1-3 プロローグ
夏の終わり、そろそろ朝夕は涼しさを感じるようになってきた、ある日。
トラックに轢かれたり、何者かに刺されたり、なんてことはまったくなく。
しかし、その日6畳1Kのボロアパートで、俺、渕一郎は異世界転移の騒動に巻き込まれた。
その日の朝、いつも通りの時間に目を覚まし、自分の勤めている会社が先日倒産したことを思い出し、もう一度寝ることにした。
昼ごろになって、空腹で目が覚める。築年数不明のボロアパートは季節の移ろいを感じやすい。つまり夏は暑く冬は寒い。布団から出たくはなかったが、空腹はいかんともしがたい。とりあえず顔でも洗うかと身をおこす。
大学卒業後、就活に失敗した俺は暫くアルバイトで生活していた。というか、あのタイミングで内定取り消しはないわ。
バイトでも生きていくのにはなんの問題も無かったが、このままじゃイカンと一念発起し、就職した会社はある日突然倒産した。
国内旅行を中心にアジアなどの近場の海外旅行も企画する旅行代理店。小規模な会社だったが、営業担当が優秀だったのか、それなりに仕事もあったし、黒字も出していたはずだ。表向きは不渡りを出した、とのことだが、社長がなにかやらかしたらしい、というのが、社内でのもっぱらの噂だった。
まぁ、そこそこブラックな企業だったので、今は再就職のことより、しばらくゆっくり休養したいと思っている。
そして、今はそんな事より、空腹の方が問題なんだけど。
買い置きの食べ物はいくらかあるけど、面倒なので外食にすることにした。と、ここで隣の苦学生を食事に誘うことを思いつく。
名前は今井詠。今時珍しいくらいの絵にかいたような苦学生だ。見た目はすこしチャラいが、けっこうなイケメンで、男らしいというより、中性的な感じがする19才男子。
その容姿で、けっこうモテるらしく、異性とのトラブルが絶えない。所謂ストーカー被害や、同性による嫉妬からの嫌がらせなどが頻発し、逃げるように故郷を飛び出し、現在は公務員系の専門学校に通いながらアルバイト三昧という生活を送っている。
詠と知り合ったきっかけも、同じ飲食店でのアルバイトで同僚となり、彼のストーカートラブルに巻き込まれたのだが、その件は機会があれば語りたい。ともあれ、基本的に食うに困っている詠は、まず俺の誘いを断らない。たまに食事に誘って、世間話したり、愚痴を言い合ったりと、まぁ、気が合うというか、ウマが合うというか、餌付けしているというか。
最近しばらく会ってないし、俺が務めている会社が倒産して無職になったことも言ってないしな、なんて考えながら、隣の部屋のドアの前に立つ。
詠が在室していることはわかっていた。部屋の中には人の気配を感じる、なんて言えばカッコいいけど、単純に壁が薄いので足音というか、生活音がまる聞こえなのだ。
ドアを軽くノックしながら声をかける。
「おーい、おるかー」
運送屋風に声をかけてみる。
反応なし。
寝てる? でもついさっきまで、気配がしてたんだけど。詠の部屋は角部屋なので、他の部屋の生活音と聞き間違うなんて考えにくい。ドアノブに手を掛ける。
カチャリ。
ふむ、開いてる。
「おーい、隣の渕だけど、飯食いにいかね?」
ドアを開けて、少し大きめの声を出す。
以前、寝ぼけた詠をそのままに、ひとりで食事にでかけて、あとで怒られた。曰く「今度から、叩き起こしてでも連れて行ってください」とのこと。
目の前には狭いキッチンと奥にユニットバスの扉。キッチンの反対側にスライド式の障子戸があり、その先が6畳の居住スペースになっている。自分の部屋と左右対称の作りなので、勝手知ったるなんとやらなのだが、詠の部屋に入るのは久しぶりだ。
「おーい、ねてるのかー?」
玄関先でもう一度声をかける。
たっぷり30秒ほど間をおいて、靴を脱いで上がりこむ。これくらい時間あれば、万が一何かやっていても原状回復できるよね?と紳士な気遣いをしたあと、スライド式の障子戸に手をかける。
「入るぞー」
障子戸をあけ、薄暗い部屋の内部が目に入ってくる。あ、意外と片付いてるな、なんて考えた瞬間、横から伸びてきた手に胸ぐらを掴まれ、部屋の中に引きずり込まれる。
「ちょっ、ほへっ」
咄嗟のことに変な声が出る。ほへってなんだよ、とか、え? 強盗? とか、詠のイタズラ? とか、イタズラにしてはハードだな、とか……、コンマ数秒でグルグルと思考している間に、何者かに馬乗りにのしかかられる。
反射的に、身を起こそうとして、首筋に当たる冷たい感触で固まる。
えっと、もしかして刃物?
