23 辺境冒険者編 プロローグ
目を開けるとそこは薄暗い部屋だった。暗い中周囲を見渡したが、私以外誰もいないようだ。しばらく緊張していたが何も起こる様子がないので、部屋の中を探索してみる。見たこともない道具や何に使うのか見当もつかないものがたくさんある。
窓があるようなのでカーテンを開けることも考えたが、用心のためそのままにしておく。そとは明るいので夜ではないようだ。しかしこう薄暗いのは不便なので、明かりの魔法を使おうとして、そこで魔素が酷く希薄なことに気が付いた。ツツミに聞いた通りだ。もしかして本当に実験に成功したのだろうか。
私自身の魔力を消費して明かりの魔法を使うことは可能だが、何が起こるかわからないので温存しておくことにする。
薄暗い部屋の中で手探りで物色していると、何か小さい棒状の物に手が触れた。と同時に壁際に置かれた黒い板状の物が光を発し音が鳴り始める。突然のことに驚き少し緊張したが、どうやら映像と音声が流れる道具のようだ。おそらくツツミの言っていた、てれびというものだろう。
先程触った棒状の物で操ることが出来るようで、沢山のボタンを押すことで、映像が切り替わったり音量を変えたり出来ることが分かった。水晶や水鏡に映像を映し出す魔法はあるが、比べ物にならないほどクリアな映像だ。
しばらく、てれびに映し出されている映像を見たり、棒状の物で操作したりしていた。映像から流れる音声はどうやらニホン語のようなので、私の実験は本当に成功したようだ。ということは、この部屋が昔ツツミが暮らしていた部屋なのだろう。
事前に自らにニホン語の情報を入力していたので、おぼろげながら理解はできるのだが、早口で喋られるとよくわからない。しばらくそうやって情報収集とニホン語の訓練もかねててれびを観察していたのだが、突然ドアをノックする音が聞こえた。
反射的にてれびを停止せるボタンを押し、息をひそめる。
ノックは何回か続き、在室を確認する内容の質問をしているようだ。最初に部屋を見て回った時に入口のドアは確認している。少しだけ外の様子を伺って、まず部屋の中から調べようと思い、引き返したのだ。鍵をかけた覚えがない。
このままやり過ごせるだろうか。誰もいない他人の部屋に普通なら入ってこないだろう。しかし他人でなければどうだろうか。つまりこの部屋の主の家族であったり、恋人や親しい友人なら入ってくる可能性がある。
この部屋は入口付近の水場のような設備があるスペースと、居住スペースはスライド式の扉で区切られている。音をたてないようにスライド式の扉を閉め、部屋の中に潜む。一応短剣を抜き身構える。
ツツミに聞いた話では、この国にはケイサツカンという衛兵のような存在がおり、それに捕まったらやっかいなことになるだろうといっていた。この国の常識を把握していない状態ではいつケイサツカンを呼ばれるかわからない。というか、もっとツツミに話を聞いておけばよかった。軽いテストのつもりだったが、一発で成功してしまうとは。
とりあえず、このままやり過ごせないだろうか、という願いも虚しく、来訪者は入室してきたようだ。
面倒なことになった。このままもう一度【相互転移】を発動させ撤退することはできるが、もう少しこちらの世界のことを調べたい。できれば今後、安全に転移できる環境を確保するか、せめてあたりを付けるところまでは行動したいと思っていたのだが。こうなっては仕方がない、覚悟を決めよう。逃げるのはいつでもできる。
スライド式の扉を開けられた瞬間に、来訪者の胸倉を掴み部屋の中に引きずり込む。体を使う荒事は本当に久しぶりで首筋に押し当てた短剣がつい震えてしまう。魔法だったら二秒とかからず無力化できるのに。
来訪者に馬乗りになり、一方的に要求を告げる。その人物はだいぶ動揺しているようだったが、わたしの拙いニホン語が通じ、言うことを聞いてくれるという。空腹だったのでとりあえず食事をすることになった。
彼の部屋だという隣の部屋に案内された。彼はフチという名前で、私が転移してきた部屋の主、イマイエイという人物の友人だそうだ。
簡単な食事を提供してもらいながら、色々な話を聞くことができた。
ツツミの言っていた通り食べ物や飲み物はどれも美味しかった。ツツミがたまに食べたがっていたかっぷめんというお湯を入れるとすぐ出来上がる食べ物も食べることが出来た。たしかにこの手軽さは旅の食事や研究の時の間食によさそうだ。どうにかしていくつか手に入らないだろうか。
