90 郷愁縁起編11 廃倉庫にて
俺は今、港区の廃倉庫でお茶の準備をしているメイをぼーっと眺めている。
晴れて俺の手下になった男たちの話では、この辺りの古い倉庫は数日後には立て直しが予定されていて、誰も近寄らないという。
俺はここを拠点にすることにした。娼館はそろそろ〈山猫〉の手が回っていそうだし、宿屋に泊まるよりは安全だと思ったからだ。食料の買い出しに行ってくれるやつもいることだし。
茶の準備も整い、それを飲みながらこれからどうするかを考えようと思う。だが、その前にやることがある。
俺は買い出しに行かずここに残っている二人の男に、ちょっと外に出ているように頼むと、目下の懸案事項である対象に声をかけた。
「あー、ユイ、こっち来てお茶にしないか? ほらほら飴ちゃんもあるよー」
ユイが酷く落ち込んでいる。
ユイは俺の誘いにノロノロと火の傍に来てメイからお茶を受け取っていた。やはり元気がない。自身のミスで、自分のみならず、俺を危険に晒したことを悔いているのだろう。だが、これはユイのミスではなく俺のミスだ。もっとユイに気を配るべきだった。彼の有能さについ油断してしまったと言ってもいい。
「えーと、その、ごめんな? 怖かったろ? 俺も一緒についていけばよかったな。それか、メイを護衛につけてればこんなことには……」
「………んで……」
「へ?」
「なんでランが謝るんだよ! バカじゃねーの!?」
「え、あ、はい。すみません」
いきなり怒られてしまった。顔を上げこちらを向いたユイは目に一杯の涙を溜めていた。いくつか慰めの言葉を考えていたのだが、その表情に何も言えなくなってしまった。
俺が何も言えないでいると、ユイはまた俯いて袖口で目元をゴシゴシと擦っている。
「あー、でも、怪我がすぐに治ってよかったよ。血が出てるのを見たときはびっくりしてさぁ……」
「それもだよ! あんな高級品オレなんかの為に使いやがって! オレ、あんなのどうやって返せばいいんだよ! バカ!」
藪蛇だった。ユイは本格的に泣き出してしまった。場の雰囲気を少しでも良くしようと明るい口調で言ったのだが、それがかえって逆効果だったのかもしれない。
大人びたものの考え方や荒っぽい口調に忘れそうになるが、やはりユイはまだ子供だ。
メイがユイの頭を優しくなでている。俺はその様子を見ながらそっとため息を吐いた。
ユイに使った治療薬は怪我に特化したもので、服用すれば体内の魔力に反応して、骨折のような大怪我もさして時間をかけずに治せるという強力なものらしい。まぁ、俺にはあまり効果は無いが、傷口に振りかけたり、打撲の部分に擦りこんだりすれば少し直りが早いので、無いよりはまし、くらいの気持ちでいくつか持ってきていた。実際シルビアもそう言って俺にくれた品物だ。
ユイの怪我は治療薬の小瓶半分を飲ませたり振りかけたりしたらきれいに治ったので、残りはチンピラの男たちに使った。俺が殴り倒した奴らは少し痣ができた程度だったが、メイがぶん殴った奴は顔が酷く腫れていて、表を歩くと変に目立ってしまうと思ったからだ。
男たちは一口ずつ回し飲みしたり、少量を痣に擦りこんだりしていた。量が足りなかったせいか少し痛みが残ったようだが、だいぶ良くなったそうだ。
そして、男たちが言うには、これほどの即効性で効果の高い治療薬は少なくとも金貨一枚は下らないという。
……俺、しばらくの間ヤクルトみたいな感覚で一日一本、毎日飲んでたんだけど。
そんな経緯があり、いつのまにか俺はアニキと呼ばれている。
男たち曰く、殺されても仕方のないところを見逃してくれた上に、高価な治療薬まで使ってくれた。その上、逃亡の幇助とはいえ、その報酬も先払いだ。こんな人をアニキと呼ばずに何と呼ぶのか。ということらしい。なんというか、勝手にしろ、としか言えなかった。
「……ごめんなさい。オレが悪いのに……」
しばらくして泣き止んだユイは、ぽつりと呟いた。
「ユイ、薬の事は気にしなくていい。あんなの俺にとってはヤクルトみたいなもんなんだ。それよりお前が無事でよかった」
「………気にするなって言われても……そのやくるとってのが何なのかもわからねぇし………」
