76 帝都騒乱編32 帝都騒乱5
広場に鳴り響く甲高い笛の音の様な音は、次第にその音程を上げていき、耳鳴りの様な音に変化し、そして聞こえなくなってしまった。音が止まったのか、或いは人の可聴域を超えたのか、判別はつかない。
トアの罰ゲームの様な魔法でラニルスが動きを止めたので、再び捕えるために近寄っていた衛兵たちは耳を抑え蹲っていた。結構な音量だったので至近距離にいた者はキツいだろう。
「………もしかして、キレた?」
ボッコボコに殴られて、それでもめげずになんとか反撃に転じ、得意げに喋っている途中に攻撃されたり、水ぶっかけられたりしたら、いくら感情が無いとは言え、さすがにキレるかもしれない。もし俺なら……泣いちゃうかもしれない。特にあのバケツの水をかけられるような魔法はこたえる。効果は別にしても、俺ならきっと心が折れる。
しかし、トアの話では、ラニルスは魔法も使えなくなったわけだし、拘束もされている。何か出来るとは思えないのだが、ただ大声出しただけ、とも思えない。トアの返事が無いので様子を伺う。
しかし、トアは耳を抑え地面に膝を付いていた。
「………これは、精神操作系の……スキルの様なものだと思うですが……」
「えっと……?」
「……構えるです。襲ってくるですよ」
何が? と、声に出して尋ねる前に、それが何のことなのかはすぐにわかった。近くにいた衛兵が俺に切りかかってきたからだ。切りかかってきた衛兵はトアの蔦の魔法で足を絡められ、盛大にこけていた。その衛兵は転んで顔面を打ち付けた拍子に正気の戻ったようで、戸惑いの表情を見せている。そしてラニルスの周りで蹲っている衛兵たちがゆっくりと立ち上がりこちらに向かって駆け出す姿を確認したところで、俺は【思考加速】を発動した。
俺が自力で発動する【思考加速】は、タマムシが俺の脳を操り強制的に発動するそれと比べると効果は弱い。せいぜい時間な流れが十倍程度の遅さに感じる程度だ。俺に出来ることはその時間を使って考える事。その場で出来ることを、最善の選択だとと思えることをじっくりと考えて選ぶことが出来る。
それは、確かにチートな能力かも知れない。……かも知れないが、地味というか、もっとこう他にないのだろうか。最強の魔法が使えるとか、とんでもないスキルがー、とかさぁ。未だにそれ系の能力のチュートリアルが始まらないんですけど、これってバグですか? 仕様ですかそうですか。
そもそも、神様みたいな奴が脳内に物理的に住みついてはいるが、選べるコマンドは“相談”と“雑談”しかないんですけど。まぁ、頼りにはなるけど。
いかん、思考がそれた。時間がもったいない。この局面で愚痴をこぼしても状況は改善しない。
俺はまず状況を考察する。トアは精神操作系のスキルだといった。魔法やスキルは使えないはずだが、実際使っているのだからしかたがない。トアだって制限を受けつつも結界内で動き回りゴーレム作成の魔法を使っている。タマムシは原初魔法とかなんとか、意味不明の新しい単語を出していたし。まぁ、ここで、なぜラニルスが魔法やスキルを使えるのかを考えても意味が無いので、思考を進める。
状況から考えると、ラニルスが出したあの声が原因だろう。声を聞いたものは操られ、俺を襲う。もしかしたら襲う対象にトアも含まれているかもしれない。そしてその効果にはバラつきがあるように見える。ラニルスの傍にいる者はほとんど操らているようだが比較的に近い所にいたトアは平気なようだ。魔法的な抵抗力が関係あるのかもしれない。俺はタマムシのおかげで平気だったというところか。
「トア! ここはいいからエリーとミラを頼む! あとミシアも!」
俺は【思考加速】を解除して叫ぶ。あの三人は、結界の効果が消えたときに広場になだれ込んできた衛兵たちに保護されて少し離れた場所に移動したはずだ。ラニルスの声が聞こえた範囲で、その声に抵抗できなかった者が俺を襲ってくるとして、万が一、ミラやミシアが敵に回ったら手が付けられない。大丈夫だとは思うのだが。
トアは俺の声でその事を察したのだろう。短く返事をすると後方に駆けて行った。
