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りたーにんぐ!  作者: 消しカス
82/177

78 帝都騒乱編 エピローグ

長いです。


 目を覚ますと、そこは見慣れた部屋のベッドの上だった。

 意識が完全に途切れるほどの深い眠りに就いたのは、あまり睡眠を必要としないこの体になってからは初めての事かもしれない。

 状況を把握するために少し薄暗い部屋の中で辺りを観察する。どうやらラステイン家のお屋敷の一室、私がいつも使わせてもらっている部屋の様だ。厚いカーテンの細い隙間から眩い光が差し込んでいる。

 とりあえず、カーテンを開けようと思い、身を起こそうとして体が思うように動かせないことに気が付く。まったく動けないということはないが、動作の一つ一つが緩慢で、まるで自分の身体ではないような感覚。それでもなんとか身を起こしたところで、部屋のドアがノックもなしに開いた。


「……トア、人の部屋に入るときはノックをするようにと、いつも言っているでしょう」


 部屋に入ってきたのは、ゴブリンの少女トア。そして、その後ろにもう一人。私達がお世話になっているラステイン家の息女ミラ。


「目が覚めたです? ……お茶の用意をしてきてよかったです」


 トアは私の小言に特に反応することもなく、手に持っていたお茶のセットをテーブルに置きながらそんな事を言う。そして部屋のカーテンを開ける。窓から差し込んだ強い光に、私は少し目を細める。


「窓も開けた方がいいです?」


「……そうですね。お願いします」


 窓を開けると、少し湿った空気と濡れた土の匂いが部屋に入ってきた。雨が降っていたのだろうか。窓の外に目を向けると少し雲は多いが明るい空が広がっている。屋敷の庭の木々が風に揺れながらキラキラと光を反射している。そのなんでもない景色に少しだけ見とれてしまう。


「エリー、両手を出すです」


 トアはベッドの横に立ち、私の手を握る。その手から流れ込んでくる暖かい感覚。それがゆっくりと全身に広がっていく。まるで、トアの優しい心がその両手から流れ込んできているようだ。そんなことを思いながら、しばらくその心地よい感覚に身を委ねる。


「……まだ循環が鈍いです。それでも最初に比べると少しはましですが」


「……いえ、だいぶ良くなりました。ありがとう、トア」


 ゆっくりと離れるトアの手に少しだけ名残惜しさを感じながらお礼の言葉を口にする。トアは、はにかんだような笑顔を浮かべ、私の肩にガウンをかけてくれた。そして、ガチャガチャとお茶を淹れる準備を始める。その動作は大雑把でいい加減に見えるが、彼女の淹れるお茶は本当に美味しい。屋敷で用意される上等のお茶よりも美味しいと感じるほどに。


「あれから、どうなったのですか?」


 帝都の中心にある、中央広場。そこで突然巻き起こった戦い。不意を突かれ、成す術もなく敵の術中に嵌り、今もその術の影響で体が思うように動かない。私はその戦いで全く役に立たなかった。それどころか、むしろ足手まといになってしまった。

 私はお母様とその依り代であるイチロー様の無事を確認したあと、意識を失ってしまった。そして、今目が覚めたのだ。


「……五日経っているです。イチローは……無事とはいえないですが、まぁ、問題ないです。エリーが目を覚まさないので心配していたですよ」


「そうですか……」


 トアの五日という言葉に少し驚く。そんなに長い間意識が途絶えていたのか。


「帝都と帝国の上層部は蜂の巣をつついた様な大騒ぎだな。情報が伝わるのにもう少しかかるかもしれないが聖王国も同じだろう。……というか、今回の件で聖王国は政変が起こるかもしれない。まぁ、私達にはあまり関係が無い話だが」


 ミラは私のベッドの横に椅子を持ってきてそれに腰かける。


「よかった。エリーが意外と元気そうで安心した。フチもそうだが、特にハルが心配していてな。今日も朝方に、……いや、実際のところ体調はどうなんだ? 目が覚めたばかりの様だし、もうしばらく安静にしていたほうがいいのではないか?」


