12 ゴブリン村編8 逃亡
「ふう、ひどい目にあったわい、自慢の髭をひっこぬかれるとこじゃった」
ドルフは左手で髭を整えながら、右手でトアが入れたお茶を飲んでいる。
「いっそ、全部そり上げてみればいいです。どんな顔になるか見てみたいです」
ははは。あいかわらず、言葉のナイフが鋭いな、トアは。まぁ、それはたしかにちょっと見てみたい気はするが。
「おお、怖い怖い。しかしこのお茶は旨いのう。余分にあるならぜひ土産としてわけてもらいたいが……」
あの後、とりあえずミラが自己紹介とギルバートの紹介をして、トアが皆の分のお茶を淹れなおし、今に至る。
「ドルフ、さっさと要件を言いな。まぁ見当はついてはいるが、アタシも色々と忙しいんだよ」
長老が真面目な声色でドルフに告げる。
「ふむ、儂の話は少し込み入った話じゃが、かまわんかのう」
俺やトア、そしてミラに視線を向けそう呟くようにいう。席をはずして欲しいということだろう。
「この子らにどうせ後で説明することになる。それからそこの人間の娘がここにいるのはあんたと似たような目的だよ。アタシの勘だがね」
ドルフはもう一度、ふむ、とうなずき、まじめな口調で語り始めた。
「娘の……リジーのことなのだが、……おそらく次の春を迎えられそうにない」
え、いきなりなんか重いんですけど。
「シルビアの薬と教わった治癒術で、だましだまし症状を押さえてきたが、もう限界の様なのだ」
「……で、どうするんだい? アンタがいつもより早くこの村に来たことと関係があるのかい? 薬が出来上がるのはまだもう何日かかかるよ」
「実は、今日、リジーをここに連れてきているのだ。儂が背負ってきた。あの子は里の外に出たことが一度も無かったからな。トア嬢ちゃんに会うのも楽しみにしておったよ。あとで話をしてやってくれ」
ドルフにそう言われトアは神妙に頷く。
リジーというのはドルフの娘で話を聞く限りどうやら重い病気のようだ。村に着いたときには眠っていたので、いまはフレジに頼み、お供のドワーフ数人と一緒に村はずれの空き家に寝かせているらしい。
「……最後の思い出に、ってことかい?」
「……そういう意図がまったくないとは言わぬがな」
長老の問いにドルフは俯きながら苦しそうに答える。
「この村に、リジーを預けて、儂は森の奥に探索に行く。雪で森が閉ざされるまで、まだしばらく猶予がある。例の薬草を見つけるまで帰ってこぬつもりじゃ。無論、雪が降るまでに見つけられねば帰っては来るが、その間、リジーを頼みたい。万が一リジーの病状が悪化しても、シルビアがそばに居れば安心じゃろう」
そこでとぎれた言葉を長老が続ける。
「つまり、雪が降るまでにアレを見つけるか、見つけきれずに帰ってくるか……」
「……魔物の餌食になるか、じゃな。……なに、儂は必ず見つけて帰ってくる、案外あっさりと見つかる可能性もあるしのう」
「あの深い森は奥に行けば行くほど魔物が凶悪になる。探索するだけでも困難だというのに。広大な森でアレを探すのは、草原に落ちている1本のコボルトの髭を探すようなもんさ。……友人として言わせてもらう。やめときな。……少しでも長くあの子そばにいてやりなよ」
ドルフは長老の言葉に小さく首を振る。
「頼みたいことはもう一つある。もし、雪が降る頃になっても儂が戻らなかったときは、リジーに〈導通の儀式〉を施してもらいたのじゃ。わずかではあるが生きる目もある」
頼む、とドルフは頭を下げる。
「……エデ病か。アンタの娘も難儀な病をわずらったもんだね」
長老はドルフの懇願には返事をせず、ただそう呟いた。
「……いま、エデ病といわれたのだろうか?」
その呟きにミラが反応する。
「その探索とやら、私も同行させてもらいたい」
ミラは真っ直ぐにドルフを見つめそう言った。
「私の妹が……、そのエデ病なのだ。この辺境に訪れたのは伝説のハイエルフの里に行き、エルフの秘薬を手に入れるためだったのだが……」
今度は長老の方を見ながら言う。
