6 ゴブリン村編2 ゴブリン村の日常
ここは、帝国領の西端、俗称“大辺境”と呼ばれる僻地。さらにその片隅の、小さなゴブリンの村。
俺、渕一郎がこの村に滞在してそろそろ二ヶ月になる。住めば都という言葉があるが、けっこうこの村に馴染んでしまった。人間の環境適応力って凄いなと思う。
ちなみにこの村のゴブリンたちは、俺がイメージしていたゴブリンと少し違っていた。
ゴブリンと言えば、知能が低く、不潔で、凶暴な、しかし戦闘力は低い生き物。ゲームでいうと、序盤の敵キャラ、所謂、雑魚キャラのイメージだったのだが、この村のゴブリンは、知能は人並みで社会性もあり、個人の戦闘力は高め。集団戦闘に於いては条件にもよるが、格上とされる大型の魔獣も狩るという。村の長老……例の婆さんゴブリンだが……によると、この村のゴブリンは原種に近く、邪鬼や子鬼というより、妖精に近い種族らしい。普通のゴブリンに比べて寿命も長く、その代り出生率も低い、とのこと。普通にゴブリン同士で子を作り、他種族、つまり人間などを襲って孕ませたり、とかは無いらしい。
朝、村の広場にある井戸に向かう。朝の水汲みは俺の仕事だ。手漕ぎ式のポンプで水を汲み、ついでに顔を洗う。ちなみにポンプはドワーフが作ったものだそうだ。この村から西に三日ほどの距離にドワーフの里があるらしい。
同じく水汲みに来た子供ゴブリンや奥様ゴブリンと挨拶を交わす。
「おはよう、フチ、これにも水ちょうだい」
古びた木製のバケツをポンプの取水口に置き、声をかけてきたのはマシュという名の子供ゴブリンだ。見分けがつくようになったのは最近だが。この子も最初俺を見たとき、は耳を隠しておびえていたな。
この子に限らず幼い子供ゴブリンはたいていがその反応だった。話を聞いてみると、冒険者やハンターが討伐証明としてゴブリンの耳を切り取っていく、という話からきているんだとか。ただ現在ではそのようなことは無く、数年前の〈亜人種解放宣言〉以来、よほどのことが無い限り、ゴブリンが討伐対象になることもなくなったらしい。ただ、『ニンゲンが耳を取りにくるよ』というのは子供ゴブリンを躾ける際の定番の文句だそうだ。
また、この村には、危害を受けるなどの特別な理由が無い限り、人間を攻撃してはならないという掟がある。長老ゴブリン曰く「人間を本気で怒らせると容赦なく殲滅される」とのこと。人間の町の比較的近い位置にあったコボルトの村は、人間の畑を荒らし、家畜やその管理をしている人を襲ったりしたため、町の衛兵と冒険者の集団に滅ぼされたらしい。まぁ、わからなくはない。
「おはよう、マシュ、あれ? 今日は一人?」
ポンプでバケツに水を満たしながら挨拶する。いつもは母親と一緒に来るので尋ねてみる。
「うん。お母さんはそろそろ無理させれないし、僕ももうすぐお兄ちゃんだからね」
そういえばマシュの母親は出産が近いのだった。
「お、偉いな、水運び手伝ってやるよ。何回も往復するのも大変だろ?」
どの家でも、玄関の脇に水を溜めるカメや大きい樽が置いてあり、飲み水や、生活用水として利用する。家族の人数にもよるが二、三日に一度は井戸に水を汲みにくる。井戸から遠い家は地味に大変だ。子供が一度に持てる量もたかがしれているし。
遠慮するマシュをなだめすかし、一緒に水を運ぶ。
「マシュは弟と妹、どっちがいい?」
「うーん、弟がいいな、一緒に遊べるし、大きくなったら一緒に狩りにいくんだ。あ、でもお父さんは女の子がいいって言ってた」
「ふーん」
「妹だったら、僕が守ってあげるんだ。あ、そうだ、ついでにフチも守ってあげるよ。フチ、弱いもんね」
マシュはケラケラ笑いながらそう言った。
「そうだなぁ、よろしく頼むよ」
少し苦笑いしながらそう答える。
