74 帝都騒乱編30 帝都騒乱3
「コルネリア、迎えに来ました。さあ、元の場所に戻りましょう」
ユキがラニルスと呼んだ女性は、静かに、しかし良く通る声でそう告げた。その女性は整った顔立ちで目を細めて薄く笑っているように見えた。しかし、よく観察するとそうではないことがわかる。笑顔に見える無表情とでもいえばいいのか、その顔から感情の様なものを伺う事ができなかった。
その女性は、今までに見たことのある聖教徒と同じような白を基調としたローブを纏っている。しかし、袖口や裾にすこし豪華な装飾が施してあるようで、もしかしたら高位の聖教徒の正装なのかもしれない。
女性の横には豪華な鎧を纏った数人の騎士風の男たちが立っていて、その周りのアリオンや聖教徒達を護衛してきたと思われる帝国の衛兵たちは皆その場に膝をついている。倒れている者もいるようだ。アリオンやギルバートも蹲っている。
「……私は………コルネリアじゃ……ない……」
ラニルスの問いに、ユキは絞り出したような震える声で小さく呟く。怯えているのか、両手で自身の身を掻き抱き、その声と同じようにその身体を小さく震わせている。
「……まさか、名を変えたのですか? ……しかし、私の操心の術を解くにはそれだけでは………」
俺は、ラニルスの呟きを聞きながら、この突然の出来事に戸惑い身動きが取れないでいた。何が起きたのかはわからないが、とりあえず倒れているエリーの傍に行こうかと考えたとき、視界に入っているすべてのものが動きを止める。まるで時間が止まったような感覚。この感覚には覚えがある。不意に俺の視界の目の前にジャージ姿の少女が現れた。タマムシが俺の脳を操作して強制的に【思考加速】の状態にしたようだ。
『イチロー、この状況はマズイ。私は撤退を勧めるが……』
撤退って言ったって……。いったいどういう状況なんだ? なんでみんな倒れてんの? 毒ガスかなんかか? なんで俺は平気なんだ?
『……恐らく、あのラニルスとかいう女を中心とした一定の範囲に、体内魔力の流れを乱す結界の様なものが張られている。保有魔力が強い者ほど強い影響を受ける。そして、この結界内では魔法やスキルは使えないはずだ。魔力が強いものは身動きすら出来ないかもしれない』
俺はタマムシの言葉を受け、辺りの様子を観察する。といっても、首や視線を動かすことは出来ないので、今の視界に入っている状況のみが情報源なのだが、それでも色々なことがわかってきた。
まず、タマムシの言う、結界の様なもの、の範囲はそれほど広くないようだ。正確な範囲は判り辛いが、この状況を遠巻きに見ている野次馬たちや、その整理をしている衛兵たちには影響が及んでいる様子はない。とは言っても俺の周り、というかラニルスの周りにいる人たちは皆倒れているか蹲っている。トアとミシアやミラは俺の視界には入っていないが、タマムシの話が本当なら身動きは出来ないだろう。例外は俺と、視界の隅にいるメイ、そしてラニルスとそのそばにいる三人の鎧姿の騎士風の男たちだ。
一度冷静になって考えてみることにする。こんな時に深呼吸ができないのがもどかしい気がした。そして、そんなことを考えている自分に少し笑ってしまいそうになる。実際には笑うどころか瞬き一つできないのだが、それでも少し落ち着いた気がした。
俺はゆっくりと思考を巡らせる。【思考加速】した状態でゆっくり考えるというのはおかしな話だが、そうとしか表現できない。