フチは、結構な時間、会話というか、私の一方的な質問に対して付き合ってくれた。自分で言うのもなんだが、こんな初対面の怪しい人物に、しかも刃物を突き付けられた後なのに、このような対応ができるものなのだろうか。
とはいえ、この国の歴史や文化、政治や風俗の話まで聞けたのは大変幸運だった。ヤキウというのはよくわからなかったが、コウシエンとやらに住む魔物もいつか実際に見てみたいものだ。話に聞く限りではかなり上級の悪魔のようだが。
ともあれ、今後の協力とこの国のガイドをお願いしたら、仕事が忙しいと断られた。そこでふと思い立ち、スキル【鑑定】を使ってみる。最近発現したスキルなので使い慣れていないうえに、ついその存在を忘れてしまう。まぁそれはともかく【鑑定】によるとフチは無職のようだったので、強引にお願いする。なにしろ本人もハカブサではないと言っていたことでもあるし。
そのあと、二人で酒場に行くことになった。なんとご馳走してくれるという。その上怪しまれない服も貸してくれるた。お人好しというか、なんというか、もしかしてこの人、私に好意を抱いてしまったんじゃなかろうか。一目惚れとか。うん、ありえる話だ。そう考えると最初の対応もおかしくない。だとすると、魅了魔法をかける前に私に好意を抱いてくれる人なんて、久しぶりというか、初めてかもしれない。むふふ。
そのあと酒場に案内され、メニューの説明を受け、適当に注文する。どれも絶品だ。特に酒の種類が豊富でどれも美味い。ツツミが言っていた通りだ。
結構な勢いで飲み食いしてしまった。この味ならそれなりの値段になりそうだが、フチは遠慮するなという。見栄を張っているのか、意外と金持ちなのか。
そのあと、逆にフチから魔法のことや私の世界のことを聞かれたので、説明した。私のとりとめない話を興味深そうに聞いてくる。学校の生徒以外でこの反応は新鮮だ。今後のことも考えてフチに魔法生物を注入する。脳に住みついて脳細胞へ情報を転写する生物。言語情報と一般常識のタイプ。第四世代なので、副作用はほとんどないはずだ。
そのあとも会話は弾み、というか、私が一方的に喋っていたような気もするが、時間はあっという間にすぎていった。
酒場が閉店する時間だというので、フチが宿はどこかと尋ねてくる。たくしい、という物で宿まで送らせるそうだ。当然宿なんて取っていないので酔っぱらった振りをしてごまかす。まぁ、けっこう本気で酔っぱらっていたのだが。
フチの部屋に戻り、ベッドに寝かされる。このまま酔った勢いで、なんてことが有るかもしれないと期待、じゃない心配して身構えていたのだが、フチが先に寝てしまった。……まぁいい。こういうのは雰囲気というかシチュエーションが大切だと助手のシャーロットも言っていた。しかし、酔った勢いでというのもそれはそれで……いやいや、シャーロットに何言われるかわからん。
夜中にノックの音で目が覚める。こんな夜中にノックして来る要件とは何事だろうか。一応、体内のアルコールを解毒の魔法で消す。久しぶりに良いお酒だったので少しもったいない。
フチが目を覚ます様子はない。副作用はないといったが、魔法生物を注入したあと睡眠が深くなる事例が報告されているので、そのせいかもしれない。なにしろ被験者自体が少ない上に個人の体質によって差があるので、なんともいえない。
ノックは止まず、執拗に続く。なにやら話し声も聞こえるが女性の声も交じっているようだ。少なくとも二人か三人。声をひそめているだけで、もっといるのかもしれない。ともあれ、諦めて帰る様子がない。なんというか穏やかじゃない。荒事の気配がする。
フチをおいて一人で転移を発動して逃げることも考えた。しかし、ここで引き返し、またもう一度この世界にきたとき、これほど都合の良い協力者を得られるだろうか。三秒ほど熟考しそれは難しいと判断する。ではどうするか。
ドアの強度がどれくらいかはわからないが、多人数で踏み込まれると少しまずいかもしれない。私はともかく酔って寝ているフチを守りきれない。ふむ、しかたがないフチもあちらの世界に連れて行こう。後で説明すればわかってくれるだろう。
しかし、そうなると雑用で雇ったゴブリンのアーニだけでは存在値が不足するかもしれない。私の魔力だけで存在値不足を補えるだろうか。
そんなことを考えていると、ノックの音が止んだ。と今度はカチャカチャという金属音が聞こえてきた。おそらく鍵をこじ開けようとしているのだろう。もはや一刻の猶予もない。……猶予はないが、部屋の隅の戸棚をあさる。かっぷめんと思しき物がはいった袋を引きずり出す。昼間フチがそこから取り出すのを見ていたのだ。我ながらこれはファインプレイだと思った。そのあと床で寝ているフチの近くに行き【相互転移】を発動させる。