覆いかぶさってくる何者かは逆光でよく見えないが、詠ではないようだ。
興奮しているのか、少し呼吸が荒い。フッ、フッ、という吐息と、視界の外なので確証は無いが、首筋に当てられているのは、おそらく刃物。
詠のストーカー?
うん、これはヤバい。
「お、オーケーオーケー、ときに落ち着け」
俺もだいぶパニクっているが、兄者とか言わなかっただけ、落ち着いていた、と思いたい。
「声を出すなください。動くなください」
何者かはたどたどしく、しかし、確かにそう言った。
逆光にも少し目が慣れてきて、相手がどんな感じなのかわかった。女っていうか、女の子だな。髪はストレートの金髪? いや、銀髪かな? 顔つきは日本人じゃないっぽい、眉毛も銀色っぽいし。整った顔立ちだが、あどけなさというか、幼さを残している。中学生か高校生ぐらいか。外人の歳はよくわからん。
服装もなんかおかしい、コスプレか? どっかの国の民族衣装かな?
ん? 頭になんか? ……!? ……エルフ耳……だと!? これは……ヤバイな。
ストーカー、メンヘラ、外国人、コスプレ。これだけで満貫あるのにエルフ耳で跳満だ。いやへたしたら倍満あるなコレ。
……とにかく刺激してはいけない。この人たちは何がスイッチになるかわからないのだ。首筋の刃物はぴたりと押し付けられている。怖い。
しばらく沈黙が続き、俺に抵抗の意思がないことがわかると、彼女は押し付けていた刃物を少しだけ離して言った。
「私は、あなたにヨウセイがするします。いいですか?」
は?
どうやら日本語が不自由なようだ。
ヨウセイ? ……妖精?
何言ってんだコイツ?
……いやいや。ここでヘタうったら殺されるかもしれん。必死でこの意味不明な言葉の意味を考える。
ヨウセイ……妖精……陽性? ………要請!
要請か!
つまり「わたしはあなたに頼みたいことがあります」ってことかな?
