誰が為のユートピア
生産性のあるカップルって何なんだろうとニュースを見て引っ掛かってから、書いてみました。
2200年
少子高齢社会は深刻化し
いまや、人間社会継続にとって
人口増加は死活問題となった
当然、その負担は
妊娠、出産が可能な世代へとのしかかった
生産性が問われる
LGBTQであれ
ヘテロであれ
人口増加に直接的に貢献する
何らかの活動をしてさえいれば
人々は自由を享受出来るのだ
もちろん、
病気又は身体的な事情により
活動出来ない場合は
医師の診察と証明により
義務を免れる
無性愛者ですらも
人々は
結託して“恋愛”する
こうして
“恋をしないことが犯罪になる世界"となった
〚30代女性、趣味:たまにカメラ
顔写真:上下逆さま、東京タワーの画像〛
マッチングアプリでこの記載は
無性愛者や同性愛者による
“恋愛”対象募集の合図となった
「今週末、お会いしませんか?」
意を決して送った合図に
やっとDMがやってきた
Aは「っしゃ!」と
小さくガッツポーズをした
これが悲劇の幕開けになるとも知らずに
Aは無性愛者でバイセクシュアルだった
もちろん、人を好きになったことはあるし
交際経験もある
しかし
行為だけはどうしても出来なかった
どんなに大好きな人とも
どんなに憧れた人でも
するのには嫌悪感があり
どうしても吐き気を催すのだ
そうこうしているうちに
30代になってしまったAは
内心酷く焦っていた
『生殖活動に参加していない』として
役所から督促状が送付されてしまったからだ
両親からの電話もひっきりなしだ
ちなみに、両親はAの性的指向を知らない
両親と仲は悪くなかったが敢えて伝えなかったのは、
余計な心配は掛けたくない、と考えてのことだ
週末になり、待ち合わせ場所に向かった
先に到着していた相手はBと名乗った
Bはとても感じのいい人物であり
Aと身体的性別、性的指向が同じであった
話していくうちに、何より、この人とならば、互いの価値観を尊重出来る、と直感的に感じ、会話は弾んだ
それから
AとBは毎週末会うようになり
遂にパートナーとなることを決意した
パートナーになるには役所に届け出が必要だった。そうすることで公的扶助が受けられる。公的扶助には差がないが戸籍などの手続きが発生する分、結婚よりもパートナー制をとるカップルの方が今や大多数だった。
「次の週末、パートナー申請しよう」という言葉は紛れもないプロポーズだった。
パートナーとしての届けを役所にすると、もれなく、
『同性カップルによる生殖活動についての説明会』
の日程表が付いてきた
対面又はオンラインでの参加は必須である、と書かれていた
パートナーとなり、
新たな旅路を進むAとBは
曇った笑顔を向けあった
説明会に参加し
2人は長い時間かけて話し合った
どちらが“妊活”するのか
そして
Bがすることになった
それは2人が納得いくまで
話し合った結果だった
説明会場で紹介された
病院にて、
Bの“妊活”が始まった
病院で詳しい説明を受け
精子バンクからの提供をうけることや
Bの卵子の摘出、
受精卵着床のための手術など
道のりは険しかった
手術の日程が近づくにつれ、
Bは不安定になっていった
Bも同じように行為に嫌悪感を生じるため
心の中に様々な葛藤があったようだが、
何より、
〚望まれない子供を授かることによる葛藤〛
が大きかった
もちろん、子供が生まれてからの養親は
既に手配済みであった
しかし、
子供はどう思うのだろうか
養父母の元で何不自由なく幸せに暮らせるのだろうか
それとも
子供は我々の存在によって、自己の存在意義に苛まれるような人生を送るのだろうか
やり場の無い不安は次第に大きくなっていった
AはBの不安に出来る限り
精一杯寄り添い
サポートした
BもAの献身がありがたかった
それでも、Bの不安が無くなることは無かった
そして手術当日、
Aは目が覚め、
いつものように寝室からリビングへ向かった
すると
食卓の上に1枚の紙を残して
Bは消えてしまった
紙にはこれだけ記されていた
「どうか、私を許さないで下さい」と
Aは朦朧としながら
病院へ向かった
このまま手術を受けなければ
2人とも捕まってしまう
病院で担当医にBが去ったことを伝えた
すると、担当医はサラリと言った
「あなたが手術を受ければいい」
Aは手術を受けることになった
つめたい無機質な天井を見ながら、AはずっとBのことを考えていた
手術台はガバっと脚を大きく開く必要があった
知らない人に恥部を見られる恥ずかしさ、嫌悪感、言い様のない無力感、理不尽さ
ああ、Bはこんなに大変な思いをして
望まない子供を授かるために、
どんなに辛かったのだろう
せめて、手術が失敗すれば
Bのささやかな望みは叶うかもしれない
「手術は無事成功しました」と医師が告げた
こんなに心も身体もボロボロになって
一体何が無事だったというのだろうか
退院したAは決心していた。それは硬く冷たく、ある種の祝福と敬意が込められたものだった。それはAに芽生えた僅かな母性ともいえる。
まずは自宅に帰り、病院で埋め込まれたGPSのハッキングを行った。病院で使われるものは量産型マイクロチップなので、少しネットで調べれば掻い潜るのに必要な情報は容易く手に入った。
