91 郷愁縁起編12 二段モーション
「じゃあ、アニキ、お達者で」
俺は今、四人の男たちに見送られ、これから乗る西に向かう船の前に立っている。時刻は早朝だが船の周囲は荷を積み込む人たちと出航の準備で慌ただしい雰囲気だ。
「ああ、世話になったな。お前らももう悪さすんなよ」
「ハイ。俺らは運が良かったって、そう思います」
俺は懐から用意しておいた大銀貨四枚をベックに手渡す。
「アニキ、これは……」
「少ないが、取っといてくれ。えーと、それで、よかったら、偶にでいいからユイの事を気にかけてやってくれないか? 娼館に遊びに行ったついででもいいからさ。俺も事が落ち着いたら様子を見に行くつもりなんだけど……」
ユイはこの場にいない。見送りに来てくれるかもと思っていたが、娼館の朝食の準備の手伝いや井戸の傍の焚火の準備はユイの仕事らしいので、この時間は忙しいのだろう。ちょっと寂しい気もするが仕方がない。
昨日、ベックたちが船の手配をしている間に、ユイには露天商と市場での買い物に付き合ってもらった、それが俺がユイに頼んだ仕事だ。買い物が終わるとユイは日が暮れる前に娼館に帰っていったので、それが最後というわけだ。
「あー、アニキ……そのことなんですけど……」
「おい、そろそろ乗ってくれ。荷はその木箱一つだな? ……お前は二等船室の四号室だ。出航してしばらくしたら船内の施設の説明がある。それまでは船室にいてくれ」
乗船のもぎりをやっている係の男に声をかけられる。俺の傍らに置いてあった木箱を船員の男たちが抱えて船に積み込んでいった。実は木箱の中には荷物と一緒にメイが入っている。ちょっと申し訳ないが、船が出航したら木箱から出てもらい合流するつもりだ。
「じゃーな。真面目に働けよ」
あんまり働いてない俺がこんなことを言うのもどうかとは思ったが、他に気の利いた言葉を思いつくわけもなく、俺はそう言って船に乗り込む。
船のチケットは東に向かう船の分の用意してもらった。そちらにはランシスが乗ったことになっている。本当は誰も乗っていないが、乗船名簿上は乗ったことになるので、少しでも目くらましになればいいという考えだ。だが、万が一俺を追っている者に何か尋ねられたら、俺を庇うことはしなくてもいいとベックたちには告げてある。
「ハイ。アニキも元気で」
ベックと他の男たちの別れの言葉を聞き、軽く手を振って船に乗り込み、もぎりに言われた船室に向かう。
二等船室ということだったが、聞いていた通り他の客と相部屋らしい。ちなみに一等船室は個室で、三等船室はタコ部屋だそうだ。
部屋にはベッドが二つあり、厚手のカーテンで仕切るようになっている。開閉は出来ないようだが採光の為の丸い窓があるので部屋の中は意外と明るい。
相室の人物は先に部屋に入っていたようで、ベッドの脇に荷物が置いてあり、カーテンが閉じられている。まだ早朝だし、寝なおしているのかもしれない。そのうち顔を合わせるだろうから、挨拶はその時にすることにしよう。
手荷物をおろし、ベッドの具合を確かめていると、警笛が鳴り船が揺れた。出航したようだ。説明があるという話だったし、そのまま待つことにする。船酔いを心配していたがこの程度の揺れなら大丈夫だろう。悪天候になるとわからないが。
少し時間たってから、若い船員がやってきた。船の説明をするためだろう。
「まず、船内は火気厳禁だ。客室内で火を焚いたりするな。あと、船員は荒くれが多い、トラブルを起こすな。船内をうろつくのは自由だが、立ち入り禁止の所には入るな。注意事項はそれくらいだ。あとは施設の説明だが……何回か利用したことがあって、説明が不要なら言ってくれ」
「あ、すみません。お願いします。初めて利用するんで」
「そうか、わかった」
船員は特に嫌な顔はせず説明してくれた。
要は食堂やトイレの場所と利用方法などだ。食堂は深夜を除き基本的にいつでも利用できて、金を払えばパンとスープのような簡単な食事ができる。水やお湯が欲しい時も食堂で頼めば貰える。もちろん有料だが。それと【浄化】の魔法も有料でかけてもらうことができるそうだ。食堂は船員たちも利用するので、騒がしいのが嫌なら部屋に持ち帰って食べてもいいと言われた。
あと、火気厳禁は徹底しているらしく、獣脂のランプなども使用禁止だそうだ。夜に灯りが欲しいときは魔石のランプの貸し出しがあるという。これもいうまでもなく有料だ。
最後に、緊急時には船員の指示に従うこと、という注意を受け、説明は終わった。
さて、これから終点の港町まで四日間、追っ手もここまでは来ないだろうし、久々にゆっくりできる。
西に向かう船は海流の関係で一度かなり沖まで出るという。風の具合もあるようだが、今の時期であればそれほど問題はないだろうとだった。途中、一度、キイツ、という港町に寄港するらしいが、それほど大きな町ではないそうだ。気が向けば散策するのもいいかもしれないが、停泊時間は半日ほどだという。
まぁ、とりあえずしばらく船旅を楽しむことにしよう。
