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3 あなた方の幸せを願う(アーニャ視点)

今回もアーニャ視点です。

 皇宮の外れで待っていた馬車に私が乗り込むと皇宮からだいぶ離れた森の中に向かった。


 馬車の中で用意されていた簡素なドレスに着替えた私は森の中で待っていた青年に手を取られて外に出た。私を降ろすと馬車は去って行った。


 青年は皇子の乳兄弟、ヴェネジクト・オストロウモフ伯爵令息だ。


 私と同じ帝国の貴族に多い金髪碧眼。ただ彼のほうが髪と瞳の色が濃い。端正な顔立ち。均整の取れた長身。柔和な雰囲気もあって学園内での女生徒の人気が高かった。


 ヴェネジクトの母、オストロウモフ伯爵夫人は皇子の乳母、令息であるヴェネジクトとその兄は皇子の乳兄弟だのに、オストロウモフ伯爵家は馬鹿な皇子を見限り有能な皇弟イヴァン様の派閥に入っている。


 けれど、皇子の乳母と乳兄弟がいるオストロウモフ伯爵家は表向きは皇子の派閥にいる。常に皇子の動向を見張りイヴァン様に伝えているのだ。


「お疲れ様。これが皇弟殿下から預かった報酬だ」


「え? 私を始末しないんですか?」


 ヴェネジクトが「報酬」が入っているのだろう重そうな革袋を差し出してきたので私は驚いた。


「は?」


 今度はヴェネジクトが驚いた顔になった。


 しばらく互いに顔を見合わせていたが、数秒後、ヴェネジクトが納得したように呟いた。


「……そうか。それだけの覚悟を持って皇弟殿下に協力していたんだな。君は」


 何を言っていいのか分からず、ただ黙ってヴェネジクトの端正な顔を見上げる私に何を思ったのか彼が頭を下げてきた。男尊女卑な帝国ではありえない事だ。


「……最初に、ちゃんと話すべきだったな。君の覚悟や不安を知ろうともせず、すまなかった」


「なぜ、あなたが私に謝るのでしょう?」


「皇弟殿下に君を仲間に引き入れるように進言したのは俺だ。……君がカナーエフ男爵(父親)に娼婦をさせられているのを知っていたから」


「そうですか」


 ヴェネジクトもイヴァン様のように私が「適任」だと思って進言したのだろう。それについて別段何とも思わない。貴族でなくても目的を達成するためなら何だろうと利用するのは当然だと思うからだ。


「……怒らないのか?」


 私の反応が意外だったのか、ヴェネジクトは首を傾げた。


「むしろ感謝していますわ。あの男を地獄に突き落としてくださって」


 結果、私が殺されても構わなかった。


 どうせ生きていてもクズな父親(あの男)に尊厳を踏みにじられる人生だったのだから。


「私を仲間に引き入れた事に罪悪感を抱いていたから、あの馬鹿共から助けてくださったのですね」


 愛する婚約者の気を引きたくて公衆の面前で婚約破棄し私を新たな婚約者にすると宣言をした馬鹿皇子だが、それでも王女様への愛故か露骨に誘惑してきた私の体を求めてくる事はしなかった。


 けれど、皇子の馬鹿な取り巻き達は私が娼婦をしているのを知って私を空き教室に連れ込み手込め(古い言い方ね)にしようとしたのだ。それを助けてくれたのがヴェネジクトだった。


 散々男達に弄ばれた体だ。今更あの馬鹿な令息達が加わったところで、どうという事はない。


 それでも助けてくれたのは素直に嬉しかった。どれだけ泣き叫んでも助けてくれる人などいなかったのだから。

 

 情欲を満たすための道具ではなく初めて人間扱いされたようで――。


「……罪悪感とかじゃない。そんな風に思えるなら、そもそも君をこんな事に巻き込みはしなかった」


 ヴェネジクトは苦渋に満ちた顔になった。


「君をクズな父親から助けるために、こんなやり方しかできなかった」


「ヴェネジクト様?」


「……君の父親が経営していた娼館に何度か客として通った」


 それで私が娼婦をしていた事を知ったのか。


 貴族の令息が娼館に通うのは珍しい事じゃない。娼館に来る客の中には顔を隠して来る者もいるし、他の娼婦の客になど興味はなかったのでヴェネジクトが私に気づいても私が彼に気づかなかったのは当然だ。


「娼館で君と父親が会話しているのを陰で何度か聞いた。それで君が男爵令嬢でありながら娼婦をさせられている事を知ったんだ。……君を助けたいと思った。だから、皇弟殿下が皇子を誘惑する女性を探しているのを知って君を推薦した」


「私に同情したのですか?」


 同情など何の役にも立たないとずっと思っていたけれど、それで彼が私を助けよう思い実際に行動もしてくれたのなら同情も悪くないと思える。


「……俺は自分の肉欲を満たすために娼館に通っていた人間だ。他の女性なら同情もせず見捨てていたよ」


「私だから?」


「父親に従順に従っているようでいて君の目の奥には『いつか一矢報いてやる』という決意が見えた。最初は、そんな君が気になった。学園で共に過ごすうちに君を好きになっていたんだ」


