牧水の名歌 そして夭折したひとが遺した歌
若山牧水の名歌と、大石主税の辞世の歌について書きました。
05.2.8記 夭折した人の遺した歌
私が初めて感動した短歌というと、少年時代に知った
若山牧水の
幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
そして
いさ行かん 行きてまだ見ぬ 山を見ん このさみしさに 君は耐うるや
といったところか。
これらの歌。叙情的で実に美しい。
しかし、中年になった今鑑賞すると 「美しすぎる」などという感想を持ってしまう。
かたはらに 秋ぐさの花 かたるらく ほろびしものはなつかしきかな
これも牧水。
ほろびしものは なつかしい
そう。なつかしいのだ。
ほろびしものは なにもかも。
さて、この年齢になってみると牧水であれば、例えば、
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
こういう歌が良い。
近年、知った歌で、最も感動したのは
あふ時は かたりつくすと思へども 別れとなれば 残る言の葉
という歌である。
作者は、四十七士のひとり。
内蔵助の嫡男、大石主税。
その主税が
死を目前にしたときによんだ歌である。
形式上、大石内蔵助と離縁し、実家のある但馬に移り住んでいた母、りく、を最後に訪ねて行ったときのことを思い出して歌った歌だそうだ。
夭折したその人の人生を思うと、一層切ない歌だ。
だが、そのような劇的な人生を送っていなくとも、この歌、心をうつ。
実に素晴らしい名歌と思う。
そう、語りつくそうと思えど、語りつくせることはない。
それは人と人の関係で、特に親子という関係にあるものが、
宿命的に思う感情ではないかと思う。