敲く手
真菜穂は聞き出すのが上手だった。営業の手腕か。
新伍は誤魔化すのが下手だった。店を始めても変わらない。
真菜穂に知れたところで何だろう? 新伍は考えた。
しどもど言葉を探していても追及の手は休まらない。
見苦しく言い訳に塗れるよりも、さらりと認めてしまえば楽になる。
「見てたんですよ」 新伍は言った。「ただ 見ていた。関わりなんてない」
「きっかけは あったでしょう。高校と中学じゃ接点はそんなにはない」
勿論ある。勿論覚えている。けれどそれをどう説明すればいいのか。
その時の感覚を言い表すことができる言葉など、思い浮かばない。
ひと目見て惹かれた。いや。「視た」んじゃない。感じたのだ。
通学路で偶然隣り合わせ、その声とその気配に胸が共鳴し、振り返った。
手足ばかり伸びてひょろ長かった新伍に対し、ごく標準の体形の庸介とは、
目線の高さはあまり変わらなかった。
一瞬だけ、目が合った。合ったような、気がした。
合う寸前に新伍は視線を外していた。それでも。
庸介の表情は網膜に焼き付いた。顔立ちではなく、表情が。
言い淀む新伍に、真菜穂はため息めいた声を洩らす。「いいわ」
「え?」
「大事なのは そんなことじゃない。あなたは庸介が好きだった?」
新伍は呼吸を忘れた。不意打ち。質問は想定内の筈なのに。
その覚悟で話し出した筈なのに。
「……だった……」 呟いて、打たれる。自分の声に痺れた。
「そこ?」 真菜穂の瞳が輝いた。獲物を狙う獣の目だ。
新伍は追い詰められ、無防備に固まった。
「拘るのは そこ? つまり今も ということ?」
語尾を上げていたが答えを待つ気はないようだった。
真菜穂は呆れたように肩を上げ「たいした純情だこと」と言った。
新伍が頬を赤らめ俯くと、慌てて「茶化してないわ」と身を乗り出した。
「ごめんなさい。日本人的身内批判よ。だって あの庸介よ?」
「ま……」 新伍は名刺に目を落として名前を確かめる。「真菜穂さんにはそうでも
僕にとっては魅力的な人物なんです。魅力的 という表現が的確かどうかは別として
あの時 あの頃 僕は惹かれたんです。そして 今も」
言葉にするまで、自覚は、なかった。
ただ心の片隅にその面影があった。面影というよりも影が。
そして今、認識する。
だから誰も愛せなかった。どんな相手も「彼」ではなかったのだから。
観念するしかない。自覚できない深層で、新伍は恋し続けていた。
「同級生が 庸介さんのことを呼んだ。やつがしら って。
浮かんだのはイモだった。正しい名前を知ってからも それは続いた」
「外観もそうね 彷彿させる。食感も。あのほっこり柔らかく 甘い」
真菜穂ではなく、新伍が笑った。
「いいわ いいわ。蓼食う虫を私は知っている。それを責めたりしない。
でも 卒業から何年? 庸介は30を過ぎた。あなたの知っている彼じゃない。
一度会ったらいいわ。ここで知り合ったのも何かの縁。新しい人生を始めなさい」
「必要ないよ」 新伍は微笑む。哀しく寂しく、だが幸福な笑みだ。「彼は別格だ」
「それ 絶対 美化されている。会いなさい。会うべきよ」
真菜穂は手帳を出して指先で忙しなく捲り始めた。
「ここ定休日は何曜日? 何なら私 半日休とるから 平日でも」
「会えません 会えませんよ。庸介さんは僕のことなんか知りません。
学園の先輩といっても 僕が一方的に存じ上げているだけなんです。
それに 会う必要なんてない。ないんです」
真菜穂は手を止めて新伍を見た。「頑なね」
「すいません」
「謝ることはないわ。謝るのはむしろ私の方ね。出過ぎて悪かったわ。
でも 後輩としてではなく 好きな人に会いたいとも思わないの?」
「僕は男で……」
「告白しろとまで言ってない。や してもいいんだけど 別に」
新伍は仰け反るように首を振る。
「まあ それはその先にある話で。会ってみなければ何も始まらない。
難しく考えなくても そうだ 庸介をこの店に連れてくればいいんだわ。
お客として来るだけなら あなたは一方的に見ることが出来る。
誕生日は過ぎたけど 欲しいものがあるとか言って引っ張って来る」
新伍は片手を上げ、そこで動きを止めた。
真菜穂の暴走を止めるつもりで上げた手だったが、発言を求める挙手になった。
「真菜穂 さん?」
「ん?」
「そんな一生懸命になる理由 あります?」
「えっ」
「適齢期のお兄さんに お相手を紹介するというのなら まだ分かります。
でも 僕は男ですよ。普通 そんなの嫌でしょう。積極的に進める話ではない。
軽蔑されたりしなくて 僕としては嬉しいですけど でも」
新伍は手をおろした。同時に真菜穂も俯く。
忘れられていたカップに指をかけ、そっぽを向くように窓を見た。
そしてそのまま指先でカップの縁を撫でている。弾くように撫でている。
徐々に動きは遅くなり、やがて止まる。