天命を信じて
「…それは深刻な問題だね」 庸介は言った。
育児に関しての知識はないが、
真菜穂の性格に関しては誰よりも、
多分新伍よりも、把握しているという自負はあるのだろう。
口ぶりには、諦観めいたものがあった。
「順番に手伝うぐらいはできるけれど
根本的解決を他に見つけないといけないだろう」
「と言うと?」
「マナの意識を変える」
期待に目を輝かせたふたりを前に、
「…は 無理だから」と庸介は言った。
新伍が肩を落とす。
「うん」 庸介は頷く。「だから深刻なんだよ」
「いわゆる 育児ノイローゼ…みたいな?」 稔が問う。
庸介が頷く横で、新伍が言う。
「名前をつけて片づけるのは無責任です。
理由や原因はそれぞれなのに それで分かった気になる」
「おお」 庸介が感動したように声を上げると、
新伍は照れたように髪に手をやり、
「と 真菜穂さんに叱られたんです」と笑った。
さもありなん。庸介は呟く。
「真菜穂さんは一生懸命です。初音のことも愛しています。
でも 真菜穂さんは 理詰めでないと駄目なんです」
「理詰め?」
「原理節理 合理道理…」 新伍は指を折りながら、
まだ続きそうなのを止めて言った。「赤ん坊は理屈で動かない」
二人は無言で頷いた。
「赤ん坊なりの理屈はあるのだろうけれど 真菜穂さんの理は
…通用しない。彼女はそれが受け容れられないんです」
「なんか 分かる気がする。時間通りの授乳 睡眠リズムの管理」
「そうです。特に母乳だと どれだけ飲んだのか把握できない。
体重計を買おうとしたのですが 止めました。仮にあったとしても
解決にはならないんです。今度は量と時間の規則性を求めそうで」
庸介が身震いする。
「結局 どうすれば」
「育児から 少し離れた方がいいと思うんです。
ほら よく言うでしょう。
仕事などで子どもを預けて 短い時間 濃い密度で接する。
以前は詭弁だなと思ったこともあったけれど
真菜穂さんみたく その方が適した女性もいるんじゃないか。
母性って本能じゃなく 人それぞれなんだと」
他の人間が語るのなら理解は難しかったかも知れない。
だが言葉を選びながら話す新伍の声は、稔に無理なく浸透した。
「だとしても。何をどうしたら?」
「そこなんです」
新伍は項垂れた。
「店を人に任せて 僕が育児に専念しようかとも思ったんです。
でも皮肉なことに…」
「ああ」 知っていた。
女装した新伍が店番をするようになって、
『ミステリアスな店主』がいる骨董店ということで、
評判を呼んでしまったのだ。
女性アルバイトの「女性か男性か不明のまま」
という提案にのったところ、
男女問わず客が押し寄せるようになったのである。
「初音のためにも売り上げは伸ばしたいし
なによりもこれを機にブロカントへの認知を広めたいんです」
「勿論そうだ。新伍くんが 新伍くんの店を 犠牲にする必要はない」
「犠牲とまでは… こうなるきっかけは真菜穂さんだったわけですし。
真菜穂さんから庸介さんに繋いでいただいて の今ですし」
「それだって新伍さんが言い出さなければ始まらなかった話でしょう」
稔は力を込めて言った。
これは新伍のみならず、庸介のためでもある。
今の勢いを削ぐようなことはしてはいけない。
「誰かが何かを諦めるような解決方法は 本当の解決じゃない。
真菜穂さんに負い目を持たせてもいけないし」
稔は続けた。
「僕としても 新伍さんには続けて欲しい。
何より 僕たちにとっても 追い風なんだ」
本音を言うことで、新伍の背を押したつもりだった。
その選択が、自分以外の誰かの要望と重なる事実は軽くはない。
実際、新伍は安堵したように頷いた。
気持ちは決まっていたのだろうが、ふたりの肯定を受けて固まったようだ。
「それで保育園を当たったのですが」
子どもがいなくても、預け先を見つけることが容易でないことは分かる。
「真菜穂さんも 一度は自分でと決めた以上 妥協はできないようで」
規模や評判に満足できなければ、問い合わせることもしたくない。
「妥協したくないのは僕も同じです」
「それは…そうだ」
稔は自分の伝手を頭の中で探ったが、
さすがに保育関係は無理だった。知人の知人、も思い当たらない。
行き詰まりに空気が重くなった。
「いずれにしても 時間が解決するさ」 庸介が払うように言った。
託児申請もいつかは通るし、何よりも子どもは成長する。
ずっと赤子でいるわけではない。
「育児ノイローゼって スランプに似てる。
周囲は名前をつけて解決するが そんなものは諦める時にしか使えない」
「ええ…まあ」 庸介の言わんとすることが分からず、曖昧に反応する。
「あれこれ無駄あがきするんだが 大抵は効果がない。
助言とか助力で対症療法とりながら 待つしかない。
人事を尽くして天命を待てというが 天命を信じるところから始める。
解決方法はえてして思いもよらぬところから やってくる」
あてなどないが、それこそが『天命』なのだろう。
そして後日、天命はやってくる。