この世界の大抵の生き物は魔力を持っていてそれが体内を循環している、という説明を何回か耳にした。俺にはその体内魔力がほとんどないので魔法もスキルも使えないし、治癒魔法や強化魔法もほとんど効かない。そして、この結界は体内魔力の流れを乱しているようだ、とのことだ。それは、もしかして〈エデ病〉の症状と同じような状態ということだろうか。リジーのようにほとんど動けない状態なのか。
俺が無事なのは魔力が無いからだろう。では、ラニルスの傍にいる騎士風の男たちはどうして平気なのか。俺と同じように魔力が無いのかもしれないが、それは考えにくい。恐らく、あらかじめこの結界の影響を受けないように何らかの対策を施しているのだろう。メイは……よくわからない。人形だからか? ハルやユキはどうなのだろうか。ユキは怯えている様だったがしっかりと立っていた。すぐに動けなくなったエリーと比べると、ある程度動けるのかもしれない。
そして、問題はラニルスがユキを連れ戻しに来た、ということだ。ラニルスは竜を意のままに従えるような術を持っている。どんな手段かはわからないが、この場でユキやハルを操られたりすると非常にマズい。そして、ユキのこれまでの境遇を思えばラニルスに連れていかれることは絶対に避けたい。出来るかどうかはともかく、力になると約束してしまったことでもあるし。万が一を考えると、まずハルとユキをこの場から遠ざける必要がある。
俺が選択できることは大まかに、戦う、逃げる、話し合う、の三つだ。
まず、最初に考えたのは逃げるというもの。だが少し考えてそれは難しいと気づく。動けない皆を連れてこの場を離れるのは不可能だろう。黙って見逃してくれるとも思えない。もしハルが動けるのならば、その手に抱えてもらって撤退することも出来るが、全員は無理だ。俺以外の仲間はハルにしがみつくことも出来ないはずだしエリーの糸も使えない。安全に運べるのは二人か三人が限度だろう。そして、誰かを置いて行くという選択肢はない。エリーやタマムシはラニルスが使徒だという事がすぐにわかったようだ。つまりそれはラニルスもエリーが使徒だとわかる、ということだ。動けないエリーをこの場に残していけば真っ先に殺されるかもしれない。トアやミラを残して行っても同じだ。人質にでもとられて、ユキの身柄と引き換えに、なんてことはすぐに想像がつく。
あとは、戦う、と、話し合う、だが、とりあえず、ここまでの考えをタマムシに伝えて相談することにした。
『話し合うのは無理だな。あいつがこちらの話を聞くとは思えない。以前に言ったが、使徒には心や感情がない。例えあったとしても、それは人のそれとは違う』
じゃあ、戦うしかないのか。ラニルスって人はエリーと同じ使徒なんだろ? それってはっきり言って無理ゲー? それにあの鎧の人たちも強そうだし、………どう思う?
『あの使徒は付け入る隙はあるかもしれん。あやつ自身はおそらくこの結界の維持以外の手の込んだ魔法やスキルは使えないはずだ。鎧騎士達を連れているのはそのためだろう』
ふむ。あの魔法で相手を無力化して、後は騎士たちが、ってことか。
『聖王国の高官の護衛という立場なのだろう。弱いはずは無い。メイが動けても三対二だぞ。応援も期待できん』
うーん。ユキとハルはどうかな。操られる危険があると思う?
『……古竜を支配する魔法が使えるとしても、片手間で出来るとは思えんが……ハルはともかく一度支配下にあったユキはまずいかも知れんな』
ところで、その魔力の流れを乱すとかってやつは、タマちゃんは平気なのか?
『ああ、私の体積はたかが知れている。複雑な構造もしていないしな。影響は無い。……半星幽体のエリーは特に辛いだろう。あいつの体は魔力の塊みたいなものだからな』
えっと、死んだりしないよね?