シルビアさんごめんなさい。俺の為に作ってくれたのはわかってるしヤクルトだなんて思ってません。
しかし、子供に泣かれるとどうにも弱い。そして、ユイが無事で本当に良かった。もしユイに何かあれば俺は後悔と自己嫌悪で身動きできなくなっていたはずだ。
俺の我儘で周囲に迷惑をかけているのではないかという思いは消えないが、うじうじしていても仕方がない。ここまで来たんだしとりあえず前に進もうと思う。前に進むとか言いながら、やってることは逃亡なのだが。
何事も中途半端は良くない。逃げるときは全力で逃げる。
「船の件はあいつらに頼むからいいとして、ユイには別の仕事を頼みたいんだけど。どうだ?」
ユイは俺の言葉に驚いたのか目を見開いている。ここでお払い箱になると思っていたのだろう。
本当ならユイとはここでお別れするのが一番いい。それはわかっているのだが、そうするとユイがあまりにも哀れというかなんというか。まったく自分でも甘いなとは思ってしまうが、こればっかりは性分だ。仕方がない。
「ユイがいれば助かるんだ。そんなに難しい仕事じゃないんだが、頼めないか?」
ユイはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げ真剣な表情で言った。
「……わかった。オレに出来る事なら何でも言ってくれ! オレ、ランの為なら何でもする!」
「ああ、頼りにしてるよ。相棒」
ん? 今何でもするっていったよね? というセリフが頭に浮かんだが口には出さない。俺は空気が読めるし、この世界でこのネタは通じない。いや、現代日本でもごく一部でしか通じないし、リアルでは絶対言わないけど。
「マスター、ワタシはアイボウではないのですか?」
俺たちの会話を聞いていたメイがそんなことを言い出した。
「えーと、メイは……ダイアナ?」
「了解しました。マスター。ワタシはマスターのダイアナです」
「………意味わかんねぇー」
俺とメイのやり取りにユイは頭を抱えている。少しだけいつもの調子に戻ったようだ。
「アニキ、食い物買ってきました!」
俺とユイの話もひと段落したときに、男たちが連れだって倉庫に入ってきた。計ったようなタイミングだが、実際に様子を伺っていたのかもしれない。
「ああ、ありがと。お前らもお茶飲む?」
男たちの買ってきた食料をメイが受け取り、ユイと一緒に確認している。結構な量を買ってきたようで、おそらく自分たちの分も用意したのだろう。保存食ではない、すぐに食べたほうがよさそうな物も混ざっているようなので、それを取り分けていたのだが、男たちは並んでモジモジしている。いい大人の男のモジモジは気持ち悪いだけだ。
「すいませんでした!」
気持ち悪いのでモジモジするのを止めるよう声をかけようとしたとき、男たちの中の一人が大声で謝罪の言葉を発し、全員が一斉に頭を下げた。
「今更何言っても遅いんですが、ケジメです。謝罪させてください。……それと、ユイっていったな、済まなかった。本当に怪我なんてさせるつもりはなかったんだ。許してくれ」
そう言って男たちはユイに頭を下げている。
「……いいよ。オレが隙を見せなかったら、アンタらはこんなことしなかった。そうだろ? ……逆にこっちが謝りたいくらいさ。オレの間抜けのせいでアンタらは痛い目に合ったって言ってもいいぐらいだしな」
ユイが言いたいのは、空き巣も悪いがきちんと戸締りをしなかった方も悪い、ということだろう。その考え方はわからなくもないが、悪いのは空き巣の方だと思うけどね。
「……まぁ、飯でも食おう。お前らも座れよ。お茶もあるし。……それで、船に乗る方法とか、他の町の様子も聞きたいんだけど」
日も落ちてきたようで、小腹も減ってきたので少し早いが夕食にすることにした。
俺の言葉に、男たちはおずおずと腰を下ろす。男たちのおすすめだという魚の揚げ物が挟んであるパンをかじる。白身魚のフライのようなものに濃いめの味付けのソースが絡んでいて美味い。酒が欲しくなるな。
食事をしながら男たちに簡単な自己紹介をしてもらう。