 ミラの後半の言葉はどちらかというと、私ではなくトアに向けられていた。


「いえ、会話をするくらいなら問題はありません。私もあの時の状況を含めて知りたいこともありますし」


 ミラは私の顔をじっと見つめた後、トアに視線を移す。その視線に気が付いたトアが小さく頷くのを確認してから、また私の方に向き直った。


「………そうか。では、少し話をしよう。……もし辛くなったらすぐに言ってくれ」


 ミラはそう言うと姿勢を正す。そして、ゆっくりと話始めた。


「あの戦いは、最初の段階で広場の中心部にいたほぼすべての者が行動不能に陥っている。満足に動けた者は、敵……聖王国からの使者を除けば、フチとメイだけだ。だが、メイはしばらく現場を離れていたし、フチは所々記憶に不明瞭な点がある。………どうした?」


 その話し方や態度には私への気遣いが感じられる。それがかえって少し落ち着かない気分にさせたが、思えば他人に体調を気遣われるなど初めての事かもしれない。そんなことを考えて思わず笑みが浮かんでしまう。そんな私を見てミラは言葉を止める。


「……すみません。どうぞ、お話しを続けてください」


 ミラは、続きを促す私の言葉に軽く頷くと私の態度をさして気にした風でもなく言葉を続ける。


「実は、ラステイン家は、上層部から今回の件の詳細な報告を求められていてな。だが、あの戦いを最初から最後まで詳細に語れる人物などいない。なにしろ混乱していたからな。私は現場にいた者達から聞き取りをして、あのときあの場で何があったのかを調べ、まとめる役を買って出たのだ。………あのとき、私は何もできなかった。だから少しでも誰かの役に立ちたいのさ」


 ミラはそう話すと少し自嘲気味の笑顔を浮かべた。その顔を見て私は彼女の気持ちを思いやる。


 ミラはあまり自分の想いを語らない。感謝や喜びの感情は表に出すが、それ以外の感情や考えを、自身の想いを人に晒すことは少ない。それ故に、ふとしたはずみでこぼれ出る彼女の想いには一種の重みが生じる。


 私は以前、彼女に尋ねたことがある。何故私達の旅に同行するのかと。今回の件もそうだが、私やハルの様な埒外の存在と行動を共にするということは、同じく埒外の存在と事を構える可能性があるということだ。年頃の若者が憧れるような冒険譚で済むはずがない。彼女は貴族で、しかも女性の身だ。本来の、貴族の娘としての生き方があるはずだと。

 そのような事を話して同行の理由を聞いた。彼女の答えは短くわかりやすいものだった。曰く「フチには命の借りがある。その借りをいつか返したい」真剣な表情でそう言った後、少し笑いながらこう続けた。「フチには言わないでくれ。重い女だと思われてもいやだからな」その言葉と彼女の表情に思わず私も少し笑ってしまった。


 私とミラは同じだ。フチ・イチローという人物に返しがたい恩を感じている。それは、彼がどう思っていようと関係ない。私自身の、私達の問題なのだ。そういう点でいえば、私も、ミラの言う、重い女、なのかもしれない。

 

 イチロー様があの場から逃げ出すのは簡単なことだっただろう。広場の周辺を取り巻いていた野次馬たちの中に紛れ込んでしまえば、おそらくあの使徒は追う事をしなかったはずだ。イチロー様がそれをしなかったのは私達を、いや、私を守るために違いない。秩序の使徒と混沌の使徒、時代を超えて延々と争い続ける二つの勢力。私をあの場に残して行けば、きっと私は殺されてしまうと思ったのだろう。

 力になろうと、守ろうと思っていた対象に逆に守られてしまった。そして、私はイチロー様だけでなくその中にいるお母様も危険に晒してしまったことになる。それでもし万が一の事があれば悔やんでも悔やみきれない。自身への不甲斐なさで身体が震えそうになる。


「……それは、私も同じことです。私にわかる事であれば喜んで協力します」


 ミラは私の言葉に小さく頷く。


「とはいえ、フチを含めた数人からの聞き取りで、あの戦いでなにがあったかのか大まかには判っているんだ。それを今から説明するから、付け加えや気付いたことがあったら言って欲しい」


 そう前置きを入れた後、ミラは淡々とした口調で語った。


 事の始まりは、これまでの聖教徒達が起こした事件の謝罪をするためと称して、ノージア聖王国の高官を含む数人の集団がラステインの屋敷に訪れた事だ。このとき偶々屋敷にいたアリオンは当然この申し出を断ったが、そこへ中央広場での騒ぎの知らせが舞い込んでくる。ギルバートを含めた数人の騎士達に加え城からの使者も訪れ、屋敷は軽い混乱状態に陥った。

