第六話 勝負
遅くなってしまいすみません。
魔王国エニファスの中心部、魔王の城の一室。頑丈な造りで、ある程度の広さを備えたその部屋で、二人は向かい合っている。
一方は蒼い瞳の少年。その目には好戦的な光が宿っている。
対するは黒い髪に黒い目を持つ、活発そうな雰囲気を放つ少年だ。
「いくぞ。透、準備はいいか?」
「おう、バッチリだ! いつでも来い、蒼真!」
黒髪の少年――透が威勢よく応えると、蒼真は早速自身の能力を解放し、体内の魔力を注いでいく。それを感じた透も、堂々と仁王立ちのままで迎え撃つ準備を始める。
そして、蒼真が動いた。いつでも能力を使える状態のまま、真っ直ぐに透の懐へと入り込み、全力の掌底を叩き込む。勇者として強化された肉体で放たれたその一撃は、人の意識を奪うのには十分すぎる威力を内包していた。
当然、それを直に受けた透が無事でいられるはずは無い。
――しかし
「付与『耐久性』。蒼真、そんな攻撃俺には効かないぜ? 」
その声と共に掌底を打った蒼真の右腕が掴まれる。一撃をもらったはずの透は、その場から全く動くこともなく、傷ついた様子も無い。
その人並外れた現象を起こしたのは、透の能力に他ならない。
『付与魔術』それが透に与えられた能力だった。
エンチャント。その発声により発動する付与の効果は絶大で、勇者の一撃を正面から受け止める程の防御力を付与することも出来る。だが、ウォルスによると、付与魔術自体はあまり珍しくはないらしい。
だが、透のそれは例外だった。
『自分の体に強化を施している付与魔術師など見たことがありません、非効率ですからね』
初めて透の能力を見たときに、ウォルスは驚きというよりは呆れたような評価を下した。
ウォルス曰く、並の付与の性能には限界があり、付与魔術を使うよりも普通の防護壁魔術を使ったほうが効果が高く、効率も良いらしい。
実際に付与が使われるのは剣や槍、弓矢などの武器、それと弩や投石器などの補強に使われる程度だという。
つまり、付与魔術はどちらかというと冷遇されている部類の魔術なのだ。
しかし、目の前の少年は、そんなことを構いもせず体を強化しただけで勇者の一撃に耐えてみせた。同じく勇者とはいえ、この防御力は驚異的だった。
「これでお前が動けなかったら俺の勝ちだよな!?」
「そんなに簡単にいくかよ。俺の能力を舐めるな!」
腕を掴み、勝利を確信した透に蒼真は全く諦めた様子を見せずに向かい合う。腕の交差する距離。どちらの攻撃も全て相手に届く、超接近戦だ。
そして、蒼真が次の手札を切る。彼は掴まれていない方の手を透の方へ向けると、魔力を流し、魔術を発動する。
「空砲!!」
その瞬間、空間が脈打った。
大砲のような、低く重い音が響く。
そして次の瞬間には、透の体が凄まじい勢いで吹き飛んでいくのが傍から見ている樹の目に映った。
今の攻撃が、蒼真の勇者としての力、その一部だった。
『空間魔術』と呼ばれるその魔術は、この大陸には数人しか使い手がいないと言われる特殊な魔術だった。
目の前の「空間」に魔力を流して自在に操るその魔術は扱いが極端に難しく、調整を間違えれば空間に魔力を吸われてしまう、未完成の魔術体系だった。しかし、樹に普通とは違う能力が追加されていたように、蒼真にも特殊な能力が発現している。
蒼真は、普通なら難解な計算を解くようにして調整をしなければならない空間魔術のデメリットが解消されていた。そのため、魔術を使う感覚も普通の魔術師とは異なっていた。
彼は本来なら精密な調整のもとに成り立つ魔術を、空間という材料を魔力で思い通りに加工する、直感的な感覚で扱っている。
その自由度のおかげで、蒼真は七人の中でも訓練では負けなしだ。今見せた『空砲』も空間を相手に向かって炸裂させる、数少ない通常の使い手が見れば卒倒するような代物だった。
常識外れの一撃をくらい、壁際まで吹き飛んでいった透だが、ウォルスの魔術と、強化した体のおかげで殆どダメージは無いようだった。
「うっわ……きっついな―。やっぱ強いわ、あいつ」
起き上がりながらのんきな感想を漏らす透。そんな透を見た蒼真は、勝ちを獲りにいくために再び走り出す。
対して透も自身に強化を上乗せして待ち受ける。七人の勇者の中でも最高の攻撃力と防御力。その二つが今の万全を期してぶつかり合う。
あと十メートル、ほんの数瞬後にはぶつかり合う距離。そこで状況が動いた。
蒼真が小さく何かを呟いたあと、ピタリと立ち止まったのだ。
全力での力比べを予想していた見学組は、何が起きたのかわからずに動揺している。
しかし、実際に勝負をしている二人だけは状況の変化を明確に把握し、片方は狼狽えている。
