複数の兄がいる男は
「今のところは 俺だけのようだな」
林田勉はそう言って、身体を離した。
稔は仰向けに返りながら煙草に手を伸ばす。
「終わってすぐ煙草を吸う男は嫌われるぞ」
「女に だろ」 稔は音を立てて火を点けた。
大きく吸い込む。
悪い一日ではなかった筈だ。収穫もあった。だが。
稔の中には苛立ちが燻っていた。その塊を煙草の煙に込めて吐き出す。
「よかっただろ」 林田が言う。
「ああ」
「なかなか よかっただろ」 林田が言う。
「ああ」 稔が応えると、林田は吹きだした。「何だ?」 稔は問う。
「なにがよかったって?」
「今日見せてもらった 原型……じゃないのか」
林田は腕に顔を埋めて肩を震わせていた。
「なんだよ」
林田はにやにや笑うだけで応えない。稔の苛立ちに拍車をかける。
稔は乱暴に煙草を捩じ消すと「帰る」と身体を起こした。
「待てよ」 林田はその腕を掴み、稔をベッドに引き倒す。
「用は済んだ」
「まだだ」
「朝まで付き合うとは言ってない」
「待てって」 林田は稔のふくらはぎに指を滑らせた。
筋肉の弾力を確かめながら、踝へと降りていく。
稔の抵抗が弱くなった。指先から伝わる林田の意図を悟ったのだ。
力を抜いて脚を林田に委ねた。
体勢を整えて林田はゆったりと稔の足首を撫で擦り始めた。
当人も気づかぬほどの強張りをほぐした後、踵を掌で包み込む。
指の腹で微かに押すと、稔の口から息が洩れた。
「気持ち いいだろ」
「踵なんて 骨しかないと思っていた」
足の裏、指の付け根、林田の指が移動するたび、稔は新しい発見をする。
片方の脚だけ施術し終わると「一度立ってみろ」と言った。
素直に従い、床に足をつける。言われる前に足踏みをする。
足首の柔らかさと脚全体の軽さに驚いた。
たかが数分、マッサージを受けただけだ。
「もう一方は自分でやるんだ。やり方を覚えて帰れ。
ヒールは履けばいいというもんじゃない。美しく歩けなければ意味がない。
慣れないと変なところに力を入れて 無駄に身体を疲れさせる。
結果 背中に来て ますます美しくなくなってしまう。
足首や脚が柔軟であれば 硬さもとれるし 疲れなくなる。
舞うように歩く ってのは本来は疲れないものなんだ。
ウオーキングも仕込みたいが 店内だけなら それほどは歩かないだろう」
文字通り手取り足取り、林田は稔に教えた。稔も集中する。
効果を実感しただけに熱も入る。
羽が生えたようにという比喩を、新伍にも体感させてやりたい。
「やけに肩入れ するな」
手を稔の足に当てたまま顔を見せず、林田は言った。
「うん?」
「頭の半分 占めてるだろ。今回の仕事」
「……かも」
「理由は 『庸介さん』? それとも 新伍氏?」
稔は林田の指に触れていた手を引こうとする。
その手を、林田は素早く握る。
「そういうの なし だろ」 稔は言う。そういう関係じゃないだろう?
「なんだけどね」 林田は稔の指に指を絡ませながら顔を近づける。
触れ合う息を吸い込み、そのまま唇を重ねた。
小さく鳴らして離すと「庸介氏はね いいんだ。見込みなさげだから。
でも 新伍氏は 分からないから どうしたって気になるさ」と言った。
「妻帯者だ 話したよな?」
「男を 感じないんだ 彼からは」
「男っ気? 当たり前だろう 彼は……」
「そうじゃない。彼自身に 男性性 を感じない」
けれど。稔は反論しようとして、気づく。確かにそうだ。
最初から抵抗なく、どころか積極的に新伍を装わせようとしたのも、
思わず助手席側のドアに回り込んだのも。
彼に「男」を感じなかったからではないか。
違和感を覚えなかったのは、真菜穂の伴侶として紹介されたので、
彼が「男」であることが前提であったからか。
それが稔の目を曇らせ勘を鈍らせた。
「でも 結婚……」
「一緒にいるのが心地よい相手 という意味で選ぶ女性もいるかも知れない。
よほど蛋白か 或いは 逆に奔放過ぎて一人の男じゃ満足できないか
そういう女がいても不思議じゃない」
稔は首を振る。真菜穂はどちらにも当てはまらない気がした。
ただ、新伍のような男性の方が彼女には合うというのも分かる。
分かるが、それだけの理由で結婚を決めるには、真菜穂は若すぎる。
「兄さんがいると言っていたな」
「え?」 稔は自分のことかと思って訊き返した。
兄がいる。三人。次こそ女の子と挑んで生まれたのが、稔だ。
しかしそんな話を林田にしたか?
尤も、庸介にもしたようだから、無自覚に話題に乗せているのかも知れない。
「新伍氏 五人目の男の子。兄貴が四人の末っ子」
「……ああ」
新伍のことだった。そう。彼も上に何人も兄がいる。
三人でも重いのに四人も上にいるとなると相当かも知れない。
でも。「それが?」
林田は輝かせた目を、稔と合わせて、言った。
「兄が複数いる男はな ゲイになる確率が高いんだよ」
おつきあいありがとうございます。
入院のため暫し更新停止いたします。
入院期間は未定ですが おそらく年内の更新はないと思います。
少し早いですが
よいクリスマスをお過ごしください。
よいお年をお迎えください。
ご訪問頂き ありがとうございました。
また お会いできることを楽しみにしてます。