 その混乱の中で蚊帳の外に置かれていた聖王国の高官を含む聖教徒たちは、帝都の広場に目的の人物であるロウ・フチーチがいることを聞きつけ、そちらへ向かうと言い出した。それを聞いたアリオンは事を少しでも穏便に収めるため、……具体的にはロウ・フチーチとその仲間たちが問答無用で聖教徒たちを攻撃する事態を危惧し、それを防ぐために同行を申し出た。聖教徒たちは表向きには私的な用件で訪れていることになっているが、帝国内において他国の高官を攻撃することは国際問題になると考えたためだ。


 そして広場での戦いが始まる。ミラはあの場で何があったのかを丁寧に説明してくれた。


 ラニルスが展開した結界の影響でほとんどの者が行動不能に陥る中、イチロー様はハルとメイに指示を出し、たった一人で戦い続けた。イチロー様の判断と奮闘、メイやトアの活躍、そしてハルの帰還。その内のどれか一つが欠けても、帝都の破壊は防げなかったという事がよくわかる。


 ミラはここまで説明し、トアの用意したお茶で一息ついている。


「ここまででなにかあるか?」


 ミラはお茶を口に含みながら私の顔色を窺う。私の体調を気遣っているようだ。


 私はミラの視線を受け、平静を装いつつも、内心は酷く動揺していた。あの状況でラニルスが竜を支配下に置くことが出来たとは思えない。イチロー様はともかくお母様はそう考えただろう。しかし、万が一の事態を想定してハルとユキを逃がしている。そしてその判断はおそらく正しい。ラニルスはこちらに竜がいることを知っていた。支配下に置くことは出来なくとも、竜に対抗するための何らかの手段を持っていたはずだ。魔力もなく魔法もスキルも使えないただの人間であるイチロー様が、強大な力を持つ不死の存在である竜を守る為に行動した。そして竜だけでなく、結界の影響で動けない私達を守る為にたった一人で戦ったのだ。その事実に思わずため息が出そうになる。


「フチの話では、ラニルスは秩序の使徒だろうということだった。それを裏付けるような証言は他からもいくつか出ている。しかし、秩序の使徒とは、世を秩序と平穏で満たすために在るのだろう? 今回の様な騒ぎを起こせば帝国も聖王国も混乱する。世が乱れることはコボルトでもわかりそうなものだが。……エリーはどう思う」


「……同じ使徒として、ということですか?」


「………そういう意図が無い訳ではない……気に障ったなら謝る」


 今の私の言葉は少し意地悪だったかもしれない。ミラの私に対する態度には、敬意や気遣いは感じられるが、他の者達が示すような畏れの感情のようなものは感じない。仲の良い友人のように接してくる。それはイチロー様や他の仲間達にも言えることだが、私はそれを心地よく感じている。ミラは真っすぐな心を持っている。いや、自身の心に真っすぐであろうとしている。その在りように、私は時折眩しさを感じてしまう。


「いえ、かまいません。私も使徒と呼ばれる存在であることは確かなのですから。……そうですね。これは予想でしかありませんが、おそらく、ユキの奪還と世にもたらす混乱を秤にかけたのでしょう。世が乱れると言っても数年もしくは数十年でしょう。永い時を生きる私達使徒にとってはほんの少しの時間です。ラニルスはユキを手元に取り戻し、数百年ほど世俗から身を隠す。そして、自身の存在が人々の記憶から消えた頃、ユキを伴って活動を再開する。その方が目的を果たすためには効率的だと考えたのかもしれません」


「ふむ。……まったく使徒というのは厄介なものだな。……ああ、いや、エリーのことではないんだ。………すまん」


「いえ、ミラの言う通りです。私はそれをよく知っていますから」


 私は遠い過去の使徒との戦いを覚えている。幾度となく繰り返された戦いの記憶。しかし、その記憶は今は夢の中の出来事のように感じる。そして、そんな風に感じる理由もわかっている。