「んなっ! これっ……動けない!?」
そう叫んだのは――透だった。
透の外見には変化は無い。だが実際には体どころか腕を動かすこともできなくなっていた。
「透、どうだ? 動けるか?」
蒼真が正面からゆっくりと歩いてくる。その顔には勝ちを確信した笑みが浮かんでいた。
「お前の手足と胴体の周りの空間を『固定』した。ウォルスさんの例の拘束魔術が五個くらいお前にくっついているようなものだよ」
「こんなのくらった覚えは無いはずなんだけどなあ」
「俺の能力の射程はあの距離が限界なんだよ。あとは相手が動かない状態で近づければよかったんだ」
「じゃあ最初の時にやっとけばよかったじゃんか―!」
「いや、それはな? 新技を試したかったし。あれはちょっと威力高すぎたけど……」
既に勝負は決まり、感想戦のような形になっているのを見たウォルスは、二人の元へと近づいていく。
「お二人とも、いい勝負でした。やはりソウマ様はお強いですね。能力の応用が多彩で実に素晴らしい」
「ありがとうございます」
蒼真の能力の応用力は現時点では突出していて、扱える技の量では七人の中でも最大だった。
入れ違いになる様にして次の二人が準備を始める……はずなのだが、今日の二戦目の組み合わせは少しだけ具合が悪かった。
ニ戦目の組み合わせ――香蓮とありすの二人は、どちらも直接戦闘には使いづらい能力なのだ。
香蓮の能力は『死霊術』。その名の通り、死んだ獣などの体を自由に操ることや、魔力を使って骸骨兵などを作ることが出来る。
そして、ありすの能力は『召喚術』。こちらも名前の通り魔物や特別な生物を呼び出して使役する能力だ。
どちらも便利ではあるものの、本人が戦闘力を持つというよりは能力に頼る戦い方になるので、こうした面と向かっての訓練は上手くいかない場合が多い。
その為、第二回戦は予定とは違い、二人の要請をウォルスが聞き入れる形で中止となった。
「では改めて三回戦目にいきましょうか。ハヤト様、イツキ様は準備をお願いします」
ウォルスに従い、樹は防御用魔術を施してもらうと、少し遠くに立つ親友を見やる。その目はこちらに来た最初の日と同じ、輝くような好奇心を溢れさせていた。
「ようやくお前と当たったな、樹。楽しみにしてたぜ」
「俺もだよ。簡単には終わらないように頑張ろうぜ」
二人は軽口を叩きながらウォルスが離れていくのを待つ。そして、ウォルスが十分に離れたのを確認すると、二人はどちらからともつかずに走り出す。
動き始めたのは同時だ。そして、二人は闇雲に突っ込んでいったわけではない。樹の腕には魔力で作った盾があり、手には短めの剣のような形に整えた棒を持っている。そして、隼人はまだ二人の距離があるうちに、魔術の発動を始めていた。
「ツヴァイ・アクセル!」
隼人がそう叫ぶと同時に、樹の視界から隼人が消えた。
……実際には、隼人が消えた様に錯覚した、という方が正確だ。隼人が身体能力を強化して動いた結果、樹の感覚は隼人の動きについていけず置き去りにされていた。
蒼真の応用力とも違い、透の防御力とも異なる隼人の特徴は、速さだ。代償魔術で時間を消費した分だけ速くなる。そして、その速さは一秒ごとに使う時間に比例している。
つまり、一秒ごとに追加で一秒払えば普通の二倍、もう一秒払えば三倍といった調子で隼人の速度は上がっていくのだ。精霊種である隼人にしかできない、贅沢な命の使い方だ。
無論、樹がこの速さに追いつける訳がない。隼人は加速された世界の中で勝利を確信して樹の顔を見る。樹の視線は見当違いの方向へ向いていて、隼人を捉えていないのは明白だった。このまま近づいて魔術で拘束すれば隼人の勝ち。そのはずだった。
しかし、隼人は樹の口元を見て、その考えを瞬時に改めた。
樹は笑っていた。だが、それは男子高校生が日常生活で浮かべるような笑みではない。こちらに来てから樹が度々するようになった、薄く、不敵な笑みだ。
あちらの世界でも偶に見せていた表情、その意味を親友である隼人は痛いほど理解していた。
その表情が現れるのは、樹が勝利を目前にした時だけだ。
「ッ!!」
樹まであと一歩、という所で隼人は直感に任せて全力で横に避ける。しかし、横に跳んだ隼人の足を引っ張るものがあった。
――網だ。
特になんの変哲もないような、安っぽくも見える網。明らかにそこには無かった、そもそも魔法のあるこの世界に普及しているかどうかも分からない異物が隼人の足に引っ掛かり、動きを阻害している。
立ち止まり、急いで網を外そうとする隼人。しかし、
「逃すかッッ!」
樹が叫びながら腕を振るう。
