最高のさよならをどうぞ。
ゆるっとした異世界転生ものです
「エレノア・ダッカ-ト公爵令嬢! 醜い嫉妬によりここにいるアリスをいじめたお前は、聖女としても私の婚約者としてふさわしくない! よって今ここに、私レオン・アルカードとの婚約を破棄することを宣言する!」
「…え、」
えぇ~、ここでいう?
年初に開かれた王宮での夜会の最中突如そうのたまったのは、レオン・アルカード第二王子殿下。
金髪碧眼といういかにも王子様、といった容貌の、私の婚約者である。
その隣に控えている美少女は、多分アリス・ルージア男爵令嬢だろう。
ピンクブラウンの髪を結いあげ、エメラルドグリーンのぱっちりとした瞳が私をじっと見つめている。
しーんと静まり返った会場に、私たちに向けられる好奇の視線。
目立つことは好きじゃないのに、勘弁してほしい。
というか、公衆の面前での婚約破棄なんて小説の中だけかと思ってたんだけどなぁ。
私は突如として始まったこの騒動に、重苦しいため息をついた。
実は私には、前世の記憶がある。
そして前世の私はweb小説が大好きで、特に異世界転生ものなんてもうほぼ毎日読んでいたものだ。
だから、自分が異世界に転生したと気づいたときは喜びとかよりも驚きの方が強かった。
いやだって、本当にあるとは思わないじゃん。異世界転生して貴族に生まれて、しかも聖女に認定されるとか。
聖女というのは、稀少な光属性の使い手のこと。
光属性、というのは魔法があふれるこの世界でも珍しい属性で、その属性を持つものは魔物をはじく結界魔法や治癒魔法を使うことができる。
聖女、というのは光属性を持つものの代表のことで、国王によって任命される。
魔物から国を守る結界を張り人々を守る、いわば象徴的存在。
私は4年前、13歳の時にこの聖女に任命され、同時に同い年のレオン様の婚約者となった。
そのときからなんだか嫌な予感はしていたんだよなぁ。
聖女であり、かつ王子の婚約者である貴族令嬢。
前世で読んだweb小説であれば絶対断罪される立場じゃない?これ。
なんとか殿下との仲を深めようとはしたけど、甘やかされて育ったレオン様は我が道を行く俺様野郎だし。
去年からは私たちが通う学園で、レオン様と男爵令嬢が親しくしている、なんて噂が流れだすし。
レオン様と彼女が2人で会っている場面は、私も何度か目撃した。
2人は明らかに恋仲で、もしかしたら破棄もありうるかも、とは思っていたけども。
まさか本当にこんな場所で宣言されるとは思わなかったなぁ。
そもそも婚約は国と我が公爵家とで結ばれた契約。そう簡単に破棄できるはずがない。
そのうえ聖女の解任なんて、どう考えても一王子がもつ権限を越えている。
聖女の任命権は国王だけがもつ絶対的なものだもの。当然聖女を解任するにも陛下の許可がいるはずだ。
もし本当に陛下が婚約破棄や聖女の解任を認めたとしたなら、事前に我が家になんらかの通達があるはずだけど、特に何の通達もなかった。
とすると、陛下はこの騒動をご存じないんじゃないだろうか。
さすがに一国の王がこんな一方的で理不尽なこと、許しはしないでしょう。
それはレオン様もわかっていると思うんだけどな~。この人、性格はくそだけど頭はいいのに。
「…どういうことでしょうか、レオン様」
私は冷静にそう尋ねた。
アリスの方にもちらり、と目を向けると。彼女はおびえたように目を伏せ、レオン様の腕をぎゅ、と掴む。
はい、あざとい~~~~~~~~~~~~! 絶対友達になれなさそう。なりたくもないけど。
「とぼけるな! お前がこのアリスに様々な嫌がらせをしたことはわかっている! 大方アリスが怖かったんだろう?」
「はぁ」
「アリスは可愛らしいうえに、光属性の適正もあるからな! 自身の地位が脅かされるとでも思ったのだろう。アリスは素晴らしいからな!」
「そんな…恥ずかしいです、レオン様」
アリスが恥ずかしそうにそう言った。
え、今の照れるとこ?思いっきり私をけなしておいて?
嫌悪感が顔に出そうになるけど、我慢。一応淑女だしね、私も。
「…私は何もしていませんし、アリスさんを怖いと思ったこともありませんわ。優秀な光の適性者が増えることはむしろ喜ばしいことですし」
「口ではどうとでもいえるからな。まったく、面の皮が厚いことだ」
ふん、と鼻息荒くまくし立てるレオン様。
何を言っても聞く耳を持たなさそうである。こんなのが王子でこの国は大丈夫なのかな。
ぐちぐちと私への文句を言い続けるレオン様を眺めていると、
「もうよい、レオン。あまり長引かせるな」
「父上!」
「よい、皆の者。楽にせよ」
私たちの周りを囲む人混みを割るようにして、レオン様の後ろから国王陛下が姿を現した。
慌てて最上級の礼を取り、陛下のお言葉をうけて顔を上げる。
陛下は真っ白な長く伸ばしたひげをなでながら、じっと私を見つめていた。
その冷たい眼光に冷汗が流れる。
まさか。
「…ダッカート公爵が娘、エレノアよ」
「はい、陛下」
「レオンからそなたの罪の証拠は受け取っている。婚約破棄も聖女の解任も、私が許可した「…そんな、陛下! 私は何もやっていません!」
「私が間違っていると? 聖女聖女とおだてられ、道理を見失ったか。愚かな」
陛下が吐き捨てるようにそういうと、レオン様は得意げにまた私の悪口を並べ立て始めた。
国王陛下のことばを受けて、初めは好奇のものだった周囲の視線が冷たいものになっていくのを感じる。
聞こえてくるささやき声も、私や私の家を馬鹿にするものばかり。
どうして陛下が。いやがらせの証拠なんてあるはずがないのに。
ざわめきが大きくなっていく会場。
責め立てるようなその声に頭が真っ白になっていく。
足の力が抜けて、ぺたんと座りこんでしまった。
大理石の床がやけに冷たい。
陛下がごほん、と咳ばらいをすると、周囲は一瞬で静まり返った。
「これは決定事項だ、エレノア嬢。そして、アリス・ルージア嬢。前へ」
「はい、国王陛下」
アリス様が陛下に名前を呼ばれると、レオン様が微笑みながらそっとその背中を押した。
それに励まされるようににっこりと笑い返した彼女は、しずしずと国王陛下の前に進み出る。
「ここにいる、アリス・ルージア男爵令嬢を、次代聖女とし、また我が息子レオンの婚約者とする! みな、祝福の拍手を!」
会場全体に響く陛下の声に、貴族たちは歓声と盛大な拍手で答えた。
優雅なカーテシーをしてみせたアリス様は、自分に向けられるそれらに嬉しそうに微笑んでいる。
我先にと貴族の子息や令嬢たちが彼女に駆け寄り、寄り添うレオン様とアリス様を囲んだ。
おめでとうございますという彼女たちを祝福する声が聞こえてくる。
2人を囲む円の外側で座り込む私の両隣にいつの間にか現れた騎士二人が、そっと私を立ち上がらせた。
