32 辺境冒険者編9 初恋と覚悟
「気づいているのだろう?」
ミラが静かな声で言う。
俺はベッドの横に椅子を置き腰かけている。ミラはその横に立ちベッドで眠っているトアを見ている。この部屋には今はこの三人しかいない。さっきの言葉は俺に向けたものだろう。
「トアはフチに好意を持っている。だからと言ってどうしろって事でもないがな」
俺は鈍感系でも朴念仁でもない。経験豊富っていうわけでもないが。
「わかってる、と思う。でもそれは……」
「……それは、取るに足らない少女の初恋だ。フチの言いたいこともわかるよ」
途中で途切れた俺の言葉をミラが続ける。その表情は優しげだが、少しだけ寂し気なようにも見える。
……そう、取るに足らないとまでは言わないが、トアはまだ子供だ。俺のどこに惹かれたのかはわからないが、辺境では珍しいタイプの異質な存在に一時だけ心を奪われているのだと思う。子供の時にだけかかる熱病の様なものだと。……やがて熱病は治り、少しだけ大人になるのだと。
「私の初恋の相手はギルだったんだ」
俺が考え込んでいると、ミラは静かな声で語りだした。
「私が、そうだな……トアと同じくらいの歳の頃だ。ギルは私の教育係だった。座学より体を動かすのが好きだった私は、よくギルにせがんで剣術を教えてもらったよ。ギルはかっこよかったし、強かった。私の憧れだった」
窓のカーテンの隙間から少しだけ西日が差している。白い寝具に夕日が反射し部屋は暖かい光でみちている。
「あるとき、ふと自分の恋心に気が付いたよ。その時はすでにギルは既婚者だったしカロリナという娘もいた。私はギルの奥さんのアンナも大好きだった。……最初から叶わない恋。取るに足らない少女の初恋だったのさ」
ミラはふいに俺を見て言う。
「フチは誰か想い人がいるのか? 故郷に約束を交わした女性がいたり、親が決めた許嫁がいる、とか。そのために故郷に帰りたいと、そういうことか?」
「……そんなのはいないよ。故郷に帰りたいのだって、ただ帰りたいだけさ。親や兄弟だっているしね」
ミラはまたトアの方を向き、枕元に屈みこむ。トアの髪を優しく撫でる。
「……少女の初恋は叶わないのが定番だ。でもたまには叶う恋があったっていい。私はトアを応援しているんだ」
ミラは体を起こし、ドアの方に歩き出す。
「もうすぐ。エリーも帰って来るだろう。フチはトアが目覚めるまでそばにいてやってくれ」
ミラはドアをあけ、こちらを振り返りながら言った。
「フチ、トアを泣かすなよ」
そう言うと、返事を待たず部屋から出て行った。
エリーは模擬戦のあと自分の荷物を取りに町はずれの教会へ向かった。ギルバートが同行している。エリーは遠慮していたが、俺が横から一言いうとすんなりと同行を受け入れていた。
トアは眠っている。模擬戦で力を出し切ったからだ。
俺は眠っているトアの顔を見ながら、模擬戦を思い返していた。
「始め!」
ミラの開始の合図と同時に二人は動く。
動くと言っても走り回るわけではない。特にエリーは手を振り上げたりするわけでもない。ただ、エリーの周りにキラキラと光る細い線が舞っている。【裁縫】スキルで糸を飛ばしているのだろう。
一方のトアは開始と同時にミシアの杖で軽く地面を突く。トンという軽い音と共にトアの後ろのかかしの周りに土の壁が出来る。さらに、自身とかかしを覆うように強い風を発生さているようだ。軽い糸を風で飛ばし、届かせない作戦か。トアの風のせいもあるのかキラキラと光る細い糸の舞いは広い練兵場を覆いつくさんばかりの勢いだ。
トアがもう一度地面に杖を突く、すると、エリーとその後ろのかかしの足元が泥の沼に変わる。【泥漿】の魔法だ。しかし、エリーとかかしは泥の沼に沈みはしなかった。普通に立っているように見えるが、どうやら糸で宙に浮いているようだ。まわりの木や屋敷に糸を張り自分とかかしの体を支えている。
