44 帝都騒乱編 プロローグ
その日、私は特に急ぎの用事もありませんでしたので、自宅の書斎にてゆっくりとした昼下がりの時間を過ごしておりました。
数年前に新設された魔道学院の研究報告などに目を通しながら、お茶などを頂いておりました。なかなか興味深い報告書でしたので時間を忘れて文字を追っておりました。用意して頂いたお茶が冷めてしまっていたので、熱いお茶を淹れなおして頂こうかと思っていた時に、控えめなノックの音が部屋に響きました。
「ルシア様、陛下がお見えになるそうです。今しがた先触れがありました」
古参の侍女がそう告げました。
「そうですか、何用でしょうか。最近は聖王国も大人しいですし、今の時期は予算の審議と決済で陛下もお忙しいでしょうに」
私は手に持っていた報告書を机に置き、冷めたお茶に手を延ばしながら呟きました。
「おそれながら……例の噂話の件ではないかと」
侍女は、軽く会釈しながらそう告げます。
「噂とは、もしかして辺境の英雄の話ですか? ……確かに、それなら私の所に来てもおかしくはありませんね」
辺境の英雄。……昨今、巷を賑わす噂の一つです。西の大辺境に新たな英雄が現れ、古竜に名を与え友誼を結んだというお話し。その噂話はどうやら真実らしいとの報告も受けてはいます。にわかには信じられませんが。
古竜は不死に近い存在です。生半な手段では傷を負わせることもかないません。青か、せめて白の魔導士を数人、そして伝説級の武具を持つ者があって、それで運よく勝てるかどうかといったところでしょうか。条件にもよると思いますが、私は人型種があの生物に勝つ姿というのを中々想像することができません。そして、古竜は誇り高い生き物です。その上で強さを尊ぶという話ですから、互角以上の強さを示さなければ、その古竜と友誼を結ぶなど有りえないでしょう。
しかし、もっと有りえないのが、名を与えた、という下りです。古竜種や精霊のようにアニマに近しいものは、名前と想いに大きな影響を受けます。特に精霊は周囲の扱いによって、神のような存在にもなれば、悪魔のように人に害成すモノに変わったりするといいます。二つ名やあだ名のようなものでさえ少なからず影響を受けるというのに、一個人から新たに名を与えられ、それを受け入れるということは、古竜種にとっては一種の契約に近いものでしょう。その者に自らの意思で従属していると言っても過言ではありません。しかし、本当にそんなことが有りえるのでしょうか。
ただ、陛下のお話はその古竜の件ではないでしょう。おそらくその英雄の仲間だという一人の女性、辺境の魔人とよばれる人物の事で私の話を聞きたいということだと思います。何しろ私は実際に彼女にお会いしたことがありますから。
この噂話を聞いたとき、古竜の件ももちろん驚きましたが、私がなにより耳を疑ったのが、その辺境の魔人と呼ばれる女性の件です。今でも信じがたいのですが、調査の結果、本当にその英雄と呼ばれる人物と行動を共にしているようです。
三百年以上、あの辺境の町から動くことはなく、世俗のあらゆることに興味を示さなかった彼女を動かしたのは何なのでしょうか。
「ルシア様? ……お召し変えなさいますか?」
……つい考え込んでいたようです。侍女の声に、我に返りました。
「……そうですね。それと髪も少し整えましょうか。お迎えの準備をお願いします」
「はい、かしこまりました」
陛下にお会いするのは、少し久しぶりな気がします。今上の陛下はそれほど私の助言を必要とされない方の様なのです。とはいえ、失礼の無いようにお迎えするとしましょう。
「久しぶりだな。外で出迎えずともよかったのに、寒かっただろう」
さほど時を経ずにお見えになられた陛下は簡単なあいさつの後そうお声をおかけくださいました。
イエレミア帝国、第二十三代皇帝、ハンス・シドニウス・イエレミアス。がっしりとした体格の壮年の男性です。ご即位の時にはあまり似合っていなかったお髭も最近は堂にいっているように思えます。
応接室にご案内し、改めて挨拶をかわします。陛下はお供の方たちに部屋の外で待つように言うと、椅子に腰かけました。
