最終話
「和人! かーずーとっ」
真菜穂の声が秋空に高く響いた。
「さきにいっちゃ だめなんだよ!」 これは初音だ。
新伍が笑いながら追いかける。
今日はスラックスだが、色は淡い。タンクトップに上着を羽織っている。
その裾を軽やかに翻しながら、和人を捕まえた。
「転んだら 今日が台無しだよ? 右伊と左介と遊びたいだろ」
「だいなし って?」
「楽しくなくなるってことよ」 真菜穂が応える。
「正確には…」 新伍が言いかけたが、ふたりは車に乗り込んでいた。
慌てて和人をチャイルドシートに押し込んで助手席に回る。
今日は真菜穂が運転する日だ。
「現地集合だよね」「そう」
車が走り出し、後部座席に並んだチャイルドシートから歓声が起こる。
新伍は稔に出発を知らせ、予定通りに落ち合えそうだと伝えた。
稔からは、早く着くかも知れないと返ってきた。
「いい天気だ」「そうね」
「そういえば」と真菜穂が言った。「秀幸…」
「…元気だって?」
「来月 一度帰国するって」
「順調そう?」
「そんな感じね。前にも 遊びに来るといいって言ってたぐらいだから」
言って笑う。「新伍に会いたいんでしょ」
「……」
「会えばいいのに」
新伍は首を振る。真菜穂に対する遠慮ではない。
暫く無言で走った後、新伍が少し長く息を吐くのを聞いて、
「それでも新伍が好きなのは庸介なんだ?」と言った。
「やっぱり少し早かったな」 庸介がサイドブレーキを引いた。
「そうですね。遅れるよりはいいけど」
稔は後ろに並ぶ姉弟に声を掛け、到着を知らせる。
「初音ちゃんたちはまだ?」「じきだよ」
先に設営を済ませようと荷物の運搬を手伝わせる。
いつもは言うことを聞かないふたりだが、遊ぶ時は別だ。
双子ながら姉である右伊の指図に、弟の左介が従って、
大人顔負けの働きをする。
「右伊は稔に似て来たな」 庸介が眩しそうにふたりを見ながら言った。
「左介は時々 庸介さんの口真似をする。仕草がそっくりな時もある」
庸介は稔を見て、また視線を姉弟に戻した。
「家族ですね」 稔が言う。たとえ血は繋がっていなくても。
「…うん」
庸介は稔の手を探り取る。そして握りしめる。
「稔に 感謝しないと」
それは自分の台詞と言いかけて、稔は唇を結んで端を上げた。
口に出してしまうより胸の中で育てる方がいい。
それは大きく膨らんで、稔を幸福で満たしてくれる。
稔が気持ちを打ち明けたあの日、あの夜。
不完全ながらふたりは結ばれた。
いつでもどこでも引き返せばいいという雰囲気の中、
庸介は、まがりなりにもそれを、完結させた。
稔が確かめるたび首を振り、
最後を見極めるのだという覚悟を示した。
それは、愛の行為とは言い難いものだったかも知れない。
だが互いの決意と、互いへの思いやりは確かなものだった。
それぞれに自分を解放させた後、庸介は「気持ちいい」と言った。
「え…」
「気持ちよかった… それに 気持ちいい」
庸介は稔の肌に身を摺り寄せた。「人肌が 体温が 鼓動が」
稔は指を庸介の髪の中に潜り込ませ、地肌を撫でた。
庸介は猫が喉を鳴らすような音を出し、甘える仕草をする。
「俺 こういうことは女の子としか できないと思っていた」
「できない…してはいけない ではなく?」
「かな よく分からない。思い込みだから。だから」
「だから」
「俺には一生できないかも とも思っていた」
稔は思わず頭を起こした。「なぜ」
庸介は稔の視線から隠れるように枕を抱えた。
「学生時代 つきあった話はしたかな… …つきあったんだよ。
でもだめなんだ。友達づきあいは楽しいんだけど
男女交際に進もうとすると その子とマナの顔が重なって」
稔は浅く息を吸った。
「何年経っても… マナと離れても それは変わらない。
多分ずっと…変わらない。だから俺は誰ともそういう
…友情以上の関係は誰とも結べないと思っていた。諦めていた。
自覚はなかったけれど 無意識にそう 思いこんでいた。でも」
庸介は稔の腕に額を押しつけた。「同じなんだな。
女性でも男でも。一緒に過ごすことの心地よさは変わらない」
求めるように稔を見上げる。稔は唇を合わせて応える。
まだ情熱的というには程遠かったが、それで充分だった。
予感に満ちた、幼くも柔らかい、そして真摯な接触だった。
一か月ほど後に、ふたりは本当の意味で結ばれた。
庸介の方から求めた。自分が稔を受け容れることを望んだ。
「前に 言わなかったか 俺。稔は実は攻め体質なんじゃないかって」
稔にしてみればどちらでも構わなかったのだが、庸介の気持ちが嬉しかった。
そして、自分の中にある可能性に出逢い、また別の喜びを得た。
己れが主体であること。
現世に肉体をもって存在する幸福。
「稔? もう全部運んだよ」 右伊の声が稔を引き戻した。
「じゃ 行くか」
「競争!」
弾かれたように駆けだす双子。
稔の足も大地を蹴っていた。
完
おつきあいありがとうございました。
読み返す勇気はありません…
どうか皆さまもここで終わってくださいませね。
ほんとーに おつきあいありがとうございました。




