6 彼からは絶対逃げられない(ベス視点)
ベス視点です。
(……いよいよだわ)
広い寝室でベッドに腰掛けた私は、やって来る「夫」を持っていた。
今から初夜だ。
覚悟はしている。
王女として生まれた私の義務だ。結婚相手の子を産むのは。
……そこに愛がなくても。
その相手が、まさか前世の弟とは思いもしなかったけれど。
本当に今でも前世の弟が私と同じように、この世界に転生していたとは信じられない。
そして……前世の姉弟だった時から私を女として見ていた事にも。
今生は姉弟ではない。
しかも、皇族や王族という責任ある立場に生まれてしまった。
「前世で姉弟だったから嫌だ」と訴えたところで、大半の人間には前世の記憶がないので一笑に付されるか、微妙な顔をされるかだろう。
何にしろ、今生の互いの肉体が他人である以上、誰もこの婚姻に反対などしない。微妙な関係の国同士の仲が改善されるのなら。
王族や皇族に生まれた以上、個人の感情など二の次なのだ。
イヴァンも私が彼を愛していなくても構わないと言った。
私が手に入ればいいと。
そのために、実の甥を唆して公衆の面前で私との婚約破棄までさせたのだ。
「逃げなかったな」
入室するなり開口一番、イヴァンはそう言った。
私が逃げると思っていたのか?
そんな無駄な事はしない。
「……あなたのような男からは、どうせ逃げられないもの」
あの人と同じ、唯一の人にしか価値を見出せない人間から逃げられるはずがない。
それに、前世の弟だろうと他の男だろうと私には同じなのだ。……あの人でないのなら。
「ああ勿論、やっと手に入れたんだ。逃がす訳ない。理解してくれて嬉しいよ」
イヴァンは私をベッドに押し倒した。
いくら今生が他人でも前世の弟と夫婦になるなど精神的な禁忌に触れるようで逃げ出したくなる体を引き留めているのは、王女としての義務感と――。
――あの人でないのなら前世の弟だろうと他の男だろうと誰だって同じだという諦念からだ。
そう思っていても相当強張っているだろう私の体をイヴァンは丁寧に根気よく解してくれた。
無理矢理押さえつけて体を好き勝手にしたあの時とは、まるで違う。
固い蕾が花開くようにイヴァンから与えられる甘く濃密な行為に私の体や心も開き始めていた。
高まる熱。
唇から零れ始める甘い吐息や嬌声。
(……この「声」、あの時のお母様と同じだわ)
まぎれもなく今自分が発している声のはずだのに――。
あの人と愛し合っていたお母様が零した声と同じに聞こえる。
ふと潤む瞳に漆黒の髪が映った。
あの人と同じ漆黒の髪――。
「愛している。ベス」
「私も愛しているわ」
私は彼の首に腕を回すと、その耳に囁いた。
「アーサー」
最初、何が起こったのか分からなかった。
イヴァンは私の両手首を摑むと強い力でベッドに押さえつけた。後で絶対痣になるだろう。
だが、そんな痛みなど頓着できないくらい至近で私を睨みつける彼の迫力に呑まれていた。
先程までの甘く濃密な雰囲気は完全に霧散していた。
「……確かに、俺は『俺を愛さなくても構わない』と言った」
あの人と同じ黒い瞳は怒りで、ぎらついていた。
「だからといって、他の男、まして、あの男の身代わりをするつもりは、これっぽっちもないんだよ」
イヴァンの言葉で愚かな私は自分が何をしてしまったのか、ようやく理解した。
私は、よりによってイヴァンをあの人だと思って抱かれていたのだ。
いくら外見特徴が似ていて人としての根本が同じでも、イヴァンは、お父様ではないのに。
それは、イヴァンにも、あの人にも、あまりにも失礼だ。
「ご、ごめ」
「謝るな」
私が口にしかけた謝罪の言葉をイヴァンは冷たく遮った。
「謝っても許す気はない」
……それは当然だ。
初夜で妻が夫以外の男の名を呼んだのだ。
政略結婚の愛のない夫婦だって、いい気分はしないだろう。
……ましてイヴァンは私を愛している。
姉弟だった前世から私を欲し、今生の甥を追い落としてまで私を手に入れたのだ。
私が自分を愛していないと分かっていても、他の男を愛していると分かっていても、これは到底許せないだろう。
私はイヴァンが私から離れていくだろうと思った。
そして、二度と私を抱く事もないと。
けれど、イヴァンは――。
次話は最終話です。
イヴァン視点に戻ります。