その後しばらく、タマムシと相談して作戦を立てる。色々なパターンを想定するが、今回は完全に後手に回ってしまっているので出来ることは少ない。それでも、この形勢を逆転できそうな手を考える。タマムシはおぼろげながらも魔法やこの世界の知識を持っている。この状況で出来ることと出来ないこと、そして敵がしてきそうなことと、嫌がりそうな事。そんなことをじっくりと話し合う。
………とりあえず、これで行ってみよう。ヤバそうならまた作戦の練り直しだな。いざという時は頼むよ。タマちゃん。
『…………ああ』
タマムシの返事と同時に景色が動き出す。【思考加速】が解除されたのだ。タマムシの歯切れの悪い最後の返事が何となく気になったが、俺は作戦通りに慌ててしゃがみこむ。まずは相手の術が効いているふりをする。これで少しでも油断してくれればいいのだが、すぐにバレるかもしれない。まぁ、やれることはやっとこうというわけだ。
「メイ、平気か? 動けるなら頼みたいことが有るんだけど」
「はい、マスター。身体機能に若干の負荷を感じますが、特に問題ありません」
俺は、苦しんでいるふりをしながら、メイに作戦を伝える。俺の傍を離れる事を拒むかとも思ったが、メイは俺の指示を黙って聞き、そっと俺の傍を離れて行った。この作戦はメイが頼りだという俺の思いが伝わったのかもしれない。なんにせよ、さて、次だ。
「ハル! 動けるなら、ユキとアリオンさんを連れてこの場を離れろ! 頼む!」
ハルの目をまっすぐに見ながら真剣な顔で叫ぶ。俺のいつもと違う雰囲気に戸惑っていたようだが、何かを感じ取ってくれたのか指示通りに動いてくれた。
「……わかった。……すぐ戻ってくるから!」
ハルはそう叫ぶとアリオンとユキをその手に掴み翼を広げると大きく空に舞い上がる。そして、北の方角へ飛んで行った。
よし、ここまでは順調だ。勝負はここからだな。
「……あなたが、あの竜の主。……辺境の英雄、ロウ・フチーチですか?」
ラニルスはしばらくハルが飛び去って行った方向に視線を向けていたが、やがて俺に振り返り声をかけてきた。その口調は平静で慌てたり動揺している様子は感じられない。俺はしゃがみ込んだままとりあえずラニルスを無視する。
「……貴方、私の術があまり効いていないようですね。危険な存在かも知れません。……殺しなさい」
やっぱりかぁ。使徒ってこんな奴ばっかりなの? エリーもこんな感じだし。……いや、この人はまだましかもしれない。うちの魔人は問答無用でまず拘束、話しかけるのはそれからだからな。
俺は立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる騎士風の男たちを無視してラニルスに話しかける。
「待て! 提案がある。俺は争いを望まない。それはアンタも同じだろう。アンタは秩序と平穏を重んじるルト教徒のはずだ!」
俺の言葉にラニルスは反応した。騎士風の男たちに少し待つように告げ、俺に話の続きを促してくる。
「暴力で物事を決めるのは野蛮な事だと思わないか? 俺は誰も傷つけたくないんだ!」
ラニルスの表情は変わらない。何も言わずに俺の言葉の続きを待っているようだ。ちなみに、正確には、傷つきたくない、が本音だが。
「……じゃんけんで勝敗を決めよう!!」
「…………一応聞きますが、負けたらどうするのです?」
「負けた方は服を一枚づつ脱いでいき、先に全裸になったほうが相手に土下座で謝るという、恐ろしい……」
「殺しなさい」
「わー! まって! ちょっと待って! マージャン!! 麻雀で勝負とかどうかな!? アリナシの赤ありでウマも焼き鳥も有りのルール! 頭ハネ無しのダブロン有り、ぶっ飛び有り、点ピンで……」
しまった。思った以上に時間が稼げなかった。俺が必死にルール説明している間にも騎士風の男たちはこちらに近づいてきている。せっかく話を聞いてくれる雰囲気になっていたのに。……それにしても我ながら麻雀はなかったな。こっちの世界には無いだろうし。もしかしてチンチロリンだったら食いついてきたかも。……くそう、やっぱり体張るしかないのか。
騎士風の男たちにこれ以上こちらに来させるわけにはいかない。俺の傍にはエリーやトアが倒れている。人質にでもとられると打つ手がない。俺は剣を抜き、構える。鎧も身に着けていないし盾も持っていない。右手にショートソード、左手にナイフだ。
あーもー、どこで間違った? こんなことになるのなら、女性下着売り場にも付いて行くべきだったのか?