よろよろと何とか立ち上がった私に、騎士たちは会場の外に出るよう促してくる。
どうやら私はとりあえず実家で謹慎処分、という扱いになるらしい。
馬車は用意しております、と少し憐みのこもった目で騎士は淡々と告げた。
ぎゅ、と唇をかみ、泣きそうになるのを必死にこらえた。
なんで、こんなことに。私はなにもやっていないのに。
「…ふん」
ふと聞こえた声に、顔を上げる。
声の主は陛下だったようで、彼は忌々し気に私をにらみつけ、
「…親子ともども、身の程を知らぬからだ」
「…な、」
「連れていけ。正式な処罰は追って伝える」
そういうと、陛下は私に背を向けた。
去っていく陛下に、貴族たちが群がっていく。
彼らは一様に陛下に見放された私に目を向け、あざ笑った。
かぁ、と頭に血が上り、握り締めたこぶしが震える。
やりたくもない王妃教育に、休みのない聖女としての修行。
自由な時間なんてほとんどなくて、それでもと、投げ出すわけにはいかないと、今まで頑張ってきたのに。
許せない、と思った。今この場にいる全員が。レオン様達を称えるすべての声が。
「…ダッカート様。馬車へ」
「…わかりました」
再度促してきた騎士たちの言葉にうなずき、私は人々が笑いあう会場を後にする。
許せない、という自分の声がずっと頭の中に響いていた。
「私が目障りだったんだろうね」
「お父様、そんなあっさりと…」
「こんなこと隠したって仕方がないじゃないか。実の娘に」
そういって優雅に紅茶を飲むのは、ヴァン・ダッカート公爵。私の今世の父親だ。
あの夜会から二日後。私とお父様は、領地での謹慎を命じられていた。
国王の発言からして、おそらくお父様に謹慎させることが一番の目的だったのだろう。
私に罪を着せることで、その責任を負わせその勢力をそぐ。
あの夜会で起こったこと、国王の言葉をすべてお父様に伝えると、あっさりと肯定し、
「いや~、無能なんだもん、陛下。見ていてイライラしてしまってね。ついいろいろと口出していたら、やっかまれてしまったみたいだ」
「…はっきり言いますね」
「事実だからね。なけなしの忠誠心も、今回の件で失ったし」
「それでは…」
「あぁ、国を出ようかと思っている。アリアナが隣国で始めた商会も順調なようだし。貴族ではなくなるけど、それもまた一興。今ぐらい稼いでみせるよ」
そういってお父様は愉しげに笑った。
アリアナとは私のお母様のこと。
もともと大きな商家の娘だったお母様は、偶然出会ったお父様の熱烈なアプローチにまけ、結婚した。
そうして公爵夫人となったお母様だけど、商売をしたいという気持ちは捨てきれなかったらしい。
自国だと身分もあってやりにくい、と隣国に旅立ち、商会を立ち上げた。
今ではその商会の名はこの国でもよく知られているほど大きくなっている。随分アグレッシブなお母様だと娘の私も思う。
「それに、私たちが今国を出れば困るのはあちら側だ。エレノアにとっても、いい復讐になるだろう?」
にこやかにお父様はそう告げる。笑っていない目に背筋が冷えた。
私にはあの夜会のあと、正式にレオン様との婚約を破棄し、聖女を解任するという書状が届いた。
それと一緒に命じられたのが、しばらくの間の謹慎処分と、聖女の仕事の継続。
学園への通学や社交は禁じるが、仕事だけはきっちりしろ、ということだ。
いまだ未熟なアリス様の光属性の力が成熟するまでは私を使うつもりらしい。
とことん私を利用する気しかないその命令を聞いたときは、怒りというよりも呆れの感情が先に来た。
本当に彼らは私を道具としてしか見ていなかったのだ。今までも、そしてこれからも。
とはいえ、彼らが私の力を必要としているのは事実。
だからいま私がこの国を出れば、彼らはきっと困るだろう。
大切な「聖女」がいなくなって、慌てふためく彼らを見てみたい、という気持ちがないわけではないし、むしろめちゃくちゃ見たい。
けれども。
「…いつごろ出立する予定で?」
「私としてはこの国に未練はないから、一刻もはやくアリアナのところに行きたいところだけど。どうかした?」
「少し調べたいというか、やってみたいことがあるのです。何も見通しは立っていませんが」
「…珍しいね、エレノアが私にわがままをいうなんて」
「…そうでしょうか?」
「あぁ。君ときたら物分かりが良すぎて、親としては少し物足りないとアリアナとも話していたくらいだよ」
まぁ、前世から数えたら目の前にいる父と同じくらいの年齢なのだ。
わがままをいうのも気が引けたし、まぁいいか、と流してしまうことも考えてみると多かったのかもしれない。
優しく微笑んだお父様は、
「いいよ、少し待ってあげる。しばらくしてもどうにもならなさそうだったら出立してしまうけど、いいね?」
「もちろん。ありがとうございます、お父様」
そう言って小さく笑う。久しぶりに笑えた気がする。
夜会の日から二日。こうしてお父様がゆっくりと時間が取れるまで、私はずっと部屋に引きこもり、ほとんど誰とも会話をしていなかったから。
お父様は優しげに、にっこりと笑い返してくれた。
「…で。俺に何をしてほしいと?お嬢様」
「挨拶もなしに随分ね、アラン」
「その言葉そっくりそのままお返ししますよ、急にこんなところまで来て。あんたが聖女じゃなくなったって知ったのも、昨日の式典だったんですからね、俺は」
はぁ、とため息をつきながらそういうのは、アラン・スルべニア。
私の学園での唯一の友人である。
お父様と話してから二日後、私は王都にあるアランの研究室を訪れていた。
アランは貧しい男爵家の三男だ。しかも妾の子。
学園は高額な学費がかかるため、あまり裕福ではない家は次期当主候補しか通わせないことも多い。
つまりアランは、普通であれば到底学園に通わせてもらえないような立場なのだ。
それなのに彼が学園に通わせてもらっているのは、彼が魔法具発明の天才だから。
学園在学中にもいくつかの魔法具を開発し、国から彼個人の研究所が支給されているほどなのである。
息抜きにと訪れていた学園の図書館で何度か会う様になり、そこから親しくなったが、こうして顔を見合わせて話すのは久しぶりだった。
貴族らしくない簡素な服の上に白衣を着ている彼は、一見するとただの平民のようだ。
しかし後ろで一つにくくられた真っ黒な髪はつやつやと輝いているし、切れ長の濃いオレンジ色をした瞳は意志の強さと知的な雰囲気を漂わせている。
うん、今日も顔がいい。
成績もよかった彼は、じつは学園にもファンが多かった。
「…なんですか、人の顔をじろじろみて」
「あぁ、ごめんなさい。久しぶりだと思って」
「まぁ、それは…。学園が休暇に入る前ですもんね。最後に会ったの」
「…そういえば貴方、あの夜会にいなかったわね? 招待状は来ていたでしょう?」
夜会にいれば、多分気づいたはずだ。