この世界には、魔法やスキルというものがあるらしいのだが、結局俺はどっちも使えなかった。色々と説明を受けたが、才能というか体質というか、努力以前の問題らしい。
異世界ものなら強力な魔法が、とか凄いスキルが、とかが定番なのだが、現実はそう甘くない。かといって現代知識で生活改善知識チートとかができるわけでもない。
このゴブリンの村はあまり文明的ではない。原始的、といいてもいいくらいの文明度だ。改善しようにも何をどう改善すればいいのかがわからない。
ただ、言葉が通じるのがチートといえばチートか。そのおかげで、最初に殺されなくて済んだし、子供たちとは少し仲良くなれた。この村には、むやみに人間を攻撃してはならないという掟はあるが、俺の場合、明らかに不法侵入の不審者だったので、殺されていても不思議はなかったと思う。うん、コミュ力って大事。
あとは、へたに戦闘能力が無かったおかげで早く周囲の警戒が薄れた、というのもあると思う。ゴブリンの大人たちにいわせると俺の戦闘力は、ゴブリンの五歳児なみ、とのこと。つまり今一緒に歩いているマシュと互角、へたすれば負けるかもしれないという。なんだかなぁ、という気がしないでもないが、別に喧嘩や戦闘に強くなりたい訳でもないので特に問題はない。
ただ、魔法は使ってみたかったな、と少し思っているが。
たわいない世間話をしながらしばらく歩くとマシュの家についた。
ゴブリンの家は何本かの柱にたくさんの細い木を立て掛け藁のような草を掛けた造りだ。元の世界のどこかの遊牧民の家に似ている、と思う。名前は覚えていない。そんなもんである。広さは十畳ほど床は地面より少し高くなっていて、布や毛皮が敷きつめられている。家の真ん中に囲炉裏があって、それとは別に部屋のすみにカマドがあり、そこでおおまかに料理をし囲炉裏で保温や仕上げをし食べるという流れだ。衝立等で寝床は仕切ってあるが、基本一部屋なのでプライベートなどは無い。家族なので問題無いのだろうが、子作りは大変だったろうな。
ゴブリンの家はどこも基本的にこんな造りだ。ちなみにトイレは、家の外に壺や桶が置いてあり、スダレみたいなもので覆ってある。いっぱいになると村の外の畑そばの肥溜めに運んでいる。そして畑の肥料になる。うん、エコロジー。
「ただいまー」「おはようございます」
家の中に挨拶しながら、入口にある水瓶に水を入れる。マシュはバケツ一杯、俺が二杯だ。
「あら、フチ、こんな朝早くにどうしたの?」
家の中央部分にある囲炉裏のそばから声がかかる。
「フチが、水運び手伝ってくれたんだ」
俺が返事をする前にマシュが答えた。
「あらそう、ありがとう。なんだか悪いね。水運びくらい大丈夫って言ったんだけど、この子がじっとしてろってきかなくてね」
マシュのお母さんゴブリンだ、朝食の準備をしているようだ。
「いえ、これくらいなんでもないです。マシュの言う通りですよ。奥さんは無理しないようにしてください。旦那さんは?」
「今日は森に狩り行く日だからって、朝っぱらから、はりきって出て行ったよ。そうだ、あんたイモ食うかい」
マシュのお母さんは、そう言いながら焼きたてのイモを持ってきてくれた。サツマイモとジャガイモの中間みたいなイモで、暗所に保管すればある程度長期の保存がきく。村の近くに畑があり、ゴブリンたちの主食だ。
ちなみに森で狩りを行うゴブリンは、村の中でも戦闘力の高い精鋭のゴブリンで、狩りのメンバーに選ばれることは雄ゴブリンのなかでは一種のステータスだったりする。選ばれなかった雄ゴブリンや若い雄ゴブリンは外敵の見張りや、村の門番、近場の罠の見回りなどをしながら、空いた時間で弓などの訓練をしたりしている。雌や子供のゴブリン、年老いたゴブリンは畑仕事や薪割り、毛皮をなめしたりなど、村の中で働く。朝の水汲みも雌や子供の仕事だ。