だが、トアの猛攻は終わらない。ミシアの杖を地面に突くたびにさまざまな魔法が発現する。エリーの周りの地面に大量の蔦の様な植物が生え一斉に襲い掛かる。その間に空中に発生した氷の槍や風の刃がかかしを襲う。しかしエリーはその悉くを、糸と、おそらくスキルで生み出したハンカチほどの大きさの布で防いでいる。シルクの様な光沢のあるその布はひらひらと宙を舞い、一見弱々しい印象だが、トアの攻撃を一切通さない。だが、俺の目にはトアが優勢に見えた。このままの勢いであればいつかはかかしに攻撃が届きそうだ。他の皆はわからないが、少なくとも俺はそう思っていた。
しかし、ここでトアが地面に膝をつく。魔力が尽きたのかと思ったがそうではないようだ。まわりの風で見えづらいが、どうやら服が地面に縫い付けられている。エリーは風の影響を受けにくい地面と地中を縫いながら糸を這わせ、トアの足元の服を地面に縫い付けたのだ。
やがて、トアは体も地面に引き倒され縫い付けられる。その拍子に杖を落としてしまい、トアの周りの風も止んでしまった。同時にかかしの周りの土壁も糸によって削られていく。
これは勝負ありじゃないのか? かかしはともかくトアは完全に拘束されているといっていい。そう思ってミラの方を見ると、彼女もそう思ったのか一歩前に踏み出した。
ミラが手を上げ模擬戦を止めようとしたそのときトアに異変が起きる。トアの体が炎に包まれたのだ。少なくとも俺にはそう見えた。しばらくその状態が続き、トアはもぞもぞと動き出す。上半身だけ身を起こし、そして落とした杖を拾い上げる。杖を地面に突くと今度はエリーの周りに炎の壁が発生する。おそらくエリーが張り巡らせた糸を焼き切りエリーとかかしを泥の沼に落とす作戦か。だが、トアはまた地面に引き倒される。しかし今度は杖を落とさなかった。見ると植物の蔓で杖と手をぐるぐる巻きにしている。よほど強い力で巻いているのか手首の所に血が滲んでいる。地面に這いつくばりながら魔法の発動を止めない。
しばらくその状態が続いた。だいぶ長く感じたが、あっという間だったのかもしれない。しかし勝負が決する時はきた。トアの後ろのかかしの前の土壁がついに崩れ去ったのだ。エリーがかかしを攻撃するのに一秒もかからない。その瞬間エリーの周りの炎の壁が消えた。そして、トアの後ろのかかしがストンと地面の中に落ちて行った。穴はあっという間に塞がれる。ここで両者の動きが完全に止まる。
しばしの静寂の後、ミラは一歩まえに進み出て宣言した。
「この勝負、エリーの勝ちとする」
歓声も何も起こらない。余りの迫力とすさまじい攻防に皆黙り込んでいる。
エリーがふよふよと宙を進み、泥の沼の手前に降り立つ、そして、足早にトアに近づきながら、誰に言うでもなく指示を出す。
「水と清潔な布を用意してください」
エリーはトアを仰向けに寝かせ、なにやら術を施している。トアは気を失っているようだ。
「男性の方は来ないで下さい。ミリアナさん、トアさんの服を脱がせます。お手伝いを。誰か、水と布を早く」
いつもおっとりした喋り方のエリーが少し焦っているように感じる。何がどうなっているのかわからないが、近づくなといわれているのでどうしようもない。
「こんな事になるのであれば、お受けするのではありませんでした。もっと布を」
バタバタと動き回るメイドの一人をつかまえて、事情を聞く。
「トア様がひどい火傷を、それで今はエリーゼ様が治癒術を施しておられます」
メイドはそう言うとまたパタパタと駆けて行った。
火傷ってどいうことだ? 傷をおわせたら負けのはずじゃないか。でもミラはエリーの勝ちだと。だいたいエリーがそんなことをするはずがない。いったい何が起こっている?
