは男爵家相当の収入が我が家に入るのだ。あるいはエミリアが家にいるよりもいい暮らしができるかもしれない。


 それだけが唯一の慰めであるが、そのようにしんみりとしていると宮廷より使いがやってきた。 


 立派な格好をした武官が、


「ここがエミリア・オドリック男爵令嬢の居宅で間違いはないか?」


 と尋ねた。


「相違ありません」


 とエミリアが返すと、武官のひとりが荷物を差し出すように言った。エミリアは鞄ひとつに纏めたコンパクトな手荷物を渡す。


「これだけなのですか?」


 不審に思う武官だが、エミリアは元々ものをほとんど所有していない。最低限の着替えと本の類いしか所有していないのだ。それに帝国後宮省帝都域採用官局長は衣服などは後宮で用意すると言っていた。ならば持って行くものは読みかけの本くらいであった。


 文字通り身ひとつで旅立つわけであるが、武官の人いわく、ここまで荷物の少ない令嬢も珍しいとのことであった。


 しかし、エミリアは気にする様子もなく、馬車に乗り込む。


 弟と妹たちは馬車に近づき、思いっきり手を振る。


「お姉ちゃん、絶対、戻ってきてね」


 と涙を流しながら別れを惜しむ。


 無論、そのつもりだ。早々に皇帝にアホであることを認知させ、後宮を追い出されるのがエミリアの作戦であった。そう遠くない未来にこの家に戻り、元の生活に戻ることであろう。


 そのように決意を固めると馬車に揺られる。


 宮廷までは馬車で小一時間ほど。そしてエミリアの新居である後宮はその中にある。


 読みかけの本を読んでいるとあっという間に到着するが、後宮というやつはいつ見ても華やかだった。


「今までは外からしか覗けなかったけど、何度見ても立派な建物だなあ」


 リーンベルク帝国の宮廷はとてつもなく広い。


 そこに大小様々な建物が建てられており、その中心に白亜の宮殿が建てられている。


 東西南北に苑と呼ばれる区域が広がっており、後宮は南にあった。


 つまりエミリアは南に向かうわけであるが、東の門から南の苑に行くには相当時間が掛かった。その間、豪壮な建物や立派な庭園などをいやというほど見せつけられる。


「庶民の血税はこういうところに消えているのだな」


 と奇妙な納得を漏らすと、後宮に到着する。


 そこで女官たちが現れてエミリアの性別をチェックされる。


 ここは皇帝の子を産むためだけに作られた特殊な施設、男子の立ち入りは禁止なのである。しかし、エミリアはどこからどう見ても女なのだが、そんなに信用がないのだろうか、と問うと女官のひとりは言った。


「昔、とても美しい顔立ちをした男性の官吏が女装をして後宮に潜り込んだ事件があったのです」


 と言った。なんでも後宮の妃と不義密通をしていたそうで、その官吏と妃は処刑されてしまったそうな。以後、どんな場合でも初めて訪れるものは性別を厳しく精査されるとのことであった。


「あなたのように可愛らしいお嬢さんを調べるなんて馬鹿らしいと思うけど、これも形式だから」


 と控え室で裸体を見られるが、同性だがかなり恥ずかしい。胸が作り物でないか調べられたり、処女膜があるかもチェックされる。まったく、なんてところに来てしまったんだ、と嘆くがそれもしばらくの辛抱だ。あほうと認知されれば後宮を追い出されるのだ。


 ここは我慢の子と身体の隅々まで調べさせると、後宮の中に入る。


 南苑にある後宮はとても大きかった。エミリアが住んでいる下町地区と同じくらいの広さがあるのではないだろうか。そこに大小様々な建物が建てられている。上級の妃になると皇帝陛下から単独で館を賜り、そこで暮らすとのこと。ちなみにエミリアのような妃候補生は同じ建物に集められ、そこで共同生活を送るとのことであった。


 そこでみっちり妃教育を受けるのだそうな。それに合格すれば晴れて皇帝と寝所を共にする資格を得られるとのことであった。


 女官は「頑張りなさい。皇帝の寵姫になればあらゆる富貴が約束されるのだから」と言ったが、こっちとしてはそんなことはどうでもよく、どうやってその試験に落ちるかしか頭になかったが、もちろん、そんなことは言えない。


