サンバカーニバルだと思って全力で参加したらサンマ祭りだった件
世界には様々な祭りがある。
トマトを投げ合ったり、牛を追いかけたり、はたまた男根の神輿を担いだり。冷静に考えてみれば、思わず笑ってしまうような祭りはとても多い。
しかしその馬鹿馬鹿しさこそが、世界中で祭りが行われている理由なのかもしれない。
「――つまりね、非日常をどこまで全力で楽しめるか。これに尽きると思うんだよッ!」
放課後の教室。
高校一年生の小泉陽は、拳を握って熱く語っていた。チョンマゲにした前髪がブンブンと揺れる。
彼女はとにかく祭りが好きで、地元の祭りでもサラシを巻いて神輿を担いでいた。いわゆる祭りガチ勢というやつだ。ちなみに将来の夢は、世界中の祭りに参加する「お祭りガール」になることらしい。
母親とともにこの町へ引っ越してきたのは今年の春のこと。このあたりでは大きな祭りがないと知り、すいぶんと落胆している様子だったが――。
「まさかこの町でサンバカーニバルが開かれるなんてね! うひひ、これはサプライズだよッ!」
「よ、陽ちゃん……たぶん、誤解が……」
「楽しみだなぁ。月ちゃん、誘ってくれてありがとね! これは気合入れて参加しないと」
「あ……う、うん」
萩野月子は、丸い眼鏡をカチャリと押し上げ、口をつぐんでしまった。
実は、今日行われるのはサンバカーニバルではない。サンマ祭りである。
毎年秋になると、このあたりはサンマがよく捕れる。そのため、漁協主催で年に一度、漁師やその家族、友人などを港に集めてサンマで一杯やるのだ。祭りと言うには小規模な、ほとんど身内だけの催しである。
月子としては、初めて自分の友人になってくれた陽を招待して、美味しいサンマを食べてもらいたかっただけなのだが……。
「私、祭りとなると血が騒いじゃってさ……!」
ギラギラと目を輝かせる陽に、月子は本当のことを言えなかった。彼女の楽しそうな表情を曇らせたくなかったのだ。
(お、お祭りが始めれば、誤解も解けるよね……)
……この決断がどんな結果を生み出すのか、この時の月子は知る由もなかった。
長い髪をお下げにして、エプロンを着ける。
気がつくと、月子は小さく微笑んでいた。鏡の中の地味な眼鏡女を見ても、不思議と今日は嫌な気持ちにならない。
(友達を……サンマ祭りに呼んじゃった……)
コホンと咳払いをして、熱くなった頬を冷まそうと手で扇ぐ。
サンバカーニバルほどの派手さはなくても、月子にとってサンマ祭りは特別な日。陽の言う通り、確かに非日常だ。そんな場所に初めて友人を連れて行くのだ――油断するとニヤけそうになる頬を、ペチンと叩く。
すると、部屋の扉が無遠慮に開いた。
入ってきたのは小学五年生の弟だ。
「姉ちゃん」
「翔太……な、なに?」
「なんか、玄関にすげえのが来てるんだけど……アレ、本当に姉ちゃんの友達?」
「え、えぇ……?」
翔太の言葉に嫌な予感がした月子は、あわてて玄関に向かう。思えば、今日の陽はすいぶんとハイテンションだった。気合を入れて参加すると言っていたが、まさか――。
玄関の扉をバンッと開く。
「フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
――その女は、金色の羽を生やしていた。
頭には鮮やかなオレンジ色のトサカ。派手な下着のような衣装に、くっきりとした濃い化粧。よくよく見れば、その顔は毎日学校で会っている友人と酷似していて……。
「よ、陽……ちゃん……?」
「月ちゃんッ! どうしたの、せっかくのカーニバルなのにまだ準備できてないのッ?」
「ご、ごめん……あのね、違うの……」
「あ、そーだよねッ!」
陽は首を縦に振る。
頭のトサカがブンブンと踊る。