「……しかし、フチの咄嗟の判断力には舌を巻く。訓練の時もそうだったが、瞬時に最善かそれに近い判断をして行動する。もし私がフチの立場だったとして、あの混乱の中で同じような判断を出来たとは思えない。……いつもはヘラヘラしているくせに、なんなんだろうな、あいつ」


 ミラは手に持っていたカップのお茶を飲み干し、ポットから二杯目のお茶を注いでいる。


「……イチローは【思考加速】と呼んでいたです。短い時間でいっぱい考えることが出来るそうです。タマムシに協力してもらって練習していると言っていたです」


 それまで黙って話を聞いていたトアが横から口を挟む。


「………なるほど。そんなことが出来るのか。傍から見れば瞬時に最善の判断をしているように見えるが、短い時間の中で必死に考えを巡らせている、ということか。……確かに便利そうではあるが、だが、それが出来たからといって………」

 

「ええ、イチロー様自身が強くなるわけではありません」


 逆に、じっくりと思考を巡らせることで、あの場を切り抜けることがどれほど困難な事かもハッキリと理解できたはずだ。それでも、少ない手札で綱渡りのような戦いを生き延びている。しかも私達全員誰も失うことなく。


「あいつ、実は凄い奴なのか? ………まぁ、やった事だけ見るとまさに英雄の御業なんだが、普段のフチをみているとどうもな……」


 ミラはしばらく考え込むようなそぶりを見せる。私は少し冷めてしまったお茶をゆっくりと味わう。


「ああ、そうだ、エリーに尋ねたいことがあるんだが、……身体は平気か?」


 ミラは私の肯定の返事を確認した後トアに目配せをする。トアは一つ頷くと、周囲に消音の魔法を展開した。


「あの戦いの最後の局面で、フチはラニルスと言葉を交わしている。ハルが帰還するまでの時間稼ぎだったそうだが、その辺りの記憶は曖昧なのだそうだ。だが、近くにいたギルがその会話の一部始終を記憶していた。今から話すことは上に報告する気はない。その辺をわかった上で聞いてくれ」


 私が頷くとミラは少し声を落として続けた。


「ラニルスの当初の目的はユキ……古竜を奪還することだったが、戦いの途中でその目的はフチを殺すことに変わっている。まぁ、それは判らなくもない。古竜の奪還を阻止された腹いせにその原因であるフチを殺す。そんなところだと思っていた。だが……」

 

「……はい。本来、使徒には感情というものが有りません。腹いせに、というのは考えづらい」


「そうだ、フチもそう言っていた。そこでフチはその事を尋ねたようなのだ。どうやらラニルスはフチのことを危険だと判断したためという事らしいのだが……〈竜の王〉という言葉に聞き覚えがあるか?」


「………いえ、……お母様ならあるいは……」


「タマムシもわからないそうだ。もっとも、タマムシは記憶の大半を失っているそうだし、覚えていないと言った方が正しいのかもしれないが……とにかく、フチがその〈竜の王〉になる可能性を潰す為だと言ったらしい。ハルやユキを供としていることに関係がありそうではあるのだが……」


「……〈竜の王〉ですか……」


 使徒は不死の存在だ。永い時の流れを俯瞰して観ることが出来る。そのように創られている。ただの人間であるイチロー様が、竜の力を得て世を乱す存在になったとしても、悠久の時の中ではほんのわずかな時間だ。確かに竜の力は強大だ。その気になれば数年で世界中の文明と呼ばれるものを滅ぼせるかもしれない。だがそんなことを望む竜は居ないし、そんなことを望む者を主と認めるはずもない。それはラニルスにもわかっていたはずだ。秩序の使徒としてはそのわずかな可能性すらも許せないのかもしれないが、もしかしたら〈竜の王〉という言葉にはもっと別の意味が有るのかもしれない。

 

「あとは【七宝】という言葉だな。最後に帝都の空で起こった爆発のことを指しているらしい。なにやらエルフの国を滅ぼしたとか物騒な事を言っていたようだが」


 つい考え込んでしまっていた私に、ミラは次の質問を投げかけてきた。


「【七宝】ですか。……はい、その言葉は知っています。最古の秩序の使徒のみが使うことが出来るとされている、原初魔法と呼ばれるものです。私達が使っている魔法とは全く異なる理論で構築される七つの大魔法だと聞いたことがあります」