俺は彼女の目をみながら、小さく2回頷く。
彼女の緊張は少し緩んだ気がした。
「それではまず……」
と発した言葉に、グゥーという獣の唸り声のような音が被さる。一瞬、何の音か判らず身構えてしまったが、どうやら彼女の腹の虫の音らしい。
「……まず、下さい。なにか食べる物を」
結論からいうと。
彼女は倍満どころか、役満クラスだった。
「なにか、下さい、食べ物」
「騒ぐなください。衛兵を呼ばないください」
「ワタシの話、聞くください」
とりあえず、彼女を俺の部屋に連れて行く。ほいほい着いてくるのもどうかと思ったが、詠の彼女? かもしれないし、どうこうするつもりも無いんだけど。
何か食わせろというので、買い置きの冷凍のピザパンをトースターで焼き、インスタントのコーンスープを入れてあげた。俺は、俺でカップメンでも食べようとお湯を入れて待っていたら、あっという間にピザパンを平らげた彼女に物凄く物欲しそうな目で見つめられ、結局渡してしまった。彼女はピザパンもそうだが、カップメンにいたく感動していた。
「なるほど。お湯を入れるの食べ物ですか」
頭の横に伸びたエルフ耳がピクピクしている。良くできてるなぁ。ハンズあたりに売ってるのかなぁ。
その間、刃物はテーブルの上で放置。油断しすぎだと思うが。まぁ、こちらも事を荒立てる気は無いんだけど。
この刃物もハンドメイドだろうか? 両刃の刃物で刃渡りは三十センチ弱。ナイフというよりは短剣といったほうがしっくりくる。両刃の刃物は小さくても銃刀法違反じゃなかったっけ。
格好も皮製のマントというかポンチョ? その内側は長袖のシャツに革製の胸当て? と同じく革製のベスト、下はニッカボッカとまではいわないがブカブカのズボン。そしてこれまた皮製のベルトポーチ。
どこに売ってるんだこんなの? 気合入りすぎだろ。アニメかゲームのキャラのコスプレだろうか。顔もどっかで見たことあるような気がするな、なんて思って見ていると思い出した。北欧美女なんとかってタイトルの成人向け動画のDVDの2巻の1人目の人に似てる。そう、2人目の女優さんがストライクだったんだよね。ナターシャさん。1人目はたしかマリアちゃんだったか。うん、全然関係ないな。
食事を終えて、一息ついたとき、彼女は自身の設定……もとい、身の上を語りだした。
「ワタシは、ミシャ・sfkギアk○☆」
「ワタシはこの世界とは違います、所から来るました」
「コレは国の仕事です。研究私ですは、とてもの優秀です。人材」
「ワタシの来たは、技能持つ希少です。理由」
「それは“鑑定”。もうひとつ、“言語能力”あるます」
「先ほどの部屋の人物と入れ替わりです。相互転移召還のマジックです。高尚なです」
ふむ、なるほどわからん。
ああ、とか、そうなんだぁ、とか、ふーん、とか、適当に相槌を打ちながら聞いていたが、少しまとめてみよう。相変わらず、エキサイトな喋り方だが、とりあえず。
女は、ミシャ・ナントカさん。うん、聞き取れなかった。なんか、シャハハハって感じか。異世界人らしい。ハハハ。彼女曰く、国家に選ばれた、優秀な人材とのこと。
それは、まぁいい。聞き捨てならないのは、“隣の部屋の住人と入れ替わった”こと。
「えと、ミシャさん? 少し質問をよろしいでしょうか?」
俺は自分用に用意したインスタントのココアを啜りながら、話しかけた。
「はい」
彼女、ミシャさんは俺の持っているカップをじっと見ているが。あなたには、さっきスープをあげたでしょ。これはやらんからな。
「あなたは、隣の部屋の住人である、今井詠君の知り合いではない?」
ミシャさんの設定だと、彼女は詠のストーカーではない事になってしまう。
「イマイエイ? ……ああ、ワタシが相互転移召還の相手ですね? ……ハイ、ありません、面識」
「詠は、あなたと入れ替わりで、異世界にいったと?」
「そうです」
うむ、どうしよう、正直関わりたくないが。しかし、現実的に考えると彼女が詠のことを知らないわけがない。実際詠の部屋に居たのだし、面識が無いといっているが、それはあくまで彼女の設定だ。
彼女は詠のストーカーに間違いない。はずだ。
「あのー、ワタシもその飲み物を欲しますです」
俺が少しの間考えこんでいると、彼女はおずおずといった感じで言った。遠慮無いなぁこの人。
電気ケトルに水をいれ、スイッチをいれる。彼女はその様子を興味深そうに見ている。
もうひとつカップを用意しながら質問をつづける。
「異世界ってことですけど、行き来っていうか、詠は帰ってくるんですよね?」
「はい。おそらくです、三日後から五日後なるます」
なんだ、普通に帰ってくるんだ。まぁ、そうだよね。しかし、あいつ学校とかバイトとか大丈夫なのか? まぁいいか。
「あ、甘いほうがいいですか?」
「ハイ! 甘い、好きです」
買い置きのココアは甘みが少ないタイプなので、砂糖を少し入れる。彼女の分と自分の2杯目を用意して、湯が沸くのを待つ。
「そのとき、あなたも帰るのですか? ……えーと、バイス○ンウェルでしたっけ?」
「バイ……? ……ステイリアですか? ステイリア王国です。……あの、貴方の名前を教える下さい」
「はぁ。えーと、渕です。渕一郎と申します。よろしく?」
あんまりよろしくしたくないなぁ。なんて考えながら今更だけど、挨拶する。
「フチイ……? ……ええと、フチにお願いがあるます」
「はぁ」
名前聞いた意味あんのか?
