第二話 目覚め
「ん……あ?」
目を開けた樹は倒れていた体を起こす。
樹が寝ていた空間は、外周に近づくに連れて段差のついた、円形の闘技場のような場所だった。
頭を押さえながら周りを見渡すと、外周の縁の部分に十数人の分厚いローブを纏った人々がこちらを見て何かを話している。
「成功したのか?」
「成功です! 全て……、全てうまく行きました!」
周囲で何やら歓声が上がっているが、それを無視して樹は自分の周囲を観察していく。
樹の左側には、六人の男女がいた。
みな、樹と同じように頭を上げて周りを見渡したり、頭痛を振り払うように、頭を左右に振ったりしている。
その中の一人に樹がたまたま目線を固定させた瞬間、樹の視界に四文字の文字列が浮かびあがった。
『羽橋隼人』
透明な板のようなものに表示されたのは、樹の無二の親友の名前だった。
しかし、樹の視線の先にいたのは日本風の黒髪を持つ見知った親友ではなく、金髪を眉にかかるくらいまで伸ばした、宝石のような真っ赤な目を持つ青年だった。
「……隼人?」
樹が思わずつぶやくと、その青年は樹の方を向き、ある部分に焦点を当てて目を見開いた。
「樹……? 樹なのか?」
恐る恐るといった様子で問いかけるその青年が隼人だと確信した樹は、深い安堵を感じながら笑みを浮かべる。
「そうだよ、俺だ、樹だ。隼人」
「そうか……でも、お前、なんだってそんな格好……」
驚いている隼人を見て、自分の姿も変化してしまったのかもしれないと思いながら、起き上がった他の人物達にも目を向ける。
一人ひとりに視線を向けると、それぞれに見知った人物の名前が表示されていった。だが、全員が樹の知っている顔ではなく、全員が見たことのないような髪や目の色に変貌していた。
樹は状況を確認するために声を上げようとした。
しかし、その直前。
「ほう……? これが異界から召喚されるという、一騎当千の勇士達か」
一言で場の全員を黙らせる、冷たい言葉が響いた。
強烈な威厳と、聞くものに等しく畏怖を与えるその声は、樹たちの正面……二人の男が立つ、暗い通路の奥から響いてくる。
声の主は、一目で位が高いとわかるような豪奢な服に身を包んだ男だった。
冷徹そうな黄金の眼に灰色の髪。その毅然とした佇まいは、どこか世間離れした雰囲気を放っていた。
「なっ……! 陛下、なぜこんな所に!?」
通路の入口に立っていた男の一人が驚いて声を上げる。
「ん? 膨大な量の魔力の流れを感じたのでな、立ち寄ってみただけだ」
「左様ですか。……では、あちらで報告を致しますので少々お時間を頂きたいのですが」
「許す、案内しろ。……、そこの者たちは丁重に扱え。わかったな?」
陛下と呼ばれた男の言葉とともに、周囲の男たちが樹たちの周りに集まってきた。
その中でもひときわ豪奢なローブを纏った男が、一歩前に出て口を開く。
「はじめまして。勇者様方、此度は召喚の求めに応じていただき有り難く存じます」
そう告げた男の顔は、静かな笑みを浮かべて樹たちを歓迎していた。
不気味な見た目に反して丁寧な口調で話すその男は、樹たちを闘技場のような施設から連れ出し、長椅子と机の置かれた待合室のような場所に通した。
「準備が済みましたら此度の召喚の説明を致します。それまでおくつろぎ下さい」
そういって去っていく男を見送った後、樹はクラスメイトを部屋の中心へと呼びあつめる。
「みんな、ちょっとこっちに集まってくれる?」
部屋の中では比較的話しやすそうな四角い机の横で声を上げ、みんなを一箇所に集める。
「えーっと、まずは少しずつ状況を確認したいんだけど、どっから話せばいいんだ……?」
呼び集めたはいいがどうすれば良いかわからない樹が戸惑っていると、隣にいた隼人が指揮を執って話し始めた。
「よし、まずはここに居る奴の名前の確認からいこう。みんな、俺の名前がわかるか?」
樹と隼人に見えた名前の表示があれば、お互いの名前は一応確認できる。
隼人の問いに全員が頷く。
それを見た隼人はホッとしたように表情を崩した。