「頑張ってみます」


 と当たり障りのない回答をすると、宿舎に向かった。


 そこにはエミリアと同年代と思われる少女たちが幾人もいた。金髪に赤毛、銀髪に蒼い髪の娘もいた。この大陸に住まう様々な人種の人間が集められているようであった。


 なんでも今期は28人の妃候補が集められたとのことであった。


 女官は自慢げに言い放つ。


「その全員が妃になれるのでしょうか?」


 と尋ねてみると、女官は首を横に振る。


「まさか、妃の道はそんなに甘いものではないわ。正式な妃になれるのは28人中10人といったところね」


「狭き門だ」


「あらゆる教養を兼ね備え、妃としての資質に優れたものだけが選抜されるの。どんなに美人でも資質がないと判断されれば実家に返されるわ。特に今回集められたのは〝賢き子〟を産める賢き娘なのだから」


 それは有り難い、とは言わずに、


「それは難関ですね」


 と返すとエミリアはほっと胸を撫で下ろす。あほうの振りをしようと思っていたが、そんなに狭き門ならばそこまで気を張らなくてもいいかもしれない。適当に流して適当に不合格になれば後宮から追い出されるだろう。


 そのように思っているとひとりの少女が話しかけてきた。彼女はエミリアと同じ妃候補生のようだ。銀色の髪をした優しげな少女だ。


 彼女は蚊が鳴くような小さな声で、


「あ、あのう。ごきげんよう……」


 と言った。


 エミリアはにこりと微笑み、「ごきげんよう」と返す。


「あ、返事をしてくれた」


 驚く少女。返事をしただけでなぜ驚くのだろうか。気になったので尋ねるとこの宿舎にいる少女たちはとても意地悪で、挨拶をしても返事をしてくれないものもいるのだとか。


「ああ、たしかにみんな気が立っているな」


 金髪の女性も赤髪の女性も殺気立っている。当然か、この宿舎にいるものは皆ライバルで皆が正式な妃の座を争っているのだから。


「そうなの。そんな中、あなたみたいにぴりぴりしていない子は珍しくて。あ、わたしの名前はアイシャというの」


 よろしくね、とスカートの端を持ってカーテシーを決める。なかなかに育ちの良さそうな子だった。少なくとも平民や騎士階級の娘ではないだろう。事実、彼女は子爵家の娘だそうで。


「といっても辺境からやってきた地方貴族だけど」


 と言った。なんでも帝国後宮省西域採用官に見初められてここにやってきたのだそうな。


「西域からやってきたのですか。ということは草原の民ですか」


「ええ、そうよ。こう見えても馬に乗れるのだから」


「それはすごい」


 ちなみにエミリアは極度の運動音痴だ。幼い頃から本ばかり読んできたから運動の類いが苦手で剣術はもちろん、馬術も一切できない。お妃教育のひとつには馬術もあり、横乗りの試験もあるそうだが、それは手を抜かなくても落ちる自信がある。


 そのように話すとアイシャはくすくすと笑う。


「まるでやる気がないのね。殺伐としていなくて逆に嬉しいわ」


 事実、まったくやる気はないのだが、あえて言う必要はないだろう。壁に耳あり窓に目あり、何気ない一言が帝国後宮省に伝わり、妃試験を軽んじているなど因縁を付けられる可能性もあるのだ。落ちるのならば最大限努力をした上で無理でしたという態で落ちたかった。


 なので無難に、


「一緒に頑張りましょう」


 と握手を交わす。妃認定試験がいつ行われるか知らないが、それまでの間、友人のような人物も必要であろう。その相手としてはアイシャはとても相応しいような気がした。なぜならばとても気立てがよく、人を陥れそうなタイプには見えないからだ。


 軽く宿舎の広間を見渡すが、ここに集められたものたちは皆、ぴりぴりとしていた。皆が皆、他の妃候補を陥れようとしているかのように陰険で険悪な表情をしているのだ。この広間の中でひとりだけ選べと言われれば間違いなく彼女を選ぶ。


 そんな人間が向こうから話しかけてくれたのだから、エミリアは幸せものであった。

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