「いやぁ、今年は一段と寒いな。毎年そんなことを言っているような気もするが」
「はい、陛下」
「いや、貴女にこんな話をしてもしょうがないな。三百年の内にはもっと寒い時もあっただろう」
陛下はそう言って少しお笑いになりました。
「すまんな、俺はどうにも世間話と言うか、社交辞令というものが苦手でな。さて、では本題に入るとしよう。例の辺境の英雄の話を知っているか?」
「はい、市井で話されている以上のことは存じませんが、どうやらただの噂話ではないようですね」
「ロウ・フチーチというらしい」
陛下はお茶を口に含み、一息ついたあとに続けました。
「冒険者組合の登録名はそうなっているとのことだ。まわりの者からはフチと呼ばれているらしいが、異人の作法はよくわからんな。まあ、それはどうでもいい。問題なのはその男の連れだ。古竜を仲間にしているそうだが、もう一人……」
「辺境の魔人、ですね」
「そうだ。その魔人だが、先日辺境伯、アリオン・ラステインから報告があった。……三百年前の初代皇帝の召喚に応じ、俺に挨拶に来るらしい」
「……それは」
私は、言葉が出ませんでした。初代皇帝陛下の度重なる召喚に一切応じず、果ては兵を出す事態にまで陥り、しかし、その兵を悉く退けてまであの辺境の町を動かなかった彼女が、今更、この帝都に来るというのです。
「まったく、頭が痛いよ。彼らは帝国の守護者を名乗り、我が国に敵意は無いようだがな。竜もそうだが、その上、件の魔人までとなると。……そこで、真なる帝国の守護者、いや監視者である貴女の話を聞きに来たのだ。たしか、貴女は実際に会ったことがあると言っていたな、その魔人とやらに」
「私が彼女と面識があったことをよく覚えておいででしたね。陛下がまだ幼かったころに、歴史の授業で一度だけお話ししただけですのに。それに、その頃の陛下は歴史の授業はあまり得意ではなさそうでした」
「おっと、俺の子供の時の話はやめてくれ。まったく、長命種というのはこれだからな。……歴代の皇帝達が何故皆貴女に頭が上がらなかったのか、その本当の理由を知っているか?」
「私が代々の陛下の教育係兼相談役だからでしょうか。私など、ただ長く生きているだけで、そうたいしたものではありませんのに」
「歴代皇帝全員の初恋の相手が貴女だからだよ。俺も含めてな。貴女の授業は楽しみだったが、勉強はまったく頭に入らなかった」
「ふふ、陛下は冗談がお上手ですね」
「……そういうことにしておこう。で、その魔人のことなのだが……」
「そうですね、当時のあらましは陛下もご存知でしょうが、事が事ですので少し詳しくお話ししましょう。私が彼女にお会いしたのは、五度目の召喚のときです。初代の陛下が自ら辺境に出向くと仰られるのをなんとかお諫めし、代わりに当時、宮廷魔術師で側近だった私が出向くことになったのです」
私は、陛下にお話ししながら、当時のことを鮮明に思い出します。
召喚状をお渡しする命をうけ、辺境に出向いた私を待っていたのは、領主の私兵と傭兵、その数二百名でした。その兵で彼女を捕えるというのです。三度、四度と無視されその度に兵の数も増えて行き、業を煮やした当時の領主は傭兵さえもかき集め、たった一人の女性を捕える為に、二百人の兵を用意したのです。礼を言うために捕えるというのはおかしな話ですが、貴族というのは体面を重んじます。陛下の側近である私が辺境に来たということも影響したのでしょう。私は止めたのですが領主は譲りませんでした。
彼女が住んでいるという教会の前で兵の代表が大声で呼びかけました。しばらくすると扉が開き、中から出てきたのは美しい顔の、しかし、ごく普通の女性でした。彼女は二百人の兵を見渡すと、恐れるでも、慌てるでもなく、ただひどく面倒そうな表情でため息をつきました。兵の代表が一歩前に進み出て、帝都への召喚状を読み上げます。しかし、大声で朗々と読み上げるその声が不意に途切れました。そして抜剣こそしていませんでしたが、油断なく構えていた兵士たちが次々と倒れて行きました。気が付くと、その場に立っていたのは私を含め十人ほどでした。呆然と立っている私たちに彼女は微笑みながらいいました。