少し離れた場所でやきもきしていると、やがて治療が終わったようで、トアはミラに背負われて屋敷の中に運ばれていった。着替えをさせるのでしばらくたってからトアの部屋にきてくれとのことだった。
そして、エリーが俺や皆に何が起こったのかを説明してくれた。
「私やトアさんがルールを破ったわけではありません。相手を傷つけてはいけない、ではなく、誰も怪我をしてはいけない、相手や自身を傷付けても負け、とするべきだったのです。うかつでした、まさかあれほどの覚悟がお有りだとは」
戦いの中盤、エリーはトアを完全に拘束した。ミラが模擬戦を止めようとしたあの時だ。そこでトアは思わぬ行動に出た。
「私の糸を炎で焼き切ろうとしたのです。しかし、私の糸はそう簡単に切れません。高熱の炎に数秒間は晒さないと切れないのです。トアさんのあの黒いローブはとても古い術が施されていました。耐熱、耐寒、対物理……どなたが作ったかは知りませんが、今では失われている技術です。トアさんはローブの耐熱性を計算し自身に治癒術を施しながら自らを高熱の炎で焼いたのです。私の糸を焼き切るために。……恐らく凄まじい苦痛だったはずです。その苦痛に耐えながら、炎の術と治癒の術を同時発動させていたのです。……なぜそんなことが可能なのか、想像もできません。……そして、最後の瞬間です。私の周りの炎の壁を、あのままあと数秒維持していれば、私とかかしを支えている糸を焼き切ることが出来たでしょう。少なくとも相打ちには持ち込めたはずです。しかし、トアさんは私のかかしを攻撃するのではなく、自身のかかしを守ることを優先した。自身の治癒さえ中断してです。あのかかしは、仮想のイチロー様です。トアさんは敵を攻撃するよりイチロー様を守ることを優先したのです。……トアさんの技術と気迫と覚悟は素晴らしい。いえ凄まじいと言えます。……しかし、それゆえに危うい」
エリーはそこで言葉を切り、真剣な表情で、まっすぐ俺を見つめながら言った。
「なにがトアさんを駆り立てるのかはわかりませんが、いつか、あの子はイチロー様を守るために、文字通りその身を焼き尽くすかもしれません。私からも忠告はしますが、イチロー様からも一言仰るべきです。……でなければ、共に旅をするべきではないのかもしれません」
エリーはそこまで話して、少しだけ表情をやわらげ続けた。
「しかし、あれほど精霊に愛されている子を私は見たことがありません。治癒の術の効果がとても高いのです。まるで精霊達が自分からあの子を癒しているようでした。傷跡が残ることはないでしょう。これでも随分と長く生きているのですが、模擬戦の内容といい、驚くことばかりです」
そのあと、しばらくしてミラに連れられて、トアの部屋に行った。
そして今はトアが目を覚ますのを待っている。
日が沈み部屋が暗くなったので、壁際のローソクに火を灯すためにメイドを呼ぶ。【種火】の魔法で火をつけてもらい、ついでに水差しを持ってきてもらった。ローソクの火をいくつかある燭台のローソクに灯し、ベッドの脇に戻ると、トアが目を開けていた。
「起きたのか。体大丈夫か? ……無茶したなぁ」
トアは首だけを動かしてこちらを見る。
「負けたです?」
「ああ、エリーが褒めてたぞ、トアは凄いって。でも怒ってた。後で説教するってさ」
「イチローを守りたかったです」
トアはそう言って毛布から右手を出すとこちらに向けてくる。
「……言っとくけど俺も怒ってるからな」
差し出された手を両手で握る。小さい手だ。
「イヒヒ、あの時と逆です」
「……そうだな」
「イッヒヒ、『そうだな』って、もっと他にないです? 相変わらず気が利かない奴です。ヒヒヒ」
「ククク、トアって笑い方変だよな。ふはは」
二人でしばらく笑いあった。
「なぁ、トア、一緒に日本に行くんだろ?あんまり無茶すんなよ。……頼む」
「それはこっちのセリフです。……でも、そうですね。ごめんなさい」
そのあと、食事を部屋まで持ってきてもらい、一緒に食べた。久しぶりに、二人きりでいろんな話をした。
やはり疲れていたのだろう、トアが先に眠ってしまったので、俺も自室に戻って休むことにした。すると俺の部屋の前でエリーが待っていた。
「イチロー様、先ほどは人目があるのでお話しできなかったのですが、トアさんにはお母様や私のことをお話しした方がいいのかもしれません。これから共に旅を続けるのであれば、事情を知っておいてもらった方がいい様に思います。何を聞いてもあの子の覚悟は揺らがないでしょう。判断はイチロー様とお母様にお任せしますが、ご一考ください」
「……そうだな。トアには言っておいたほうがいいかもな」
「私はなんだかあの子が気に入りました。共に旅ができる日が楽しみです。……こんな感情は初めてかもしれません。それでは、おやすみなさい」
「ああ。おやすみなさい」
なんだか今日一日で色々あり過ぎだ。タマムシと話すのは明日でもいいかな。
とりあえずもう寝よう。
「乙女力が上がっていく!!」