人は多かったけれど、アランの黒髪はめずらしいし、その実績は貴族の間でも噂になっている。
いれば確実に目立つ。それなのにあの日、アランは見当たらなかった。
小さく首をかしげると、アランは少し顔をしかめて、
「…まぁ、見たくないものがあったんで」
「見たくないもの?」
「…そんなことより、用件ですよ。謹慎中じゃなかったんですか?」
「そうよ? だからこっそり抜け出してきたの。お父様が協力してくれたから、そんなに難しいことじゃなかったわ」
いいながら、アランが用意してくれた紅茶をすする。
ほのかに柑橘系のかおりがするそれは、なんだか安心する味だった。
肩に入っていた力が抜けて、ほぅ、とため息をつく。
一応謹慎処分、ということで王家からは見張りの騎士が我が家に差し向けられていた。
勝手な外出をしないように、とのことらしいが、お父様や家の使用人たちが協力してくれたおかげで特に苦労もなく抜け出すことができた。
とはいえ、屋敷を出るのはあの夜会以降初めてだったから、ちょっと緊張はしたけど。
無事ここにたどりつくことができて、正直ほっとしたのは秘密だ。
アランは胡乱げに、
「公爵様が…?」
「えぇ。貴方にお願いしたいことがあるのよ」
「俺に?」
「えぇ。光属性の魔力を蓄えられるような魔道具がほしいの」
「…それはまた、急ですねぇ」
アランはちょっと困ったように眉を寄せた。
彼は以前、魔力を貯蓄できる魔道具の開発に成功している。
それはそれぞれ蓄えることのできる魔力の属性があらかじめ決まっているらしく、
光属性の魔力を蓄えるものはまだないという話だった。
だから今日は、それを作ってもらいたいと頼みに来たのだ。
「…他の属性のものはすべて開発済みと聞いたから、光属性も、と思ったのだけど。難しいのかしら?」
「…光の魔力は少し特殊ですし、なによりその保持者が少ないですしね。それも皆さん常に結界の維持に駆り出されていますから、研究が進まなくて」
「なるほど」
悔しげにそういうアランにうなずく。
光属性の保持者は、実は忙しいのだ。
この国を囲う結界は強固だが、ほころびが生まれないわけではない。
だから日々結界の点検と補強をするために、国中を飛び回っている。
貴重な転移魔法の陣を国が無償で使わせてくれるから移動の手間はそこまでないけど、やっぱり疲れるもの。
私も聖女だったとき、他の光属性の人たちと一緒に色んなところにいって結界の補強をしていた。
ほとんど休みもなく毎日みんな疲れた顔をしていたけど、それでもやめられないのは国の命令だから。
王国を守るために、なんて国から命じられたら逆らえないよね。
夜会の日からみんなにも会えていないけど、元気だろうか。
「光属性の研究をしたい、ということなら、私が協力するわ。そうすればできるかしら?」
「エレノア様が? それはでも、やってみないとなんとも…。というか、どうして急にそんな魔道具欲しがるんです?」
「後腐れなくこの国を出たいからよ」
「…え、国を? 出るんですか!??」
「…えぇ、そうだけど。そんなに驚くことかしら」
目を見開いて静かにそう問いただしてくるアラン。
机をはさんで身を乗り出してくるから、驚いて少しのけぞってしまった。
ちょっと引き気味に私が答えると、アランは失礼しました、と咳ばらいをして、座りなおした。
「…やっぱり、王子とアリスさんを見るのがつらいとか、そういう理由ですか?」
苦し気な顔で、アランはそう尋ねてくる。
そんなに気にしなくていいのになぁ。優しい人だ。
心配してくれるアランがうれしくて、顔がほころぶ。
「いいえ、全然? お二人で勝手にしていればいいと思うわ。そもそもレオン様のこと好きだったわけでもないし」
「そうなんですか?」
「もちろんよ。学園でも私とレオン様が一緒にいたことなんてほとんどないこと、貴方も知っているでしょう?」
「それはそうですけど。じゃあやっぱりいやがらせをしてたっていうのも嘘なんですね?」
「当然よ。する理由もないもの」
「やぁ~そうだとは思ったんですけどね。学園にいるときのエレノア様、王妃教育と聖女の仕事でそれどころじゃなさそうでしたし」
アランは嬉しそうに笑いながら、
「…もし嫌がらせが本当だったら、俺が知らない間にそんなに思い詰めてたのかなぁとか、心配だったんですよ」
「…私が嫌がらせなんてすると思う?」
「いいえ~。落ち着いて考えてみるとそうですね。エレノア様ならそんなことする前にちゃんと本人に直接言いそうですもんね」
俺も混乱してたんですかね、と言って、アランはからからと笑った。
その笑顔にどこか、励まされる。
こんな風に信じてくれる人もいるんだよね、ちゃんと。
「じゃあ、なんで国を? 王に命じられたわけでもないんでしょう?」
「お父様の意向よ。もうこの国にも、貴族位にも未練はないって。隣国のお母様のところに行くつもりなの」
「あぁ、アリアナ様の商会ですか! 最近急成長してますもんね」
「そうなの。だから国を出る前に、魔道具を開発してほしいのよ」
「それがちょっとわからないんですが…。国を出るなら光属性の魔力を蓄える必要なんて、エレノア様にはないんじゃないんですか?」
そういって首をかしげるアランに、
「だって今私がこの国を出たら、いつ結界が消えるかわからないもの」
「…そうなんですか?」
「えぇ。今は光属性のみんなが頑張ってくれているみたいだけどね。これでも聖女だったのよ? 私がいてギリギリだったのに、私が消えればいつかは破綻するでしょうね」
「そのために魔道具を?」
「えぇ。結界をおろそかにするわけにはいかないもの」
結界を修復するのに複雑な手順は必要ない。
ほろびている部分に光属性の魔力を流し込めばいいだけ。
だからもし光属性の魔力を蓄えておける魔道具があれば、今のように大人数で修復に向かうのではなく、一人がその魔道具をもって修復に向かえばいいだけになる。
そうなればきっと、私がいなくても結界が破られるということはなくなるだろうし、みんなの負担も減るだろう。
「…随分優しいんですね、エレノア様」
「…そうかしら?」
「だって、この国は、王家は、貴方を裏切ったんですよ? 式典だって、アリスさんへの祝福であふれてた。元聖女である貴方のことなんて、だれも気にも留めないままで」
そう言って悔しげに顔をしかめるアランに、私はそっと目を伏せた。
式典とは、昨日行われたもののこと。
アリス様が新たに聖女となること、レオン様の婚約者となることが大々的に発表された。
私は見に行ってはいないけれど、着飾った二人は王家所有の豪華な馬車にのり、パレードを行ったらしい。
魔法で造られた花弁が舞い散る、素晴らしいものだったと聞く。
私に関することは特に何も触れられず、住民たちはアリス様達のことを疑いもなく受け入れた。