操らている衛兵達の狙いが俺なら、この場を離れてどこかに隠れることも考えたが、衛兵たちは四方八方からこちらに向かってくる。その中には一般人、つまり広場の外側で遠巻きに様子を見ていた野次馬の姿も見える。どれだけの人たちが操らているのかはわからないが、この広場にいる全員が敵になった可能性がある。逃げるのは無理そうだ。
向かってきた衛兵を二人ほど切りつける。人を切るのは抵抗があるがこちらも必死だ。心の中で謝罪しながら腕や足を狙う。切られた衛兵はその痛みや衝撃で正気に返ったようだ。正気に返った衛兵たちが現状を認識するのには時間がかかるようで、その場で呆然と立ち尽くしている。そして俺を襲うためにこちらに向かってきている他の衛兵に突き飛ばされていた。すぐに正気に戻るのは不幸中の幸いといえるのだが、さすがに全方位から襲われると対処できない、どうしようかと考えていると、初代皇帝の石像が俺の背中を守るように移動してきた。トアが指示して行ったのか。気が利くというか、いざというときのトアは本当に頼りになる。
ラニルスの声により操らている何人かの衛兵を切り付けたり、蹴飛ばしたりしていると、正気に戻った衛兵や、最初から術の抵抗に成功して正気を保っていた衛兵たちが俺を守るように動き始めた。操られている野次馬たちも抑えてくれているようだ。この大混乱の中で、衛兵たちはよく態勢を立て直したものだと感心していると、どうやら数名の帝国騎士が衛兵に指示を飛ばしている。
「無事……とはいえないようだが、生きてはいるようだな」
聞いたことのある声がしたので、そちらを振り向くと、帝国騎士団の部隊長、マルダスが立っていた。
「ミリアナ姫から君を助けるように言われた。もっとも最初にあの自動人形に結界の存在を知らせてもらっていなければ、ウチの隊もこの暴徒の一員だったかもしれないがね」
マルダスが連れてきた数人の騎士のおかげで、少しだけ余裕が出来たので現状を簡単に説明してもらった。メイの知らせを受けたのがマルダスの部隊だったようだ。ラステイン家の訓練に参加したことのある騎士がメイの事を覚えていて、マルダスに報告した、ということらしい。どうやら最初に結界の影響を受けて動けなくなった者は、ほとんどがラニルスの声に抵抗することが出来ずに暴徒と化した様だった。体内魔力の流れを乱され魔法的な抵抗力が弱まっていた、ということだろうか。ミラやミシアはラニルスの声に抵抗することは出来たが、結界の影響でまだ満足に動けないそうだ。その中でもエリーの状態があまり良くない様で、今はトアが治癒術を施しているという。
ラニルスの術は本当に厄介な術だと改めて思う。魔法やスキルという高い能力を持つ者ほど影響を受け無力化される。トランプの大富豪で革命が起きたときの様だ。強いカードと弱いカードが逆転する。そしてラニルスはジョーカーだ。本当に質が悪い。
『イチロー、マズいぞ。ラニルスが何かやるつもりだ。アレは……【七宝】? ………なんだこの記憶は?』
タマムシの声が頭の中で響く。しかし、俺はその声に返事を返すことが出来なかった。目の前でとんでもないものを見てしまったからだ。
俺を守るように戦っていた初代皇帝の石像が大きな音を立てながらその場に倒れた。見ると右足を砕かれている。そして、それをやった人物に目を奪われて思考が停止してしまった。
黒い剣を正眼に構え、悠然と立っている男。ラステイン家の従士長、ギルバート・トゥーティア。
呆然としている俺をしり目に、三人の騎士たちがギルバートに向かっていった。しかし、あっという間に切り伏せられてしまう。帝国騎士団は所謂エリートの集まりだ。主な任務は要人や重要な拠点の警護だが、有事の際にはこの国の剣となり盾となることが職務となる。雑事の多い衛兵と違い、彼らに課せられている責任とそれを果たすための能力はある一定のラインを超えている。その騎士たちを歯牙にもかけず一刀のもとに切り捨てて行く。
「………ギルバート、殿……」
マルダスはそう呟いた後、気合の掛け声と共に猛然とギルバートに切りかかる。その剣筋には手加減というものが感じられない。
ギルバートは鎧を身に着けていない。俺と同じような軽装だ。マルダスの剣撃が急所に当たれば死ぬ。急所を避けてもただでは済まないだろう。そんなことを考えてしまうほど、マルダスの剣には気迫が籠っているように感じた。帝国騎士団の部隊長であり、その中でも年長者の部類である熟練の剣士、そのマルダスが全力で相対しなければならないと判断したということだ。
