閑話 裏の話8
「あ、お母さん? あったよ。合格です」
『……ほんとにうかったのね。二学期の時のあの偏差値から、公立の文系に受かるなんて、……ちょっと信じられないわね。お母さん、浪人も覚悟してたんだけど」
「うん。皆にも言われた。まぁ、私もちょっと信じられないんだけど。椎子なんて裏口を疑ってたよ。お母さんが手を回したんじゃないかって」
『それは確かにやろうと思えば出来なくは無いけど、そんなことするはずないでしょ。藍の実力よ。……おめでとう』
「……ありがと。……啓介さん達が迎えに来てくれるって言ってたから、帰るのは夕方になるかも」
『わかったわ。今日は詠も帰って来るって言ってたし、夕飯は少し豪勢にしなきゃね。お父さんにはもう知らせたの?』
「うん、さっきラインした。既読つかないから忙しいのかも」
『そう。はしゃいで変なことしちゃだめよ。じゃあ、うちで待ってるから』
「うん、じゃーね」
「……おばさん、なんやって?」
私が電話を切るのと同時に同じようにどこかに電話をかけ終えた椎子が話しかけてきた。
「おめでとうだって。それと、裏口はやろうと思えば出来るけど今回はやってないって言ってた」
「……アンタそれ言うたんかい。っていうか、出来るんかい! ……もしかしてウチがそんなこと言うたって言ってないやろな?」
「あー、……うん。……イッテナイヨ」
「………言うたんか。……まぁ、あの人はそんなん言われても気にせんやろうけどな。……しかし、ホンマに合格したんか。凄いな。藍はやればできる子やと思ってはおったけど、ほんとに有名大学に合格するとはなぁ……それに、もうあれから半年も経つんやなぁ」
「うん。……そうだね」
半年前、一人暮らしをしている兄さんに連絡がつかなくなり、それを心配した私は兄さんのアパートに様子を見に行った。そこで、緑色の謎生物に出会った。
そして私は知った。この世界は、この世界だけじゃなかった。そして、私が知っているつもりだったこの世界も、知らないことだらけだった。
そして、その時にある人から一緒に働かないかと持ち掛けられた。自分で言うのもなんだけど、なんの取柄もない、普通の女子高生だった私にその人はそう声をかけてくれた。
正直いって嬉しかったんだと思う。家族以外の大人の人に初めて必要とされている気がした。そして、その人の期待に答えたいと思った。やりたいことや目標なんてなくて、ただなんとなく女子高生をしていた私は、あの日から周りがドン引きするくらい勉強した。その人の期待に答える為に。そして自分を納得させるために。
「兄貴が車で迎えに来てくれるんやけど、まだ少し時間あるしこれからどないする? メシでも行くか?」
「うーん、でも、この辺の土地勘ないし、喫茶店みたいな店はあったけど、初見の店って少し入り辛いよね」
合格発表の掲示板が有る場所を離れてそんな事を話していた。校門の外に出たとき、椎子がスマホで適当な店を検索している横で、私は辺りを見回していた。春からここに毎日来ることになるのだと考えると少し感慨深いと言うか、なんとも妙な気分だ。
そこで、ふと、私の方に手を振っている男の人がいるのが目に入ってきた。最初は誰か他の人に手を振っているのかと思っていたけど、どうやら私に向かって手を振っているらしい。その人は私の方にゆっくりと近づいてきた。
「その様子だと、合格したんすか?」
私の目の前に来てそう話しかけてきたその人は、以前会ったことが有る人物。たしか、ナナイさんという人だ。ちょっとイケメンだけど相変わらずくたびれたスーツを着て、ネクタイは曲がっている。
「……はい。合格でした。………お久しぶりです、ナナイさん。今日はお一人ですか?」
「おー、おめでとうございます。それにしても、名前覚えていてくれたんすね。室長も一緒っすよ。今はお手洗いに………、あ、室長! こっちっす! いましたよ!」
ナナイさんは話の途中で私の後ろに向かって手を挙げる。そちらに視線を向けると、背の低い黒髪の若い女性がこちらに歩いてきている所だった。こちらも相変わらずスーツ姿が似合っていない。