だがその前にメイを迎えに行かなきゃな。荷物扱いは流石に申し訳ない。
そんなことを考えながら、船室のドアの前に立った時、不意に後ろから声をかけられた。
「なぁ、甲板に行ってみようぜ。ラン」
振り返るとそこには帽子を被った美少年の姿があった。
「すげー、帝都がもうあんな遠くだぜ! 見ろよ、ラン」
「……そうね。で、……説明してくれる?」
とりあえず甲板に出た俺たちは遠くに見える帝都の港町と、高台に位置する帝城の姿を眺める。
空は雲一つない快晴で、潮風は心地良い。ユイは帽子を手で押さえながら、甲板の欄干に手をかけ身を乗り出してはしゃいでいる。俺だって本当なら歌の一つもそらんじたくなる心地かも知れない。
目の前にユイがいなければ。
「オレ、冒険者になりたいんだ……」
ユイは俺の方に向き直り真剣な顔でそう告げた。そして、俺が何かを言う前に言葉を続ける。
「オレをランの弟子にしてくれ! お願いしまします!」
弟、子……だと。
……コイツ何言ってんだ? ……そもそも、何の弟子だ? 逃亡者のあるべき姿とかか? …………わからん。自慢じゃないが俺は人に自慢できることなんて何もないぞ。なんだ? 俺が他人より優れていること………うん、ないな。冒険者って言われても、俺ほとんど冒険なんてしてないし。
【思考加速】を使ってじっくりと熟考したが、結局わからなかった。ユイは頭を下げて俺の言葉を待っているようだ。
「えーと、……なに?」
結局俺の口から出たのは間抜けな返事だった。
よく話を聞くと、ユイはどうやら俺の事を強くてカッコいい凄腕の冒険者だと思っているようだ。思わず笑ってしまいそうになったが、彼はどうやら真剣なようだ。
ここで否定して笑い飛ばすのは簡単だ。だが、それは無垢な少年の夢を壊すようで心苦しい。それに船は沖に出ているのでもう帰れとも言えない。
なぜ冒険者になりたいのかの理由を尋ねたが、スラムの生活を抜け出したいという理由と、自分のルーツを知りたい、という答えが返ってきた。
「オレが何の種族なのか誰も知らないんだ。忌み子なんて言うやつもいる。そんなのはなんだっていいけど、自分がなんなのかは知りたい」
そのために冒険者になって帝国中を、世界中を旅して探したいという。それが根本の理由なのか後付けなのかはわからない。きっと冒険者というものへの憧れもあるのだろう。そのためにはまず強くなりたい、ということらしい。
そんなこと言われても、という気もしないでもないが、少年の夢を壊すわけにもいかない。とりあえず同行させるしかない。というか、放り出すわけにもいかないのでそうするしかないのだが。
だがこれだけはきちんと伝えておかなければならない。
「ユイ、俺は自分が痛い目に合うのが嫌で、全部を放り出して逃げ出した最悪のヘタレだ。そのせいで色んな人に迷惑をかけてる。これは客観的な観測に基づいている事実なので異論は認めない。これからしばらく一緒に行動することになるけど、弟子とかそういうのはとりあえず今は保留だ。……俺のヘタレっぷりを見れば気が変わるさ」
それについては自信がある。一時の気の迷いだな。若気の至り。ボウヤだからさ。
「……わかった。それでいいぜ。師匠じゃないなら、口調は変えない。でもオレからも言わせてもらうけど、ランが強くてカッコよくて優しいのは、キャッカンテキなカンソクに基づいた事実ってやつだ。今だって、無理やり押しかけた俺に気を使って言葉を選んでる。それに……」
ユイは俺の顔をまっすぐに見ながらニヤリと笑った。
「オレに治療薬を使ったとき、ラン、アンタ半泣きだったろ? 普通、会ったばっかりのスラムのクソ集めのガキをあそこまで心配する奴はいねぇよ。だからオレは……」
「なっ、べっ、泣いてねぇし! おい! 適当なこと言うなよ! 怒るからな!」
「わかったわかった。もう言わねぇよ。……ラン、これからよろしくお願いします」
俺は一つため息をついてユイの頭を帽子の上から撫でる。
「いや、帰れよ」
とりあえず、船室に戻り話し合うことになった。
「いきなり押し掛けたのは謝るけどさ、正面から頼んでもランは絶対うんって言わなかっただろ? 荷物持ちでもなんでもする。オレ、ランみたいに強くなりたい」
「あのさぁユイ、俺がとんでもない変態だったらどうするんだ? 知らない人についていくなって教わらなかったのか?」
「なんだ? 娼婦たちがやってるようなことをオレとしたいのか? そのくらい、ランなら別にかまわないぜ。ただ、オレもやったことはねぇから、最初は優しく……」
「俺は変態じゃないから大丈夫! そういうのはほら、大丈夫だから! わー! 服を脱ごうとするな!」
「そうか? なんでもするって言ったろ? なんでも言ってくれよ。帰れとか、付いてくんなとか、そういうの以外なら、オレ、頑張るから」
コイツぁはヤベぇ。『ん?』 の弾幕が目に浮かぶようだ。……いや、俺の事をからかってるのか? 俺の反応を見て面白がってるな?