動けない俺の目の前で二人の剣は激しい金属音を立てながら交差する。マルダスの気迫の剣に対して、ギルバートにはまだ余裕があるように感じられる。二人はしばらく打ち合っていたが、マルダスは手首を打たれ剣を落としてしまった。そこへギルバートの蹴りが飛ぶ。マルダスにとって蹴りは予想外だったのか、まともに鳩尾に喰らってしまい、その場に崩れ落ちた。
ギルバートは足元に落ちているマルダスの剣をゆっくりと拾い上げると二刀の構えを取った。俺は戸惑いながら剣とナイフを構える。おそらく一撃当てればギルバートは正気に戻るはずだ。だがその一撃を当てるイメージをどうしても持てない。そして、ギルバートの攻撃を躱せる気もしない。ハッキリ言って勝てる気がしない。
ギルバートは少し離れた間合いで、右手に持った黒剣を振り上げる。その姿を見て、俺は反射的に【思考加速】を発動する。
ヤバい。本当にヤバい。たぶん流刃の型だ。全力で殺しにきてるじゃねーか。しかもあの黒剣が最悪だ。鉈の重さを持った鋭い剣が流刃の型の遠心力でとんでもない威力になるはずだ。きっと普通の剣では受けきれない。かといって攻撃を躱せば、勢いのついた流れるような連続攻撃に飲み込まれる。ジリ貧だ。せめて盾でもあれば少しは希望があるのだが。
その時、再び世界が完全に停止した。タマムシが重ねて【思考加速】を使ったのだ。何か策があるのか、それとも俺の体をタマムシが使うつもりなのか、どっちにしてもここで何かしらのアクションを起こさないとこのままではやられる。だが、タマムシの言葉は俺の期待に沿うものではなかった。
『イチロー、ラニルスを止めろ! アレは………アレは本当にマズい。……このままでは………』
えっと、今それ何処じゃないんですけど。ラニルスの前にギルさんに殺される。
『………くそっ! 私は……何もできない。………なにが原初の混沌だ!』
……えーと? どうした? ……なんか怒ってる?
『……イチロー、お前の脳はこれ以上の負荷に耐えられない。今も脳組織の崩壊をギリギリで食い止めている。……もっと早く告げるべきだったが………言えなかったんだ……』
あー、それで最近様子が変だったのか。もしかして悩んでたのか?
『イチローがこうなったのは私のせいだ。 ………怖かったんだ。……もし、イチローに拒絶されたら、私は……』
……とりあえず、その辺の話は後にしよう。この場をどうにかしないとどっちみち死ぬ。
『………お前、なんとも思わないのか?』
思わないわけないだろ。でもこのままじゃギルさんに切り殺される。それにラニルスもなんかヤバいんでしょ? ……俺、この状態であとどれくらい動ける? えーと、死なない範囲で。
『………』
だいたい俺の中にタマちゃんがいるのは、元はと言えばミシアのせいでしょ。タマちゃんのせいじゃないって。……気持ちを切り替えてくれよ。頼む。俺だって死にたくないけど、ギルさんに殺されるのだけはダメだ。ギルさんが俺を殺した後の事を想像してみろよ。最悪だ。そんな鬱展開だけはダメだって。
『………二分だ。……イチローの主観の時間感覚で二分。たとえ【思考加速】を使わなくても、痛覚遮断やリミッターの解除などで、イチローの脳には常に負担がかかっている。【思考加速】を使えばもっと短い』
二分かぁ。厳しいなぁ。ギルさんの上に、ラニルスまでとなると……。ところで、それって今のこの時間も含んでんの?
『この【思考加速】は私の最後の魔力で行っている。イチローの生命維持の分の魔力を残すことを考えると長くは持たないぞ。……二分は、この【思考加速】を解いた後のイチローの活動限界の時間だ』
ふむ。で、ラニルスは何しようとしてんの? まさかもう一回さっきの声とか、結界とかをやるつもりか? 確かに今それをやられたらさすがにヤバいけどね。
『……わからん。わからんが、たぶん帝都が消し飛ぶ。自棄になった敵キャラが最後にやる自爆攻撃だ。ありがちな展開だが実際にやられると確かに厄介だな』
なんだよ。調子出てきたな。
『……ふん。イチローいう通り、ここを切り抜けなければ意味は無い。私の魔力もなくイチローの体力も限界だが、なんとかするしかない』
頼むよ。頼りにしてるんだから。
『ああ、死ぬなよ。面倒だから』