「久しぶりだな。今井藍。合格おめでとう。そちらは大葉椎子か。お前もこの大学を受けたのか?」
「………いえ、ウチは単なる付き添いです」
「そうか」
急に話しかけられた椎子は少し戸惑っている様子だった。この二人に会うのはあの日以来だけど、誰かと見間違えることは無い。私の人生はあの日、この人の言葉で変わったのだとはっきりわかっているから。良い方に変わったのか悪い方に変わったのか、それがわかるのはこれからだけど。
「私がこの大学受けた事知ってたんですか? それに合格したことも……」
今会ったばかりのナナイさんの口ぶりでは合否がわかっている風でも無かったし、この人たちにこの大学を受験したことを知らせた覚えはない。もしかしてお母さんに聞いたのかな。
「内調ほどではないが、一学生の志望校と合否を調べるくらいの事は私達にとっては簡単な事だ。それに、この大学の研究室には世話になっているということもあるしな」
う、そういうのは少し引くんだけど。まぁ、あんなお母さんの娘の私が言う事ではないか。そんな事よりも一つだけ気になることが私の頭をよぎった。
「……あの、もしかして、私が合格したのって………」
「いや、それは無い。今井真衣に、……お前の母親に釘を刺されたよ。推薦ならともかく、当たり前でないやりかたで大学に入学したとしてもお前の為にならない、とな。この大学に合格したのはお前の実力だ。……よく頑張ったな」
私はその言葉に少しだけこみ上げるものが有る。別に全部が全部泉さんの為に頑張ったわけじゃないけど、そう言われるとやっぱり嬉しい。
「……はい。ありがとうございます」
「少し話をしたいのだが……ここで立ち話もなんだな。近くに洒落た喫茶店が有る。合格祝いと言う訳でもないがお茶でもご馳走させてくれ。時間が有るか?」
「それは大丈夫ですけど………」
私は椎子と顔を見合わせる。
「……まぁ、どっかで時間を潰そうと思っとったところやし、せっかくや、ご馳走になろか」
そいうことになっったので、私達は大学の校門から十分ほど連れだって歩き小さな喫茶店に辿り着いた。小さいが落ち着いた雰囲気の店で、テーブルや椅子は年代物のように見える。きっと長くこの場所で店をやっているのだろう。店主らしき人物は初老の白髪交じりの男性だった。時間帯のせいなのか、私達の他にお客はいないようだ。
「おや、泉さん。少し久しぶりですね。……そちらは、学生さんですか?」
奥のテーブルに陣取った私達にお冷を持ってきた店主は、そんなことを泉さんに話しかけている。といってもテーブルに座っているのは私と泉さんの二人で、椎子とナナイさんはまるで申し合わせていたように少し離れたカウンターの席に座っている。もの凄く自然にそんな感じの配置になってるけど、なにこれ? そんなのうち合わせしてる風でも無かったんだけどなぁ。
「ああ、そこの大学にこの春から通う事になる。ピチピチのJDというやつだ。……私はいつものやつを。ナナイと大葉椎子も好きなものを頼んでくれ。遠慮しなくていいぞ」
泉さんはカウンターに座っている二人にそう声をかけた。
「やった。マスター、今日何日目っすか?」
「三日目ですよ」
「じゃ、僕それ大盛で」
「え、なんなんですか? 今のやり取り」
「このお店の個人的なお勧めはカレーとオムライスなんすけど、定期的に大鍋で作ってるカレーの熟成したやつは特にお勧めっす」
「そうなんや。……じゃあ、ウチもカレーで、普通盛でお願いします。泉さん、すんません。ご馳走になります」
椎子たちのそんなやり取りを耳にしながら、メニューを眺める。でもあんまりお腹も減ってないし、カレーとかオムライスって感じでもないし、うーん、どうしよう。泉さんもマスターも待ってるよね。
「………えーと、じゃあ、泉さんと同じものを下さい」
これぞ、無難な日本人的オーダーだよ。ご馳走してくれる人より高いものを頼むのもなんとなく気が引けるし、遠慮しすぎて安いものを頼むのも、好意を無下にすることになりかねない。そこで、ご馳走してくれる人と同じものを注文する、というのが、教科書には載っていない一般常識というものだ。
「………わかりました」
