10 ゴブリン村編6 笑顔
薬のことをどう切り出そうかと逡巡していると、入口の布を捲り上げ、トアが入ってきた。
「ニンゲン、持ってきたですよ。それと水も汲んできてやったです」
ミリアナはトアを見て身を竦める。警戒しているようだ。トアはそんなミリアナの態度には気が付いているようだが、気にした風でもなく話しかける。
「一応、雌ニンゲンにも説明しておくです。この薬は体内の毒素を集めて排泄物と一緒に体の外に出す薬です。〈大口〉の毒は正しく対処しないと後遺症が残ることがあるです。力が入らなくなったり、しびれが残ったりするです。今この薬を飲めばおそらくお前は大丈夫です。信用できないならそれでもいいです。この薬はオババが作ったものですが、本来はエルフの秘薬です。貴重なものなのです。飲む飲まないはお前の勝手にしろです」
そう言って手のひらほどの壺をミリアナにつきつける。
「一粒とるです」
ミリアナは少し戸惑うそぶりを見せたが、壺の中から一粒つまみ上げる。トアはそれを毟るように奪い取り、今度は俺に渡してくる。俺は軽く頷いてそれを口に放り込む。トアが差し出した水で流し込み、ミリアナに告げる。
「……というわけで、毒ではないので飲んでくれませんか?」
壺から新たに3粒取り出してミリアナに渡す。
「……エルフの秘薬……」
ミリアナは手のひらの上に置かれた薬をじっと見つめている。
「さて、わたしはマシュの家に行くです。後は弟子に任せるです」
そう言うと、トアはミリアナの方を見ようともせず、さっさと出て行こうとする。
「あ、トア、ありがとな」
トアは空き家の入り口で、軽く上げた手をひらひらさせるとそのまま出て行った。
「……私は」
トアが出て行ってしばらくたってからミリアナは口を開いた。
「……ずいぶんと失礼な態度をとってしまっていたようだな」
あ、はい。そうですね。まぁ、でも。
「無理もないです。この状況ならだれでもパニックになると思います。女性ならなおさらです。ただ、この村のゴブリン達の名誉の為に申し添えるなら、この村のゴブリンは人を襲いませんよ」
ミリアナはゆっくりとこちらに顔を向ける。
「攻撃されれば反撃はするが、基本的に人間を襲ってはならないという掟があるそうです。あと、えーと、その、……人間の女性に乱暴をしたりとかもしないそうです。曰く『人間の雄はゴブリンの雌とやりたいと思うのか? そういうことだ』だそうです。最近になってその手の誤解が増えてきているような気がするっていってましたが……」
そこまで聞くとミリアナは俯いて顔を隠してしまった。髪の隙間から見える顔が赤いのは、熱のせいばかりでもないようだが。
色々と聞きたいこともある……薄い本のこととか。まぁ、今は問うまい。これでも俺は空気は読める方だ。
「……水を」
ミリアナはしばらく俯いていたがやがて顔をあげ、一言だけ告げてくる。トアが汲んできてくれた水を木の椀ですくい差し出す。
水を受け取ったミリアナは丸薬を口に含み一気に流し込む。椀の水を一息で飲み干しこちらを真っ直ぐに見ながら言った。
「フチといったか、すまなかった。そして助けてくれてありがとう」
その真っ直ぐな視線と淡い笑顔に不覚にもドキっとしてしまったが、さきほどの醜態も見せられているので相殺、というか、まだ少しマイナス印象である。……言っておくが俺はそんなにチョロくないんだからね。
「……お礼なら明日、ゴブリン達と長老に。それからトア、えーとさっきの女の子にも」
椀を受け取りながら、そう返事をする。
「そうだな。……ところで、頼みがあるのだが、聞いてもらえるだろうか」
ミリアナは体を横たえながら言う。ちょっと上目遣いというか。見た目は美人なだけに断りづらい。
そんなん内容によるわい、と言いたところだが、空気が読める俺はもちろんそんなことは言わない。
「なんでしょう?」
「……今夜はここにいてくれないだろうか? ……その、色々と誤解していたのは理解したつもりなのだが、ゴブリンの、……亜人種の村で一人きりになるのは少し、なんというか……」
まぁ、たしかに。体が自由に動かせない状態で、よくわからない場所で一人きりは怖かろう。
「わかりました。一晩ここにいますよ」
ミリアナはさほど時間を置かず寝息を立て始めた。体力的に限界だったのか、薬の効果か、あるいはその両方か。
囲炉裏に薪を足し、物音を立てないように空き家を出る。とても疲れているのだが、とりあえず腹が減った。