すると、隼人の頭上に巨大な物体が現れる。巨大な鍋を逆さにしたようなそれは、重力に引かれるままに隼人の上へと落下し、即席の檻と化した。
造形を単純化した分だけ、出現までの速度と物質の重さに重点を置いた檻は、たとえ勇者であっても脱出は困難となる。
内側から試行錯誤する音が止むのを確認してから、樹はウォルスを呼び寄せ、勝負を確定させてから大鍋を消す。
中で座り込んでいた隼人は悔しそうな顔をして、樹を見た。
「あんな物まで作れるなんてな、予想外だよ。その腕の盾は正面から挑むっていうブラフだったのか?」
「一応使えるようにはしてたよ。罠が不発だった時に使うつもりでいたんだけど、あれが躱されるくらい速いなら俺には動きが見えないからな、負けてたと思う」
樹は隼人にそう返しながらも、内心では胸を撫で下ろしていた。実際の所、樹が勝てたのは運が良かったからだ。
最初は接近戦をするつもりで盾と武器を作ったが、隼人を見失った時点でそれを諦め、何か妨害に使えるものと考えて網を出したのだ。運良く隼人が引っ掛かり、その後咄嗟に無骨な大鍋を出現させて勝利できたが、樹の中には煮え切らない気持ちが燻っていた。
樹が色々考えている間に、紺野とウォルスの試合が始まっていた。ウォルスとの試合では、勝ち負けではなく指導制の訓練が行われていた。
今は紺野がどうにかウォルスに打撃を加えようと四苦八苦している。
紺野の能力は『隠密術』。相手に気取られること無く近寄り、物音一つ立てずに後ろからザクリとやる、いわば正当なニンジャスタイルの能力である。
樹たちはそんな軽いイメージを抱くこの能力だが、実際に能力の詳細を知る紺野からしてみれば、この能力はそんなに生易しいものではない。
気配を消す魔術や、物音を消す消音魔術が使えるのはまだ序の口だが、簡単な毒の生成、目標にした人物の死角への転移など、忍者と言うよりは暗殺者とも取れるような、地味で実戦的な能力が多いのがこの能力の特徴だった。
ウォルスとの試合に目を向けると、紺野はどうしてもウォルスの注意を自分から外さなければならなかった。そうすれば、その一瞬を使い、視界から消え、気配を殺して好き放題できるのだから。
だが、実際にはそうならなかった。ウォルスは紺野に攻撃をさせつつも、彼女に注意を払い、素早く動く相手から目線を外さないで済む位置に誘導していた。焦れた紺野が死角への転移をしようとするも、ウォルスの魔術が的確に紺野の集中を乱す。能力を使う勇者を余裕で捌き続けるウォルスの魔術は、正確かつ幻想的だった。
魔術の放つ光の中で舞う紺野の姿から樹はいつの間にか視線を外せずにいた。
やがて、紺野が先にスタミナを切らしてしまい試合が終わる。
荒い息をしながら座り込む紺野に、ウォルスが水を渡しながら話しかける。
「やはり一対一、真っ向からの勝負は難しいですか?」
「もう少し能力を使いこなせれば……、後は変身ですね。自由に使えるようになればもっと動けると思います」
「そうですね。明日の午後にはイツキ様とご一緒に特別な訓練が始められるでしょう」
紺野と話し終えたウォルスは全員を集めて、訓練場を出る。
次に樹たちが案内されたのは、既に見慣れ始めている食堂だった。訓練の時間は思ったよりも長かったようで、思い出したように誰かのお腹がなった。
「では最後に、明日の予定をお伝えします」
食事を終えた後、普段のようにウォルスから明日の予定を告げられる。普段ならばウォルスの講義の後に実戦訓練となるのだが、今日は少し違っていた。
「明日は、イツキ様は私と共に朝から街に出ます。武器を作るにしても、見本は必要ですからね。午後からはマイ様とイツキ様の二人は人狼としての訓練があります。私の知り合いを呼んでおきました。他の皆様は午前は個人ごとの訓練、午後は私との一対一の実戦訓練です」
話を終えると、ウォルスは近くにいた召使を呼び寄せ、樹たちの案内をする様に言うと、自分は一人で席を立ち、部屋から出ていこうとする。
「それでは皆様。ゆっくりと休んでください」
ウォルスが出ていった後に、樹たちも席を立ち、案内されて離れの屋敷に移動した。
初日の夜からずっと寝床として使ってきたこの屋敷は存外に広く、一人一部屋ずつ使ってもまだまだ空室があるほどだ。
樹は自分の部屋に入ると疲れた体をベッドの上に投げだす。
途端に眠気が襲ってくるが、汗ばんだ体をそのままには出来ない。樹は重い体を起こして男子用の水浴び場へと向かった。
廊下からは蒼真と透の声がする。疲れはするけど、元の世界よりは刺激が多くて楽しいかな。そんなことを思いながら樹は自分も廊下へと出て行った。
ようやっと余裕ができそうなので、書き上げて校正が済み次第投稿していきます。