「大魔法ですか! どんな魔法があるです?」


 魔法という言葉にトアが反応して、身を乗り出してくる。


「どんな魔法なのか詳しくは知りません。それを使えるという使徒と戦ったこともありますが、そんなものを使われる前に滅ぼしましたから」


「…………まぁ、そうですよね」


 トアはなんだか微妙な表情をしている。がっかりしている、とも少し違う、なんとも説明しがたい表情だ。ふと見るとミラも同じような表情をしていた。私は何かおかしなことを言ったのだろうか。


「もしかしたら、最初の結界術もその【七宝】の内の一つなのかもしれません。魔法を封じる術は幾つかありますが、あのような効果の結界術は聞いたことがありません」


「ふむ。まぁ、その辺りの事は今ミシアが調べている。古い文献をさらってみると言っていた。なにやら張り切っていたようだが……」


「ミラ、誰か来たようです」


 トアがミラの言葉を遮る。同時に消音の魔法を解除したようだ。ノックの音が響く。トアが私に視線を向けた。入室させても構わないか、という事だろう。私は小さく頷く。

 部屋に入ってきたのはイチロー様だった。車椅子という車輪が付いた椅子に座り、メイがそれを押している。


「お、目を覚ましたんだな。よかった。ずっと眠ったままだって聞いてたから心配してたんだ。タマムシも心配してたぞ。……どう? 大丈夫なの?」


「はい。私は平気ですが………」


 ミラと場所を入れ替わりながら、そう私に話しかけてくるイチロー様の姿は、身体のあちこちに包帯が巻かれている。その姿を見て、複雑な感情が沸き上がって来る。イチロー様の気遣いの言葉に対する嬉しい気持ちと後ろめたさ、そして、その姿への驚きと、私自身に対する不甲斐なさから来る、苛立ちや怒り。こんなにも心が乱れるのは初めての事かもしれない。


「………イチロー様。少しお話ししたいことがあります」


「あ、はい。すみません」


「……何故謝るのです?」


「え? いや、エリーがそんな顔の時はだいたい説教だから……違うの?」 


 まったく。この人は私の事を何だと思っているのか。


「謝罪するのは私の方です。今回、私は全く役に立ちませんでした。それどころか……」


「いやぁ、襲ってこなかっただけましだって。今回の一番の強敵はギルさんだったからな。あれはマジで死ぬかと思ったから」


 私の言葉を遮りイチロー様は言う。軽い口調だが、それはきっと事実なのだろう。


「フチ、そろそろ勘弁してやってくれ。あんなに落ち込んでいるギルを見るのは初めてだ。……ところで、どうやってあのギルに一撃入れたんだ? どうしても教えてくれないんだ。操られていたことを含めて、修行が足りなかった、としか言わないんだが」  


「それが、よく覚えてないんだ。必死だったし。まぁ、運がよかったんだろ」


「………運だけでギルに勝てるとは思えないがな」


 ミラは実に疑わし気な眼差しでイチロー様を見つめている。実際、一番の強敵だったと自分で言っているし、命の危険を感じたような戦いを覚えていないはずは無いと思うのだが。きっと言いたくない訳でもあるのだろう。


「イチロー様。聞いてください」


 そんなことはどうでもいい。いや、当人たちにとっては重要な事かもしれないが、私はどうしてもイチロー様に伝えないといけないことがある。

 イチロー様は私の真剣な口調に何かを感じたのか、神妙な顔つきでこちらに向き直る。


「……エリー、私達は外した方がいいか?」


 よほど表情に出ていたのだろうか、ミラがそんなことを言い出す。


「いえ、ミラも聞いてください。トアも。大事な事です」


 皆にも聞いてもらった方がいい。 


「……イチロー様。私はあのラニルスと同じ使徒と呼ばれる存在です。今回の戦いであの結界術の影響を最も受けたのは私です。それは私がエリーゼの肉体を纏った半星幽体だからです。私がこの肉体を捨て、精神体の状態になれば、あるいはあの結界術にも対抗することが出来たでしょう。イチロー様とお母様を危険に晒すことは無かった。………でも、私はどうしてもこの体を……」