そのことに、何も思わなかったと言えばうそになる。
王都の住人の中には、私が命を救った人たちもいるからね。
光属性の保持者の仕事には治癒魔法を使った病人の治癒も含められていて、私も何度か重病人の治癒を行った。
それだけじゃない。私が今までしてきた結界の修復も、元をたどればこの国の民のため。
彼らは私が聖女だったと知っているはず。私がしてきたことを知っているはずなのに。
あっさりとアリス様を受け入れるなんて、と、思うこともあるけれど。
「…仕方ないとも思うのよね」
ぽつりと呟く。
訝しげに首を傾げるアランに小さく笑って、
「救ってくれるならだれでもいい。その気持ちはわからなくもないじゃない? そもそもそこまで関りのない私のことを、国よりも信じろという方が無理な話でしょう」
「それは、そうかもしれませんが…」
「でしょう? だから別に気にしていないわ」
「…でも、結界のことを気に掛けるのは、彼らを守るためでしょう? エレノア様がそこまでする必要はないじゃないですか」
「…随分私の肩を持ってくれるのね」
「…これでも俺、怒ってますからね。王家の連中にも貴族にも、貴方の功績を見ない国民にも」
式典だってむかついてしょうがなかったです、とアランは口を尖らせた。
その顔はほんのりと赤くて、私もつられそうだ。
照れくさくて、でもやっぱりうれしくて。
「…ふふ」
「なんですか。笑うことないじゃないですか」
「いえ、優しいのね。見直したわ」
「…俺はずっと優しいですけど~?」
「そうだったかしら?」
「あ、ひどい。俺がエレノア様の課題を手伝ってあげたこと忘れました?」
「ちゃんと覚えてるわよ」
「ほんとですかね」
「えぇ、もちろん」
「…それならにやにやするのやめてもらえません? いい加減恥ずかしいんですけど」
「あら、ごめんなさい」
いいながら、緩んでしまう口元に手を当てた。
アランは頬杖をついてじっとりと私をにらんでいる。
その様子にまた笑ってしまいそうになるけど、我慢しなきゃよね。
落ち着こうと、だいぶ冷えてしまった紅茶を一口飲んで、
「…貴方と友達でよかったわ」
「えぇ~急に? うれしいですけど。ちょっと複雑というか」
「なに?」
「いえ、何でもないです。ありがとうございます」
もごもごと呟くように言われた最後の部分が聞き取れず聞き返すと、アランは難しい顔でお礼を言ってきた。
耳が悪くて申し訳ない。まぁいいか。
「別に、彼らを守るためだけじゃないわ。これはね、私なりの復讐でもあるの」
「復讐、ですか? 魔道具をつくるのが?」
「そうよ。それに、私の為でもあるの」
考えたのだ。あの夜会が終わった後。
あの夜会にいた、私をあざ笑った貴族たち。
私の今までの王妃教育のための時間や、聖女としての功績全部をあっさりと切り捨てたレオン様や、レオン様に取り入ったアリス様。
お父様が邪魔だからという理由で、冤罪をかぶせてきた国王陛下。
全員に許せないと思った。復讐してやりたい、とも。
だから夜会から帰ったその日は、すぐにでもこの国を出るつもりだったのだ。
そうすればいずれ結界は崩壊し、魔物が国を襲うとわかっていたから。
そうして私を、私とお父様を切り捨てたことを後悔すればいいと本気で思っていた。
けれども、一晩経つと頭も冷えるもので。
もし結界が破れ、魔物が溢れたら彼らは困るだろう。
もしかしたら魔物に襲われて、命を落とす人だっているかもしれない。
でもきっとその前に、多くの国民が命を落とす。
そうなれば国民たちはきっと不満を抱くことだろう。
自分たちを守ってくれない王家に、貴族たちに。
そしてもしかしたら、結界が破れた原因となる、私にも。
「…私が隣国に行って、結界が崩壊して。その不満が私にきたら? 彼らは許さないでしょうね、自分たちをあっさり見殺しにする聖女を。私を差し出せと隣国に圧力がかかるかもしれない。もしそうなったら、のんきに暮らすことなんてできないわ。そんなのごめんよ」
吐き出すようにそう言う。
前世で何度も読んだ、悪役令嬢の逆転劇。
中には見ず知らずの人の犠牲も顧みず、自分の復讐をとげるものもあった。
それはそれで格好いいと思うのだけど、自分ができるかと言われると話は別なわけで。
私には、多くの人に恨まれる度胸も勇気もなかった。
そこまで強く国民たちを恨めなかったしね。憎い憎いと思うのも疲れるし。
彼らはほとんど何も知らないまま、王家に従っているだけなのだ。
それを罪と呼ぶのはちょっと理不尽だと思わない?
アランはしかし、あまり納得をしていないようで、
「…でも、その原因もレオン様たち王家でしょう?」
「国民にそれが伝わっていればいいけど、そうじゃない可能性だってあるじゃない。ただ私がいなくなったことが原因、ということだけが伝われば、すべての不満が私にくることだってあるのよ」
それにね、と、私は笑いながら続ける。
「その魔道具ができて一番困るのは、アリス様だもの」
「…へぇ、あの人が?」
「だってそうでしょう?もしその魔道具ができれば、光属性の人たちの大半は結界の維持に関わる必要がなくなる。彼らはみんな治癒魔法が使えるから、きっとそれをメインに仕事をしていくことになるでしょうね」
「まぁ、それはそうかもしれませんね」
同意してくれたアランに、うなずいて見せる。
多分、光属性のみんなは喜んでくれると思うのよね。
激務でしかない結界の維持作業に不満を持っている人は多かったから。お給料は高いけど、それを使うための時間がそもそもないんだもの。
人の治癒をした方がやりがいもあるのに、と言っている人も何人もいた。
かといって、結界の修復や点検をする人はいくらか必要だし、魔道具にも魔力を込める必要があるから、全員が治癒に回る、というのは難しいかもしれないけれど。
そのあたりは希望者を募るなり、やりようはいくらでもあるはず。
とにかく魔道具があれば、結界の維持ばかりに追われている彼らに、選択肢を与えることができるのだ。
「…もしかして、それが狙いですか? 結界の維持への聖女の必要性をなくすこと…?」
「さすがに、察しがいいわね」
そういって、私は微笑んだ。
この考えを思いついたのは、夜会の次の日。
アリス様が結界維持のための訓練をはじめた、という噂を使用人から聞いたときだった。
アリス様が光属性の保持者だとわかったのは、一年ほど前のこと。
そこから彼女が光属性の訓練を始めていればわからなかったけど、彼女はレオン様たちと仲を深めることに忙しく、ろくに訓練もしていない。
光属性のものにとって、その修復の為に結界に魔力を流し込むのは基礎中の基礎。
ぶっちゃけ魔力操作がある程度できればできるはずのものなのに、彼女はそれすらいまだできないのだ。
ならばその前に、彼女が魔力操作を習得する前に。結界の修復に聖女が不必要になってしまえば?
