ロマンティックアセクシャル
出店祝いというのは半分名目だった。
卓上の花かごを持って、林田の工房を訪問した。
林田はそれなりに忙しくしているようで、
「何よりだ」と稔は言った。
「新伍氏が注文してくれたよ。いや。八頭司夫妻が と言うべきか。
真菜穂夫人からも承ったんだ」
知っていた。もともとが稔の紹介ということで、
新伍から林田の店にいくこと注文することの報告があった。
だからこその、来店なのだ。
「新伍氏に 育児中でも無理のない婦人靴って相談されたんで
何枚かラフを書いてみたら 揃って来てくれた。
靴作りの過程や革の選び方を説明していたら
並べた革見本を 夫人が新伍氏に似合うって指さして
自分の靴より熱心になってしまって で 結局2足」
林田は上機嫌だった。無理もない。上客という点で、
経済的なこと以上に、その容姿、個性の意味合いが強い。
ふたりとも創作意欲を刺激する逸材であることは事実で、
それは前作にも、庸介の服にも、表れている。
当初、無理な依頼を通すために取引をした稔だが、
結果的には林田の益にもなったということだ。
「それで」
「あ?」
「ええと。ふたり揃っているところを見て …どうだった」
「どう…」
「夫婦として。真菜穂さんが妊婦なのはもう 一目瞭然だろう。
そのふたりが夫婦として並んでいるのを見て」
「容姿的には 似合いと言える。今風のひな人形のような。
…ああ そうだ 人形なんだ」
林田は、無意識に発した自分の言葉を拾う。
「生々しさがない。結果が並んで立っているのに」
その言い方に稔が苦笑すると、林田も笑った。
「分かるだろう?」
「まあ…」 曖昧に濁した。
初めて二人に会った時、稔は違和感を覚えなかった。
林田はそれだけ敏感ということなのだろうか。
漆原も。
彼らは同類で、自分はそうではないということか?
「前に…言ってたよな」
「なんだっけ」
「男の兄弟が多い男性は ゲイになる みたいな」
「ああ」
林田は笑って頷き「兄弟 じゃない 兄 だ」と言った。
「弟の数は関係ないんだ。先に生まれた男児の数が問題なんだから。
上に男の兄弟が増えるごとに ゲイになる確率が上がる。統計上」
「統計…出ているのか」
「ゲイのうち 7人にひとりぐらいは その影響だ とも言う。
生物学的裏付けもある。要は まあ 母親だ」
母親との関係ということだろうか。
父親との確執が原因という話は聞いたことがある。
だが母親? 愛着か執着か密着?
母親の存在が大きすぎて女性を性的対象に見られないとか。
いや。それでは「兄」の数との関連がない。
兄が多いということは、母親は既に男児に飽きている筈だし…
稔が思いめぐらしているのを、林田は面白そうに眺めていた。
解説をわざと遅らせたのは、それを愉しむためだったのだろう。
稔が考え倦む寸前を狙ってもったいぶって続けた。
「妊娠中の話だ。
母体にとって『男児』というのは異物なんだ。
それゆえ 男児の持つ男児特有の抗体を攻撃する場合がある。
この攻撃が発生する確率は 男児懐妊の回数に比例する。
過去に男児を妊娠した経験があればあるほど
攻撃する確率があがるというわけだな。
男の胎児は 男児たる所以を攻撃されて男性性を破壊され
結果 女性化する …んじゃないか という解釈だな」
知識の披露の勢いに乗っていた林田だが、そこで止まった。
「新伍氏がそれじゃないかと思うんだ?」
「…お前もそう思ったから 話題に出したんじゃないか?
新伍さんにお兄さんが何人もいるという話はお前から出たんだ」
「あー そう。そうだ。お前がやけに肩入れしているものだから
そっちの可能性を探りたくなるのも当たり前だろう。
妻帯者だろうが バイってこともあるし 偽装ということもある。
庸介氏はまったく素に見えたけど 新伍氏はボーダーだった。
けど 仕事を進めるつれて お前が入れ込むのも理解できた。
そういう存在なんだな そういう素材。
感情からではなく 製作者的関心からだったんだ。
お前の態度や身体からも 新伍氏による変化は窺えなかったし」
一瞬、林田の目に浮かんだ好色に稔はたじろいだが、
すぐに立ち返った。「じゃ…彼は違う?」
「いや?」 林田はきょとんと言った。「それとこれは違う。
お前がどうであろうと 彼がそうではないということにはならない。
むしろ 確信は高まったかな。ふたりを見て」
「真菜穂さんと並べて?」
「乾きすぎてるんだよ。あんな美人といて何もない
となったらゲイかアセクシャルか…」
林田はふふっと笑いを洩らし、
「新伍氏の場合ロマンティックアセクシャルというのが
一番しっくりくるけどな。語彙的に。響きがさ」と言い添えた。
「ロマンティック…?」
「恋愛感情はあるが 性的衝動は覚えないってやつ」
それは妙に心に残る言葉だった。
稔は曖昧に頷いて会話を終えた。