「名前は全員わかるのか。一応言っておこうか、俺は羽橋だ。羽橋隼人。他のみんなも念のために名前だけ言っていかないか? そのほうが誤解しないですむ」
隼人がそう言うと、テーブルの向かい側にいた少女が自分の名前を明かす。
「えーっと、紺野真依です。……これで、いいのかな?」
限りなく黒に近い青、と表現できそうな髪色を持つ小柄な少女が戸惑い気味に声をあげる。
「大丈夫だ。ありがとな紺野。次は誰がいく?」
「じゃあ俺が。俺は……」
その後、全員が順番に名前を明かしていく。
見た目も声も違う友人たちの自己紹介を聞きながら、樹はたくさんの疑問を頭の中で整理していた。
先程出ていった男が、戻ってきた時のために。
全員がそれぞれの名前を確認し終える。
隼人が次の行動を起こす前に、部屋の扉がノックされ、先程の男が入ってきた。
男は先程まで着ていたローブを着ておらず、映画の中の貴族のような高価そうな服の上に、緑色のマントをつけていた。
綺麗に整えられた白髪に、温厚そうな目鼻立ち。老いを感じさせない佇まいは、熟練の老執事のような雰囲気を醸し出していた。
「お待たせしました、勇者様方。これより、今回の召喚の説明をさせて頂きます。私の名は、ウォルスといいます。よろしくお願いいたします」
そう名乗った初老の男は、恭しく頭を下げると、樹たちを椅子に座るように進める。
勧められるままに椅子についた樹たちの正面に座った男は、ゆっくりとした調子で話を切り出した。
「さて、いきなりこの様な場所にお呼びしたこと、心から謝罪致します。今回あなた方を喚び寄せたのは、あなた方にこの国、エニファスを救っていただきたく考えたからです」
「国を救う……ですか?」
樹がそう呟くと、ウォルスは頷いて言葉を続ける。
「現在、我が国は他の国との争いごとが多く、いつ本格的に戦争となってもおかしくはない状況です。そこで、あなた方異界の戦士を、救国の勇者としてこの国のために召喚したのです」
エニファス、勇者、召喚……。様々な言葉が次々に飛び出てくる。樹はただ聴いているだけでは埒が開かないと、ウォルスへと先程から気になっていた疑問を口に出す。
「あの……、ウォルスさん?」
「どうかされましたか? ……失礼、名前をお聞きしても?」
樹たちの名前を知らないウォルスが申し訳なさそうに質問をする。
「ああ、すみません。笹原樹といいます」
「ササハラ・イツキ様ですね。了解しました。……どうかされましたか?」
「幾つか、疑問があるのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「もちろんです。どうぞ、いくつでも」
ウォルスが柔らかく笑いながら頷くと、樹は隣で何かを言いたそうにしている級友たちをちらりと見てから質問を始める。
「まず、僕達を選んだ理由は? 他の世界から召喚するならば、ただの人間である僕達を選ぶ理由がわかりません」
樹の言葉を聞いた老執事は少しだけ間をおいてから、質問に答える。
「……それが、たいへん申し上げにくいのですが、私たちには誰を、どの世界から召喚するのかは選ぶことができないのです。私達に可能なのは、古代から一騎当千と謳われている『勇者』を召喚ことだけなのです」
「……、その『勇者』を召喚することは出来るが、詳しく指定をすることは出来ない、という事ですか?」
「そう捉えていただければよいでしょう。それと、失礼ですが、一つ……」
そこで一拍おいたウォルスは、声のトーンを少しだけ落とした。
ウォルスの気配が変わる。
出会って間もない樹たちですらわかる、威圧的な雰囲気。
息を呑む少年少女に、ウォルスが問いかける。
「『ただの人間』、というのは、どういう意味でしょうか?」
その瞬間、強烈な圧力が周りに解き放たれる。
「……ッ!? 何だこれ……ッ!!」
殺気。
そう表現するのが正しいような不可視の力が樹たちを襲う。
「ただの人である? 私たちは勇者を召喚したのです。それが? ただの人間? 何の役にも立たないただの凡俗であると言うのですか……?」