「…もし魔道具があれば、結界の修復しかできない彼女に価値はなくなる。折角アリスさんが魔力操作できるようになっても、なんの意味もないってことですか…」
「治癒魔法の習得には魔力操作の習得より何倍もの時間がかかるわ。すでに治癒魔法が使えるほかの光属性の人たちは困らないでしょうけど、彼女は…彼女たちは、どうするのかしらね?」
自然と口角が上がるのを感じる。
アリス様が今レオン様と婚約できているのは、彼女が聖女であることが大きい。
彼女の魔力量は私と並ぶほどだから、確かに彼女は聖女になるための才能はあるのだろう。
でももし彼女が、役に立たない聖女だったら?
彼女を婚約者から引きずり降ろそうとする人も現れるだろうし、そんな彼女を婚約者にし続けるレオン様にも非難は向かうだろう。
そんな中、彼らは私を切り捨ててまで掴んだ愛を貫くことができるのかな。
無能者と謗られながら。他の貴族たちに背を向けて。
もし貫けたなら、それは確かに愛なんだろうね。その時は心からの祝福を贈ってあげる。
陛下に関しては直接的な被害はないかもしれないけれど、まぁ屈辱ではあるだろう。
身の程をしれ、といった小娘に息子たちがしっぺ返しを食らうんだもの。
それに、お父様が何もしないままひくとは思えないし。陛下に対しても、その周りの貴族に対しても何かしらの報復をするはず。
楽しみね、と思ってしまう私はきっと、性格が悪いんだろうな。
「つまり、もしあなたが私の援助で魔道具を開発してくれれば、結界の崩壊を心配する必要もなくなるし、国民たちに非難される心配もない。その上至って平和的に彼女たちに復讐できるの。いい案でしょう?」
「…よく考えましたね、本当に。まぁそれも俺が開発できなければ、何もかも進まないわけですが」
「あら、その点は心配していないわ。貴方ならできるでしょう?『天才』アラン・スルべニア殿?」
挑むようにそういうと、アランはじ、と私を探るように見つめてくる。
そして、ふ、と小さく笑って、
「…そこまで期待されれば、失敗するわけには行きませんね。いいですよ、お引き受けします」
「本当!? ありがとうアラン!!!」
思わずアランの手を握ると、彼は仕方がないなぁとでもいう様に笑った。
そしてそっと私の手をほどきながら、
「俺もあの人たちに一回痛い目見せてやりたいですしねぇ。エレノア様の案、面白いと思います」
「貴方にそう言ってもらえるとすごくうれしいわ! それで、どのくらいかかるかしら?」
「造り自体はほかの属性のものと大差ないはずなんですけど、最初に言った通り、光属性は特殊なんで…三か月もあれば、なんとか」
「三か月でできるのなら十分よ。本当にありがとう、アラン」
「いえいえ。エレノア様にも協力してもらうことになると思うんですけど、大丈夫ですか?」
「もちろん。何をすればいいかしら?」
「そうですねぇ…とりあえず二日に一度くらい、ここに来てもらうことってできますか? 光属性の分析とか、いろいろしたいので」
「そのくらいなら構わないわ。資金もお父様が出してくれるそうだから、必要であれば言ってちょうだいね」
「了解です。…いやぁ、なかなかわくわくしてきました」
ぎゃふんと言わせてやりましょうね、なんて言って、アランは楽しそうに笑う。
頼もしい味方ができた。
アランならきっと、やり遂げてくれるだろう。
私はにっこりと笑って、
「そうね。頼りにしてるわよ、アラン」
「任せてください。成功させてみせますよ、あなたのためにも」
そう言って、アランは柔らかな笑みを浮かべた。
その笑顔に小さく高鳴る胸の音には、聞こえないふりをして。
私たちの作戦は始まったのだ。
アランに依頼をした日から、ちょうど三か月たった今日。
私は屋敷で、使用人たちにドレスを着つけられていた。
肩をがっつりと出したAラインのそのドレスは、黒を基調としているせいかいつもより自分が大人っぽく見える。
まるで夜のようなドレスは、あの夜会で着ていたもの以上に美しい。
着付けが終わり、くるりと一回ターンしてみると、レースがあしらわれた裾がふんわりとふくらんだ。
ところどころにあしらわれた銀糸の刺繍と宝石が、きらきらと輝く。
「お美しいですわ、お嬢様」
「ふふ、ありがとう」
「次は髪とお化粧ですね。最高のものに仕上げてみせます」
「ふふ、お願いね、マーサ」
ふん、と意気込んだマーサに笑って、すとん、と鏡台の前に座る。
マーサは私より6つ年上の私付きの侍女だ。
いつも私の味方をしてくれる、姉のような存在。
彼女は久しぶりに私を着飾らせるのが楽しいらしく、目をかがやかせながら私の髪を結い始めた。
今日は、待ちに待った式典の日。
新たな魔道具を開発した功績を、アランと共に王宮で表彰されるのだ。
アランに魔道具を頼んだ次の日から、私は聖女としての仕事を再開した。
あくまで国王陛下たちに従っているように見えるよう、従順に。
もし私たちが新しい魔道具を開発しようとしている、なんて勘づかれたらどうなるかわからないからね。
もし私たちの作戦に気づかれたら邪魔してくるかもしれないし。
アランの研究所には、聖女の仕事の合間にこっそりと通っていた。
久しぶりに会った光属性の人たちに作戦のことを話すと、みんな喜んで応援してくれたのはうれしかったな。
やっぱりみんな重労働でしかない結界の維持には飽き飽きしていたみたいで、負担が減るならなんでも、と反対意見は全くと言っていいほどなかった。