「この前も言いましたが、私に用がおありでしたら、そのご本人がいらしてください。その気が無いのであればもう来ないでいただけますか?」
彼女はそう言い残して、教会の中へ戻っていきました。平静な口調でしたが、まるでしつこい押し売りを追い払うような態度でした。
倒れている兵たちを見ると、皆、手足を細くて頑丈な糸で縛られ、口上を述べていた兵士は口を縫い合わされていました。後でわかったことですが、彼女は動けなくなった兵士たちを連れ帰らせる為に、わざと十人ほど残したのです。
しばらく呆然と立ち尽くしていましたが、このまま帰るわけにはいきません。私は意を決して教会の門をノックしました。しばらく待っても反応が無いのでもう一度ノックしました。それでも反応が無いので、もう一度ノックするべきか、それとも日を改めようかと迷っていると門があきました。そして、門から顔をのぞかせた彼女は本当に面倒そうな顔で言いました。
「ふう………私が一体何をしたのいうのです? 謝ればいいのですか? そうすればこの陰湿で馬鹿げた嫌がらせをやめてくれますか? 私は人を殺したくないのです。今日まで穏便に済ませてきましたが、そろそろ限界ですよ? ………それとも、あの魔物の大軍をこの町に放ったのは貴方たちで、その魔物達から町を守った私が気にくわない、と、そういうことなのでしょうか。もしそうであれば、私は喜んでその帝都とかいう所へ行きましょう。そしてそのナントカという人が二度とそんな馬鹿な命令が出来ないように口を縫い付けてやります」
彼女は淡々とした口調でそう言いました。
私はとりあえずこれまでの非礼をお詫びし、話を聞いてくれるように頼みました。彼女はしばらく私のことをじっと見つめていましたが、やがて渋々といった様子で私を教会の中へ招き入れてくれました。私は一人で教会の中に入り、他の者は外に待たせました。これ以上話がこじれると大変なことになると思ったのです。
教会の中は何もありませんでした。いえ、何もないわけではありませんでしたが、広い本堂の隅に寝台が一つと大きな作業台が一つ、その横に椅子が一つ。布を掛けるような竿、そして棚が幾つかあるだけでした。それ以外に目につくものはありません。
彼女は作業台の横の椅子に腰かけて私を見つめます。その場には椅子はその一つしかなかったので、私は立ったままです。
私は召喚状のことを説明しました。行き違いがあると思ったからです。すると彼女は大きなため息を吐いて言いました。
「それはわかっています。私は最初にそのお話を伺った時にこう言いました。大変有難い申し出ですが、謹んでご辞退申しげます、お気持ちだけ頂きます、と。そして二回目の時はこうです。その件はお断りしたはずです、お引き取りください。……三回目は何も言わずに書状を受け取りました。四回目は三十人ほど兵士が私を捕まえようとしたので、全員縛りあげてこう言いました。そんなに私に会いたいのであればそのナントカという方が直接来てください、と。……しかしこの時私は失敗をしました。全員を縛り上げたので、彼らを連れて帰る人がいなかったのです。彼らは一日中転がっていましたのでそれはそれで迷惑でした。そして今日が五回目です。……貴女はどう思われますか? 私が悪いのでしょうか?」
私は何も言えませんでした。黙り込んでいる私に彼女はさらに言葉を続けます。
「はっきりと言います。私はこの町でただ静かに暮らしたいだけなのです。報酬や名誉などいりません。ただこの町で好きな裁縫をしながらゆっくりと過ごしたいのです。それを邪魔する者は何であれ殲滅します。魔物の大軍であれ、軍隊であれ、たとえ国が相手でもです。この町を治める領主や延いては国がかわろうと、私はこの町だけは守ります。私がアニマに還るまで。……それがわかったら、お引き取り下さい。そして二度と来ないで下さい」
その言葉を受け私は言いました。貴女はこの町を守ってくださるのですか、と。すると彼女はこう言いました。