「わたし、この世界、調べる目的です。協力してください」
「ええー」
思わず、物凄い嫌そうな声を出してしまう。湯が沸いたので、ココアを作りながら言い訳をする。
「……いや、手伝うのは吝かでもないんだけど、俺も色々忙しくてさぁ、仕事とかあるし?」
「……フチは無職ですよね? 現在」
「え?」
思わず、ココアを渡そうとする手が止まる。なんで、俺が無職と知ってる? えーと、まさか俺のストーカー? でも、詠の部屋にいたし、そもそも、こんな電波外国人の知り合いなんていないし。
「わたし鑑定のスキル有るます。でもスキルレベル高い無いです。フチは無職ですが、あんまりわかる少ないです」
渡しかけていたココアのカップに手を伸ばして強引に奪いながら、彼女は続ける。
「此方の世界の情報は少ないです。わたし、フチを案内人として雇用する希望します」
彼女はにっこりとほほ笑みながら続ける。
「ヤキブタ? ヤキソバ? ハカブサ? ではない……ですよね?」
あぁ、うん、ヤブサカね。
ふむ。まぁ、たしかに無職だし、基本的には毎日暇ではあるんだけども。
「えーと、ミシャさん? は、詠の友達ですよね?」
「エイ? は面識ないです」
「日本には観光ですか? で、ガイドが欲しいとか?」
「なるほど!! やっぱり、ここはニホン国ですね! えと、観光ちがう、調査です。あと、案内人必要です」
……急にテンション上がったな。
「あのー、違ってたらごめんなさいなんですけど、…ミシャさんって、エルフ(という設定)ですよね?」
「!! ……私がエルフだとなぜわかったですか?」
いやいや、なんでわかったって……。
「……耳、長いですよね? ミシャさんが女○ルカン星人のコスプレじゃなかったら、エルフとか、そっち系かなぁと……」
俺は自分の耳を指さしながらつづける。
「ちなみに、この国に本物のエルフはいないと思います。少なくとも自分は出会ったことがないですね」
「なるほど……そのばる……? ……はよくわかる、ないですが」
ミシャさんは、腰のポーチから紙とペンを取り出し見たこともない文字でメモをとっている。というか、インク壺と羽ペンって……。紙の質も悪いし、凝ってるなぁ。
ここで、ふと、やっぱりイタズラのたぐいじゃないのかとの疑念が湧き上がる。ここは俺の部屋だが、どっかに隠しカメラとかあるのだろうか? あるいは、目の前のこのコスプレ外国人が隠し撮りしているのだろうか?