私がアリス様に嫌がらせをしていた、という噂を知っている人も何人かいたけど、半信半疑だったらしく、私が否定するとあっさりと信じてくれた。
本当に感謝しかない。
そうして、表向きは謹慎しつつ聖女の仕事を続け、こっそりとアランに協力する毎日をすごすこと、二か月半。
約束より半月も早く、アランは魔道具の開発に成功した。
そのことは大々的に発表され、国中の人間に衝撃を与えた。
今まで光属性の人たちに頼りきりだった結界の維持が、安定してされるようになるんだもの。
それはつまり国の守護者として扱われていた聖女の価値が覆る、ということで。
ようやく魔力操作を習得し、いざ結界を、と思っていたアリス様たちは、突然のニュースにショックをうけ数日寝込んでしまったらしい。
その話を聞いたときは、思わず笑いが漏れてしまった。
でも仕方ないよね、因果応報というやつだ。
そんな風にアリス様に大打撃を与えたものではあったが、アランの発明が偉大なものであることには変わらない。
その彼の功績をたたえるための式典に私も招待されたのだ。
なんで私も、と思ったけれど、どうやらアランが私の援助がなければ開発は成功しなかったから、と私と一緒に出席することを強く望んでくれたらしい。
あとで彼にその理由をきくと、どうせならあいつらの悔しそうな顔を一緒に見たいじゃないですか、と当然のように言われた。
そう言われてしまえば、私に断る理由なんてあるはずもなく。
彼にはお世話になりっぱなしだ。
「…はい、できましたよお嬢様」
「ありがとうマーサ。素敵だわ」
「はい。馬車も準備できておりますからね。外で旦那様がお待ちですよ」
「お父様が?」
「出立前にお嬢様にお会いしたいと」
「まぁ、お父様が?」
予定では、もうとっくに出立しているはずなのに。
マーサと顔を見合わせて、首を傾げた。なにかあったのかしら。
2人で連れだって玄関に行くと、二台の馬車が用意されていた。
そのそばに旅装に身を包んだお父様が立っている。
お父様はこちらに気づくと、一瞬目を見開き、微笑んだ。
お父様の前に立ち、微笑みながらカーテシーをする。
お父様も礼を返し、
「やぁ、我が娘。今日は随分と美しいね」
「ありがとうございます、お父様。もう出立するはずでは?」
本来の予定では、お父様は今日の朝隣国に出立するはずだったのだ。
数日前から、公爵家の使用人のうち隣国でも仕えてくれるといった者たちは隣国への移動を始めていた。
いきなり大人数で隣国に行く、となると、さすがに王国側にばれてしまうから。
お父様はきちんとした手順を踏んで、この領地を信頼できる部下に預ける手続きは終わらせたらしいから、私たちが国を出ることになんら後ろ暗いことはないんだけど。
多分ばれたら止められるだろうから、とお父様はこっそりとこの国を出ることにしたのだ。
まぁ、陛下がやっかむほど優秀な人材が突如消えようとしたなら当然止めるよね。
いまだばれていないことがむしろ不安になる。この国の政治、大丈夫だろうか。
今屋敷に残っているのは、お父様と私を含めた数人だけ。
出立するのは私とマーサが最後だ。
式典から帰ってきたあとすぐ、この屋敷を出る予定になっている。
お父様は首を傾げる私にやれやれ、と首を振って、
「娘の晴れ姿をみたい親心だよ。心配することはない。あとは私たちが旅立つだけだ」
「それはよかったです」
安心してふぅ、と息を吐いた。
お父様はにっこりと笑って、私の髪を一房すくい、
「それにしても、ドレスもよく似合っている。エレノアも立派な淑女になったね」
「ふふ、ありがとうございます。お父様が用意してくださったのでしょう?」
「あぁ…いや、実は、それを用意したのは私ではないんだ」
「そうなのですか? では、誰が…?」
裾をそっとつかみ、スカートの部分を広げて見せる。
見れば見るほど素敵なドレスだ。いつの間にか私の部屋に置いてあったから、私もマーサもてっきりお父様からのプレゼントかと思っていたのに。
お父様はそんな私に苦笑いを向けながら、
「それは秘密にしておこう。大丈夫、いずれわかるよ」
「いま教えてはくださらないのですか?」
「本人から聞いた方が面白いだろう。…さぁ、行っておいで。隣国で、アリアナと待っているから」
「…はい。お父様もお気をつけて」
背を押すお父様にペコリと礼をして、馬車に乗り込む。
すぐ動き出した馬車の窓からは、手を振るお父様と頭を下げているマーサが見えた。
お父様にひらひらと手を振り返し、背もたれに身を預ける。
夜を照らす家々の灯りが、不思議と輝いて見えた。
「…やぁ、エレノア様。今日もお美しいね」
「こんばんは、アラン。貴方もとてもお似合いよ」
それはどうも、と笑うアランに、にっこりと笑いかける。
彼は今日、真っ黒なタキシードに身を包んでいた。
中に着たベストは彼の瞳の色と同じ、濃いオレンジ。
アランの黒髪と合わさって、よく映えている。
王宮の謁見の間に続く両開きの扉の前で合流した私たちは、名前がよばれるまで待機していた。
この扉の内側では、アリス様やレオン様、国王陛下や、並み居る貴族たちが私たちを待っている。
ばくばくと騒ぎ始めた胸に手を当てると、それに気づいたアランが、
「…緊張してるんですか?」
「…そうね。彼らに会うのは、あの夜会以来初めてだもの」
「なるほど~。…でも、大丈夫ですよあなたなら。あの場にいる誰よりも綺麗ですって、俺が保証します」
「…まだ私以外、見てもいないじゃない」
「見なくてもわかりますから」
「あら、お上手ね」
自信ありげに言い切るアランに、くすくすと笑みがこぼれる。