次に自宅から生活圏に滞在していた証拠となる、監視カメラ映像の生成に必要な生活パターン、歩行などのデータ取り込みを行った。
そして、防犯カメラに自分が写らなくなる磁場を出せる道具を購入した。
自分でも信じられない程の恐るべき集中力だった。
そして全ての用意が整い、ようやく遠くへ向かった
めったに行くことのない程遠くへ
その土地で、裏ルートで緊急用のピルを
手に入れられる産婦人科へと向かった。
複雑に入り組んだ裏路地にある、わずかな目印を頼りに進む。自然と握る手に力が入るも、身体は全快には程遠く、ままならない。
古ぼけた蛍光灯の僅かな灯り。
サッと後ろを何かが横切ったことを長い影が報せた。
「……………」
心臓が跳ね上がるような緊張感を覚えた。
Aが恐る恐る振り返ると、「にゃ~?」と黒猫が首をもたげ、のんきに毛繕いをはじめた。Aは息を緩める。
扉を開けるとそこはガレージのような、殺風景な部屋に事務机がぽつんと置かれ、机上にはモニター画面と小さい頃習った、昔ながらのミサイル発射用みたいな押しボタンが1つあった。(今は爆弾などと不特定多数を無差別で殺戮することは認められていないし、ナノマシンで殺したい人のみ殺害が可能なので非効率すぎてそうした武器は時代の遺物と化しているらしい)
躊躇なくAはボタンを押した。
モニターには、いかにも好青年といったような30代くらいの白衣を着た男が高そうなゲーミングチェアに座ってるのが写った。
「で、報酬のご用意は?」
黙ってAは用意したものを差し出した。
モニターのカメラ部分に近づけると、転送機能が作動し、モニター内の男の手にものが渡った。
男はものを確認するとカラカラと笑った。
「…………これはこれは。品物は引き出しの中に。」
Aは過度に集中力を維持した状態からようやく少し解放されて、それと同時にどっと押し寄せた疲れで重たい身体を、引き摺るようにして帰った。
誰にも見つかってはいけない。そのギリギリの緊張感で、どうにか家に帰った。
そして
「ごめんね、ごめんね」と呻くように呟きながらピルを服用した
Aだけしか居なくなった部屋で
Aの嗚咽だけが響き渡った
それからのAは
食欲も無くなり、眠れなくなった
眠れば手術のときの夢をみるのだ
眠れば、「何で私を殺したの」と
「どうせ殺すなら何故つくったの」と
責め立てるのだ
顔も知らぬ我が子が
廃人のようになったAは
毎日朦朧と過ごしていた
仕事は当然無断欠勤が続き、Aはクビになった
Aは1人静かに日が落ちるのを待ち
日が落ちれば、
ただ日が昇るのを待った
すると電話が掛かってきた
手術を受けた病院からだった
「検診がありますので、明日以降ご都合の良い日程でお越し下さい」
いつものように日が昇るのを待って
Aは数ヶ月ぶりに外に出た
日差しが眩しく、
知らぬ間に季節が変わっていたことに気づいた
ふらふら、と
人混みを散らしながら歩いた
そして
Aはバタリと倒れた
次に目が覚めたときは病院だった
手術を受けたところだ
「ポケットにはここの診察券しかなかったからここに運び込まれた」と説明を受けた
そして、担当医が現れた
「残念ですが、流産されています」
Aは力なく微笑った
それから数日、
Aは病院のベッドの上で過ごした
そして、数日たったある日、
見知らぬ人がドカドカと病室に踏み入れた
「お見舞いに上がりました、お身体の具合は如何でしょうか」
きちんとした身なりに、丁寧な物腰だか、
その言葉は酷く冷たい感じがした。
それからその人は
聞いてもいないのに
Aのところへ来た理由を話し出した
身体の状態と流産に不審な点があること
流産を伝えた際のAの反応が通常でないこと
それらを受けて担当医は通報をした
警察はAの手術後の足取りを追った
すると例の産婦人科に向かうAの姿を確認した
例の産婦人科は摘発された
顧客名簿にAの名前を確認した
これらのことから、
AとそのパートナーのBは
病気又は身体的な事情は無いにも拘わらず
生殖活動に協力していない容疑で
逮捕されることとなった、と
警察はAの体調回復を待ち
Aを連行した
Aは何の抵抗もせず、
あっさり罪を認めた
警察は行方不明のBを匿っていないか、Aを執拗に尋問した。
Aは懲役刑を受けた
刑務所で心安らかに過ごすA
「ああ、やっと楽になれる」
もう恋なんてしなくても
私は人間でいられる
この塀の中が
私にとってのユートピア
物語はここで終わる
だが差別は続くだろう
この物語が永遠に
フィクションであり続けることを祈る
生産性って、直接的にだけじゃなくて間接的に子育てに参加することも含むと、当然に考えられる、豊かな社会で在りたいものです。子育てって人それぞれ、育ってきた環境によって、自分には関わる資格がないと考えてしまう人や、貢献出来ていなくて社会に対して申し訳無いと考えてしまう人もいるけれど、そういう人が居て、子供にその姿を見せることで、子どもにとってもそう言う生き方が肯定される社会であると希望を持たせることが出来ると思っています。拙い文章ではありましたが、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。後学のため、感想など頂けると大変ありがたいです。