圧力に呑まれそうになる樹は、かろうじて次の会話をつなぐ。
「俺たちは……ッ、何も、何もかも知らないんですっ! 勇者? とか言うのに何がっ、必要なのかだって、わからないんですよ……ッ!!」
途切れ途切れに、殆ど叫ぶように言い切った樹の声を聞くと、触れてもいないのにバサバサとマントをはためかせる老執事は、はっとしたように凄まじい殺気を収めた。
「ッ……失礼致しました。あなた方の現状を理解せずに先走ってしまったようです。完全に私の責任ですね。申し訳ありません」
先程の苛烈な雰囲気は欠片も見えない、本当に申し訳ない、といった様子で謝るウォルス。
樹はその様子を見て、恐る恐るウォルスに声をかける。
「あの、俺達の現状、というのは? どういう事です?」
「そうですね。まずそこから始めましょう」
では、とウォルスは懐から小さな袋を取り出すと、中のものを取り、樹たちに配った。
それは透明なガラス玉のようなものだった。
ピンポン玉くらいの大きさのそれを手のひらに乗せながら、ウォルスが説明を始める。
「この宝石は、あなた方の魔力に反応し、砕くことで効果を発揮します。このように」
ウォルスが指でつまみ上げたそれを粉々に砕く。
「こうすると、あなた方の、勇者としての能力の使い方が頭の中に刻みこまれるのです」
詳しい理屈は省きますが、とウォルスが言いながら、砕けた宝石を回収する。
「どうぞ、みなさんもやってみてください」
目線でウォルスに勧められた樹は一瞬、隼人と目を合わせてから一息に掌中の球体を砕く。
——瞬間。
掌から光が溢れた。
溢れ出した光は樹の周りに一瞬漂った後、樹の体に吸い込まれていく。
「っ……!? ああ……ッ!」
光が体に触れた瞬間、樹は言いようのない不快感に襲われて声をあげた。
光の一つ一つが樹の脳へと無理やり流れ込んでくる。
体の周りの光は、すぐに全て樹の中へと吸い込まれていった。
「はあ、……なっ……なんだよ、今の……」
「落ち着いてください、イツキ様。今のは多くの知識を一気に詰め込むことによる一時的な身体の拒絶反応です。しばらくすれば治まるでしょう」
樹に水の入ったコップを渡すウォルス。
それを聞いた女子生徒の一人、小早川香蓮が心配そうに声をかける。
「大丈夫? どんな知識が入ったらそんな風になるのよ」
周りの目線が不安そうに樹を見つめる中、樹は水を一口飲んでから先ほど詰め込まれた知識を開示していく。
「最初に、自分の情報が入ってきた。この体のこと、勇者としての能力、やるべき事。全部俺の頭の中に入ってきたよ」
クラスメイトがこぞって息を呑む中、ウォルスだけが当然の様に質問を投げかける。
「そうですか。では、あなたの『能力』を教えてください。樹さん」
能力。勇者としてこの世界で生き抜く為の、神様から授かった力の名前を樹は口にする。
「俺の能力は……『幻想魔術』っていうみたいです。幻影魔術の一種みたいですね」
幻想魔術、そう教えられた力は、その使い方を完璧に樹の頭の中へと収めていた。
「あと、もう一つわかったことがありました。……俺の体は、ヒトの体じゃなくなってる。この体は、この世界に暮らす人達の体になっているらしいです」
樹の体に起こった変化についても、先ほどの宝石は教えてくれた。召喚された時に、身体の方にも大きな変化があった様だ。
これならクラスメイトの見た目が全く違うのにも頷けると、樹が勝手に納得していると、ウォルスから意外そうな声が飛んできた。
「イツキ様は元々獣人ではなかったということですか? 元は普通の人だったと?」
「あ、見た目でわかります? 自分じゃわからないんですが……恐らく、召喚されるときに出会った、神様らしき人の仕業だと思います……け……ど?」
と、そこまで考えた樹は、この世界に来てからなんとなく感じていた違和感の正体に気がついた。
……クラス全員。
そうだった。あの時一緒に喚ばれるはずだったクラスメイトは? 今ここにいるのは樹を含めて七人。あの場所にいた人数の五分の一。他のみんなは……?
