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プロムナード3 日本の聖霊信仰となろう小説

なろう小説、とりわけファンタジーなんぞを読んでおる中で力を授かる際のパターンを見るとじゃ、やはり彼、若しくは彼女ではあるが……これには作者も含まれる話ではあるのじゃが、日本の信仰の系列の影響が見てとれるのはわかるじゃろうか?


なろう小説の大きな力を授かるパターンは三つかのう。


一つは転生した後、幼少期に努力し力……とりわけ魔力だが、を授かるパターン。

これは子供は覚えが良い、なんて科学的な統計もあるが日本においては習い事は三才三ヶ月三日に始めると良い。なんて言い伝えがあったりする。宗教的な事を言えば753(しちごさん)かのう。

子供は本来、神そのものであり段階を追って人になる。

という思想のひとつが753(しちごさん)な訳じゃ。つまり神であるうちに力を蓄える、という考え方が根底にはあると思うとる。

このパターンの面白い所は、力を先に得ておるが力を使う為の知識は後から手に入れる所だの。

逆のパターンはほとんど存在しないのだ。

つまり、神とは力を象徴し、人は力の方向性の制御を司る訳だ。

まぁ、更に後で神から智恵を授かったりするがの。


さて、力とその制御は現代でも行われているのう。

最たるものは発電であろうな。

法則性の無い超常の力と法則性のある非超常の力という違いはあるが、どちらも知識でもって制御するという点では同じ……ある意味このパターンの力の与えられ方は科学技術の代用としての魔法やらスキルなのだろう。

知識チートも魔法やらの一種としてカウントしても良いのうこのパターンでは。



次のパターンは神などから直接、力を賜るパターンじゃな。


白い部屋がお決まりじゃが、バリエーションはそこそこあるのう。教室で集団転移したなら教室のまま力を与えられたり、転移先の魔方陣の上でなんてロケーションもあるのう。

力の与えられ方としては、転移系の話であれば転移した先の神、或いは王族、またはそれに準じた力を持つ者が主人公達に力ないしは力の知識を授かるパターンが多いの。


これの面白い所は、力の存在を主人公が教わらなければ力が発動しない所じゃ。つまり形を与えられなければ発動する事の出来ない力、若しくは認識じゃな。

自己が認識しうる形がなければ使えない力という訳じゃ。


当然と思うかの?


しかしだ。君は歩く時に、筋肉のひとつひとつを意識して歩くかの?もっといえば心臓を意識して動かしているのかの?


つまり、この時の力の扱いは手に持つ道具的な扱いじゃな。

持っている事を自覚し、使い方を知覚する。

道具であれば、それも当然出来うる事じゃ。


道具とは、日本神話において力そのものの象徴でもある。

大地を作りだす鉾に、火の神を屠る剣や大蛇から産まれた剣。

スキルの使い方にもそう言った繋がりが無い事も無いの。


まぁ、これに関してはこじつけな部分もあるし、道具が神の力を帯びる話は世界各地にある。



じゃが最後のケース、地底での覚醒。

これについては少々話が異なるやもしれん。

おおよその場合、地底であったりダンジョンという特殊空間に独りになった主人公がとっさにとった行動によって力を得るというパターン。


これの面白い所は、大体が「絶望」した者が「孤独」の中、力を賜るという事じゃ。

そしてロケーションは地底やダンジョン、つまりは閉所。

ちょっとした山伏感があるとは思わんかね。


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