部屋のドアが開くのと私とフチがこの部屋から姿を消したのはほぼ同時のことだった。
いつもの軽い眩暈のような感覚の後、目を開けるとそこは私の研究室の物置兼休憩室だった。
「あ、帰ってきた。今度はどこいってたんです? ていうか、アーニ君にご飯持ってきたんですけど、今度はアーニ君と入れ替わったんですか?」
急に横から声を掛けられる。助手のシャーロットだ。犬系の獣人で顔は幼げだが胸がでかい。お洒落に気を使うタイプで、栗色の髪を複雑に編み上げたり、偽物のまつ毛を作ったり付けたりするのが好きな変わったやつだ。しかし、今はひどく疲れた顔をしている。
「今はいつ? 私が転移してどのくらいたった? ここにもうひとりいなかった?」
フチが見当たらない。とりあえず質問してみる。
「先生がいなくなったのは昨日の朝で、今はそれから丸一日経った朝です。私は隣の研究室で一晩中資料をまとめていましたが、この部屋から出てきた人はいませんよ」
そういってシャーロットは休憩用の簡易寝台の脇にあるテーブルに手に持っていたゴブリンのアーニの朝食だったものを置く。
「それと、昨日、先生と入れ替わりで転移してきた男の人、一応、応接室に軟禁してますけど。どうするんです? 言葉も通じないし。あーそれからこないだの実験の報告をしろってツツミが言ってましたよ」
そういうと、寝台に腰掛けテーブルの上のアーニの朝食を食べ始める。
「私、これ食べて少し休みますね。寝てないんで」
むぅ、シャーロットのやつ、だんだん私に対する態度が雑になってきたな。
「あー、シャロ、寝る前にツツミを呼んできてくれない? これを見せればたぶんすぐ来る」
そういって、私はシャーロットにかっぷめんを一つ手渡す。
「私は応接室で、軟禁中の男と一緒に待っていると。あ、食べてからでいいよ」
シャーロットはものすごく渋々といった雰囲気を醸し出しながら了承していた。こいつ、そのでかい胸を毟るぞ。
しかしまずいことになった。おそらく存在値不足による転移の失敗だ。
私のスキルによる転移は、通常の魔法による座標間転移と違い、存在確立操作による転移だ。私が存在する可能性が少しでもある場所、つまり私が行ったことがある場所であれば、私がそこに存在する確率を魔力によって操作し、そこにいたことにするというものだ。見た目は転移したように見えるが正確には転移ではない。さらに異世界間では相互転移という特殊な転移で存在する確立がまったくない場所に無理やり転移することを可能にした。
まぁ、今重要なのはそこじゃない。私の存在する可能性を元にフチがどこかへ飛ばされたのなら、私が今まで行ったことがあるすべての場所に飛ばされた可能性があるということだ。一緒に転移した手ごたえはあったので、こちらの世界に来ているのは間違いないと思うのだが。……大辺境辺りに飛ばされていたら、たぶん一時間ぐらいで死ぬだろうな。
……そうじゃないことを祈ろう。意外とその辺にいるかもしれない。後で手配をかけよう。
さて、軟禁中の男はおそらく私が最初に入れ替わった人物。つまりフチの友人で隣人の男性のはずだ。私はニホン語がだいぶ出来るようになったので問題ないが、その男性もこちらの世界の言葉を理解できた方が不便がないだろう。そう考えポーチの中の魔法生物のカプセルと研究室の机の引き出しにしまっておいたカプセルを見繕う。一般常識と言語能力は黄緑だったか。
と、ここで大変なことに思い至る。……黄色ってオリジンじゃないか!? 一気に血の気が引き嫌な汗が出てくる。ヤバいなぁ、フチに注入したのはたしか黄色。第四世代どころじゃない! 第一世代だ! すべての実験体の大元。正体不明の魔法生物。残り少なく貴重なものなので持ち歩いていたのが仇になったか。……あー、ヤバい。当然、自殺因子なんか組んでないから安全装置無しか。生きてるかなぁ。もしくはもう乗っ取られているか。
……過ぎたことは仕方がない。すごい奇跡的な確率で魔法生物と共存している可能性も……無いだろうなぁ。うーん、とりあえずこの問題は後まわしにしよう。
そんなことを考えながら歩いていると応接室に着いた。ノックして入室する旨を伝え、ドアを開けながら思い出す。えーと、名前はなんだったっけ?
「はじめまして、私はミシア・シャラ・サフィア・サファイアス……あなたは、……イマイエイさん、ですよね?」