 私はどうしてもエリーゼの肉体を捨てることが出来なかった。


 私は、五百年前にこのエリーゼの体を得ると同時に、奇跡の様な偶然が重なりエリーゼの心の残滓を受け継いだ。そして私は心を得た。その時から世界は変わった。記号でしかなかった灰色の景色が色を帯び、鮮やかに光り輝く世界を感じた。感じることが出来るようになった。日の光や夜の闇、降り注ぐ雨、頬を撫でる風。この世界に起こる現象の全てに意味があることを実感し、それら全てが私を祝福していることを知った。知ってしまった。


 それを知るまでの長い年月はなんだったのか。数千年、もしかしたら数万年。心を得てからの日々と比べると、なんと空虚で無味乾燥な日々だったのか。自身がどれだけ虚ろな存在だったのか。


 心を得たことで私は特別な存在になったのだと思った。しかし私はすぐに理解した。心を持つ者達にとってこの美しい世界は当たり前のことなのだ。私はやっと普通の、当たり前の存在になることが出来たのだと。


 それから、ゆっくりと穏やかな日々は過ぎて行った。そして、私は出会った。イチロー様とその仲間たちに。


 私は、お母様とお母様をその身に宿すイチロー様を守る為に同行することにした。それまで、他人や人の営みにあまり興味が無かった私は、彼とその周囲の人達と触れ合う事でより深く自身の心を知ることになった。理屈でしか知らなかった様々な感情を実際に体験し、今まで知らなかった私自身の心を知った。それはまるで、霞が晴れるような、浅い眠りから目が覚めるような感覚。

 私の心はゆっくりと、ときに激しく、軽やかにステップを舞う。繊細で、醜くて、思い通りに動かない。そして、私はそのことがどれだけ得難いことか、尊い事かを知っている。


「……あの時、肉体を捨て精神体になれば、この半星幽体という半端な状態より強い力も使えたはずです。ただ、それを行うと、極度に魔力の流れが乱れたエリーゼの肉体に再び戻ることはかなわなかったでしょう。永い時間がかかりますが再び星幽体を構築しエリーゼの姿になることも出来たとは思いますが………私は、怖かったのです。いえ、怖くなってしまったのです。エリーゼの肉体を捨て精神体になったとしても、私は私のままだったと思います。私の心と魂は完全に結びついています。それは確信があります。私がアニマに還るまで私はエリーゼでエリーゼは私です。それは変わらない。だけど……」


 私はそこで言葉を止めた。自分の声が震えそうになるのがわかったからだ。息をつき心を鎮める。


「……もし、エリーゼの肉体を捨てることでエリーゼから貰った心を失ってしまったら……。あの灰色の世界に、人の形をした虚ろな存在に戻りたくない。……そう思うと、……怖くて………何もできなくて………」


 私はそれ以上言葉を口にすることが出来なかった。激しく揺れ動く心が溢れそうになるのを抑えるのに必死だったから。そして、しばらく誰も言葉を発しなかった。その長い沈黙を破ったのはイチロー様だった。


「えーと、話の半分も理解できてるか怪しいんだけど。とにかく、……まず一つ。エリーとラニルスは同じじゃないでしょ。エリーには人と同じ感情がある。それと、エリーがその、精神体? にならなくてよかった。それであの戦いに楽に勝てたとしても、もしエリーがラニルスみたいになったら、その後どう接していいのか………あ、トア、俺にもお茶頂戴」


「もう無いです。水ならあるです」


「あそ、じゃあ、水下さい」


 トアは自分が使っていたカップに水を注ぐと、少し躊躇った後イチロー様に手渡す。その顔は少しだけ赤い。カップを受け取ったイチロー様は特に気にする風でもなく、その水を口にしている。


「それに、タマムシも言ってたでしょ。心のままに生きろって。だから、……上手く言えないけど、俺や皆の頑張りで、エリーがエリーのままでいられたのなら、……よかった。頑張った甲斐があったよ」


 そう言ってイチロー様は少しだけ微笑んだ。その笑顔につい見とれてしまう。


「………ですが、私は……」


「気にするなって言っても無理かもしれないけど、今は体が本調子じゃないから気が弱くなってるんじゃない? 早く元気になって……って俺が言うのもなんだけど」


 イチロー様は今度ははっきりと笑顔を浮かべ、少しだけ声を出して笑った。確かに全身包帯だらけのイチロー様には言われたくはない、と考えて、そんなことを考えている自分に少し驚く。そして、こんな話を突然打ち明けられても、イチロー様の立場からすればなんとも言えないだろうということに気が付いた。そんな簡単なことに考えが及ばないのは、イチロー様の言う通り心が弱っているということだろうか。ただ、後ろめたい思いを打ち明けたことで、少しだけ気持ちが軽くなっているように感じた。


