告知
画面を前に腕組みをしている庸介は、
実際には画面を見ておらず考えごとをしているようだった。
内容の見当はついている。
稔は黙って見守った。
真菜穂たちのことは稔も、なんとかできないか考えている。
しかし答えが出ないことも分かっている。
庸介は思考の迷路に陥っているんだろう と稔は思っていた。
「あのさ」 腕組みを解いて庸介が言った。
「はい?」 何か突破口が見えたかと、僅かながらの期待を抱く。
「唐突 なんだけど」
「はい」
「保険 とかどうなってる?」
「はあ?」 思わず声がひっくり返った。
「年金とか。稔って今現在 どういう立場なんだ?
なんかまあ 今更といえば今更なんだけどさ」
「今更ですね」 稔は動揺を押し殺して、言った。
庸介のもとに転がり込んで2年近く過ぎようとしている。
その間、一切の詮索はなかった。
「だけど 今がいい機会じゃないかとも思うんだ」
「何の です」
「処遇というか待遇というか なんていうんだろ。
つまり きちんとした雇用関係を結んだ方がいいんじゃないか。
これまでおこがましくて言い出せなかったけど
新伍くんのおかげで新事業も軌道に乗って 調子いいんだ。
それは知ってるだろ」
「はい」 経理というには大袈裟だが、稔も金の流れは把握している。
新伍の店に端を発した口コミから、庸介の店の知名度が上がった。
通販部門の売り上げが格段に伸びて、問い合わせも後を絶たない。
高齢者向けの商品まで売れているのがよく分からないが、
かつてない収益をあげているのは確かだった。
「時間も労力も 稔に最近すごく割いてもらってる。
もう手伝いの範疇じゃないだろう。稔がいなければ回らない。
いいや それはずっとそうなんだけれどさ。
だから前から このままじゃないけないって思っていて
けど こんなところに縛るべきではないとも 思っていて
でも今なら 引き留めるだけの理由づけになるんじゃないか
実利的にも心理的にも 勢いがつくんじゃないか もう今しか…!」
一息に言い切って、庸介は肩を上下させた。
庸介がこれだけのことは話すのは珍しい。しかもまだ続く。
「とにかくもう …もう
くだくだ迷っているより 稔の本音訊いた方が早いって」
言って首を振る。
「稔に決めさせるのはずるいな。
でも断ったからといって それですぐ終わりってわけじゃない。
今すぐ決めてくれってことじゃない。
ただそのつもりが全く! 全然! ないってなら言って欲しい。
それなら俺はあれこれ悩む必要はないわけで」
稔が何か返さなくてはと口を開こうとすると
「いや待て ちょっと待て」と慌てる。
「確かにこんな景気は今だけかも知れないけど
それならそれでその時考えればいいだろ。
俺はとにかく…とにかく ……何だっけ」
その必死さに、稔は二分する。
感動する一方で、
自分でも知らない、奥底から加虐的な衝動が湧き上がってきた。
「簡単ですね」
「え?」
「そんな簡単に決めていいことなんですか」
「簡単…じゃないよ。ずっと考えて迷っていたことだ。
言っただろ 今がいい機会だ。今を逃したら言い出せない」
「それも一理。けれどそれはあくまでも『店』を考えたらですね。
店を存続するためには いいかも知れない。僕だってそうなれば
もう他人事じゃない 今以上に協力するでしょうし。けど」
「けど? けどの先があるのか」
「あなたの私生活ですよ 庸介さん」
「俺の? 今と何が変わる」
「何も変わりません。僕に変える気はないんだから」
「だったら」
「今のまま 僕は居候を続けますよ。報酬を受け取ろうと
保険や年金で生活が保障されようとも 僕は動きませんよ?
いいんですか?」
庸介はたじろぐが、それは稔の言った内容ではなく、
彼の形相と口調にだった。
「い…いいんじゃないか? な 何がいけないのか分からんよ。
部屋はどうせ空いてるし 今の生活に俺は不満も不便もない。むしろ
稔に出ていかれたら 寂しいんじゃないか」
真正面に言われ、今度は稔が勢いをなくす。
顔を背け「そう…なら いいんです」と力なく言った。
攻撃性は鳴りを潜め、後ろめたさが胸を浸潤する。
「いいんだな?」 庸介が畳みかけて来た。
「その前に…説明させてください」
「うん」
庸介はパソコンの画面を閉じ、両手を組んで稔の言葉を待ったが、
いざとなると稔はなかなか切り出せない。
庸介は、ただ待っている。稔は腹を括った。
「…実は まだ 僕は学生の身分なんです」
「なんと」 庸介は真面目に言ったのだが、響きは違った。
耳でそれを拾い、慌てて「なんだって」と言い直した。
「いつ 通学ってか 受講 ってか いつ学校に行ってるんだ?」
「座学はもうとっくに終わってる。課題さえ出していれば出欠も問われない。
それに…ここ最近は毎日のように手伝っていますが 以前はそうでもなかった。
ちょこちょこ私用で抜けていたでしょう。一日中働いていたわけでもない。
学校に行ったり 制作したりする時間は どうとでも捻出できてたんです」