いつの間にかこわばっていた肩の力も抜けていた。
アランはそんな私をみてそっと微笑み、
「緊張、ほぐれました?」
「えぇ、貴方のおかげでね。ありがとう」
「それはよかった」
「そういえば、伯爵位を授与されるんでしょう? これで御父上たちを見返せるわね。よかったじゃない」
「…ありがとうございます」
私がおめでとう、と伝えるとちょっと困ったように笑うアランをみて、私は首を傾げた。
アランは今回の功績を受けて、伯爵位を授与される予定らしい。
謹慎がとけ出仕していたお父様からその話を聞いたとき、絶対彼にお祝いを言おうと決めていたのだ。
妾の子、として彼は家庭であまりいい扱いをされてこなかったらしい。
自分の功績を残すことで、今まで自分をないがしろにしてきた父親や家族を見返す、というのは彼の夢であり、目標だった。
学園でも、いつか貴族位を授与されるほどの開発をするんです、と息巻いていたものだ。
だからこそ、今回の伯爵位授与は彼にとっては喜ばしいことだと思っていたのに。
「…嬉しくないの?」
「いや、そういうわけでもないんですけど。…まぁちょっと、あってもなぁって感じですかね」
「…よくわからないけど、社交が面倒とか? まぁ貴方、研究してる方が好きそうよね」
「それだけでもないんですけどね~」
そういってあはは、と笑ってはぐらかす。
むっとしてさらに問い詰めようとすると、そろそろです、と控えていた騎士たちに声をかけられた。
ほらもうすぐですよ、とにっこりと笑うアランを横目ににらみながら居住まいを正し、目の前の扉を見つめる。
いよいよだ。これでやっと、私は全部終わらせることができる。
まっすぐ前をむき、心の準備をしていると、
「…エレノア様?」
「なによ。貴方も集中しなさいな」
「俺としたことが、言い忘れていたんで。…ドレス、よくお似合いです」
贈ってよかった。
「…え、」
「お二方、どうぞ」
小さく呟かれたその言葉に、思わずアランの方を振り向いた。
ちょうどその時、控えていた騎士たちによって目の前の扉が開かれる。
向こう側から漏れだしてくるあかりはまぶしいくらいだ。
行きましょう、と微笑みながら促すアランにうなずいて、一歩踏み出す。
集中しなくちゃ。今日のために、今までの三か月があったんだもの。
アランと二人で、敷かれた赤いカーペットの上を進む。
両側には貴族たちが控え、進んでいく私たちを見つめていた。
進む先で待っているのは、王冠を被った国王陛下。
その隣に、腕を組んだレオン様とアリス様が控えている。
アリス様は憎々しげに私をにらみつけていた。
目があった彼女に、にっこりとほほ笑む。
すると彼女はより一層、眉間のしわを深くした。
怖い顔。私が憎いでしょうね、私もあなたが憎かったもの。
今までの自分を否定された、その点で私と彼女は同じ。
でも、ねえ。どんな気持ちかしら。
冤罪という卑怯な手を使ったあなたと違って、正攻法で私に仕返しされた、貴方の気持ちは。
あれだけの祝福のうえに聖女になったのに、一気に無価値な存在になってしまった、貴方の気持ちは。
レオン様のことは無視だ、無視。
彼に関しては、顔ももう見たくはなかった。
こつん、とヒールを響かせて、足を止める。
目の前に立つ陛下に、アランと一緒に最上級の礼をした。
「…顔をあげよ、アラン・スルべニア。エレノア・ダッカートよ」
ゆっくりと顔をある。
陛下は無表情を装っているが、苦々しく思っているのが透けて見えた。
ふふ、と笑いそうになる。
折角聖女を解任した女をたたえなければいけないんだもの。悔しいでしょう?
「…アラン・スルべニアよ。貴殿は新たな魔道具を開発し、この国の防衛に関して、多大な貢献を果たした。光属性の者たちからも感謝の言葉が届いておる。その功績をたたえ、貴殿には伯爵位を授与する」
「もったいなきお言葉」
「…そして、エレノア・ダッカート。スルべニアに助力し、魔道具の開発に一役買ったそなたもまた、賞賛に値する」
「光栄ですわ、国王陛下」
「…皆の者、両名に盛大な拍手を。褒美は後程取らせよう。…よくやってくれた」
陛下は半ば吐き捨てるようにそういった。
ぱちぱちぱち、と広い部屋に拍手の音が響く。
陛下はもはや苦虫をかみつぶしたような顔をさらけ出している。国王陛下ともあろうお方が、表情くらいつくろえなくて大丈夫なのかしら。
浮かべてしまいそうになる笑いを必死にかみ殺して、私たちはもう一度陛下に向けて頭をさげた。
隣にいるアランの方を横目で見ると彼も私の方を見ていたようで、ぱちりと目が合う。
私たちはこっそりと笑いあった。
湧き出るような高揚感をかみしめる。
これで思い残すことは何もない。
今までにないくらい、心は満ち足りている。
もう本当にこの国とはお別れだ。
そしてこれこそが、この国におくる私なりに最高の『さようなら』。
どうかお元気で。もう二度と会うこともないでしょうけど!
そんなこんなで、約半年後。
私は家の庭で、ゆっくりと紅茶を楽しんでいた。
暖かい日差しが心地いい。控えていたマーサがそっと、紅茶を注ぎ足してくれた。
あの式典から帰った私は、マーサと共にすぐに隣国へと出立した。
無事お父様やお母様と合流することもでき、現在は隣国の王都にある屋敷で暮らしている。
お母様が起こした商会は、お父様の本腰を入れた助力を受けてさらに成長し、もはやこの国になくてはならないほどの規模に成長している。
その功績を受けて、そのうち男爵位も授与されることになったらしい。私の両親すご過ぎない?
