棘のない男
そして服は完成した。
稔の知人であるスタイリスト漆原が、ウィッグの入った箱を抱えて来た。
テーブルに並べられたメイク道具を見て、庸介は目を丸くする。
漆原は新伍を鏡の前に座らせ、いくつかウイッグを試した。
結局、双方一致で一番最初に試着したものに決まった。
それだけで、もう充分な気がした。
特別なメイクなど施さなくても、新伍はきれいだった。
漆原もそう言った。けれど折角だから。今日は特別にと刷毛を揮った。
新伍はうっとりと目を閉じる。
柔らかな刷毛の感触と、仄かな芳香に。
その横顔に、稔は遠慮のない視線を注ぐ。
「きれいだな」 知らず、呟いていた。
「うん」 庸介も、生唾を呑むように言った。
漆原が筆を置き、ケープを取り払った。
ウイッグを整えると、新伍の椅子を引いた。
新伍は立ち上がると同時に、身体を捻らせて庸介らを振り向いた。
「完璧」 庸介が手を叩いた。
「確かに新伍さんなのに 別人のようでもある」 稔が呻いた。
新伍は鏡に向き直り「本当に」と言った。「月並みだけど これが僕?」
「俺 自分の才能 確信したよ! 新伍くんに感謝だ」
庸介は興奮していた。自分の縫った服が魔法となる。それ以上の喜びはない。
新伍が漆原にウイッグの買取の確認をすると、
その横から庸介が試着したウイッグを全部置いていくよう頼んだ。
「俺的にはどれも甲乙つけ難いんだよ。全部に合わせて服を作りたい」
驚く新伍に「着てくれるだろ」と言った。
「そんな…そんな」
「僕も見たいですよ。それにほら お店で着るなら何枚か要るでしょう。
季節が変われば新しい服も必要になるし ね?」
「これはビジネスなんだ」 庸介は言う。
先日、稔に話したモデルの構想を語り出す。
新伍は目を丸くして聞いていたが、段々と俯いていく。
庸介は唐突に言葉を切り、覗き込んだ。
「…だめ か?」
新伍は首を振る。何度か唾を飲み込み、口を開いた。
「幸せ過ぎますよ…」
「受けてくれるのか?」
「断る理由なんてありません。…あ でも …ただ」
「ただ?」
「真菜穂…さんに了解を得ないと」
それも道理だと稔は思った。
もとは真菜穂の紹介なのだし、庸介は真菜穂の兄だ。
庸介も理解し、そこで引いた。
新伍は着用中ウイッグは自分で払うと漆原に現金を渡した。
領収書を切り、漆原は一緒に小さなものを新伍の掌に乗せる。
形状からリップと分かる。
「透明感が あなたにぴったりですよ」
帰り支度を済ませると稔に向かって頷いて見せた。
稔は、荷物と一緒に柳沢と外に出た。
「今日はありがとう」
「こちらこそ」 漆原はおっとりと微笑む。
語尾こそ、あからさまに変えないが、発音が女性っぽい。
雰囲気も柔らかく、稔は同性といる時の緊張を覚えなかった。
彼は、そういう存在なのだ。
「きれいだった。もっともっと磨ける。先が楽しみな逸材だ」
「また頼むよ。モデルの件が受けてもらえたら」
「ああ…」 先刻の会話を思い出すように頷いた。「そう…そうだね。
まなほ さん?って誰? 訊いちゃダメなこと?」
「全然。新伍さんの奥さんなんだけど 庸介さんの妹でもある。
新伍さんとはまだ新婚のうちで 今回のことは彼女が仲介した。
だから 先のことも彼女を通した方がいいんじゃないかって
そういう配慮だ。僕もそうすべきだと思う…」
喋りながら、稔は漆原の眉間の皺に気づき、徐々に声を落としていった。
「…なに? どうかした」
「奥さんって 新婚って それはつまり 彼が妻帯者ってこと?」
「そうだよ。近々 お父さんにもなるんだよ」
そう言って取り繕うように少し笑った。「なんか不思議だけどね」
「不思議…どころじゃないよ。彼は 僕と同じ人種じゃないの?
結婚とか …結婚だけならまだしも 父親なんて …信じられないよ」
おいおいと手振りで止める。「女装が似合うからって そんな決めつけ。
新伍さんは ただ女装してみたいってだけで それも今回が初めてだ」
漆原は尚も言い募ろうとしたが、言葉を呑み込んだ。
庸介の家族ということは、稔にとっても身内だと分かっているのだろう。
当事者が認めないものを強引に主張する気はないのだ。
「また声を掛けてよ。僕の方でもやりたいこと 出てきそうだ」
そういって車で走り去った。
車影が夕闇に消えても、稔はすぐにはその場を去れなかった。
林田から受けた指摘が頭の中を駆け巡る。
漆原にもそう見えるのか? 同類だと。
彼は他の男たちと違う。稔に対して敵対心も攻撃性も持たない。
一緒にいて寛げる相手だ。
それは確かに新伍にも通じるものだ。
新伍には一度として「棘」を感じなかった。
真菜穂の新婚の夫だから 庸介の義弟だから。
しかし。そんな事実は理由にならない。
妻帯者でも身内でも、男たちは稔に牙を剥く。
新伍がそうしないのは、漆原と同じ人種だから
と考えるのが一番説得力がある。
けれど。
真菜穂との関係は? お腹の子どもの父親は?