世にも奇妙な人体模型
ちょっとグロいかもです。
ご注意ください。
1.
ドンドンと、軽量鋼製のドアを叩く音で目が覚めた。
大家さんが督促に来たのだろうか?
そういえば今月の家賃は未払いだった。
私は眠い目をこすって、玄関へと急ぐ。
古いアパートの木造建築は、歩くだけで床がしなった。
ミシリミシリ、と音が鳴る。
その途中で、平積みになった本に足の小指をぶつけた。
応用法医学や解剖学の参考書が崩れて、床に散らばった。
「ああもう、後で片付けよう」
私は髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしってから、ドアノブを回した。
「おはよう」
ずんぐりとした無愛想なオバサンが目の前にいた。
靴脱ぎに溜まったゴミ袋を見て、オバサンはあきれた声を出す。
「あんたねぇ……」
「ああ、はいはい。待ってください」
私はきびすを返して、奥の和室に戻っていく。
皮財布から、お札を何枚か引き抜いた。
「滞納している家賃ならすぐに払いますからね」
「それもそうだけど、あんた前より痩せたねぇ。ちゃんと食べてる?」
私は、必要最小限の食事しかとっていない。
その分を研究費に回しているからだ。
大家さんの背後からは朝日が差し込む。すこし眩しい。
「ええ、平気ですよ。ご心配には及びません」
そうお金を手渡すと、彼女の顔はすこしかげった。
心配してくれているのだろう。私は申し訳なく思った。
にゃあ。
大家さんの足元からノラ猫が出現した。
私に餌をねだりに来たのだろう。
「あのねぇ、よその猫に構う余裕があるなら、すこしは自分の生活費の足しにしなさい」
「ええ、ごもっともです」
「何か困ったことがあったら、いつでも言ってくるんだよ」
「ありがとうございます」
大家さんはまだ何かを言いたげにして、外階段を伝って下りていった。
私はそれを見送ってから、ダイニングキッチンに昨日のおかずを並べていく。
・もやしだけのナムル。
・もやしラーメン。(白湯にしょうゆをかけただけのスープ、具材はもやしのみ)
・もやしの味噌汁。
「ごちそうさま」
ぐぅとお腹が鳴るのを無視して、歯を磨く。
唾液の分泌機能が悪くなってきた気がする。
洗面を終えてノートパソコンに手を伸ばす。すこしでも空腹を紛らわせたかった。
【世にも奇妙な人体模型】
現在価格:時 価
(現金、クレジットカード不要)
入札者数:0
残り時間:30分
ネットオークションを見ていると、そんな商品が売りに出されていた。
画像検索をしても該当する写真は出てこない。
どう考えても、怪しい。
だけど私は、現金、クレジットカード不要の誘いを蹴ることができなかった。
気が付くと、カートに入れるをクリックして注文を出していた。
2.
視界がくらりと揺れる。
貧血だとわかった瞬間に、吐き気がこみ上げてきた。
しかし、座ることができない。
私は満員電車の中で、吊り革につかまっているところだった。
もしも私が学生という立場なら、大学の講義は欠席したことだろう。
だが今は准教授という責任のある立場だ。
今日の講義は、人体組織学の実習。
より高度な学問であるため、ほかの教授に教鞭を譲るわけにはいかない。
私でなければ教えられないという自負が、私にはあった。
そうとりとめのない思案にふけっていると、ぎゅうぎゅうと背中を押された。
いつの間にか人口密度が上昇している。
私は手前にのけぞってしまった。
つば広のハットを被った壮年男性が、じろりとこちらをにらんできた。
身体が当たったせいで、新聞紙がしわになったのだろう。
私は適当に会釈を返した。
【バラバラ殺人事件】
【捜査は難航】
解剖学を勉強しているせいか、そんなワードが頭に残った。
確かに目の前の男性が持っている情報誌にはそのような記載があった。
スマートフォンで、バラバラ殺人事件と打ち込んでみる。
しかしヒットしたのは数年前の事件ばかりで、ニュース速報にはなっていない。
おかしい。最近の事件ならばトップニュースで出てくるはずなのに。
今度はわざと身体を倒してみた。
新聞紙をのぞきみるためだ。
日付は8日後を示していた。西暦も今年の数字である。
何だ、これは。
未来の新聞じゃないか。
なんてバカなことがあるか。
きっと印刷会社の誤植だろう。
私はそう気にも留めなかった。
3.