私の注文にマスターは少しだけ目を見開いた気がする。気のせいかもしれないけど。そして、今の間はなんだろう。泉さんは常識人っぽいから変なモノは出てこないと思うけど、一応尋ねるべきだったか。
「さて、公立の有名大学に合格したという事は、私の誘いに応じる気が有る、という事でいいのか?」
「はい。一応そのそのつもりですけど、……あの、ずっと思ってたんですけど、なんで私なんですか?」
私はずっと気になっていたことを尋ねてみた。なんというか、私は人より劣っているわけではないと思うけど、優れているわけでもない。と思う。なにか自慢できるような特技や趣味があるわけではない。機転が利くわけでもないし、行動力はどちらかと言えば無い方だと思う。泉さんは私を気にかけてくれているようだけど、客観的に見て、私ってどこにでもいる一般人なんだけど、という思いが拭えない。
例えばあの事件の時に会った山科秋さん。あの人みたいに機転や行動力のある人の方が私なんかよりどう考えても使えそうだけど。
「まぁ、一言で言うと勘だな。理由はあの時に言った通りだ。お前の中ではどうか知らないが、異世界の明らかに人ではない人型の生き物に初めて遭遇した時に、お前のような対応は普通ありえない。お前、あの得体のしれない生き物が毒を持っているかもしれないとか、いきなり襲ってくるかも、とか考えなかったのか?」
泉さんに逆にそう尋ねられ、あの時の状況を思い出す。
「うーん。そんなこと言われても……。最初は宇宙人だって思って、怯えてるみたいだったから……」
「怯えているからといって攻撃してこないとは限らない。窮鼠猫を噛むという言葉もあるように、逆に危険な状態ともいえる。正常な精神状態ではないのだからな」
そんなこと言われてもなぁ。
「………たぶん、ですけど、仲良くなりたかった、……違うな、……敵だと思われたくなかった、かな。兄の部屋にいたこともあると思いますけど……」
その時の状況を思い出しながら、私は自分の行動を分析する。自分のことなのに、なぜ、あんな行動を取ったのかわからない。まぁ、それ以前にあの状況でどういう行動をするのが正解なのかは、きっと答えの無い問いには違いないと思うのだけど。ただ、泉さんの言う、普通、っていったいなんなんだろうな、とは思う。
「そこだ。全く未知の緑色の謎生物となんの前知識も前触れもなく、しかも一対一でいきなり遭遇して友好的に対応できるものはほとんどいない。人間という種は臆病だが攻撃的な生き物だ。突然理解できない物事に遭遇したら、逃げるか、それが出来ない状況なら攻撃することを考える。状況にもよるがな」
そうなのかなぁ。そんな風に言われると、そんな気もして来るけど。私、深夜の通販番組とか見てると欲しくなっちゃうタイプなんだよね。こう、断定口調に弱いと言うか。
「でもアーニが……あの生き物がもし本当は危険な生き物だったら、私の対応はマズいですよね?」
「そうだな。だが、うちのメンバーはなんというか、みな攻撃的でな。お前に期待しているのは緩衝材というか、ストッパーの役目だ。あと、事務所にはお茶を淹れるやつがいない。女性はもう一人いるんだがな」
ふむ。そんな風に言われると、こんな私でも少しは役に立つことがあるのかな。
「まぁ、最終的に無理強いはしない。これからの大学生活で他にやりたいことが見つかるかもしれんしな。ただ、大学生活に慣れたらうちにバイトに来い。お茶くみと書類整理の雑用がいるだけでも助かるんだ。特殊な部署だから、簡単にバイトを雇う訳にもいかなくてな」
それは確かにそうだろうな。ゴブリンがどうたらとか書かれた書類を見せる訳にもいかないだろうし、いくら守秘義務って言っても、人の口に戸は立てられないって昔から言うし。正規の職員ならともかく、学生とか派遣のバイトを雇うわけにはいかないよね。
「いい機会だし、うちの仕事を簡単に説明しておこう。あと、なにか質問が有れば答えよう。まぁ、答えられないこともあるが」
泉さんがそう言い終わるかどうかの時に、マスターがお盆を持ってテーブルにやってきた。私と泉さんの目の前に置かれたのは顔位の大きさの器に山盛りに盛られたフルーツとあんことアイスクリーム。それとコーヒー。