「エリーが目を覚ましたのはよかったけど、そうなるとちょっと気の毒だったかな………」


 イチロー様の呟きが終わると同時に、部屋のドアがノックもなしに開き誰かが入ってきた。


「エリー! もう大丈夫………って、よかった! 目が覚めたんだ!」


「ハル、人の部屋に入るときはノックをするです。いつも言っているです」


「え? トアがそれを言うのか?」


 ハルが私の事をとても心配していたと、ミラが少し言いかけたのを思い出した。まさか古竜に心配される日が来るとは思ってもいなかったが、その気持ちは素直にありがたく受け取っておこう。そう思ってハルに一言お礼を言おうとしたが、ハルの後ろからユキに連れられて部屋に入ってきた人物が目に入り、驚いて言葉を失ってしまう。


「まさか、ガサの町じゃなくて帝都まで連れてこられるとは思わなかったよ……。なんだい、みんなそろってるじゃないか」


 部屋に入ってきたのは子供のゴブリン。子供の姿をしているが辺境のゴブリンの村の長老と呼ばれる人物だ。私も以前一度だけ会ったことがある。


「シルビアさん……」

 

「いやぁ、すいません。シルビアさんがいればって、俺がちょっと口滑らせちゃって。そしたらハルが連れてくるって聞かなくて……ホントすいません」


 イチロー様が車椅子に座ったままペコペコと頭を下げている様子を横目で見ながら、驚いて止まっていた思考がゆっくりと動き出す。ハルは目を覚まさない私を心配して辺境のゴブリンの村からシルビアを連れて来てくれたのだ。


「……フチ、またアンタは大変な目にあってるみたいだね。治癒術が効かないんだから怪我には気を付けろってあれほど言っておいたのに。……トアとミラも久しぶりだね。そっちの人形もね………さて……」


 オレンジの髪を無造作に結い上げた少し気の強そうな顔をしたゴブリンの少女は私のベッドの傍に立った。


「アンタが目を覚まさないって聞いていたけど、元気そうじゃないか。少し安心したよ。症状もハルが持ってきたトアのメモでわかっているんだが、アンタの体は普通とは少し違うからね。効きそうな薬を材料ごと持ってきた。具合を見ながら調合しようと思ってね」


「どうして……」


 私はまだ動揺しているらしい。上手く言葉が出てこない。


「伝説の古竜に泣き付かれて断れると思うのかい? それに……」


 シルビアは私の手を取りながらニヤリと笑う。


「会ったのは一度だけだし、話した時間もそれほど長くない。混沌の使徒様にこんなことを言うのもなんだけど、アタシはアンタのことを気に入ってるのさ。アタシの娘の師匠でもあることだしね」


 シルビアの両手から魔力が流れ込んでくる。トアのものとは違う暖かい感覚。そして、流れ込んでくる魔力とは別の暖かいもので、同時に私の心は満たされていく。


「ふむ。確かにあんまり良くないね。これは少し時間がかかるかもしれないよ」


「はい。よろしくお願いします」


 私は先ほどまでとは違う意味で必死に平静を装いながら短く返事を返した。そうしないと、私の心を満たしている暖かいものが溢れてしまいそうだったから。

 そして、この部屋には驚きと動揺から立ち直れていない人物がもう一人いた。 


「………本当に、シルビア殿、なのですか?」


「ああ、そういえばこの姿になってからミラと会うのは初めてだね」


「………どうして、そんなチンチクリンな姿に………」


「チンチクリンで悪かったね! これでも気にしてるんだから、この姿の事は言わないでおくれ!」


「ああ! いえ! その、か、可愛らしいお姿になっておられて、その、びっくりしたというか、……も、申し訳ございません!」


「……はぁ、アンタは相変わらずだね。ギルバートは元気かい?」


「はい! いえ、元気ではありません!」


 ミラのその返事にシルビアが首を傾げ、問い返そうとして口を開けたときに、またしてもノックもなくこの部屋のドアが開いた。


「ハルさん! シルビアを連れてきたってホントですか!? 私、マンドラゴラのことで……うわ! なにこれいっぱい! エリーゼさんの部屋に集まって皆さん何してるんです?」