講義に参加する生徒はまばらで、まじめに受講する生徒はほとんどいなかった。
予想通りとはいえ、それでもちょっとへこんでしまう。
これならば無理せずにアパートで休めばよかった。
そう思いながら帰宅すると、軽量鋼製ドアの前に大きなダンボールが置いてあった。
発送主は、ネット通販からだった。
私は【世にも奇妙な人体模型】を注文した。それがもう届いたのだ。
郵便受けにはレターパックも入っている。
両方を持って、和室へと向かった。
まずはダンボールを接合しているガムテープを乱暴に破いていく。
中には精巧なつくりの頭蓋骨があった。
上腕骨や胸骨も入っている。
おそらく人体の上半身に当たる部分を郵送してくれたのだろう。
それは本物の剥製と見紛うほどの出来栄えだった。
レターパックも開封してみる。
そこには意味不明な手紙が1枚あるだけだった。
以下がその内容だ。
私は旅行に行ってくる。
はは、驚いたかい?
しかし、決めた
んだ。
でんまーくが
いいかな。
るんるん気分だよ。
誰かがデンマークに旅行に行くらしいが、その人物名が明記されていない。
るんるん気分とあるから喜んでいるのだろうが、そんな人物に心当たりはなかった。
翌日には、骨盤、膝蓋骨、腓骨と下半身の部位が送られてきた。
翌々日からは、ダンボールではなく発泡スチロールになった。
送られたのは、ドライアイスで冷却された左右の肺だった。
私はだんだんと気味が悪くなってきた。
4.
あれから1週間が経った。
私は海外に行くことを決めていた。
怖くなったのだ。
真贋の問題ではない。
こうも白骨や臓器が送られてきては、身も心もおかしくなってしまう。
行き先はどこでもよかったが、学校にはデンマークと伝えた。
有給休暇をフルに活用して、ほとぼりが冷めるまで日本には戻らないつもりだ。
ドンドンと、軽量鋼製ドアを叩く音で目が覚めた。
大家さんが督促に来たのだろうか。
今月の家賃は支払い済みなのに?
私は眠い目をこすって、玄関へと急ぐ。
古いアパートの木造建築は、歩くだけで床がしなった。
ミシリミシリ、と音が鳴る。
その途中で、平積みになった本に足の小指をぶつけた。
応用法医学や解剖学の参考書が崩れて、床に散らばった。
「ああもう、後で片付けよう」
私は髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしってから、ドアノブを回した。
「大家さん、心配しなくてもあいさつくらいしますよ」
「ダイキンノウケトリニキマシタ」
防護マスクと化学防護服に身を包んだその人物は、くぐもった声でそう言った。
私よりも上背があり、威圧感がある相手だった。
ただの古アパートなのに除染ブーツまで履いていて、原子力発電所の職員かよと思ってしまう。
「支払い方法はどのようなものですか?」
私は震えた声でそう尋ねる。
現金とクレジットカードは不要だったはずだ。
ならば何を支払えというのだろう。
「ジットシテイテクダサイ」
その人物は背中に担いだ、消火器のようなものをこちらに向けてきた。
ホースの取っ手部分を引くと、白い煙が玄関に充満していく。
「何を、するんです」
のどが、痛い。
舌が、しびれる。声が、出ない。
頭が、回らない。
まぶたが、重い。
足腰が、立たない。
どっさと地面に叩きつけられる衝撃を感じたのと、意識が完全に消滅するのが、全く一緒のタイミングだった。
「アナタノカラダデシハラッテモライマス」
5.
ドンドンと、軽量鋼製ドアを叩く。返事がない。
昨日は肉じゃがを作りすぎてしまった。
そのおすそ分けに来たのだが、そう大家はドアノブに手を掛ける。
意外なことに、ドアは抵抗なく開いた。
その瞬間に、血なまぐさいにおいが鼻をついた。
「何、このにおい……」
大家は一目散に奥の和室に向かった。
そこには、白骨化した遺体と、腐乱した人間の皮膚があった。
「何よ、これ」
遺体の近くには、旅行に行く旨を明記した紙があった。
被害者はよっぽどその旅行を楽しみにしていたのだろう。
私は旅行に行ってくる。
はは、驚いたかい?
しかし、決めた
んだ。
でんまーくが
いいかな。
るんるん気分だよ。
6.
後日、その事件は新聞の一面を飾った。
【バラバラ殺人事件】
【捜査は難航】
どこかで猫が、悲しそうに、にゃあと鳴いた。
怖がってもらえたかな…
作者自らが解説を入れたら反則だと思いますが、申し訳ないです。
どうしても入れてくれとの依頼があったため補足として書きます。
私は旅行に行ってくる。
はは、驚いたかい?
しかし、決めた
んだ。
でんまーくが
いいかな。
るんるん気分だよ。
「上記の手紙の意味が分からない」と言われたのですが、頭文字だけを繋げて読むと、"私はし(死)んでいる"となります。いわゆるあの死体は、未来から送られてきた自分の亡骸であり、そうなることを知った主人公が過去の自分にメッセージを残したんです。暗号文なのは犯人に検閲されても、容易に解読されないためです。
という設定でしたが、自由に想像してもらいたかったので、ここまでは描写しませんでした。