「特盛フルーツあんみつとコーヒーでございます。……それと、最近よく聞かれるので一応先にお断りしておきます。写真を撮るのは構いませんが、当店はインスタやツイッター等に投稿するのはお控え願っておりますので。……では、ごゆっくりどうぞ」
これは……あんみつはメニューにあったけど………特盛ってなに? 頑張れば食べれない量じゃないけど、このあんことクリームはきつそうだなぁ。そして、投稿禁止って、つまりネタとかじゃなくガチのやつじゃんコレ。その上おごってもらってるんだから残すわけにはいかないし……。
「どうした、遠慮せずに食え。このあんみつはこの店の私専用の裏メニューなんだぞ。私以外で食べるのはお前が初めてかもしれんな」
泉さんはそう言って満面の笑みであんみつにスプーンをつっこんでかき混ぜている。もともと童顔な人だと思ってはいたけど、油断しているのか、その笑顔はまるで少女のように輝いている。それにしても、この人かき混ぜる派なんだな。どんな食べ方でもその人が美味しいと思えばそれはその人の自由なんだけど、けっこう綺麗に盛り付けてあるのに、なんていうか、マスター可哀そう。そしてその仕草が益々少女っぽさに拍車をかけている。
予想外の事態に少し呆然としている私はなんとなくカウンターの席に座っているナナイさんの方を見てしまう。その視線に気が付いたナナイさんが、少しだけ申し訳なさそうに、そして哀れむような視線を返しながら頷いている。椎子はともかくとして、もしかしたら、ナナイさんはこれが来るのがわかっているから一緒のテーブルに着かなかったのかもしれない。
とりあえずスプーンを手にとって見たはいいが、目の前にそびえる山をどこから攻略するべきなのか、わたしは暫くの間逡巡していた。
「い、ただきます……」
私が目の前のフルーツとあんことクリームの山と格闘戦を繰り広げている間に泉さんは説明を始めた。
「一応極秘扱いなので、まだ一般人であるお前に教えるのはルール違反なのだが、それを理解したうえで聞いて欲しい。まず私達の仕事は特殊な入国者の検疫と査証の審査、その発行だ。そして不法入国者、滞在者の取り締まりと悪質な入国者及び不法滞在者の強制送還。その辺のことはわかっているな?」
そう、それは知っている。特殊な入国者っていうのが、本当に特殊な事が問題な訳だけど。
「あの、気になっていたんですけど、たしか正規のスタッフは五、六人しかいないってお母さん……母が言ってましたけど、その人数で日本全国を対応しているんですか?」
「事案が発生する件数は少ない、そしてその場所はだいたい決まっている。といっても原因等のはっきりしたことはわかってないがな」
そう言って泉さんは説明を始めたのだが、説明をしながら泉さんのあんみつはどんどん減っていく。会話をしながらというか、泉さんが一方的に喋っているのだが、大食いの女性タレントみたいな勢いで、みるみるうちに口に運ばれていくあんみつに目を奪われ、説明を聞くどころではなかった。もしかしてかき混ぜるのがコツなのか。私もかき混ぜた方がいいのか。いやしかし……。
そんなもの凄く集中できない状況で聞いた内容によると、この世界と別の世界は昔から偶に繋がることが有ったようだ。地脈がどうのとか月の満ち欠けが、とか色々言ってたけど、はっきりしたことはわかっていない。わかっているのは火山とかプレートの継ぎ目みたいな場所の近くはそういうことが起こりやすいようだ、と言っていた。その点で言えば、日本は他国に比べてもそう言う事が起きやすいらしい。
「そして、この話は特に極秘なのだが、まぁ、お前ならかまわんだろう。実は全国に在る一部の携帯の電波塔に仕掛けがしてある。一定以上の気の乱れに応じて私が作った特殊な札が焼き切れるようになっている。そこにセンサーが設置してあって、うちの事務所でモニターできるようになっていると言う訳だ。私達の通常業務はそのモニタリングと定期的な呪符の見回りだな」
そう言って、泉さんはスプーンを置いた。そして、コーヒーに口を付けている。あんみつの器は綺麗に空になっている。うそでしょ、わたしやっと半分くらいだよ。