「カーニバルじゃなくて、カルナヴァウッ!」
「はぇっ?」
「ポルトガル語フウウウウゥゥゥゥッ!」
ものすごい腰振りを披露する友人の姿に、月子は顔を青くしてうつむいた。ただでさえ人付き合いが苦手なのだ。このテンションの高い友人に真実を打ち明けるのは、彼女にとってハードルが高すぎた。
漁港へと向かう道中も、いろいろな人の視線が陽を襲った。みんな戸惑いながらサンバ女を見て、そっと目を逸らし、ここが日本であることを確認してから、恐る恐るもう一度彼女を見る。
楽しそうに踊り進む陽の後ろで、月子と翔太は体を小さくして歩いていた。
「姉ちゃんの友達、明るい人だな」
「うん……。それがいいところなの」
「でもさ……馬鹿だよな」
「……うん。それもいいところなの」
陽はいい意味で自分勝手だ。
空気を読む気がそもそもないらしい。
だからこそ、昔から陰気で孤立しがちな月子に話しかけてきて、ひとりで楽しそうに暴走しては事態を引っ掻き回し、なんだか知らない内に友達枠にスッポリ収まっていたのだ。
「サンバ! カールナヴァァァァァァァウッ!」
周囲の目などガン無視で腰を振る彼女。
つい空気を読みすぎる月子の目には、陽のそんな姿がとても眩しく映った。
「翔太は……」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
翔太もまた、友人をサンマ祭りに連れてきたことがない。それどころか、土に汚れた上履きを夜中に洗っていたり、教科書への酷い落書きを躍起になって消そうとしている姿を何度か見ている。
それを茶化さない程度には月子も似たような経験をしてきているし、そんな月子の気遣いを翔太も理解しているようだった。
漁港についたのは、日もかなり傾いてきた頃だった。
サンマ祭りの準備は既に始まっている。男たちはベニヤやビールケースで簡単なテーブルを組んだり、炭火を起こしたりしている。一方の女たちは、世間話をしながら淡々とサンマを捌いているようだった。
その様子に、ひとり場違いな格好をしている陽は目を丸くして静止した。
「こ、これはッ! 月ちゃん!」
「よ、陽ちゃん。あのね、実は……」
「カーニバルの前の腹ごしらえってことね! そっか、月ちゃんのお父さんは漁師だって言ってたもんね! あぁー、手伝える服装で来れば良かった!」
「ふへっ?」
「めんごめんご、この姿じゃ今日は食べる専門になっちゃうね! そのぶん踊るから許してッ!」
「はぇぇぇぇぇっ?」
なんだか自己解決してしまった陽は、その場で足踏みをしてサンバのリズムを刻み始める。
「フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
その姿に、会場中が釘付けだ。
月子はあまりの恥ずかしさに、燃えるように熱くなった顔を両手で押さえて下を向き、目の前の現実を追い出そうと頑張っていた。
ちょうどその時だった。
漁港の管理事務所から、なにやら肩を怒らせたゴツい人影が現れ、ノシノシとこちらへ歩いてくる。
「おーい、お嬢ちゃんよぅ」
とっ散らかった白髪頭と、シワの刻まれた迫力のある顔。ムキムキの肉体は、海の男らしくこんがりと焼けている。
彼はこの町にある小さい漁協の組合長だ。
「フウウウゥゥゥッ! なーに、おっちゃん」
「若い娘が、なんて格好で腰ぃ振ってんだ。見たところ、萩野の娘っこの友人だろうが……アンタ、今日は一体何しに来たんだ?」
「なにって、カーニバルを盛り上げに来たに決まってるじゃないッ! フウゥフウゥフウゥ」
「腰を振るな馬鹿がッ! 最近の若ぇのはワケがわからねぇ……って話しながら踊るんじゃねぇ!」
「フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