俺は長老の家の近くの小さい空き家に住まわせてもらっているのだが、そこからイモと干し肉でも取ってくるかと思い立ち、トボトボと歩き出す。辺りはもう暗くなっているが、今夜は月明りが明るいので歩き回るのには問題はない。
この世界にも元の世界と同じような月がある。模様が少し違う気がするが、元の世界の月の模様なんてはっきり覚えていない。星の位置とか星座なんかもうろ覚えだしなぁ。カシオペア座とか射手座ぐらいしか覚えていないのだが、こっちの世界の夜空にはそれっぽいのは見当たらない。
ただ、この世界は所謂パラレルワールド的な世界なんじゃないかとは思っている。魔力なんて意味不明なものを除けば、普通に息ができるし。四季があるようなので緯度は日本と同じくらいなのかもしれない。
すると地球と同じように少し傾いて自転とか公転とかしているのだろうか。角度は二十三度くらいだったっけ? ……そう考えると、偶然似たような環境の別の惑星ってよりはパラレルワールドとかそっちの方が納得できる気がする。
酸素の濃度とかが少し違うだけで人間は生きていけない、みたいことをSF小説だか漫画だかで読んだと思うんだけど。まぁ、違う惑星でもパラレルワールドでも、それがわかったからといって現状が変わるわけでもないのだが。
そんな益体もないことを考えながら歩いていると、前のほうから歩いてくる人影が見えた。長老とトアだ。
「大丈夫だったですか? ニンゲン」
「ああ、薬は飲ませて、今は眠ってるよ。そっちはどうだった?」
「無事に生まれたです! なんと双子だったですよ! 可愛かったです! ……でもちょっとグロかったです」
あー、生まれたての赤ちゃんってたしかにグロいよな、血まみれだし。
「長老もお疲れ様です。なんか大変だったみたいですね」
長老にも声をかける。
「ふん、まったく次から次に、こんな日は珍しいよ。で、あんたは家に帰るのかい?」
「いえ、今夜はあの女性のそばに居ようと思います。目が覚めてまたパニックになられても困りますし……。ただ、腹が減ったんで、なにか食べ物を取りに行くところでした」
「そう思って、持ってきたですよ」
トアが手に持った籠を見せてくる。毛布も持ってきてくれたようだ。
「アタシは、もう一人の怪我人の様子を見て、問題なければ休もうと思うけど。トアはどうするんだい?」
「弟子と一緒にメシを食うです。おなかへったです」
「そうかい。さすがに今夜はもう何もおこらないと思うけど、そうだね、そっちはたのむよ」
長老はトアの頭を一撫でしたあと、俺の方を見て軽くうなずいて去って行った。
もう一人の重症者は長老の家で治療し、そのまま安静にされているとのことだった。休むと言っていたが今夜一晩様子を見るつもりだろう。
長老と別れ二人で空き家に向かいながら、ふと思い出しトアに尋ねる。
「そういえば、マンドラゴラはどうなった?」
「あっ、……忘れてたです」
「……逃げたりしないよな? あれ」
「マンドラゴラは月夜の晩に地面から這い出して移動すると言われているですが、真っ暗な場所では休眠状態になるといわれているです。とても珍しい生き物なので生体がよくわかっていないです。ただ、あの物置から逃げるのは無理だと思うです」
そんなことを話しながら、ミリアナのいる空き家に着いた。なるべく物音を立てないように食事を済ませる。ミリアナはぐっすり眠っているようだ。
空腹が満たされると、連日の疲労からか急に眠気が襲ってきた。トアの持ってきた毛布をかぶり床に就く。トアもあたりまえの様にふところに潜り込んでくる。寒くなってきたせいか、最近よく一緒に寝ているので特になんとも思わなくなったが、これは倫理的に大丈夫なのだろうか? 元の世界なら事案物のような気もするが。いや深く考えるのはよそう。変に意識するのがいけないんだ。親が子どもと寝るようなものだと自分に言い聞かせる。やましいことは何も無い。無いったら無い。俺はどっちかというと年上好き……いやいや、そういう問題じゃない。
そんな割とどうでもいいことを考えながら、いつのまのか眠っていた。
そしていつの間にか朝になっていた。結構な寒さで目が覚める。吐く息が白い。
ふと見ると毛布は全部トアにとられていた。囲炉裏の火はほとんど消えていたが、まだ燠は残っているようなので、細めの薪を足す。
俺がトアより先に目を覚ますのは珍しい。いつもは水を汲んで来いとかいわれて叩き起こされるのだが。まぁ、この寒さで毛布無しはさすがに目が覚める。ここ最近の朝方の寒さはほんとに辛い。すでに外は少し明るくなっているようだが囲炉裏の火が無いので小屋の中は暗い。