リーダー格の男はベック。他はそれぞれ、ジェフ、エディ、ラインハルトという名前らしい。なんか一人だけ名前がカッコいい。別にいいけど。
歳も皆二十歳前後だそうだ。出身もバラバラで帝都生まれはエディだけだそうで、他はよその町から流れてきたという。
男たちはこの港で荷の積み替えや、商会への集荷や配達を行う日雇い労働者のような仕事をしているらしい。結構な重労働だが仕事が切れることは無く、ある程度稼いだら数日ゆっくり過ごし、金がなくなったらまた働く。そんな風に過ごしているそうだ。
その後、貨物船に潜り込む方法も教えてもらった。潜り込むというか、少し金を積めば身分証が無くても正規の乗船券を手にいれることができるそうだ。ただ、どの商会の船でも、という訳にはいかず、そのあたりのチェックがアバウトな商会が所有する船でなければいけないという。
「直近なら明後日に出る船に乗れますぜ。西と東、どっちに行く船もあったと思います。その後となると調べないとわかりませんが、その商会の船が出るのははだいたい四日おきぐらいです。後は天候なんかもありますし……」
ふむ、明後日を逃せばその四日後だから、今から六日後か。なるべく早く帝都を出た方がいいので、明後日の船に乗るとしよう。しかし西と東、どちらに向かうか。
「海賊とか魔物はどうなんだ? 遭遇率っていうか、よく出るのか?」
「へい、海賊は最近数を減らしているそうです。なんでも帝国水軍が頑張ってるようで。それでも偶にってぐらいでしょうか。魔物は何とも言えないですね。大型の船が沈むような被害は年に二、三回程度ですかねぇ」
その後も色々な話を聞きながら作戦を練る。ただ、作戦といっても、行先にもよるが船に乗ってしまえば少なくとも三日は船の上らしい。その間は安心だろう。まさか海の上までは追って来まい。
真面目な話をしていたのだが、よその町の話からそれぞれの故郷の話になり、簡単な身の上話になった。だいたいが農家の三男だとか貧乏家族の四男だとかで、出稼ぎに来てそのまま居ついてしまったというありがちな話だったのだが、ラインハルトだけは違っていた。そこそこ裕福な家庭に育ったようなのだが、結婚の約束をしていた幼馴染の彼女を親友に寝取られたらしい。それで、逃げるように故郷を飛び出したという。何年か前の話らしいのだが、そのショックで未だに女性不信なんだそうだ。
その話を聞いたユイがスラムの娼館を紹介していた。
「組合にも加盟してるちゃんとした店だし、オレの名前を出せばケツの毛をむしられるなんてことはねぇよ。なんなら案内してもいいぜ。ちょっと遊んで昔の女なんて忘れちまえよ」
「でも、スラムの娼館ってなんかこえーな。大丈夫なのか? 雌のオークのみたいなのばっかりとかじゃないだろうな?」
「まぁ、確かにそんなのもいるけどな。それはそれで人気があるんだぜ? うちの稼ぎ頭さ」
「……マジか。……見てみたいような見たくないような……」
「普通にキレイどころもいるって。なぁ、ラン」
「え? あー、うん。普通に美人だったけど。ターシャさんとか」
「マジですか! さすがアニキ!」
なにがどうさすがなのかはわからないが、こいつらは万事この調子だ。呆れるのを通り越してちょっと笑える。
そんな感じで最後は雑談のようになってしまった。ただ、ユイがいつもの調子に戻ったので少し安心した。
夜も更けたころ、男たちは自分の寝床に帰ると言い出した。彼らはとある商会が経営する寮のような施設に寝泊まりしているとのことで、そこへ一度帰り、明日の朝また来るという。その時に簡単な朝食を買ってくると言い残し去っていった。
ユイも一度娼館のねぐらに帰るそうなので、メイに送らせた。ユイは嫌そうだったがそう言う訳にもいかない。ユイに何かあったら俺は精神的に立ち直れないかもしれない。
魔石のランプを灯し焚火の火を消す。木箱を利用してなるべく外に光が漏れないようにして、ローブに包まる。
急に静かになり、一人になったことで緊張がほぐれる。
魔石のランプの青白い光をボーっと見ながら過ごした。
色々と考えなければならない事はあるが、少し頭を休めたい。
メイが帰ってくるまで眠ってしまわないようにするのが大変だった。