なんにしても、ここまで凝ってるなら少し付き合ってやるとするか。
「……では、ドワーフや獣人族は? ああ! 魔族や魔人族どうです?」
「そうですね……、甲子園という場所に魔物が住んでいるって話はきいたことがあります」
「ふむ、コウシエン……、どんな場所ですか?」
「国中から選ばれし若者が集い、ヤキウという集団戦を繰り広げる、うーん、競技場の名前ですね。そこに稀に魔物があらわれて若者の運命とか人生が狂ったりするんです」
「……なるほど、運命変えるような呪いやスキルを使うは、とても上位の悪魔のです……ふむ、ニホン恐るべし」
……つーかこの人野球知らんのか? なりきりのロールプレイングなのか、ホントの世間知らずなのか、まぁどっちでもいいけど、少し楽しくなってきたのも事実だ。もう少し付き合おう。
「モンスターや、冒険者ギルドはどうなっているますか?」
「モンスターっていうか、害獣はいますが、一般人にはほとんど関係ありません。一部の田舎の農家にとっては深刻な問題みたいですけど。あと、冒険者はこの世界ではポピュラーな職業ではありません。したがって冒険者ギルドは存在しません、いえ、自分が知らないだけで存在はするかもしれませんが。あと、害獣を狩るハンターとハンター協会は存在すると思います。しかしハンターの高齢化と跡継ぎ不足が深刻みたいですね。」
「跡継ぎ不足?職業は世襲ないのですか?」
「この国は基本的に職業選択の自由があります。確かに世襲はありますが、努力次第ではほとんどの職業になれます。農家の息子が政治家になったりパン屋の息子が教師になったり、政治家の息子が商人になったり。なろうと思えばある程度なんでもなれますね、努力と運もからんできますけど」
「それで混乱ないですか? たとえばみんな教師や商人になるしたら、だれも畑をしないのでは?」
「それを本気で説明するのはめんどくさ……いや、大変なのですが、おおまかうまく廻っています。ただ先ほどのハンターの跡継ぎや農家の後継ぎ不足などの問題があるのはたしかですね」
ミシャさんの質問に淡々と答えていく。いかにもファンタジーな内容の質問から、政治や経済、果ては思想や宗教、生活環境、風俗の話まで延々と続く。途中、メモ用紙がぐちゃぐちゃになってきたので、コンビニで買ったメモ帳とボールペンを渡したら、ものすごく感動していた。
こちらも、気になったことを聞いてみる。
「あの、ところで、なんで日本なんですか? その調査って」
この手の話でいつも思う、なんで日本なんだよと。アメリカとかヨーロッパじゃだめなんですかと。こう、なんていうか、地球に対しての日本の面積の割合とか、人口とか。日本ってピンポイントすぎだろと。世界の人間の4分の1くらいは中国人じゃねーの? とか。カナダは福祉が充実していて、いい国だとか、ブータンは国民の幸福度が高いとか。いや、あんまり外国に興味が無いから、ブータンが世界のどの辺にあるかも怪しいんだけども。
日本は確かに発展していて平和で良い国かもしれないけど、ほかにも国はあるだろ的な?
「なるほど、いい質問です。その質問には、私達の国、ステイリアのこと語る必要があるですが…」
「はぁ」
「……その前に食事にしませんか? 私、おなかへったです!」
さっき食べたやん、と思ったが、だいぶ話し込んでいたので、窓の外が少し暗くなっている。けっこうな時間話し込んでいたようだ。ふむ、たしかに腹はへったな。だいたい外食しようと思って隣の住人に声を掛けたらこの状態である。……というか、この人いつ帰るんだろ。
「じゃぁ、自分はその辺のファミレスか居酒屋に行きますけど、ミシャさんはどうします? 今日はホテルに帰りますか?」
「あの、よかったら、その、ふぁみれ? ……酒場、同行するしたいですが……」
なんだかミシャさんの歯切れが悪い。
「? ……はぁ、かまいませんけど」
「それでですね、あのぅ、わたしこの国のお金をまだもっていなくて……」
