77 帝都騒乱編33 帝都騒乱6
正直、何かあるんだろうな、とは思っていた。
タマムシの様子が変なのは気が付いていた。以前は、寝る前に俺の記憶の中にある漫画の話とかをしていたのだが、最近はあまり話しかけてこなくなったし、こちらから呼びかけても返事がないことが多くなっていた。特にミシアと話をしてからそんなことが増えたように感じていた。
タマムシは〈原初の混沌〉というなにやら凄い存在のらしいのだが、今は力と記憶を失っている。普通の人間の俺の感覚すれば気の遠くなるような永い年月を生き、そして、自身の存在に必要性を感じなくなったタマムシは、自ら覚めることない眠りについたと言っていた。そのまま、アニマという魂の元のような存在に昇華して、この世界に溶けていくつもりだったのだと。
しかし、魔女ミシアの手によって、覚めるはずのない眠りから目覚め、どういうわけか、今は俺の脳内に寄生している。
タマムシの本当の名前は、タムァ……なんとか、というらしい。呼びにくい名前だったので、俺が、タマムシ、というニックネームを付けた。だが、名前というものはタマムシのような存在にとってはとても重要なものだったらしい。それでもタマムシはその名前を受け入れた。そうすることで新しい生を得ることができたのだと笑っていた。
俺はタマムシに感謝している。【思考加速】やこの世界の言語を脳に刷り込んでくれたことは、この世界で生きていく上でとても助けられた。それが無かったらもっと苦労していたはずだ。だが、最も有難かったのは感情のコントロールをしてくれたことだ。俺は、訳も分からず、説明もなくこのファンタジー感溢れる世界に放り出された。電気も水道もない、風呂も水洗トイレもないこの世界で、それらがあって当たり前の現代日本から来た俺が、鬱になることも、ストレスで髪の毛が薄くなることもなく過ごせたのはタマムシのおかげだと思っている。
タマムシの様子がおかしいのは、もしかしたら俺から出て行きたくなったのかもしれない、そう思っていた。この世界の事が好きだと言っていたし、一緒に日本に行くことを考え直したいのかもしれない、そんな風に想像していた。それはタマムシが決めることだから俺は何も言わなかった。でも違った。タマムシは俺の脳組織の崩壊を危惧し、そして、俺の脳に負担をかけている自身について悩んでいたのだ。
考えてみれば【思考加速】は凄い能力だ。地味だのなんだのと愚痴を言ったが、魔法も剣もろくに使えない俺が、この世界でここまでなんとかやってこれたのも、この能力のおかげかも知れない。そんな凄い能力をリスク無しで使えると思う方がおかしい。言われてみれば納得する話だ。
止まった世界の中でこの局面を乗り切る為に二人で相談した。これまで何回か行っていた行為だが、それがどれだけ心強かったか。俺がどれだけ助けられたのか。俺はそれをタマムシに伝えた。こういうのはちゃんと言っておかないと後で面倒な事になるに決まっている。
この戦いが終わったら、なんてありきたりなフラグもいいところだけど、とりあえず、甘いものでも食べるか。それとイワシ? 青魚の目玉とか? 脳によさそうな物で俺が思いつくのはそれくらいだ。それでタマムシが喜ぶかどうかはわからないけど。
タマムシが【思考加速】を解除した瞬間に俺はギルバートに向かって駆け出す。
過去に見たことが有る流刃の型の剣筋、ミラがエリーとの模擬戦の時とアベル・レイクスとの決闘の時に見せたもの、そして、ギルバート自身が訓練の時に模範演武として一度だけ見せてくれた時の事を思い出しシミュレーションした。
流刃の型は、型と銘打っているが、本来型などなく流れる水のように変幻自在なモノだとミラが得意げに語っていた。しかし、過去に三度だけ見たそれは、最初の一刀だけは同じだった。体を回転さて勢いを付けた右斜め上からの袈裟切り。それをミスリルのナイフで受ける。そしてそのまま体当たりで倒す、という作戦だ。もしそれ以外の太刀筋で切りかかってきたら死ぬかもしれない。三回しか見ていない、なのか、三回とも同じだった、ととるのか。命を賭けるには心もとないが、そこに賭けることしか思いつかなかった。