組合長は踊る陽から視線を逸らし、斜め後ろで悶絶している月子をジッと見る。
(おい、なんとかしろよコレ)
(本当にごめんなさい。絶対無理です)
月子は首を横に振った。
このサンバ女は既に、地味眼鏡女などの手には負えない状態なのだ。制御どころか理解さえ難しいのが素直な現状である。
「お嬢ちゃんよぅ。今日の祭りが何のためにあるか、ちゃあんと分かった上で、アンタはそんな格好してるんだよなぁ?」
「あったり前じゃないッ! フウゥッ!」
組合長の言葉に、陽は腰を激しく振りながら、天に向かって一本指を高々と掲げる。
「今日のカーニバルのテーマは、感謝よッ! 圧倒的感謝ッ! 退屈な日常の中、歯を食いしばって頑張ってる皆さんのおかけで、私たちはなんとかこうして生きていてッ! 今日のような素晴らしい日を迎えることができるッ! その感謝のためのカルナヴァウだわッ!」
そう言って、掲げた指を組合長へビシッと突きつけ、パチンとウインクをする。
……それは奇跡と言ってもいいかもしれない。
お世話になってる皆様への感謝。サンマ祭りに込めた組合長の想いは、まさしく陽の言った通りだったのだ。
「ま、まぁ……風紀を乱すようなことはするなよ」
「もちろんよッ! 清く明るく楽しくがカーニバルの基本! 今日は盛り上がるからねーッ!」
「……ほどほどにしとけよ」
「フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
「聞いちゃいねぇなコイツ」
組合長は大きくため息をついて、なぜか少しだけ口角を上げ、その場を去っていった。
(組合長さん行っちゃった……ど、どうしよう。陽ちゃんの誤解を解ける気がまったくしない……)
月子は内心の焦燥とは裏腹に、女たちの集団に身柄を拘束され調理場へと連行されていくのだった。
組合長の挨拶から祭りが始まってしばらく。
当初は浮きに浮きまくっていたサンバ女は、ハイテンションを貫き通した結果、なぜかだんだんと周囲に受け入れられていった。ハラハラしながら状況を見守っていた月子も、ようやく少し心に余裕が生まれてきたのだった。
「うわ、サンマの刺し身って超ウマいですねッ!」
「ガハハハ、新鮮じゃねぇと生では食えねぇからなぁ。家じゃせいぜい塩焼きだろ?」
「うんッ! この煮付けもサイコーだし、つみれ汁もハンバーグも激ウマですよッ! フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
「ガハハハハハハ、踊れ踊れぇい!」
安酒をガバガバ飲んですっかり出来上がっているおっちゃんおばちゃんは、踊る彼女を囃し立てては大爆笑だ。ちなみに未成年の彼女は、もちろん酒など一滴も飲んでいない。素のテンションで踊っているのである。
陽は今やサンマ祭りの華と化している。
なんなら、長年の付き合いである月子よりも周囲に可愛がられているかもしれない。しかし、不思議と月子の中に嫉妬心などは生まれなかった。
「ねー月ちゃん、このサンマめっちゃ美味いよッ」
「あ、うん。そ、そう言ってもらえると、連れてきたかいがあった……かな。えへへ」
「ところで、サンバはいつ始まるの?」
「あ…………うん。あのね、それなんだけど――」
いよいよ月子が説明しようとした、その時。
ガンッ。
大きな音を立てて、テーブルへ一升瓶を置く女がいた。刺すような視線の先には、他でもないサンバ女の陽がいる。
「はっ。若いってだけで、チヤホヤされていいわよねぇ……ヒック……」
彼女は山幸星30歳。
父親同士が同僚だったため、月子は幼い頃から「知り合いのお姉さん」として彼女を慕っていた。昔は名前の通りキラキラと輝く素敵女子だったのだが……。