あぁ、両替し忘れたのか。もう銀行も閉まっている時間だし、確かにどうしようもないな。あの居酒屋はカード使えたっけ? ま、いいか、最初から詠におごるつもりだったし。
「自分がおごりますよ。ナントカも多生の縁ってやつです」
俺がそう告げると、パッと表情が華やぐ。
「ありがとうあるます! 換金できたらお返しするしますので…」
換金?両替のことかな? この人結構日本語うまいけど。そういえば最初、もっと片言だったような……。うん、ロールプレイに疲れたのかもしれない。飽きたとか。なんにせよ言葉が通じないのは困る。
とりあえず、コスプレの格好が目立つので着替えてくださいといったら、なんとミシャさんは下着? 肌着? の替え以外はこの服しか無いですと抜かしやがった。
皮の胸当てと皮のベストって、どういうつもりだとか、どうやって帰るつもりだったのかとか、考えて詠と彼女のそういうプレイの可能性に思い至り、問ただしはしなかった。しょうがないので、ウニクロで買った三本ラインの紺色の、ミシャさんにとっては少し大き目のジャージと、耳隠し用にニット帽を貸し、駅近くの居酒屋に行くことにした。
目的の居酒屋は歩いて10分くらいなのだが、アスファルトの地面や電柱にいちいち反応する。
「この柱、これは大岩から削りだしたですか? この地面、継ぎ目ないあるです……はっ、土魔法です!? どんな魔法理論ならこれほど土魔法が……しかもこれどこまでつづいてるですか!?」
とかロールプレイングを続けていたが、いいかげん腹がへっていたので、適当に流した。
灯り始めた街灯に立ち止り、「これ、魔石式です!? それとも帝国が最近開発した燃える気体式!? 特に何もないこの場所を明るくしてなんの意味が?」とか言い始めた。
「もう、そういうのいいから行きましょう。マジ腹減ったから」
と最終的には手を引いて歩いてしまった。ちょっと恥ずかしい。タクシー呼べばよかった。
関東の某県、県庁所在地の衛星都市、所謂ベットタウン。港湾労働者や某軍の基地の兼ね合いなのか、外国人の姿も多い。閑静な、とは言い難いが、別に治安が悪いわけでもなく、住む分には何の問題もない。だそもそも、生まれた町でもないし、人口が何万人だとか、名物がなんであるとか、あまり興味もないし知らない。
自動車の運転免許は持っているがマイカーはなく、自転車を購入したが3週間で盗まれたので、もともとの気性である出不精が悪化した。すなわち、駅周辺の大型スーパーといくつかの飲食店以外、この町のことは全くわからない。
そして、今訪れているのは笹屋という店。昼は喫茶店、夜はBAR、といえば聞こえがいいが、昼は大衆食堂、夜は居酒屋といっても違和感は無い。
寡黙なマスターと外国人の奥さん、アルバイトが数人で廻している。値段もお手頃で、昼、夜、そこそこメニューも豊富だ。
「なるほど、ここがニホンの酒場ですか」
ミシャさんはあかわらず、きょろきょろと辺りを見回している。
「どうします? がっつりいきます? えーと、お酒は飲めるんですかね? あ、ミシャさん未成年ですか? 何歳?」
「あ、私、成人あるです、というか、おそらくフチより年上です。年齢秘密あるます」
ミシャさんはクスクス笑っている。せっかくなのでお酒も少し飲みたいとのことだった。
ふむ、やっぱり外国人の歳はわからんな。まぁ、たまには女の子と差向いの飯ってのも悪くない。たとえそれが自称異世界人だとしても。なんて考えていると、店のママがメニューとお冷を持ってきてくれた。
「あら、フチくん、今日はエイちゃんと一緒じゃないのね? もしかしてデートかしら?」
チラリとミシャさんに目線をやり、俺に声をかけてくる。実は、以前この店で短期間だったがバイトしていたし、詠と知り合ったのもこの店のバイト仲間だったからだ。
そういえば、いつもママとしか呼ばないので彼女の名前はなんだったか。たしか、ササリナとかササリサとかそんな名前だったと思うが。