ギルバートに駆け寄りながら右手に持った剣を投げつける。当たるとは思っていないが、せめてもの嫌がらせだ。そして左手のナイフを右手に持ち替える。ギルバートは俺が投げた剣を振り上げていた黒剣を振り下ろしこともなげに払う。そしてそのまま身体を回転させる。
ここで予想外のことが起こった。ギルバートの体の回転させる方向が予想とは違う。ということは斬撃は右からではなく左からだということだ。想定外の出来事に俺は全力で【思考加速】を発動させる。タマムシからはギリギリまで使うなと言われていたが、既にギリギリだ。剣を投げつけたのがいけなかったのか、最初からそのつもりだったのか。ギルバートの考えはわからないが、とにかくマズい。ナイフを右手に持ち替えたのもマイナスだ。
今の俺の実力では流刃の型に対抗するには受けるの一択しかない、受け流したり避けたりすると、さらに勢いを増した二撃目、三撃目で間違いなく切られる。スローモーションになっているはずの世界で、それでもギルバートの動きは速い。左からの袈裟切り、払い、切り上げ、可能性が高いのはこの三つだ。俺は袈裟切りか横払いの斬撃が来ることに賭けて、それのみに対処することに決める。そうしないと反応が間に合わない。それ以外の太刀筋だったら多分死ぬ。なんという綱渡り。
ギルバートの一撃は左からの横払いだった。左腕をクロスするように添えたミスリルのナイフがなんとか間に合う。鈍い金属音と同時に軽い火花が散るのを見ながら完全に受けきった。だが黒剣の威力はすさまじく、その場で踏ん張ることが出来ずに少し態勢を崩してしまう。これでは体当たり作戦に移行できない。
黒剣の斬撃をはじかれたギルバートも動きを止めている。完全に仕切り直しの形にはなったが、どうやらナイフに添えた俺の左腕は完全に折れているようだ。ギルバートは少しだけ間合いを取りゆっくりと構え直している。俺はこの時点で本当に死を覚悟した。
しかたがない。プランBに移行だ。
タマムシとの話し合いでわりと最初の方に出た案だが、確実な効果が期待できないことと、もし効果が無かった場合、一気に窮地に陥る可能性が高いので採用されなかった。しかし、今の俺にはもうこれに賭けるしかない。
俺は【思考加速】を解除して、大きく息を吸う。脇腹がズキリと傷んだがかまっていられない。
そして、俺はギルバートの後方に視線を向けながら、大声で叫んだ。
「アンナさん!! ギルさんが浮気してます!!!」
「!! ア、アンナ、違うんだ!! これは、そうじゃなくて! ………これは? ……私はいったい……」
俺の叫び声と視線に反応して、ギルバートは振り返りながら、しどろもどろに言い訳を始めた。俺はその瞬間に駆け出している。
「とうっ!」
「え?」
俺の渾身のドロップキックがギルバートの胸部に炸裂した。すでに正気に戻っていたような気もするが、それに気が付いたときには俺は既に宙に舞っていた。我ながら綺麗な姿勢の完璧なドロップキックだ。ドロップキックマスターである、マスクド・ホース並みに綺麗に決まったかもしれない。着地も綺麗に決めている。
『イチロー! もう限界だ! これ以上は……』
華麗に決まった大技の余韻に浸る間も無く、タマムシの声が脳内に響く。
「あと三秒持たせて!」
俺はそう叫びながら右手に持っていたミスリルのナイフをラニルスに向かって全力でぶん投げる。身体機能のリミッターを外した状態で最後の力を振り絞った投擲だったが、ナイフが右手から離れた瞬間に全身の力が抜ける。腕を振った勢いを殺すことが出来ずにそのままゴロゴロと地面に転がってしまった。
訓練のときに遊び半分で少し投擲の練習をしたが、的にきちんと刺さる割合は最終的に三割と言ったところだった。しかし、ラニルスとの間合いはいつも練習していた間合いと同じような距離だったし、意外といい感じで投げれたと思う。これは当たったかもしれない。だが、それを確認することは出来なかった。タマムシが行っていた痛覚の遮断が解除されたため、全身に痛みが走る。判っていたことだし覚悟はしていたが、仰向けに転がりながら思わずうめき声を上げる。左腕は折れているし、どうやら全力以上の力で行った投擲で右肩が外れているようだ。身を起こすことも出来ない。
