もう戻れない
どう切り出すか、決める前に着いてしまった。
なるようにしかならないと、稔はドアを開ける。
さりげない、平坦過ぎない、感情がかすかにだけ感じられる、
そしてできるだけ自然な声を掛けようと口を開いたのに、
庸介の姿はなかった。
「…おい」 そこにいない影に呟く。
緊張をほどき、息をつく。
ほどなく気を取り直して「ま じゃ配送準備を」と
言いながら倉庫へと足を向けた。
前日切った伝票の枚数と、届いた箱の位置など脳内で反芻し、
作業の手順を組み立て終わったところで、倉庫の前に立った。
無造作にドアを開け、凍りつく。
庸介が箱に頭を突っ込んでいる。
咄嗟に踝を返そうとした。気づいていないかも知れない。
だが、ばね仕掛けの人形のように、ぴょこんと庸介が顔を上げた。
「あ」
本当に、一音だけを発し、庸介は身体を真っすぐに立てた。
両手をズボンの腰で擦りながら、稔の方を見る。
「お帰り」
「僕がやると」
「うん」
「庸介さんはデザインの方を…」
「うん」 もう一度「うん」と頷いて、稔に近づいた。
二歩ほど手前で立ち止まり「気分転換」と言った。
「もあるけど 任せすぎてたかなと 反省したんだ」
「それは…」 稔の動悸が早まる。
庸介ひとりでも回せるようにしたい ということ?
「俺が雇用主で 年上で 自然立場的にも上の気分でいた。でもさ
今の俺があるのは稔あってのことで 稔に頼るところが大きい…大きすぎる。
対等じゃないよな? こういうの」
「対等って …僕の方が居候なんだし 上下関係は決定的なんじゃないですか」
「家族じゃないのか?」
「え …あ え?」
「あれぐらいじゃ認められないって言ってたな」
庸介は肩で息を吸い、深く吐いた。ため息のようだった。
「その話は とりあえずおいておくとして」
庸介は再び箱の中に両手を入れた。
作業を済ませるということだと判断し、稔も動き出す。
自分も猶予が欲しかった。気持ちと思考を整理したい。
「どこまで進んでます? 伝票は」
「発送分はもう終わった。中身を確認してた」
稔は積まれた箱の側面を上から順に見ていった。
立ち位置を、顔を見合わせない角度に巧妙に調節した。
その背後で庸介が言う。
「俺 よく分からないんだよ」
「…何が」
「知識としては分かってると思う。 けど 分からないんだ」
…ああ。
「稔といるのは心地いい。心地いいだけじゃなくて充実もしてる。
稔のことは好きだし尊敬できる部分もある。可愛いと思う時もあれば
敵わないと感じる時もある。これって友情? 親愛?
前にも言った。ずっといっしょにいたい。もっと近くにいたい。
本当の稔を知りたい。『今』が幸せなのだけれど それだけじゃ足りない。
稔を知りたい。もっと知りたい。でもそれがどういうことなのか
まず自分自身を分からないと
…って 思った。さっき ついさっき 気づいたんだ」
突然、声が途切れた。気配に耳を澄ますと、肩で息をしていた。
普段語らないから、加減が分からないのだ。
「自分の本心なんて 存外簡単なものかも知れませんよ」
「でも…っ」 何かが、崩れる音がした。「…った 痛っ」
振り返り、情けない顔で腕をさする庸介を見た。
庸介は途切れてしまった言葉を探す。
稔は言った。「あなたが好きです」
ぽっかりと穴が開いて、ふたりでそこに落ち込んだようだった。
庸介は無表情に稔を見ていた。
周囲のものは全部消えても空気は残っていたと気づいて、
庸介は息を吸い、それから「ああ」と言った。
「でもそれは 庸介さんのとは違う形である可能性もある」
さあ。もう後戻りはできない。「庸介さんが求める家族の形とも」
「その 形 なんだ」 庸介が言った。「問題なのは その形なんだ。
俺が言いたいのも そこなんだ。俺が分からないでいるのも」
「分からないなんてこと あるのかしら」 それは独り言だった。
だが庸介には非難に響いたらしい。ごめんと言った。
「いや そういうわけじゃ…」
「俺さ」 庸介が勢いよく切り出し、だが先が続かない。
「庸介さん」
「ん?」
稔は庸介の腕をつかみ、身体を寄せると唇を重ねた。
一瞬怯む庸介だが、突き飛ばすまではしなかった。
稔は柔らかく唇をほぐした後、舌先で割って侵入する。
庸介の指が稔の服を握った。その硬さに征服欲が擽られる。
微かな罪悪感が過るが、拍車をかけるだけだった。
本能のまま突き進む。奥には甘い蜜の壺がある…
脳の芯が痺れ、思考が停まる。欲望に忠実な奴隷となる。
更に深く重ね合わせ、より近く体を寄せ、
熱を帯びた己が分身を庸介に押し当てた。
庸介が首を振る。息が苦しいのか、或いは。
…拒絶か。
脳の片隅で察した稔は唇を外し、身体も僅かに離した。
「…これ…」 喘ぐように庸介が言った。「これ…?」
「…は?」
「違い って …形って これ…これのこと か」
稔は生唾を呑んだ。庸介の、臭いがした。
「ええ」 喉の奥で咳ばらいをする。「ええ そう そうです」
息を吸う。「これが僕の 求める形です」
次回最終話です。あと少しだけおつきあい願います。
長い中断があり、その後の更新も牛歩というよりカタツムリ。
創作メモ等作らないため、何を書きたかったか、
どう進めるつもりだったか、さっぱりきっぱり忘れてしまい
かといって読み返すのも嫌で
本当に完結するのかいと自分に突っ込む日々でした。
にも関わらず
読んでくださる方がいたので
なんとか完結に漕ぎつけられそうです。
もっと設定活かしたかったなあと思わないでもないけれど
終わらせることが大事。
以上、最終話読後に「はあ?」と言われないための言い訳でした。




