僕の目的はあなた
棚からひとつ茶器をとると、新伍は丁寧に磨き始めた。
郷田秀幸のことを考えていた。
彼が真菜穂のリビングで呟いていたことを。
そのことを真菜穂に伝えることを忘れていた。
真菜穂も忘れている。
彼は、陶芸に造詣がある。あるいはブロカント的なものに?
飾り棚に新伍が置いた陶磁器の土や釉薬や窯元を予想して、
いくつかは、言い当てていた。
大学生だと言った。芸大生? それとも高校の時に?
留学の経験があるとも言っていたけれど…
どこだと言っていた? 留学先は…
迷宮に入り込みそうになって、新伍は首を振った。
いくら考えても分かるはずはない。
答えが出ないことを考え続ける意味はない。
真菜穂に確かめればいいだけのことだ。
だが彼女に確かめるべきことは他にある。そちらの方が重要だ。
それはまた新伍自身も考えておかなければならないことだ。
郷田秀幸を家の中に入れるという選択。
「店長」
バイトの女子大生が横に立った。
「え なに」
「お客さまが」
「何をお探し?」
「ではなく」 一歩引いて身体を斜めにする。
新伍の視界が開け、その向こうに人影が見えた。
郷田秀幸、その人だった。
新伍は呆気にとられるが、彼が興信所を使ったことを思い出した。
この店を知ることは難しくはない。だが。
「ありがとう。ここはいいよ。カフェの方をよろしく」
察しよく、バイトは身を翻した。好奇の目で振り返ることもしない。
新伍はその背中を見送っていたが、
彼女が去ることを確かめるためでなく、どう切り出すか考えていたのだ。
「先日はどうも」 秀幸の方から口を切った。
「はい」 声のトーンを決めかねて、新伍はささやくように応えた。
女装で店に居る時は、バイトの提案もあって性別不明を演じている。
だから声は、男装の時と違う。
まして先日は、真菜穂の夫の立場ということもあって、
より男性的な振る舞いを意識していた。
今、その時と同じ態度はとれない。
店内ということもあるが、何より女装中の矜持がそれを許さない。
「そんな顔しないでよ」 馴れ馴れしく秀幸が言った。
新伍は眉を潜めて見返す。
「いいけどさ。どんな顔でも素敵だ」
「何を…」 新伍は発しかけた声を呑み込み、仕切り直す。「何が」
「目的かって?」
秀幸は一歩前に出て、囁いた。「あなただよ」
「は?」
「最初から あなただ。新伍さん」
言って反応を見るように新伍の目を覗き込んだ。
「真菜穂さんから この店を辿ったと思ってるでしょ。
違うよ。この店から 真菜穂さんに行き着いたんだ。
すごい偶然。これってもう 運命じゃない?」
「言っている意味が …分からない」
「分からないわけないでしょう。それとも言わせたい?」
「聞きたいのは詳細だよ。君の…」
言いかけて、我に返る。ここは店だ。
「あなたの説明は不十分です」
「そこ 必要かな。まあ いい。言わないと先に進めないんだね。
真菜穂さんの存在は 知っていた。つまり父親の交際相手として。
所属も自宅も調べておいた。興信所を使わなくても簡単だ。
知っておくだけでいいと思っていた。
掴んでおけば 使いたい時に使えるもの。
結局 使う暇もなく別れてしまったけど。
そこで終わり…だった。終わりの筈だった。
この店を知ったのは友人経由だ。陶芸科のやつだ。
彼が新しい店員の話題を出したんだ。それがあなただった」
新伍は女装を機に名刺の名前を変えた。
結婚で真菜穂の姓になっても通称は旧姓を通すつもりだったが、
『八頭司』を使うことにした。そしてそれだけを印字した。
それが苗字なのか、氏名なのか、読み方次第だ。
「そこから先は言いたくないな。ストーカー呼ばわりされたくない」
つまり、それまがいのことをしたということだ。
その結果、真菜穂と新伍の関係を知った。
「僕がどれだけ驚いたか。ま どうでもいいことだろうけど」
「ぼ…私が目的なら どうして 家に」
「だって おふたりの関係を確認しないと。
僕は不倫は好きじゃないもの。やられた側の家族としてはねえ」
新伍の目が険しくなったのを見て、口を噤む。
反応を見るために敢えて言ったのだと、新伍は気づく。
「尤も それ以前に確信はあったけどね。仮面夫婦だろうとは。
別の意味では裏切られたけれど でもそれは嬉しい誤算というやつだ。
おふたりの関係は なまじの夫婦より余程 理想的で
初音はいい子に育つだろう」
「それはどうも。そう思うのなら そっとしておいて欲しい」
「でも 今のままでは」 秀幸は言った。「崩壊するよ」
顔色を見られていると分かっていて、制御できなかった。
秀幸は全部見通しているのだろう、笑った。
「僕の提案 一考する価値はあるんじゃない?
今日僕が来たのも こっちの手を明かしたのも あなたのためよ?」
新伍が見返す目線を受け止め、秀幸は続けた。
「真菜穂さんに害が及ぶことを一番に心配していたでしょう。
でも 僕の思惑が違うと分かれば 安心じゃない。
僕の目的は あなた なんだ」
真正面に見つめられ、新伍は目を逸らした。