どれくらいの間そうしていたのか、しばらく朦朧とする意識の中でうめいていたが、ここで意識を失うわけにはいかない。俺にはまだやることがある。
俺は首を動かしてラニルスを探す。投擲の後どういう転がり方をしたのかわからないが、首を左に向けたときラニルスが視界に入った。
ラニルスは俺の方にゆっくりと歩いてくる。いつの間にか拘束も解けているようだ。俺の霞んだ目に映るラニルスは異様な姿だった。顔や手にひびの様にも見える紫色の細かい血管のようなものが浮き出ており、その眼は虚のようにすべて真っ黒だ。聖教徒のローブを纏っているので肌の露出は少しだけだが、それがかえって異様さを際立たせているように感じる。なにこれ。はっきり言って怖いんですけど。
ラニルスは俺から少しだけ離れた位置で立ち止まると、左肩に刺さっているナイフを無造作に引き抜く。そしてゆっくりとした動作で天を仰ぎ、甲高い叫び声を上げた。その音は次第に音程を上げていき、やがて聞こえなくなる。本当に耳障りな声だが今の俺は耳を塞ぐ事も出来ない。
「………自分で手を下すまでもないってことか?」
「今のは邪魔が入らないようにしただけです。……貴方は本当に私の術が効かないのですね」
ラニルスはそう言いながら俺に向かってミスリルのナイフを放り投げた。ラニルスの声は少しだけ機械的な響きをしている。何処から出しているのか口も動いていない。ナイフは乾いた音を立てて俺の足元に転がった。
「それにミスリル製の武器まで持っているとは……本物の英雄ということですか。当たりどころが悪ければ危ないところでした。途中まで構築していた術は練り直しになりましたが、……すでに術は成りました。周辺の魔素が集まって臨界が始まるまでもうしばらくかかりますが、もう止めることは出来ません」
「……爆発すんの?」
「よくご存じですね。【七宝】の内の【玻璃】……随分と昔の事のように感じますが、エルフの王朝を滅ぼしたのもこの術です。私の体を触媒にして発動します。あの妙なゴブリンの術のおかげで、お粗末な威力になるかもしれませんが、この都市ごと貴方を消し飛ばすには十分でしょう」
なんだかペラペラと喋っているが、頭がよく回らない。何を言っているのかよく理解できない。ただ、俺一人を殺すために帝都を吹き飛ばすなんて、なんの力もない俺を殺すのに大仰な事だと少し笑ってしまう。その拍子に脇腹がズキズキと傷み思わず顔をしかめる。
「……アンタも死ぬのか?」
「私は死にません。精神体となってしばらく休眠します。千年ほどでしょうか」
なにそれズルい。……まぁ、それが本人にとっていい事なのかわからないが。感情がないなら関係ないのか。そんなことをぼんやりとした頭で考える。
「なぁ、アンタは秩序の使徒だろう? 帝都をこんな大混乱させていいのか?」
俺はラニルスから目をそらし、澄み渡った空を視界に収めながら気になっていたこと聞いてみた。こんなのはどちらかというと混沌の使徒がやることだろう。よくは知らないけど。
「貴方がいなければ、これほどの騒ぎになっておりません。最初に使った結界術で誰も傷つく事無く穏便にコルネリアを取り戻せていたのです」
「それで、うまくいかなかったから、邪魔した俺を帝都ごと消し飛ばすって? ……あんたアホだろ?」
「先ほど少しだけ延べましたが、貴方は危険だと判断しました。人間の貴方が〈竜の王〉になれるとは思えませんが、万が一ということも有りえます。その可能性を摘み取るためなら、人の世の少々の混乱も、ると様はお許しになるでしょう。………さて、そろそろ魔素も集まったようです。最後の言葉を聞きましょう。特に興味はありませんが、人間とはそいう事を好むのでしょう?」
ラニルスはこの時あのおぞましい笑顔で笑っていたのかもしれない。見てなくてよかった。そう思った。そして、じっと空を眺めていた俺は、自分の顔が笑っていることを自覚する。