「ウォルスさん! あなたたちが召喚した勇者は僕たちで全員ですか!? 他に誰かいたりはしますか?」
いきなり切羽詰まった様な樹の様子に、ウォルスは戸惑いつつ答える。
「ええ、私たちが召喚したのは七人。あなた方と同じ人数でございます。過不足はありません」
七人。その言葉を聞いて樹は少しだけ気を鎮める。喚ばれていないということは、みんなは元の世界に帰ったのであろう、そう結論をつけて樹はひとまず落ち着いた。
「そうですか。ありがとうございます。」
樹はウォルスに礼を言って、隼人たちの方を見る。
上手く状況を飲み込めない隼人たちに、樹は先ほど砕いた宝石の説明をしていった。
「まあ、これは元々、俺たちがこの世界に来た時に持っていたものらしい。あの神様からの贈り物ってことだと思う」
「てことは……」
「そうだ。この宝石が、神様から受け取った『生きる為の力』ってやつだよ。……そうですよね?」
樹はウォルスに嫌味を込めた目を向ける。
「その通りでございます。失礼だとは分かりながら、一時的に預からせて頂きました。召喚時にあなた方の周りに落ちていたので」
「最初から知っていたんですね。さっき怒ったのも、全て演技ですか?」
「いやはや、お恥ずかしい所をお見せしました。あなた方の振る舞いからして、特別な力や一騎当千の兵士の気配が無いのは分かっていましたから。私が見ていたのはあなた方の度胸と勇気ですよ」
あの程度で腰を抜かすようでは話になりませんから。笑いながらそう言った老執事は、樹以外の六人にも宝石を砕く様に促す。
「本当に大丈夫なんだろうな……」
そうこぼす隼人を尻目に、自己紹介以来一言も話さなかった紺野が躊躇なく宝石を砕いた。
「っ!? あ……っ!」
紺野の体に、光の粒が吸い込まれていく。
それを見た隼人は、決心した様にきつく目を閉じると、一息に手の中の宝石を握り込んだ。
隼人に続いて、他のクラスメイトたちも次々と宝石を砕いていく。
「ぐう!? ……これは、きついな……ッ」
「うあ……ううっ!?」
全員が宝石の光を浴びて、頭痛の余韻に苦しむ。みんなが頭痛から立ち直ると、ウォルスは椅子から立ち上がり、こう言った。
「皆さん。今日はもうお疲れでしょう。最高級の食事と寝室を用意してあります。詳しいことは明日からということで、一旦体を休めてはいかがです?」
ウォルスの提案に、一同は顔を見合わせる。それぞれの顔には、疲れが色濃く滲んでいた。
それを見た樹がウォルスの方を見て頷くと、ウォルスは微笑みながら扉を開け、樹たちへと振り返る。
「それではご案内いたしましょう。魔王国エニファスの王都エンフィードは、あなた方を歓迎します」