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二輪挿し  作者: 星鼠
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この子の父親になってくれない?

「病院の帰りなの」 唐突に言った。

「どこか お悪いのですか?」 

「産婦人科 病気じゃない」

新伍は鼻の奥で息を吸う。掠れた音が耳を擽る。

「未婚。先に言っておくね。相手は不倫。でも望まなかった子じゃない。

産む覚悟は勿論ある。育てる覚悟も。ええ ひとりでね。

でも いざとなると 違うのよ。後悔とかじゃない 気が変わったわけでも。

ごめんなさい。ちょっと混乱してる。それで気を逸らしたかったのかしら。

けどね あなたが庸介を好きだということに関しては前向きなのは事実。

面白がっているのとは……違う と思うけど 分からないか そうかも知れない。

うん 気を逸らしたいの それだけ。怒る?」

いきなり振られ新伍は言葉に詰まった。

「おこ…… いや 腹は立ちませんよ。嫌悪されなかっただけで充分です。

それよりも 大変ですね いろいろ。いや 何がどう大変かも分からないから

失礼ですね こういう言い方も。おめでとうございますと言っていいのかな」

「ありがとう。大変だと思うよ いろいろ。私もまだ全部は分かってない。

とりあえず つわりが軽いといいな。あと会社になんて言うか 庸介にどう言うか」

ため息。

「それより 相手の人には」 新伍は訊いた。

首を傾げ、そのままぐるっと回す。「そこ」

「そこ?」

「一番の問題。面倒だから 切りたい。別れたい。教えたくない」

新伍は反応に困る。してはいけない質問だったかも知れない。

だが開けてしまったのだから仕方ない。扉を押した。

「嫌いな人の子を産むのですか」

「だーれが嫌い」 真菜穂は新伍を見る。「嫌いじゃない 嫌いになれない。

だから面倒。なんかもうね 人を好きになるのも好きでいるのも 無理。

もう二度と人を好きになんてならない」

真菜穂は下腹部に手を当てた。新伍も思わず見てしまう。

妊娠が判明したばかりならば目立つはずもない。

だが確実にそこには命が宿っている。

別れたい男の子を産む。望まなかったわけではないと言う。

新伍には理解できない。

「父親 は 必要ではない?」

「親がなくても子は育つ。母親だって必須ではないと思ってる。

いっそいない方がいい親だって世間にいる」

「でも 真菜穂さんは その子を育てるのでしょう。母親になるのでしょう。

親業を務めるのでしょ?」

「うん」

「父親も兼任?」

「そうね」

真菜穂は顔を上げて、じっと新伍の目を見た。新伍も見返す。

現在に至るひとことを、どちらが先に言ったのだろう?


「こんな感じ いいじゃない」

真菜穂の声が新伍を呼び戻した。

「ねえ ヒールはどうする? 少しは欲しいよね。何センチまでいいかな」

「憧れるな」 新伍は急いで同調する。「店で履くのなら実用も考えないと。

お人形みたく座っているわけにはいかないから」

そして接客するのか? 新伍は当たり前のことに思い至る。

店で履く、店で着るということは、女装して来店客に対峙することを示す。

真菜穂はそこのところ考えているのか。そしてあの、助手?

名前を忘れた。聞き忘れたのか。連絡先を貰った。ええと?

彼はどういうつもりで提案したのか。想定済みか?

「私 ここでいいと思うけれど 新伍はどう」

真菜穂が新伍の顔を覗き込む。新伍は身を退きながら瞬きして焦点を合わせた。

「問題ない。けどさ けど。店で履いて 店で着るってどうなんだろう?

お客さん どう思うかな。女装の店主って引かれない?」

「ひく って どんな字を入れてる? 私は魅力になり得ると思ってるよ。

あの店で 新伍なら という条件づきで。演出は必要ね。非現実空間の。

大正ロマンとか言うじゃない? せっかくアンティ じゃないブロカントの店だもの。

バイトの女の子の衣装も考えるといいわ。庸介に言っておきましょ。

ほら カフェのエプロンみたいな。むしろ彼女たちが主役になるようにして

新伍は影の主役。少しだけ話して印象付ける みたいな。ああ! 面白いわ」

真菜穂の頭の中にどんな世界が広がっているか分からないが、

現在、店の客の大半は女性である。真菜穂の感性に任せてみるのもいいだろう。

新伍自身、抵抗はない。店の営業を妨げるのでなければ構わないのだ。

「うん。そうだ。面白いね。楽しまなきゃね。早速 工房に頼んで貰おうか」

真菜穂が差し出した掌に、新伍は掌を打ち合わせた。

そのまま指を握り込む。繋いだ手に互いの額をつけた。

「好きよ 新伍」

「僕もだ。僕は本当に幸せだ」


どちらが先に言い出したのか。

新伍には言えなかった。自分にない未来が、真菜穂にはまだ残されている。

彼女の道、彼女らの選択を奪う権利はない。

だが真菜穂は「あなたさえ よければ」と言った。

「もしかして 僕と同じことを考えている?」

満面、というのはこういうことを言うのだと新伍は思った。

顔中で笑って真菜穂は言ったのだった。

「この子の父親になってくれない?」





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