「……ユイ、冗談でもあんまりそういうこと言うなよ。お前、可愛いんだから本気にされるぞ?」
「別に冗談じゃねぇし、ラン以外には言わねぇよ、こんなこと」
そういって、ユイは顔を少しだけ赤らめている。……なんだこれ?
たしかに俺は明らかなボール球でもついスイングしてしまうときはある。しかし、これは、ボール球どころか所謂敬遠というか暴投の類だ。いや、それ以前に審判がボークと判定しそうな状況だ。最近、二段モーションはボークではなくなったらしい。だが、こちらの二段モーションは完全にアウトだ。すなわち、ユイは子供でしかも男の子という部分だ。その上反則を取られるのはバッターである俺であるという。……ちょっと自分でも何言ってるかわからなくなってきたが、つまりはそういうことだ。
そのあと、俺がロウ・フチーチであることは伏せつつ、剣は得意ではないし、魔法は全く使えないことを説明した。ユイからすれば俺は強く見えるかもしれないが、それはスキルのおかげだと説明しておく。もちろん【思考加速】のことだ。これはタマムシと一緒に練習して身につけた技術だが、他人から見れば同じような物だろう。剣や魔法を覚えたいならそれが得意な人を紹介するし、冒険者以外の職に就く道もあるというようなことを言って聞かせた。
なにしろユイは若い。商人や職人の弟子、もっと勉強して役所勤めの役人や衛兵や騎士。ユイ次第ではあるが俺が頭を下げてアリオンやアルファード辺りに頼み込めば、きっと面倒を見てくれるだろう。
まぁ、とりあえず強くなりたいということらしいので、ユイがどんな風に強くなりたいのか希望を聞いて、剣の腕を鍛えたいならミラにでもお願いするか。魔法ならトアかエリー……いや、あの二人はやめとくべきか。
それに、これからの予定ではよっぽどのことが無ければ危険はないはずだ。
船は西に進んでいる。終点はガサの町だ。
俺が目指しているのはその町の領主館。つまり、アルファードに事情を話し、建国祭が終わるまでかくまってもらうという作戦だ。さすがに【精神感応】の影響が辺境まで及んでいるということは無いだろう。うまくすれば帝都の連中の動きもわかるかもしれない。
それから四日間の船旅は特に何事も起こらなかった。海賊とか、幽霊船とかに襲われたりなんてするんじゃないかと危惧していたが、そういうイベントは特になかった。そうそうそんな事は起きてたまるか、と思っていたが、これまでの事を考えると、そう言い切れないのも困りものだ。
ユイとは色々な話をした。
ユイは今年で十歳になるらしい。冒険者組合に登録できる年齢が十二歳からなので、それに備えてお金貯めていたそうだ。文字の読み書きもある程度できるそうで、親代わりの娼婦たちの一人が教えてくれたと言っていた。また、犯罪履歴があると冒険者にはなれないので、窃盗や恐喝などの犯罪行為はもちろん、禁制品の売買などにもかかわらないようにしていたという。
ベックたちに捕まって、俺に助けられたあの日、娼館に帰るとみせかけて、メイを伴いベックたちのいる寮に行ったという。そしてベックに相談し、俺と同じ船のチケットを取るようにお願いしたそうだ。
ベックがどうしてそれを了承したのかはわからない。意図的ではなくとも、ユイに怪我を負わせた負い目を感じていたのか、少年の夢を応援したいような気持だったのか。
そして、翌日の俺の買い物を手伝った後、娼館に戻り、旅の準備を整え娼婦たちに別れを告げて、今に至るという。
それにしても、決断力というか、思い切りがすごい。たった二日で確実に人生が変わるような決断をしている。確かにゴミや汚物を集める仕事しながら、娼館で暮らすのは、いい暮らしとはいえないだろう。だが聞いた限りではひどく困窮しているというわけでもなさそうだし、少なくともその生活は安定しているような話だった。
ユイがどんな生活に身を置いていたか詳しく知らない俺が、その決断自体に文句を言う資格はないだろう。相談もなしに押し掛けるという点を除いては、だが。
なんにしても、後の祭りというか、少なくとも建国祭を乗り越えるまでは、一緒に行動することになるだろう。もちろん危険なことをさせるつもりはないが、メイには頼めないようなちょっとした買い物やお使いなんかをお願いするのもいいかもしれない。
そんなことを話したり考えたりしながら、のんびりとした船旅は終わりをつげ、俺達は、目的地であるガサの町に到着した。
2段モーションは規制が緩和されただけで走者がいる状態で悪質と判断されると相変わらずボークです。フチの勘違いですので投手の方は注意してください。