 ヴェネジクトの告白は思いがけないものだったので私は目を瞠った。


「全ての片が付いたら、こう言うつもりだった。『これから俺と一緒に生きてくれ』と。まさか君から『始末しないんですか?』と訊かれるとは思いもしなかった」


 ヴェネジクトは苦笑した後、真摯な顔になった。


「……まさか俺や他の皇弟殿下の部下が『始末』しなくても事が終わった後、自殺するつもりだったのか?」


「……『始末』される覚悟はしていました。けれど、生きていてもいいのなら――」


 あの男を地獄に突き落とせるのなら死ぬのは構わなかった。


 生家であるカナーエフ男爵家は取り潰され私が平民になるのは確定だ。娼婦をさせられていたとはいえ男爵令嬢として何不自由なく生きていたこれまでとは比べものにならないほど大変な生活が待っているだろう。


 それでも、人としての尊厳を踏みにじられずに生きられるのなら――。


「――私は生きたい」


「……君がそう言ってくれて、ほっとした」


 強い決意を込めて言った私に対しヴェネジクトは言葉通り、ほっとしたように微笑んだ。


「共に生きてくれとは言ったが君に何か求める事はしない。ただ俺が君とずっと一緒にいたいだけだから。言っては何だが、これから女性が一人で生きていくのは大変だろう?」


 (始末)されるのは確定だと思っていたから全てが終わった後の身の振り方など何も考えていなかった。


「カナーエフ男爵家は取り潰されるでしょう。イヴァン様に協力した功績で私の命は助かるでしょうが貴族ではなく平民になると思います。とても伯爵家の方と結婚はできません」


「家なら捨ててきた」


「は?」


 あっさりと、とんでもない事を告げるヴェネジクトとは対照的に私は間抜けな声を上げてしまった。


「ちゃんと家族と別れの挨拶をしてきたし、俺がいなくても優秀な兄が家を継ぐから問題ない」


「問題あるでしょう!? 家や家族を捨てて私なんかと生きるなんて馬鹿ですか!?」


 二人きりの静かな森の中、私の大声が響き渡った。


「……私は不特定多数の男と寝た女ですよ」


「君がそういう境遇だったのは君のせいじゃない。俺だって肉欲を満たすために娼館に通っていた」


「……私を助けてくださった事には感謝します。けれど、私には想う方がいるんです」


「知っている」


 ヴェネジクトの言葉が意外で私は再び目を瞠った。


「ずっと君を見てきたんだ。君が誰を想っているのか知っている」


「……知った上で『何も求めないから共に生きてくれ』などと言ったんですか? やはり、あなたは大馬鹿です」


「馬鹿でいいよ。それで君が、あのクズな父親から解放され俺と共に生きてくれるのなら」


「……あなたの仰る通り、女一人で生きていくのは大変です。他に好きな女性ができたら、あるいは私といるのが嫌になったのなら遠慮なく離れてくださって構いません。それまでは一緒にいてくださると助かります」


「それはありえないと思うけどね」


 ヴェネジクトはそう言うが人の気持ちは変わるものだ。


 その時は、そう思っていた私だがヴェネジクトの私への気持ちは変わらず、私も一緒にいるうちに彼を愛するようになったので二年後彼と結婚し息子を産んだ。





 男爵令嬢として何不自由ない、けれど人としての尊厳を踏みにじられていたあの頃とは真逆なささやかだが幸福な日々を送る私は時々ふと思うのだ。


(イヴァン様、貴方は幸せですか?)


 愛する女性を手に入れるために、公衆の面前で甥が婚約破棄をするように仕組んだ貴方。


 愛する女性の心が手に入らなくても幸せですか?


 幸せは人それぞれだ。まして、イヴァン様は普通とは違う。


 愛する女性の心が得られなくても名実共に夫婦になれたのなら満足なのかもしれない。


()()()()のお陰で今の私の幸せがある)


 ヴェネジクトに聞いたのだ。聡明な王女様は私がイヴァン様の命で馬鹿皇子を誘惑し公衆の面前で婚約破棄させた事に気づいていたのだと。


 馬鹿な皇子と結婚せずに済んだ事を喜んだ王女様は、私に感謝しイヴァン様に私の処遇について「寛大な処罰」を言ってくれたから今も私の命があるのだ。


 ヴェネジクトが事が終わった後も私を生かしてくれるようにイヴァン様に懇願したからではない。自分の部下の頼みなど聞くような方ではないのだ。


 イヴァン様にとって唯一絶対の女性が、王女様が、私の身を案じてくれたからだ。


 だから、初めて恋したイヴァン様だけでなく、王女様、貴女も幸せであってほしい。


 祖国から離れた遠い地で愛する夫と息子と共にいる私は願い続ける。


 あなた方の幸せを――。




 





 

次話は馬鹿皇子視点です。

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