「えーと、その強制送還っていうのはどうやって? なにか装置みたいなものが有るんですか?」
気を取り直して、と言う訳でもないが、とにかく質問してみる事にした。私が気もそぞろなのがバレると気まずいし。ただ、質問の内容はとりあえずではなく本当に気になった事だ。クローネンバーグのあの映画みたいな装置があるのだろうか。
「その辺りの話も本当は極秘なのだが、……まぁ、今更だな。私の一族に伝わる古い呪法、常世送りの法というものがあるのだ。術の行使には特定の場所と時期が必要だがな。しかし、この術は一方通行の送還術なので、正直なところ本当に元の世界に送り返すことが出来ているのか今まで不明だったのだが、その効果は例のミシア氏によって確証を得ている。そしてそのミシア氏の協力により術理も解明されつつある。もしかしたら近い将来お前の言う装置のような物もできるかもしれん。……どうした? さすがにこの話には驚いたか?」
「え? いや、あー……はい。少し」
驚いてますよ。あなたの食べっぷりにですが。私もうお腹も胸もいっぱいなんですけど。
「だが、そのミシア氏は問題だな。これまでの世界間行き来はすべて偶発的なもので、意図的なものと思われるものは報告されていない。ミシア氏は公式に確認されたその初めてのケースだ。一応上にも報告はしたが。ミシア氏とその友人である日本人の、……元日本人の堤氏とも面会したが、両者とも異世界間交流には消極的だった。今の時点ではあまり良い未来は想像できないとの事だったが、その点で言えば私も同感だ。あとは上がどう動くかだが……これから忙しくなるかもしれんな。もしかしたら世界がまた有様を変えるときが来ているのかもしれない」
「えっと、その、また、っていうのはどいうことなんですか? 以前もそんなことを言ってましたよね。魔法的なものがこの世界から消えた、みたいなことを言っていたと記憶しているんですけど」
「………よく覚えていたな」
その話をした時の泉さんの微妙な表情が印象に残ていて、なんとなく覚えていた。
「……そうだな、昔はこの世界の全てのものに気が宿っていた。お前が思っている魔法のような物や怪異のようなものも実際にあったのだ。近代になり文明化が進むにつれて急速にそれが薄れていたのだが、ある時を境にほぼ完全にこの世界から消えてしまった。それは第二次大戦、もっと具体的に言うと日本に二発の爆弾が投下された時だ。どういう理屈かはわからないが、その時から日本だけでなく世界中で魔術的なものは急速に廃れ、怪異の様なものはほぼ無くなってしまった。その根幹である万物に宿る気が消えてしまったのだからな」
泉さんはコーヒーを飲み干しおかわりを注文している。私のあんみつは残すところ三分の一程度だ。
「私は特定の神のような存在を信じてはいないが、あの時はまるで何者かが世界を作りかえたように感じた。それまであった世界のルールを誰かが書き換えたような、……世界がバージョンアップしたような感覚、とでもいえばいいのか……」
泉さんはそう言い終わると、少しの間沈黙した。何かを思い出しているのか、物思いにふけっている。私はその間にラストスパートをかける。やはりこのあんこが強敵だがなんとかなりそうだ。しかしこれは……別に意識してダイエットしてるわけじゃないけど、年頃の乙女的にはヤバい食べ物だな。いったい何カロリーあったんだろう。
私はあんみつを粗方食べ終え、コーヒーに口を付け息をつく。そして、ほかのなによりも気になっていたことをついに口に出してしまった。
「あの、聞こうかどうか、……聞いていいのかどうか迷っていたんですけど………、泉さんっておいくつなんですか?」
どうも話を聞いている限り、明治とか大正とかの時代から日本政府と関わってるっぽいんだよなぁ、この人。そうすると、へたしたら百歳以上ってことになるんだけど。
泉さんは私のその質問に、思索から引き戻されたのか、少しだけ驚いた様な表情をした後、ニヤリって感じで笑いながらこう言った。
