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二輪挿し  作者: 星鼠
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それぞれの思惑

真菜穂は「決めた」と言った。

宣言してから、新伍を見た。

新伍は困惑する。もとより、反対する気はない。

真菜穂の決定に異議を唱えるつもりはない。

ただ、秀幸の顔が脳裏に浮かんで反応が遅れた。

新伍の沈黙を勘違いしてか、真菜穂は「嫌?」と訊いた。

「いや。…いいと思うよ」

即座に否定したが、根底にある逡巡を感じたのか、真菜穂は言った。

「新伍 ねえ 新伍。私 私だけのために言ってるんじゃあ ないのよ?」

「え…?」

「そりゃ もとをただせば私が悪い。育児に不向きな私が原因。

でもね 自分だけなら限界まで頑張るべきかなとも思うの。けど」

「僕?」

「新伍が。新伍が疲れていくのを見るのが嫌なの。

それだって勿論私の気持ちでしかない。新伍のせいじゃない」

真菜穂が何を言いたいのか、新伍には分からなかった。

黙っていると、真菜穂は新伍の手をとり、両手で包んだ。

指先でさすりながら「私はねえ 仕方ないの。仕方ないと思うの。

女だから母親だからという意味じゃなく 自分で選んだことだし

これまでの人生 それなりに楽しんだ」と言った。

目線はずっと新伍の手だ。

「でも新伍は違うでしょ。新伍が私と結婚したのは庸介でしょう。

それが全てじゃないとしても 私が庸介の妹でなければ

新伍の気持ちへの理解がなければ 結婚には至らなかった。

育児や私への気遣いで疲れるために ここにいるんじゃないわ」

「僕が重荷?

「まさか。いいえ でも そうね。罪悪感や自己嫌悪に苛まれるのは嫌。

新伍には幸せでいて欲しい。新伍が望む形で 新伍に幸せになって欲しい。

今の新伍はそう見えない。くすんでるの。

最初の頃…庸介の服を着た 最初の頃に比べて 爪の先まで 違う。

もっときれいだった。羨ましいぐらいに輝いていた。

私 何度も言ってしまったよね。私が縛られるほどに 新伍は解放されていく。

羨んだのも事実だけど 誇らしくも 嬉しくもあった。

それを今 私は 自分の手で台無しにしている」

違うよと言いたかった。だが、それはきっと通じない。

否定しきれない部分もある。疲れているのは本当だろう。

それが不幸だとは思わないけれど、望んだものと違うと言われたら、そうだ。

「私自身のため。それは勿論。それが一番。私のせいなのは動かせない。

けど 私たちのためでもあるの。分かって欲しいの。

決めるのは私だけれど 新伍には理解していて欲しい」

真菜穂は顔を上げた。すれ違わうように新伍は俯いた。

視界の中に、真菜穂の指に包まれた手があった。

だが、その時新伍が見ていたのは、真菜穂のささくれた指でも、

手入れを怠った自分の爪でもなかった。

自分の感情だった。

それらは確かに育児のせいだろう。けれど。

最初の頃の精彩がないように見えるのは、

違うところ、つまりは新伍自身の内部に原因があるのではないか。

かつてはあった、ときめきがない。

仮縫いで庸介に触れられる時、鏡の中に並ぶ時、

その目線が自分に当てられ、その唇が綻び、

新伍のことを語り出すのを待つ瞬間…

息もできないほどの緊張と幸福に包まれていた。けれど。

今は、それがない。

慣れてしまったのかとも思う。

庸介の関心が職業上の域を出ないと分かって失望したのかとも。

口を開きかけて、説明する言葉を持たないことに気づいた。

曖昧なこの感覚を他者に伝える自信は、ない。

「分かった。分かっている。ありがとう」

「新伍」

指を動かして真菜穂の手を解かせ、今度は新伍がその手を握る。

「僕も賛成だよ。そう返事をしよう」

真菜穂は新伍の目を見つめ、その視線を揺らし「ええ」と言った。


あの日、秀幸は自分の用件を話し終えると、

自然に雑談の流れに持って行った。

秀幸は、陶芸科ではないが、陶磁器に関する造形は深かった。

ブロカントにも興味を示した。

新伍から蘊蓄を引き出し、饒舌にさせた。

話していて楽しい相手ではあった。

夢中になりかけ、ふと我に返る。

新伍と真菜穂の関係を理想的と言ってはいるが、

彼の介入によって壊れることになるのではないか。

予測がつかない。

秀幸は話し続ける。楽しそうに。気が散って思考がまとまらない。

「今 あなたから答えを貰おうなんて思ってないよ?」

「え」

「決めるのは真菜穂さんだろうし おふたりで話さないといけないし。

僕は 自分の気持ちや手札をさらしておきたかっただけ。それに」

秀幸は一度言葉を切って、続けた。

「あなたが目的だと言ったけど」

新伍は顔を上げる。

「あなた自身に何かを求めているわけじゃない。

あなたに関心があるのは事実だけれど 同じくらい

真菜穂さんとあなたの関係や 初音に興味がある。

好きなんだ。全部 あの空間が。僕もあの一員になりたいんだ」

自信に満ちた攻撃性は影を潜め、年相応の、

むしろそれ以下の、少年の顔をした。



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