灰が舞い上がらない程度に息を吹きかけ囲炉裏の火を熾す。やがてパチパチと音を立てながら小さい炎があがる。それを見ながら更に薪を足していると声をかけられた。
「上手いものだな」
ミリアナが体を起こしこちらを伺っている。火熾しのことだろうか? ……毎日のようにやっているからなぁ。こちとら【種火】の魔法すら使えないんだぜ。
「おはようございます。体の調子はどうです?」
ミリアナは手を握ったり開いたり肩や首を回したりして確かめている。
「……どうやら、問題無いようだ」
「それはよかったです。あ、おなか減ってます? なんか食べれそうですか?」
「……それより、もう一人の生き残りのところに連れて行って欲しい」
「あ、そうですね」
そりゃそうだよな。もう一人の重症者の方か。今夜が山だ状態で一夜明けた訳だが、無事に峠は越えたのだろうか。長老がついていたのだから大丈夫だと思うけど。……まぁ、万が一があっても仕方ないというか、なるようにしかならんか。
そんな会話をしていると、もぞもぞとトアが身を起こす。
「おはよう、トア」
「ふあぁ、おはようですぅ」
上半身をおこして伸びをしている。ちょっと寝ぼけ気味のようだ。こんな状態のトアもめずらしい。辺りを見回しミリアナを見て動きが止まる。
「昨日はすまなかった。そして、助けてくれて本当にありがとう」
ミリアナはトアをまっすぐに見つめ、礼を言う。そして深々と頭を下げた。
「……お前を助けたのは、セトとクロです。そして薬を作ったのはオババで、飲ませたのは弟子です。わたしは何もしていないです。……でも、元気になったのならよかったです」
「そうか。それでも、礼を言わせてくれ。フチ殿もありがとう。あなた方は命の恩人だ」
ミリアナはもう一度頭を下げる。
俺とトアは顔を見合わせる。はっきり言って気まずい。
トアがさっき言った通り、俺たちは大したことはしていない。たしかに、あの状況でゴブリン達ではミリアナに薬を飲ませるのは難しかったかもしれないが、最終的には人間語を喋れる長老がいれば何とかなったはずだ。
トアが、これどうするの? 的な目で、こちらを見てくるが俺は小さく首を振る。ここで頑なに感謝の言葉を拒んでも、向こうも、じゃあ感謝はしません、とはならないだろう。不本意ではあるが、ここは甘んじて感謝を受けとったほうがいい。なんとなく日本のサラリーマンを思い出してしまった。ここは私が払います、いえ私が、みたいな。
ミリアナが頭を下げているあいだにトアが俺を肘でつついてくる。おれも口をパクパクさせたりハンドサインで応戦する。お前が相手しろ、いやいやそっちが声掛けるべきでしょ、みたいな会話をお互い心の中で行う。
「……えーと、頭を上げるです」
結局、沈黙に耐えられなくなったトアが俺を横目で睨みながら、そう切り出す。対する俺は、おそらくここ最近で一番いい笑顔である。
「あー、それはまぁいいとしてです。体は平気です? えーと、おなかは減ってないです? 朝飯食うですか?」
頭をあげたミリアナはトアのその言葉をきいてクスクスと笑いだした。俺はキョトンとしているトアに言う。
「それ、さっき俺が聞いたよ」
笑いがおさまったあとミリアナは改めてこちらに向き直り、こういった。
「フチ殿と……トア殿、でいいだろうか? ……私の名はミリアナ・ラステイン。私のことはどうかミラと呼んでほしい。近しい者は私のことをそう呼ぶ。私はあなた方と友となりたい」
そう告げる彼女の淡い笑顔はとても輝いて見えた。というか、そんなセリフ照れずに言えるのは凄いと思います。
「そ、そこまで言うなら仕方が無いです。友達になってやってもいいです」
トアのこの、あまりにあんまりなテンプレみたいなセリフに吹き出しそうになるが、必死でこらえる。しかし、次のセリフであえなく撃沈してしまう。
「ニンゲンもニンゲンが増えたのでフチと呼んでやるです。これは仕方なくなので、調子に乗るなです!」
それでも必死にこらえてプルプルしているおれに気づき、文句を言ってくる。
「なんで笑ってるですか! 弟子のくせになまいきです! わー、笑うなですぅ」
そう言いながら、照れ隠しなのか俺に殴り掛かってくる。まったくかわいいやつめ。
「ハハハ、ごめんごめん。痛い、ごめんなさい。ちょ、痛いって、あ、顔はやめて。わーごめんなさい。痛い痛い、やめてください!」
……くそう、まったくかわいくない。