「……それは秘密だ。お前が正規の職員になれば知る機会があるかもな。あるいはお前の母親は知っているかもしれんが。……私に面と向かって年齢の話をしてきた奴は随分と久しぶりだ」
あー、お母さんか。……確かに知ってるかも。教えてくれるとは思えないけど。それと、やっぱり聞いちゃいけないやつだったか。
「お前にこんなこと言うのもなんだが、私はあの女が苦手だ」
それはまぁ、わからなくも無いけど。
「お前がどう思っているのか知らんが、あの女は恐ろしいぞ。その気になれば現役の大臣すべての首を挿げ替えることが出来るからな。やろうと思えばこの日本をひっくり返すことができる。まぁ、そんなことはしないだろうがな。……だが、今回の件であの女と既知の間柄になれたのは僥倖だったかもしれん」
「……それは?」
「さっきも言ったが、今回の件はどう転ぶか予測がつかん。だが、もしもこの世界と似たようなもう一つの世界に自由に行き来できるようになったとして、まず考えられるのはもう一つの世界にある資源やその利権をめぐる争いだ。あのミシアという魔女の協力が有れば、あるいは宇宙開発等よりもっと簡単に現人類は生存圏を広げられるかもしれん」
なんだか急に話がでっかくなってきた感があるけど、真面目な話っぽいので、私は神妙な顔で頷いた。
「共存共栄、となればいいが、おそらくそうはならんだろう。コロンブスの新大陸発見のあと、そこに住んでいた原住民はどうなったか。そして、かつての列強による植民地支配。それは人類の歴史が証明していることだ。人間という種の本質はそう簡単に変わらん」
「………侵略戦争みたいな話になるってことですか?」
確かにそう言われるとそんな気がする。そんなこと起きるはずがない、とは言い切れない。
「……そういう未来も有りえるという話だ。他国や世論の動向もあるだろうが、もし国の方針としてそういう方向に進みだしたら、それを止めるのは難しい。……私はそういう場面を幾度も見てきたからな」
泉さんはそう言うと、一瞬だけ、なんというか、寂し気な表情をした。
「……私達の仕事は他国からの不法な入国者を取り締まり、この国が混乱しないようにすること。それ以外の事に気を回す必要は無いのかもしれん。だが、お前の母親は恐らくこの国が暴走しないように動くはずだ。そして私はそれに力を貸すことは出来ると思う。及ばずながら、だがな」
「………母がそんな風に行動するって、どうして、そう思うんですか?」
私はつい、その理由を尋ねてしまう。言ってしまえばお母さんだって公務員な訳だし、国とか大きな存在の力に抗えるとは思えない。お母さんがどういう意識で仕事に取り組んでいるのかわからないけど、もしも泉さんが言うように侵略戦争みたいな話になったとして、それがこの日本の為、となったなら、お母さんは、……その、内調分室っていう所はもしかしたらそれを是として動くかもしれない。
でも泉さんはそうはならないって言っている。私はお母さんの仕事のことをついこの間まで知らなかった。もしかしたら、泉さんの方が私よりお母さんのことを知っているのかもしれない。
そんな事を考えていた私に返ってきた泉さんの答えはシンプルでわかりやすいものだった。
「それは、あの女がお前の母親だからだよ。程度の差は有るかもしれんが、他人を踏みつけにしても利益を得ることを良しとする人間のもとで、お前のようなお人好しは育たんだろう? あの女の人となりはその娘であるお前が一番わかっているはずだ」
そういって笑う泉さんに私はとっさに何も言い返せない。お母さんは偶にシビアでお説教は理詰めで面倒くさいけど、根は善良な人だと思う。当たり前の事だと思っていたけど、よく考えるとそれは幸せなことかもしれない。
「さて、私はそろそろ行くよ。……これを渡しておく」
泉さんは懐から革製の名刺ケースを取り出し。私に一枚の名刺を渡してきた。シンプルな名前と肩書だけのその名刺には携帯の番号も入っている。
「……そうだ、お前、住む場所は決まっているのか?」
泉さんは席を立ちながら、不意にそんなことを言い出した。
「いえ、正直、合格するとは思ってなかったので、家探しはこれからなんですけど」