「その薬草とやらを見つけてくれば、シルビア殿はエデ病を治す薬が作れるのですか?」
「ああ、そいつの葉っぱ一枚でもあれば作れるよ。しかし……」
長老の言葉をさえぎってミラは続ける。
「誰も行ったことがない、本当に有るかもわからないエルフの里を探すより、ずっと希望がある。お願いだドルフ殿、荷物持ちでもなんでもする。私も連れて行ってほしい。私は戦闘向けのスキルも持っているし、決して足手まといにはならない。もしそうなったら打ち捨てて行ってかまわない。どうか、この通りだ」
今度はミラが床に頭がつきそうなほど下げている。それをみてドルフは言う。
「……ミリアナとか言ったか、お前さん帝国の貴族様じゃろう? 儂ら亜人種なんかに頭を下げていいのかね?」
「私の頭なんぞでよければいくらでも下げる。それで妹の命が助かる目があるのならば。たりなければ私の父母、祖父母の頭も下げさせよう。屋敷の者全員の頭を下げさせる。妹の、アルティアナの為ならば頭の一つくらい皆喜んで下げてくれるだろう。金品や財貨が必要なら望むだけ用意する。だから頼む。頼みます。私も連れて行って下さい」
ドルフは静かに告げる。
「……八分で死ぬぞ」
「はい」
「残りの二分は空振りじゃ」
「……それでも、妹の為にこの命を使えるのなら、後悔はありません」
ドルフは深くため息をつく。
「……わかった。共に行こう。儂は娘のため。お前さんは妹のため。儂らは同志じゃ。こちらこそよろしく頼む」
ミラはその言葉をきいてゆっくり頭をあげる。
「はい。よろしくお願いします。私のことはミラと呼んでください」
その様子を見ながら長老もため息をついている。とてもじゃないが横から口を出すような雰囲気ではない。
重苦しい空気を振り払うようにドルフは少し大きな声で言った。
「よし、ミラよ、必ず見つけて帰ってこようぞ。その薬草、マンドラゴラをな!」
「「え?」」
俺とトアは同時に間抜けな声を上げてしまう。
「なんじゃ? ……おお、そういえばそろそろリジーが目を覚ましているかもしれん。トア嬢ちゃんは様子を見に行ってきてくれんか?」
「フチ、私が森に行っている間、ギルのことを頼みます。言葉の通じないこの村でも同じ人間であるあなたがいれば、彼も安心でしょう」
ドルフとミラは俺たちに明るく声をかけてくる。先ほどの悲壮な覚悟を覆い隠すように優しく微笑んでいる。
「いや、あの。トアと、えーと、昨日ですね、あれ一昨日だっけ?」
俺は混乱している。
「オババ! エデ病の薬ってマンドラゴラだったですか!?」
トアは長老に食って掛かっている。
「あ、ああ、そういえばまだしっかりと教えてなかったかい?」
長老は戸惑いながらそう答えた。
「だからマンドラゴラを欲しがっていたですね!」
トアは立ち上がり大きな声でまくしたてる。
「いったいなんだってんだい! トア、今は大事な話をしているんだから少し落ち着きな」
長老の声も少し大きくなる。ミラとドルフも戸惑っているようだ。
「………あるです」
トアはぼそりと呟く
「いったいなにが? アンタ何言って……」
「あるです! フチ! 持ってくるです! はやくです!」
トアは長老の問いも無視して弟子である俺に命令を下す。俺はすみやかに命令を遂行する。
長老の家の裏にある倉庫に走ると、昨日置いた時のまま大きな鉢植え状態のマンドラゴラが鎮座している。俺はそれを慎重に抱え上げ、そして慎重に移動する。
長老の家に戻ると、トアが入口の布を捲り上げ待っていてくれた。俺は落とさない様注意しながら、ゆっくり家の中に入る。何しろ落としたら死ぬ。
後ろからトアも続いて入ってくる。そして俺の横に立ち、俺が持っている大きな鉢植え状態の植物を指さして、言った。
「マンドラゴラ、あるです!」
「え?」
「え?」
「はぁ?」
三人は事態がのみこめないのかしばらく呆然としていたが、やがて長老が立ち上がり、俺が持っている鉢植えを確認した。
「……こりゃぁ、間違いないね。確かにマンドラゴラだよ。しかも生きてる奴を見たのはアタシも初めてだよ……」