今でも商人の娘として十分贅沢な暮らしをさせてもらっていて、こうして優雅に紅茶を楽しむことだってできる。
私たちが出奔した直後。元いた国はお父様がいなくなったせいで大混乱に陥ったらしい。
お父様、本当に有能だったのね。お父様がいなくてはうまくいかないことがたくさんあったようだ。
どこかから居場所を突き止めた国王陛下から直々に戻ってこい、とのお手紙を戴いたお父様は、笑ってその紙を握りつぶした。
誰が戻るか、とのことらしい。私のお父様がこんなにもかっこいい。
現在は落ち着いたようだけど、国の政治を混乱させた原因は、お父様を怒らせた国王陛下にあるとして陛下はその発言権をだいぶ弱められたと聞いた。
可哀そうな陛下。お父様を怒らせなければ、そんなことにもならなかったのに。
そして、聖女としての価値を失ったアリス様は、結局レオン様との婚約を破棄されたと聞いた。
それがレオン様の心変わりによるものなのか、それとも周囲の貴族たちの反対に押し切られたのかはわからないけれど。
真実の愛、なんてものもあっけないものなんだな。もしまた会うことがあればご愁傷様、と笑ってやろうと思っている。そんな機会もないだろうけど。
そんな風に、私の復讐は終わった。私の作戦通りにはなったし、ハッピーエンド、と言いたいところなんだけど。
はぁ、と小さくため息をつく。
手元の紅茶から漂ってくる柑橘系の香りが、研究所でのアランとの日々を思い起こさせた。
あの式典後、急いで出立しなければいけなかった私は、アランとろくに話すこともできなかった。
結局あのドレスを贈ってくれたのは彼なのか、ということも聞くことができていないまま。
手紙は何度か送ったけれど、一度も返信はない。
愛想をつかされてしまったんだろうか。私の要望通り魔道具を開発してくれ、復讐を助けてくれた彼に、もっとちゃんとお礼をすべきだったのに。
でも、少しだけ怖かったのだ。必要以上に彼と仲良くなることが。
もしもっと彼と親しくなれば、きっと私は彼を好きになっていた。
国をでる、その選択をできなくなってしまいそうで、ただそれが恐ろしかったのだ。
「…お嬢様? 大丈夫ですか?」
「あ、えぇ、ごめんなさい。なんでもないのよ」
「それならいいですけど…。あら、お客様ですかね?」
「なんだか騒がしいわね」
玄関の方から、がやがやと物音と話し声が聞こえる。
予定はなかったはずですけど、と首を傾げながら、マーサが確認をしに行った。
それを見送って、庭に咲く花の方へと目を向ける。
庭師によって丁寧に植えられた小さな花たちが、風に吹かれてさわさわと揺れていた。
彼は、元気だろうか。
今でも何かの研究をきっと続けているんだろう。
私のことなんて忘れてしまったかな。それとも、少しはさみしがってくれるだろうか。
花を眺めながらぼんやりとしていると、
「…わ、何!?」
「…お、驚いた~」
ばさり、と急にバラの花束が横から差し出された。
視界いっぱいの赤に驚きの声を上げると、隣から懐かしい声がする。
そろそろと振り返ると、そこにいたのは得意げに笑う彼だった。
彼、アランは貴族のような服を着ていて、あの式典のときのようだ。
目を丸くする私に彼は、
「…驚いて声も出ないんですか、エレノア様」
「…え、だって…なんでここにいるの、アラン」
「実は俺もこっちに住むことにしたんで。いや~、思った以上に王国が俺を離してくれなくて大変でしたよ」
「…は?」
「すげ~顔してますけど大丈夫です?」
「うるさいわね! そんなことより、どういうこと?」
「だから、俺もこの国に引っ越してたんですって」
「…嘘でしょう?」
「本当ですよ。嘘ついてどうするんです」
「だってあなた、伯爵になれたんでしょう!? それなのになんで…」
「え~、まぁそうですね、理由はいろいろありますけど」
びっくりしすぎてそう叫ぶ私に、アランはそこで言葉をきり、ゆっくりと跪いた。
その顔はほんのりと赤い。
彼のオレンジ色の瞳がきらきらと輝いていて、
「…結婚してくれませんか、エレノア様」
「…え?」
「貴方を追い詰めた王国にいるのなんてまっぴらごめんでした。それに、貴族になりたかったのも、貴方と釣り合うような男になりたかったからです。貴方がいないなら貴族位なんて少しもうれしくない」
「えぇ…」
真剣に告げられるアランの言葉に、じわじわと顔が赤くなっていくのが分かる。
心臓が飛び出そうだ。ばくばくとうるさいくらいに鼓動が聞こえる。
アランは手に持っていたバラの花束を改めてこちらに差し出し、
「…学園で出会ったときから、ずっと好きだったんです。この国でも俺の研究が評価されて、それなりの地位を戴きました。…きっと、幸せにしてみせますんで」
俺のそばにいてください、と彼は告げる。
私は彼の顔をじっと見つめた。
…答えなんて、はじめから決まってる。
「…私ね」
「…あ、はい」
「幸せに、なんてしてもらいたくないわ」
そういうと、アランは目を見開いたまま固まった。
少し私、いじわるかな。小さく笑いが漏れる。
でも手紙の返信もくれないなんてひどいと思わない?
これくらいの意趣返し、許してくれるよね。
座っていた椅子からひらりと立ち上がり、ひざまずいている彼の前にしゃがみこむ。
差し出されたままの花束を受け取って、一輪だけ抜き取った。
ほのかに薫るバラの香り。それをそっと固まっているアランの髪に差し込んだ。
思った通り、彼の黒髪に赤いバラはよく似合う。
アランは戸惑った表情を浮かべ、
「…何するんです?」
「よく似合っているわよ、アラン」
「えぇ~…男にそんなこと言われても」
「ふふ」
困った様子のアランに笑って、
「私も好きよ、アラン」
「…え」
「…学園にいたころから、ずっと私を支えてくれた貴方が好き。でも私は、支えてもらってばかりだから」
「そんなこと、」
「あるわよ」
言い返そうとするアランを遮って、ばっさりと否定する。
思い返せば、私はずっとアランに支えてもらってばかりだ。
学園でも、婚約破棄の時でもそう。
ずっと彼は私の話を聞いて、笑って、隣にいてくれた。
そんな彼だから、私は。
また鼓動がうるさくなってきた。がんばれ私。いうんだ私。
すぅ、と小さく息を吸い込んで、
「…だから、私も貴方の支えになりたいの。貴方の隣で」
「…えっと、つまり…?」
「だから!…幸せにしてもらわなくていいの。貴方と一緒に幸せになりたいの」
今絶対顔が真っ赤だ。
恥ずかしすぎてうつむいてしまう。
なにも言わないアランに不安になってちらりと彼を見上げると、彼は嬉しそうにしながら口元をおさえ、
「…え、あの、エレノア様?」
「なによ」
「うけてくれる、っておもっていいんですよね?」
「そうだって言っているじゃない」
「…いやったぁああああああああ!」
「え、ちょっとアラン!!?」
急にそう叫んだアランは私の腕を引き、抱き上げた。
そのままくるりとまわり、最後にぽすんと私を抱きとめる。
「ちょっと、アラン!急に何する…」
「幸せになりましょう、エレノア様」
私の言葉をさえぎって、アランが私を抱きしめたままそう言った。
「絶対なりましょう。…今まで頑張ってきた分、きっと」
「…そうね」
そう言ってぎゅう、と抱きしめる力を強めた彼を、そっと抱きしめ返す。
アランはきっとみとめてくれているのだ。
私が聖女として、レオン様の婚約者としてしてきた努力を。彼らによって切り捨てられてしまった今までを。
あの復讐で気が晴れたと思っていたけど、今ようやくすべてが報われた気がした。
そっと身体を離し、アランと目を合わせると、どちらからともなく笑いあった。
アランが少し身をかがめ、こつんと額を合わせ、
「好きですよ、エレノア様」
「…えぇ、私もよ、アラン」
そういって小さく笑う。
泣きそうなくらいに幸せだった。
このあと。
私たちは一部始終を見ていたマーサにからかわれたり。帰ってきたお父様やお母様に怒涛の質問攻めを受けたり。
娘はわたさない、というお父様とアランが、なぜか熱い議論を戦わせたり。
お母様に指摘され、エレノア、と私を呼び捨てにしようとしたアランが顔を真っ赤にさせたり、なんてこともあったんだけど
それはまた、別のお話。
ありがとうございました!
#皆さま誤字脱字報告ありがとうございます!
7/11 男爵位→伯爵位
アランは結局伯爵位を授与されました!
報告に気づいたとき自分で笑いました…馬鹿じゃん……