偽家族の肖像
真菜穂の復職が決定した。
実働5時間週5日フレックスタイムという好条件。
そのうえ週2日程度なら在宅も可とのことだった。
育児中の対応としての社内の規定だが、
実際に利用できるかどうかは現場次第だ。
申請が通っても上司や同僚に嫌味を言われることもなくは、ない。
しかし真菜穂は「実績がものをいう」と平然としている。
権利はフルに活用する主義で、実際にそのとおりにした。
その代わり周囲に文句を言わせない。
業務の優先順位を明確にし、時間内に終わらせた。
在宅での業務を整理して、影響を最小限に抑える。
勤務時間内に育児をすることはできないが、
昼食や小休憩時に家事を済ませることは可能だった。
なにより通勤時間がゼロなのが有難い。
新伍らと週ごとにローテンションを組んだ。
それぞれの予定は無理なく、そこに嵌め込まれた。
結果、一番生活が改善したのは新伍だった。
真菜穂は家にいる限り家事を受け持ったし、
食後の片づけは大抵は秀幸が担当した。
新伍に割り当てられるのは初音の世話、それも主に遊び相手だ。
それすらも、交代要員がいる時が多かったので気軽なものだった。
真菜穂は勿論初音の機嫌もよく、苦悩の日々が嘘のようである。
たったひとりの人間の介在でここまで変わるのか。
当初胡散臭くも感じ、乱入者とも見た秀幸に新伍は感謝する。
秀幸自身、というよりも巡りあわせに。
思い込みを排除して秀幸を評するならば、彼は好青年であった。
第一印象は無礼で腹の分からない男だったが、
それも一種の鎧であったと新伍には分かってきた。
彼にしてみれば敵陣に乗り込むぐらいの覚悟だったのだろう。
父親の不倫の相手、腹違いの妹を宿した女性の自宅なのだ。
幾分構えていたとしても仕方のないことだ。
しかし今現在は、この家を維持するのに大切な要だ。
彼自身も今の生活を満喫しているように伺える。
下宿先としても快適なようだし、
なにより、初音のことを心底可愛がっている。
ああ。
半分とはいえ血の繋がった妹だものな…
弟はいるようだけれど 年の離れた妹はまた格別可愛いだろう。
末っ子の、それも男兄弟ばかりの新伍には羨ましくもあった。
そこでまた首を振る。
誰を羨むことがある。血の繋がりに今更何を求める?
秀幸にとって可愛い妹なら、初音は自分の「娘」なのだ。
得られることはないだろうと思っていた自分の家族。
「お姫さまね」
「え?」
我に返って、隣に座る真菜穂を見る。
「初音 あの子 お姫さま然としてる」
真菜穂の視線の先には、秀幸に抱っこされた初音がいた。
初音は、或いは、幼児なら誰でもそうなのかも知れないが、
抱かれる人によって顔が変わる。雰囲気が変わる。
新伍の目に、秀幸の腕にいる時が一番可愛い。
まるで人形のようだ。姫と言われればそうかも知れない。
「ああ」 新伍は言った。「かわいいね」
「かわいい? 私は新伍に抱っこされてる初音が一番好きだわ」
「え…」
「秀幸に抱かれているあの子はどこか きどって見える。
当人にそんな意識はないんだろうけどね。新伍の時はもっと自然。
全部を預け切って甘えている ただの子ども」
「姫の方がいいんじゃ?」
「そお?」 らしくなく口を尖らせる。
そして新伍の肩に頭を乗せた。「初音を抱っこすると重いでしょう」
質問の真意が読めず一瞬、間があいた。「それなりに …でも」
「多分私が抱っこしている時より重いと思う」
「なにそれ…」
「猫と同じよ」 吐き捨てるような、それでいて愛情がないわけではない、
どう受け止めていいか分からない口調に、新伍は返す言葉が見つからず、
肩に乗せられた真菜穂の頭にそっと頬を寄せた。
秀幸が初音の顔をふたりの方に向けて「仲良しさんですねえ」と言った。
分かってか偶然か、初音は笑い声をあげる。
絵に描いたような家族。
ひとつひとつの事実をとりあげれば奇妙な構図なのに、
平和で温かく、幸福な瞬間だった。
「あなたに感謝しないとね」 真菜穂は秀幸に言った。
「僕?」
「こんな時間がもてるなんて想像もしなかった。
育児に終わりが見えなくて 人生に希望を抱けなかった」
「大袈裟だなあ」
秀幸は笑うが、新伍は真菜穂の本音を肌で感じ取っていた。
事実、自分もそうだった。思いつめていた。
「たとえそうでも感謝は要りませんよ。奉仕じゃない。
初音は可愛いし この家も好きだ。野望も満たされている」
「野望? なにそれ」と真菜穂は笑うが、新伍は笑えなかった。
視線こそ向けられていなかったが、秀幸の意識を感じずにはいられない。
度々、ある。そういう瞬間。直接何を言うわけでもない。
秀幸は一種の熱を新伍に発してくる。
誰もいない時はあからさまに目線をぶつけてくる。
新伍は気づいていないふりをしてやり過ごす。
向き合ってしまったら、この幸せを手放すことになりそうで。