俺は、三人の視線が集中する中、ゆっくりとマンドラゴラを床に置き、そしてゆっくりと長老の家を出た。軽く伸びをして体をほぐす。
すでに日が昇り気温もずいぶん上がっている。天気も良く、まさに小春日和といった風情だ。小春日和は冬の季語だったか? まだちょっと早いかな。ははは。
後の説明はきっとトアがしてくれるだろう。うん、あとはトアにまかせよう。なんたって俺の師匠だしな。あ、マシュのところに赤ちゃん見に行こうかな。それがいい。お祝いも言いたいし。うん、そうしよう。ははは。
俺はそっとその場を後にした。速足で。
マシュの家に行き、双子の赤ちゃんを見せてもらった。男の子と女の子で名前はサンとニッツと名付けたそうだ。ちなみにお母さんゴブリンの名前はイーマというらしい。それはともかく、最近、ゴブリンを見慣れてきたということもあるかもしれないが、どんな生き物でもやはり赤ちゃんはかわいい。
森から採ってきた果物が少しだけ残っていたので、お土産としてイーマに渡したらとても喜んでいた。
そのあと、マシュの家の薪割りを手伝ったり、荷物を運んだりと、ちょっとした力仕事を手伝ったりしていたら、あっという間に夕暮れの時刻となった。夕飯も食べていけというイーマの言葉に、それもいいかなと考えていると、フラフラとした足取りでトアが現れた。
「やっぱり、ここにいたです」
トアはちょっと虚ろな目をしている。
「あー、いや、出産のお祝いにさ。赤ちゃんも見たかったし。すぐ戻るつもりだったんだけど、マシュのお母さんもまだ動けないだろ? ちょっとお手伝いをしていたんだよ。薪割りとか。薪はこれからの季節必要だろ? 多めにあっても無駄にはならないしさ。意外と時間かかっちゃって……。決してあの場から逃げるとかそんな意図があったわけでは顔はやめてください!」
俺の必死の弁解を聞いているのかいないのか、ボンヤリと俺を見ていたが、やがてフラフラとマシュの家の中に入って行った。え、何? なんか反応無いのも逆に怖いんですけど。
そのあと暫くしてトアはマシュの家から出てきた。
「はぁ。赤ちゃんを見たら少し元気出たです」
そういうトアの表情は確かに先ほどより明るくなっている。
「リジーが目を覚ましたそうです。会いに行くです。あとドルフがお前と話をしたいから連れてこいって言われたです」
え、そのリジーって子はともかく、ドルフに会うのはちょっといやだなぁ。
マシュとイーマに挨拶をし帰る旨を伝える。マシュ達はトアの様子が変なので少し心配していたが、疲れているだけだと説明して帰路についた。
トボトボと歩きながら、トアはポツリポツリと語りだした。
「……お前が逃げ出した後、とっても……とーっっっても大変だったです……」
「別に逃げたわけじゃはいすみませんでした!」
まさにギロリという擬音が聞こえてきそうな勢いで睨まれてしまった。
「……皆、泣いたり笑ったり怒ったり叫んだり……。掴みかかられたり抱きつかれたり……もう本当に大混乱だったです。そんな中、何回も何回も何回も同じ説明をしたです……もう、本当に、……はぁ」
トアの話によると、確かに大変そうだった、と同時にあの場を上手く離脱した自分を誉めてやりたくなった。
「わたしがそんなひどい目にあっている間、お前は赤ちゃんと遊んでいたです。まったくひどい弟子です」
「いやぁ、べつに遊んでいたわけでは……」
「まぁ、いいです。マンドラゴラを採取したのはほとんど、フチの手柄ということにしたてきたです」
トアは、さらりととんでもないことを言う。
「確かに見つけたのはわたしです。でも、採取方法を考えたのはフチです。実際に採取して、安全に持ち運びできるよう考案したのもフチです。ウソはいってないです」
まぁ、それは確かにそうなんだけども……。
「フチも、掴み掛られたり、抱きつかれたり、もみくちゃにされればいいです!」
……本音はそれか。うわぁ、テンションさがるなぁ。行きたくないなぁ。