「ミシア―、部屋に入るときはノックしないと怒られるよー」


「あ、エリーゼさん、目が覚めたんですね! よかった! 私も上級の〈秘儀〉の準備をしていたんですけど、聖教徒たちが混乱していて聖油の手配がなかなか出来なくて……」


 皆、私の私室をなんだと思っているのか。今度ドアに札を掛けておこう。内容はもちろん『ノックをすること』だ。


「ミシア? ………本当に魔女ミシアじゃないか! 久しぶりだね!……おっと、この姿じゃ、アタシの事はわからないか」


「………誰です? このチンチクリンは? そんなことよりシルビアはどこにいるんですか?」


「………はぁぁ……アンタも相変わらずのようだね。……アタシがシルビアだよ!! この万年おぼこ!!」


「お、おおおぼこじゃないですぅ! むしろ魔性の女! エルフ界のビッチですぅ! ……って、あなたがシルビア!? ……そういえば子供の姿になったって………はぁ!? いったいなにしたんですか!? 何をどうすればそんなチンチクリンな姿に……」 


「だから、チンチクリン言うな!!」


 なんだか大騒ぎになってしまった。そもそもこの部屋にこの人数は狭すぎる。


「はぁ。これじゃあ、エリーが休まらないです。場所を移動して皆でお茶にするです。メイ、手伝ってほしいです」


「了解しました。トア」


「トア、私も行きます」


 皆で移動すると聞いて、ついそんなことを口に出してしまった。


「……大丈夫ですか? 目が覚めたばかりです。まだ無理をしないほうがいいですよ?」


 正直なところ、体を動かすのは少し辛い。だが、私の心によぎったのは、このまま、また一人になるのは少し寂しいという思いだった。我ながら幼い子供の様だと少し呆れる。イチロー様の言う通り心が少し弱くなっているのかもしれない。


「そうですね。辛くなったらすぐ休みますので」


「……わかったです。きつくなったらすぐに言うですよ? ……ところでおぼこってなんですか?」


「………そいうことはミラに聞いてください」


「え?」


「えーと、メイはお茶の準備をするんだろ? 誰か俺の車椅子押してくれない?」


「あ、僕がやる!」


「あー、じゃあ、お願い……します。ハルさん」


「……あのさ、この前から言葉遣いが変だけど、僕、イチローに何かした? あいつをやっつけたとき、一番最後の方の事を覚えてないんだけど、その時になにかしたのかな?」


「いやー、別にそんなんじゃないんだ……です。ハル……さん」


「もー、普通に喋ってよ!」


 それぞれがワイワイと騒ぎながら移動を始める。体調を気遣ってミラとユキが私に付き添ってくれた。皆の後ろ歩きながら、ふと、こんな時間がずっと続けばいいのに、という思いが沸き上がる。私がこれまで生きた永い年月と、これから過ごす永い時間からすれば、きっとこの仲間たちと過ごす時間はほんのわずかだ。その事に少しだけ寂しい気持ちを覚え、そんな感情を持つことが出来ることに言いようのない嬉しさのようなものを感じる。


 今、私の心は軽やかにステップを踏んでいる。もしかしたら、この瞬間に私は新しい私になろうとしているのかもしれない。エリーゼから貰った心が、私の、私だけの心に変わろうとしているのかもしれない。五百年の時を経て変わり始めた私の心。その事に対する大きな期待のような気持とほんの少しの怖れ。


 ただ、これだけは確信している。これからどんなに私の心が変わっても、今、この時の気持ちを忘れることは無い。

 騒がしくも、やさしさに満ち溢れた時間。この時間を少しでも長く守りたい。


 強く在りたい。そして強くなりたい。本当の意味で。


 そんなことを考えながら、私は今この瞬間の皆の姿を、美しいこの世界を目に焼き付ける。

 この一瞬を私の記憶として永遠に残すために。

 

帝都編終わりです。

よければ感想下さい。

このキャラを活躍させろとかの要望があれば喜びます。

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