俺は騎士風の男たちに向かって駆け出す。どうやら、三人の騎士の内一人はラニルスの護衛につくようだ。こちらに向かってきているのは二人。よかった。二人ならなんとかなるかもしれない。
先頭を歩いていた中年の騎士にショートソードで軽く切りつける。べつに当てるつもりもない攻撃だ。軽く手を出しながら回避に専念するつもりでいる。
やがて、もう一人の見た目優男風の騎士も戦列に加わり、二人がかりで襲ってくる。連携攻撃でもされていたら苦しい展開になりそうだったのだが、そういうことをしてくるわけでもなく、攻撃は淡々としたものだった。この騎士達もラニルスに操られているのか、個人の意志の様なものを感じない。つまり、機転を利かせて、エリーやトアを人質にとる、といった行動は取れない可能性が高い。これならなんとかなりそうだと思っているところに、いかにもいかついおっさんな見た目の三人目の騎士が戦列に加わってきた。
三人に囲まれると辛いな、などと悠長に考えている場合ではなかった。この三人目の騎士にはどうやらハッキリと意思が有る。攻撃も他の二人より鋭いしイヤらしい。そして、俺が騎士たちを無視してラニルスの方に行こうとしても巧みに妨害してくる。しかも、コイツの武器がメイスなのがまたやり辛い。他の二人は普通の剣なのだが、メイスのような鈍器の攻撃は剣やナイフでは受けにくい。そして受け流すのも難しい。基本的には避けるしかないのだが、メイスにばかり気が行ってしまうと、他の二人への対応がおろそかになってしまう。
回避に専念しながら、チャンスが有ればこちらの攻撃も当てている。主な狙いは急所ではなく敵の手足だ。動きが鈍くなったり、攻撃の手が緩くなってくれることを期待しているのだが、なかなか思い通りにはいかない。いかついおっさんの騎士は別にしても、二人の騎士には結構な手傷を負わせている。しかし、それを意に介している様子は無い。相変わらず淡々と攻撃してくる。
だが、それは向こうも同じように思っているかもしれない。俺も結構な手傷を負っている。全身に浅い切り傷や打撲。タマムシが痛覚をコントロールしてくれているので、あまり痛みは感じない。動きは鈍っていないなずだ。だが、このまま傷が増えて出血しすぎるとやばい。そして身体機能もリミッターを外している。火事場のクソ力的な状態だといえばいいのか。訓練の時に何度か試したことがあるが、これをやると翌日筋肉痛で大変なことになる。傷と合わせて明日は大変なことになるな、と考えて、明日が迎えられればいいけど、などと考える。
【思考加速】を全開で使いながら戦っているので、感覚的には一時間近く経っているような感じなのだが、実際には数分しか経っていないのだろう。おっさん騎士のメイスの攻撃を躱しきれず、なんとか剣で受けたが受け流しに失敗して吹き飛ばされてしまう。すぐに身を起こし騎士達から少しだけ距離をとる。傷みの感覚は鈍くなっているはずだが、それでも激痛が走る。あばら骨にひびでも入ったかもしれない。メイのお使いはまだしばらく時間がかかるはずだ。それまで何とかして持たせようと思っていたのだが、これは無理かもしれない。死ぬかも。
なんで俺がこんな目に会わなきゃならないんだ、という思いが思考を占拠しそうになる。三対一で向こうは完全装備、こっちは旅人の服だぞ。なんだこの無理ゲー。そんな思いを強引に鎮め、気合を入れなおす。こうなったら死にもの狂いでガムシャラにやるしかない。相手の騎士達も手足の二、三本は覚悟してもらおう。
騎士たちが追い打ちをしてこないので、その間に少しでも呼吸を整える。なぜ追い打ちしてこないのか不審に思ったが、そんなことにかまっていられない。大きく息をしながら油断なく構えていたのだが、騎士たちが俺を見ていないことに気が付く。俺の後ろを見ている? こんな状況で応援や助けが来るとは思えないが、もしかしてハルが戻ってきたのかもしれない。そんな期待を抱いてチラリと振り返った俺の視界に入ってきたものは、
初代皇帝の石像が石の剣を振り上げてこちらに走って来る姿だった。
なんだコレ?