「き……きららお姉ちゃん……」
「あら、月子じゃないの。目立たないから存在に気づかなかったわぁ……ヒック。相変わらずモッサイ姿してんのねぇ……」
彼女が変わってしまったのは、三年ほど前。
高校時代から付き合っていた彼氏が、なんと他の若い女を妊娠させ、しかも超特急で入籍してしまったのだ。それはもう、漁師の奥様ネットワークは大盛り上がりで修羅場情報を共有した。
時間をかけて失恋のショックからなんとか立ち直ったものの、すっかり恋愛から遠ざかっていた彼女は、新しい男を見つける方法も知らない。
昔のキラキラは、現在では周囲を威圧するトゲトゲへと変貌を遂げてしまっていたのだった。
「ククク……初めて連れてきた友達に、周りの注目をぜーんぶ奪われてさぁ……。ざまぁないわねぇ月子……ヒック……」
「の、飲みすぎだよ……。それに、陽ちゃんはお姉ちゃんの言うような子じゃないよ……」
「はっ、どうだか」
きららの言葉に、月子は泣きそうになっていた。
姉と慕う彼女のことは、どうしても嫌いになれない。でも、このままでは唯一の友人である陽に嫌な思いをさせてしまう。初めてサンマ祭りに連れてきた友人を、こんな形で失うのは絶対に嫌だ。
そう思いながら、陽に目を向けると。
「月ちゃん……ッ! 誰? このメッチャクチャ綺麗なお姉様、何? 誰? どこの女神様ッ? お隣の天使様ッ?」
「よ、陽ちゃん……」
「フォォォォォォォォォォォォォ、テンション上がってきたよぉぉぉぉぉッ! 今日はこんなお姉様までサンバの衣装で腰を振るんでしょッ? やっべぇ、ローカルなサンバカーニバルだなんて侮れねぇぇッ!」
「ふぇぇぇぇぇっ?」
「フウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
彼女はきららの隣で腰を振り始めた。
しかも「淫らっぽいのに欠片もセクシーさを感じない」という謎の技能を発揮しながら、ブン殴られない絶妙な加減のウザさを纏っているのだ。ある種の芸術と言ってもいい。
「お姉様ーッ! きららお姉様ぁぁぁッ!」
「くっ……馬鹿、やめろ……」
「今夜は一緒にフウウウゥゥゥゥッ!」
「ぷふぅっ……ば、馬鹿。くっそ……」
「きゃーッ! お姉様の笑った顔ってマジでフウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
「んぐっ、せめて日本語を話せ馬鹿……ブフッ」
酒が入ってることもあり、きららは笑いのアリ地獄にハマって抜け出せなくなっていた。彼女を地中に引き込むのはもちろん、サンバ女の腰振りである。
月子はもう、なんだかいろいろどうでも良くなってきて、好物のサンマ入りコロッケをもしゃもしゃと食べていた。ポン酢で食べるのが彼女のジャスティスだ。
「姉ちゃん……」
「翔太。ど、どうしたの……?」
「すげぇな……。なんというか、すげぇ」
「う、うん。陽ちゃんはすごいよねぇ」
見れば、今度は胸を触ってきたセクハラ親父に向かって、ブラジャーから取り出したアンパンを投げつけている。「お前が揉んだのは胸じゃなくてパンだッ! 残念だったなぁッ!」などと言い放っていた。
とりあえず、激しく動くと乳首がコンニチハしそうなので、早いところ別の詰め物を入れたほうがいいとは思うが……。
「俺ももう少し、なんつーか……馬鹿になった方がいいのかなぁ、なんてさ」
「うん。私もちょっと、そう思うよ」
そんな姉弟の呟きが、祭りの喧騒に溶ける。
あたりはすっかり暗くなり、漁港の電灯だけが皆の顔を照らしている。
馬鹿馬鹿しいサンバ女を中心に、今日だけはみんなが日常を笑い飛ばしながら、人間の愚かさを愛しながら――。
忘れられないサンマ祭りの夜は、こうして更けていくのだった。