「なぁ、アンタやっぱりアホだろ。俺を殺したいならそのナイフで俺を刺し殺すべきだったんだ。ペラペラと聞いても無いことを喋ってないでさ。もう遅いけど」
「………いったい何を……」
ラニルスの言葉は突然起こった轟音にかき消される。もの凄い勢いで空から落ちてきたそれは石畳を砕き、巻きあがった土煙に咳き込んでいる。
「……ゴメン、イチロ―、遅くなっちゃった。まだ生きてるよね?」
土煙の中から姿を現したのはハルだった。しかしその姿はいつもとは違う。四肢は暗銀色の鱗に覆われ手足の部分は完全に竜のそれだ。衣服は身に着けていないが、体中に入れ墨のような模様が浮き上がっている。なにこれかっけぇ。
「おー、まだ生きてるぞ。ハルを待ってたんだ。たすけてくれー」
俺の最後の仕事は時間を稼ぐこと。ハルが戻って来るのを信じてじっと空を見つめていた。最後の最後で仲間に頼るのは情けないような気もするが、もうそれしか手が無かった。空に竜の影を見たときにはあまりにも思惑通りなので、つい笑いをこらえきれなかった。トアの言う通りラニルスがアホで助かった。喋ってないで俺を攻撃すれば最低限の目標は達成できたのにな。
地面に横たわる俺の姿を確認したハルは一瞬驚いた表情を見せた後、泣きそうな表情になる。そしてだんだんと怒りの表情へ変わっていく。その眼はまるで爬虫類のような瞳に変化し銀色の光を発している。
「……お前、僕のイチローによくも………」
あれ、デジャヴった?
その小さな呟き声を聞いて、そんなことを考えたときには、そこにはもうハルの姿は無かった。一瞬の内に移動し、その右手はラニルスの胸を貫いている。
「……管理者の人形ごときが。……竜をなめるのも大概にせよ」
えっと、ハル、だよね? ……なんか怖いんですけど。
「あのー、ハル……さん。そいつ、なんか爆発するらしいんだ……です。なんとかして欲しいっていうか、お願いできますか? 海の方に捨ててくるとか……」
「ふん。【七宝】か。……承知した。我に任せよ。我が親愛なる主よ」
うわー、なんかワレとか言ってる。どうしたのハル。どうすんのコレ。
ハルはラニルスを貫いていた手を抜くと、そのローブを無造作に掴み空に向かって放り投げる。軽い動作に見えたが、ラニルスはものすごい勢いで飛んで行った。あっという間に豆粒のような大きさに見える距離まで離れてしまう。ハルは軽く身をかがめるとラニルスを追うように跳躍した。すげー、バトル漫画みたいだ。なにこれカッコいい!
跳躍したハルは空中で巨大な竜の姿に変わる。その場で大きく羽ばたくと頭を天に向けその口から特大の炎を放った。いや炎と言うより光線というか、極太のレーザービームというか。ナントカのナントカストリームみたいなヤツだ。ヤバい。俺の脳味噌は過労気味らしいのでよく思い出せない。ホントだぞ。
ハルの特大のブレス攻撃の少し後で、帝都の空一面が真っ白に光った。少し時間をおいて空気が震えるような轟音と強い突風が吹きつける。その風はすぐに収まり、空も元の晴れ上がった青い色を取り戻す。しかし、まさかホントに自爆攻撃とはなぁ。アダ(仮)が、混沌の奴らは様式美がわかってない、みたいなことを言っていたが、秩序の使徒はその辺にこだわっているのか? ……だったらホントにアホだろ。
それにしても、左腕骨折、右肩脱臼、肋骨もたぶん逝ってる。切り傷と打撲は数えきれず、全身の筋肉はボロボロで、関節という関節が悲鳴を上げている、その上脳死寸前と。まるでボロ雑巾のようになってしまったが、実はハルにやられた時よりましだったりする。
だが、これは言わないでおこう。……ハルを怒らせるとヤバい。
なんだかヤバい奴ばっかりだが、まぁ、今に始まった事でもないか。今日は魔人が暴れなかっただけましかもしれない。そういえばその魔人はあんまり状態が良くないって言ってたな。大丈夫だろうか。まぁ、死ぬなんてことはないだろうけど。
俺は帝都の空で大きく羽ばたきながら、雄たけびを上げる巨大な竜の姿をその目に収め、ゆっくりと目を閉じる。
眠っている間に面倒ごとが終わっててくれないかなぁ、などど夢の様な希望的観測を抱きながら、意識はゆっくりと遠のいて行った。