マシュのお母さんに適当に挨拶し、無理やり持たされた焼き芋をかじりながら、井戸がある広場に戻る。マシュはもう一往復するらしく、またたわいのない世間話をしながら一緒に歩いた。
「あ、トアだ、なにしてるんだろう」
もう少しで広場に到着というときに、マシュが気づく。井戸のそばでキョロキョロしている赤毛の子供がいる。水場には何人かのゴブリンがいるが、一人だけ黒っぽいローブを羽織っているので、やたら目立つ。何かを探しているようだが。
「あ、ニンゲン! みつけたです! 水汲みにいつまでかかるですか!」
こちらを指さして叫ぶ。やはり俺を探していたようだ。そして機嫌が悪そうだ。
子供ゴブリンや奥様ゴブリンたちは名前で呼んでくれるのだが、だいたいの雄ゴブリンは俺のことを名前で呼ばず、ニンゲンと呼ぶ。そして俺の世話役であり教育係のゴブリンの少女、トアもなぜかニンゲン呼びだ。まぁ、別にいいんだけど。
「トア、フチはボクの家の水汲みを手伝ってくれていたんだよ、僕一人だと水汲みが大変だろうからって」
俺が何か言う前に、マシュがかばってくれる。ええ子や。
「あぁ、そういえば、マシュのお母さんはそろそろ臨月です。なるほど、ニンゲンにしては気が利いてるです。お母さんは元気ですか?」
「うん、食欲も有るみたいだし、体調も異常なしだって言ってた」
「そうですか。なにか異変があったら、すぐにこのトアかオババに知らせるです」
「うん、ありがと。フチもありがとね」
そう言ってバケツに水をいれマシュは帰っていった。
「さて、ニンゲン、今日は森に薬草取りに行くです。さっさと水汲みを終わらせて準備するです」
マシュを見送り、くるりとこちらに向き直ったトアは言う。
「あ、はい」
返事をしながら水汲みの作業をする。……しかし、村の外、しかもよりによって森かぁ。
「なんですか、不満ですか? せっかく師匠が弟子に薬草ことを教えてあげようというのにです」
森に行くと聞いて明らかにテンションダウンしてしまった俺を見咎め文句を言ってくる。ちなみに、俺はトアの弟子、ということになっている。簡単な生活魔法を教わったり、村の周辺に出没する魔物のことを教わったりしているうちにいつのまにか弟子認定されてしまった。教わった魔法は碌に使えなかったが。
この村で目覚めたときに話をした、老ゴブリン。博識で、多種多様な魔法を操り、薬学も治めている村の中心人物…中心ゴブリンだ。
村のゴブリン達からは長老とか、オババとか呼ばれている。ゲーム的にいうとゴブリンシャーマンとかゴブリンメイジみたいな感じか。一応、村長というか、ゴブリンのリーダーは別にいるのだが、村の方針や意思決定には長老の意見がかかせない。トアはその老ゴブリンの唯一の弟子だ。
そんな凄い師匠に教わるばかりだったトアが、教育係を任命された。初めて人に物事を教える責任感と少しの優越感。彼女は張り切って村の中だけでなく、村の周辺やあげくは、魔の森、まで案内してくれた。
この世界には魔物や魔獣という、人に害成す生き物がいる。人の手が入っていない僻地ほど、それらの生き物は強く、凶悪になるといわれている。まぁ、トア師匠の受け売りなのだが。
条件にもよるし、一概にも言えないが、手つかずの原野や荒野、森や山などは魔素が濃く、逆に人里に近いほど魔素は薄くなる。そして濃い魔素のなか長い年月過ごすと獣は魔獣となる。さらに魔獣同士で殺し合い、淘汰され、より強い個体が生き残る。そんな魔物や魔獣が長く生きれば生きるほど、周囲の魔素を吸収しより強くなると言われている。
そしてここは“大辺境”人類の文明圏と魔物が跋扈する魔境との境。ゴブリンの村はどちらかというと魔境の側だ。
初めて森を案内されたときは、はっきりいって死ぬかと思った。