「住む場所が決まったら一度連絡をくれ。……しかし、今からではいい物件は押さえられているかもしれんな。その辺りのことは力になれるかもしれん。どうにもならんなら連絡してくれ。……まぁ、お前の母親に任せればどうにかしそうではあるがな」
泉さんのその言葉に私が何も言えず立ち尽くしている内に、彼女はさっさと支払いを済ませている。
「……あの、ごちそうさまでした」
私はとりあえず、食事のお礼を口にしながら、頭を下げる。
「ああ、またな」
泉さんはそう言ってナナイさんを連れてあっさりと喫茶店を出て行ってしまった。私はその姿を見送ったあと元のテーブルに戻り座り込んでしまった。
「どないしてん。また難しい話しとったみたいやけど。なんかショックな事でも言われたんか? ……あー、内容は説明せんでええで。ウチは普通の一般人でいたいんや」
余程顔に出ていたのか、椎子が少し心配そうに話しかけてきた。
「いや、そんなんじゃなくて、………ちょっと胸焼けして……椎子、胃薬とか持ってないよね?」
やはりあのあんこの山は強敵だったな。いや、現在進行形で強敵なのか。
「流石に胃薬は持ち歩いてへんわ。確かにあれはキツそうやったな。カレーはめっちゃ美味かったけど」
「よかったらこちらをどうぞ」
私と椎子が座ってそんな話をしていると、店のマスターがやってきて水と一緒に何かを差し出してきた。見るとそれは市販の胃薬だった。小声で話してたんだけど聞こえちゃったかな。うわー、私って嫌な客って思われたかな。
「あ、あの、すみません。とっても美味しかったです。ただ、ちょっとびっくりしちゃって。……私の胃が」
私の言葉が面白かったのか、マスターは少し笑った。
「いや、まさか完食するとは思っていませんでしたよ。自分で出しておきながら、あの量は少し厳しいと思います。泉さんから事前に話を聞いているのかと思いましたが、やはり知らなかったんですね」
私はマスターの言葉に曖昧に返事を返す。
「合格おめでとうございます。よければこれからごひいきにしてください。ごゆっくりどうぞ」
そういうと、マスターはまたカウンターに戻っていった。
「ええ店やなぁ。雰囲気もええし、カレーは美味いし。ガッコの近くにこんな店あるて、藍が羨ましいわ」
私は粒剤タイプの胃薬を飲み下す。結局あのあんみつは幾らだったんだろ。なんとなく遠慮しちゃったけどやっぱり写真撮っておけばよかった。撮影は構わないって言ってたし。ていうか、つぎ来たときはカレー食べよう。
「椎子はナナイさんと何話してたの?」
「別に、ただの世間話や。さっきも言うたけど。ウチは普通の世界におりたいんや。藍が首突っ込もうとしとる世界に全く興味が無い訳やないけど、当事者になるのはもう勘弁やで。こんなんは無責任な野次馬でおるのが一番や」
「……椎子、私達、ずっ友だよね」
「……………そうやな」
「今の間は何?」
「冗談や」
その後、椎子と下らない話をしながらその喫茶店でしばらく過ごし、大学周辺を少しだけ散策した。やがて啓介さんと秋さんが車で迎えに来てくれた。
秋さんは私が泉さんに会ったことを知ると、どんな話をしたのか聞きたがったけど、私は言わなかった。
誰にも言うなって言われたわけじゃないけど、一応泉さんの職場に就職することを目指している身としては、その辺はけじめをつけるべきだと思ったから。
「公務員かぁ、つまんなそうだから、全然意識してなかったけど一応選択肢に入れとくかなぁ」
秋さんはそんなことを言っていた。確かに公務員っていうと秋さんのイメージではないような気がする。
お祝いにどこかに遊びに行こうかって話も出たけど、今日は遠慮しておいた。お母さんが家で待ってるし兄さんも帰って来るっていってたし。
「じゃ、お祝いはまた今度改めて、っていってもたぶんカラオケとかだけど」
家の前まで送ってくれた啓介さんは、私がお礼を言って車を降りるときにそう言ってくれた。カラオケとかもしばらくいって無いなぁ。自分で言うのもなんだけど勉強ばっかりしてたから。そんなことを考えながらもう一度お礼を言う。
私は家の前で啓介さん達の車が見えなくなるまで見送った。




