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二輪挿し  作者: 星鼠
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魔法の靴

靴が完成した。

稔は新伍を連れて靴工房に行く。

問題がなければ、そのまま仮縫いに向かう予定だった。

靴のラフをもとに描いたデザイン画を、

庸介は新伍らに見せないまま縫い上げた。

結婚祝いにするつもりだから、

気に入らなければ、また作ればいい。

新伍にも異存はなく、

仮に意見を求められても上手く答える自信はないとのことだった。

訪問を知らされていた林田は、晴れ晴れとした顔でふたりを迎えた。

職人の顔だと、稔は思った。思い通りの品が完成したのだと確信した。

そのとおりだった。

「誂えたように」という形容がある。

実際に誂えたものであるとはいえ、物理的な意味合い以上に、

それは新伍のために作られたものだった。

つま先から足を入れた新伍は、

かかとまですっかり落とし込んだ後、陶酔の息を吐いた。

ぞくり、とするような、甘さを含んだ吐息。

それから林田を見る。林田は頷き返した。

稔はかすかに眉を寄せて林田を見やった。

だが林田は気づかぬふりをする。

焦れる稔に、新伍が言った。

「包み込まれるような …安心感とは違う …これはまるで」

説明する言葉を探し、探し当てて赤面した。

「エクスタシー」 笑いを含んだ声で林田が言う。「官能的」

羞恥を払うように立ち上がり、足踏みする。

「多少の痛みは 覚悟していた。なのに 全然だ。

それどころか 気持ちいい」

靴は、ヒールに慣れない足を包み込むように作られていた。

縫い合わせの隙間が大きさを錯覚させ、実際より華奢に見せている。

色は一言では言い表せない、茶系のようでありピンクがかっても見え。

可憐さと上品さとを調和させ、軽くはない女性らしさを演出していた。

「歩いて」 林田が言う。

新伍は立ち位置を整えてから一歩を踏み出した。

壁まで行くと華麗に身をひるがえし、新伍らのところへ戻ってきた。

「素晴らしい」 林田が手を打つ。

「靴が」 新伍は言う。林田は首を振る。

「どんな道具も 使いこなす人がいなければただのモノです。

完璧に履きこなしてくれている。

見たところ調整が必要な箇所はないようですが?」

「ええ」

「後日 気になるところがありましたら いつでも。

ただ 私は この工房は今日が最後になるので」

林田は名刺を取り出して、新伍と稔に渡した。

「連絡はこちらにお願いします」

新伍は両手でそのカードを受け取り、丁寧にしまうと、

支払いを済ませようとした。

林田が伝票を差し出す。

財布を出しながら伝票の最後の数字に目を落とす。

そして軽く見開いた。「えっと」

「間違ってませんよ」

「でも」 新伍が抗議しようとする。「これではあまりに安い」

「裁断は外注に回したので実費で請求してます。

あとは革を含む材料費や経費を合算しての金額です」

「工賃…って言うんですか その分の加算は」

「独立一作目なので その記念ということで」

尚も言い募ろうとする新伍を、稔は掌で制した。

「お得意さん一号ということでいいかな」と、林田に言った。

「ああ」 新伍は頷く。「そういうことでしたら 勿論!

もうこの靴以外 履けませんよ! これからも是非お願いします」

林田は新伍にそのまま履いていくか訊く。

新伍が頷くのを見て、会計と、履いてきた靴を持って奥に向かった。

稔はその後を追う。

予測していたように、林田は振り返らず応じた。

「違うから。安心しろ」

「え?」

「この件でこれ以上 お前に何か要求しないよ。俺の純粋な気持ちだよ。

作っていて楽しかったし いろいろ広がった。

出来栄えに満足し 客に満足して貰ったことが 俺の報酬だ。

いい仕事だった。修行の締めくくり 自分の門出を飾るに相応しい。

お前にも感謝しないとな。それに」

稔は立ち止まる。林田が振り返る。

「彼は上客になってくれそうだ そうだろう?」

「…ああ」

踝を返して新伍のところに戻った。

新伍は若い子と話していた。稔の姿を捉え

「僕はチャイにしましたよ?」と言った。

稔は「僕もそうしましょう」と頷いた。

椅子に座っていた新伍は片足を上げ、足首を動かす。

「どうですか」 改めて稔が問う。

「素足より快適な靴なんて想像できます?

最後に慣らした部屋履きよりヒールが低いせいもありますが

安定感が全然違います。そして軽い。信じられないほど。

羽が生えたみたいって月並みでしょうか」

「今の新伍さんを形容するには ぴったりだと思いますよ。

僕は早く 新伍さんの服を着て欲しい。

そのまま天まで舞い上がってしまうんじゃないかと

今から楽しみです。こんな仕事…」

と、言いかけて、先刻の林田の発言を思う。

ああ。こういうことなのだ。

経営上の計算なんて関係ない。

顧客を喜ばせること、それは当然のことなのだが、

こと、この新伍が相手となると、より真摯になってしまう。

「こんな仕事に巡り合えて 幸せだと思います」

新伍は爛漫に、微笑んだ。






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