「はい、しかしそれは貴女方のためではありません、私が私の為にそうするのです」
私はその理由を尋ねましたが、それは教えてくれませんでした。
そのあと私は幾つかの提案をして、彼女はそれを了承しました。それは、町に被害が及びそうな脅威がある場合それを彼女に知らせること。そして、この町が帝国領である限り彼女の静かな暮らしを出来る限り保証すること。それを引き換えに町を守ってもらうこと。彼女はあまり興味がないようでしたが、今日までその約束は守られているのです。
私の長い話を黙って聞いていた陛下は言いました。
「ふう、改めて聞くと、とんでもない話だな」
私は侍女を呼び冷めてしまったお茶を取り替えてもらいました。
「あれほどガサの町に固執していた彼女が、町を離れるというのが、私には信じられません。彼女の寿命が如何ほどかはわかりませんが、死を迎えるまでガサの町に在ると言っていたのです」
「その英雄という人物にそれほどの何かがあるのか、それとも町にいる必要がなくなったのか。古竜が絡んでいるのだろうか?」
「どの理由も私にはしっくりきません。彼女からはとても強い執着を感じましたから。ただ……」
「ただ、なんだ?」
私はあの時感じた違和感を、そして、今まで心の中にひめていた一つの予測を陛下に伝えます。
「陛下、彼女は、アニマに還るまで、と言いました。普通の人はそんなこと言いません。長命の亜人種でも、たとえ不老不死であるとされるハイエルフであってもです。これは、単に私の予想なのですが……」
私はそこで言っていいものなのか少し迷います。陛下は黙って私の言葉を待っていました。
「………彼女は、使徒ではないかと」
「使徒、というと、あの昔話に出てくるヤツか? 神話の存在ではないか」
「はい。だから、どうというわけではありませんが」
「……俄かには信じられんが、貴女に言われるとな……もしそうだとして、どちらだ?」
「……わかりません。秩序側だとしたらあの対応はまずありえません。しかし、彼女は静かな暮らしを望んでいました。……私の思い過ごしかもしれません」
「ふむ、まぁ、どちらであっても厄介なことに変わりはないが」
「陛下、十分にお気を付けください。もし対応を誤れば……」
「俺の口が縫い合わされる、か?」
「その程度で済めばよいのですが、下手をすると国が滅びます。使徒とはそういう存在です」
「……口を縫われるのも、国が滅ぶのも勘弁願いたいものだが、さて、どうしたものか」
陛下はそういうと椅子から立ち上がりました。
「少し長居をし過ぎた。事務屋どもが私を待ちわびて、やきもきしていることだろう。この件はまだ少し時間がある。また相談に来るとしよう。久しぶりに貴女に会えてよかったよ」
「はい陛下。お待ちしております」
お見送りの為に私も席を立ち、陛下の後ろに続きます。陛下は扉の前でふと立ち止まりこう言いました。
「俺の任期もあと数年なのだがなぁ、ここにきて初代皇帝の尻ぬぐいとは。……おっと、これは、貴女の前では失言だったかな。申し訳ない」
「ふふ、前から思っていたのですが、今上の陛下は初代皇帝陛下によく似ておいでです。雰囲気や考え方、ちょっとした仕草や喋り方まで。私はなんだか昔を思い出してしまいます」
「それは、なんだか複雑な気分だが、褒め言葉として受け取っておこう。……ああ、一つ大事なことを言い忘れていた。件の英雄、ロウ・フチーチが今望んでいることらしいのだが、ある人物に会う事だそうだ」
「ある人物、ですか?」
「ミシア・シャラ・サフィア・サファイアス。貴女の姉君だよ。一応聞くが心当たりがあるか?」
「姉様に? ……それは……いえ、ございません」
「竜と魔人を供とする男、か。少し怖い気もするが、会うのが楽しみだよ。……見送りはいい、今日は急で悪かったな。近いうちにまた来る、今度は食事でもしながら話をしよう」
そう言い残して、陛下は去っていかれました。
この件に姉様が関わっているのでしょうか。私はざわつく心を必死に鎮めながら、しばらくその場に立ち尽くしていました。