長めの黒髪を無造作に束ね、薄いピンクの三角巾を巻いて、同色のエプロンを付けている。褐色の肌と顔つきはアジアのどこかの国の出だろうか? 雰囲気的には美人のお姉さんだが、もともとそうなのか、接客業で鍛えられたのか、人を安心させるような温和な気配がにじみ出ている。
「詠の友達らしいんですけど、異世界人らしいです。バイストン……じゃなくてどこでしたっけ?」
「ステイリア王国です。昨日ニホンに来たばかりです」
「……えっと、ずいぶん遠くから来たのね? 日本にようこそ?」
ママは戸惑いながら、にっこりと笑ってメニュー表を差し出した。さすが、接客業のプロ、若干笑顔が引きつっているが、無難な対応だ。
「とりあえず、自分は生で、彼女は……梅の酎ハイを、あと串焼き盛合せとフライドポテトと若鶏から揚げ……」
適当に注文し、メニューを説明しながら、どれが食べたいか聞いたりしているうちに、ママが飲み物とサービスの枝豆を持ってきてくれた。
「じゃ、とりあえず乾杯」
運ばれてきたお通しの筑前煮に箸をつけながら、酒の種類の説明をする。
ミシャさんはしばらく色々な料理を旨い旨いと言いながらどんどん食べていた。さっきピザパンとカップ麺を食べていたはずだが良く入るもんだな、と感心した。
「あ、そうだ、魔法(の設定)のことを、教えて下さいよ、ミシャさんも使えるんですよね?」
……このなにげない問いかけが地雷だった。それから、たっぷり二時間、魔法の歴史から現代魔法のカテゴリ、最新の研究。魔法が係わった大きな事件など。しかも、大きな矛盾がないのが凄いというか、ヤバいというか。妄想ですよね?
「こうみえて、わたし、けっこう偉いですよー、聞いてますぅ?」
つついている煮込みハンバーグは2皿目だ。気に入ったらしい。飲んでいるのは大吟醸〈左利き〉……気に入ったらしい。
「はぁ」
「王立魔法研究所第4研究室主任ですよ、わたし、主任! 王立学校でも、私、講義、人気あるですから」
「ままま、飲んでくださいよ、主任」
「だから、フチは幸運あるです!」
ミシャさんが手に持っているぐい飲みに酒を注ぐ。
「でも、ニホン、凄いです! ツツミに聞いていた通りでした! だからフチ、会えた私もすごい幸運ですね」
「はぁ」
「そうだ、フチはなぜニホンなのかっていってましたね?」
「はぁ」
今度は歴史の講義がはじまるのか? まぁ、聞いていて苦痛じゃないっていうか、結構楽しいんだけど、ママとバイトの視線が少し痛いが。
ミシャさんはジャージの裾を捲り上げ、腰のベルトポーチから何かを取り出す。ちなみにニット帽はとっくの昔に脱いでいて、エルフ耳はむき出しだ。少し酔いが回っているのか、若干雑な手つきでポーチから取り出したのは、いくつかのカプセルのようなものだった。
「これですねー、私が発明した魔法生物なのです」
ものすごくわかりやすいドヤ顔をしながら取り出したカプセルの説明をしだす。
「これ、古代大ムカデの卵殻あるですけど、重要あるのは中身です。遺跡から発掘した古代の魔法生物を繁殖、品種改良したものが入ってあるます。ものすごく簡単にいうと知識もった粘菌というか、記憶もった細胞というか」
楕円形の少し平べったい3センチくらいのカプセル状のものをいくつかテーブルの上に置いていく。こげ茶色の縁取りがあり中心部は窓というか、透明な部分があり、黄色やピンク、青緑の液体がはいっているのがわかる。
「えーと、言語と一般常識、黄色? ……フチ、手を出すください」
ミシャさんは、言われるままに出した俺の手を取り、腕の内側にカプセルを押し当てる。
「ちょっと、チクっとあるます」
……チクっていうよりグサって感じで痛かったんですが。
カプセルは空になっていて、腕には5mmぐらいの切り傷があったが、ミシャさんが指で一撫でしたら、あとかたもなくなった。というか、これって大丈夫なの? 手品?
「大丈夫あるです、最新魔法生物、第4世代です、自殺因子あるますから、1週間程度、なにもなくても死滅あるます。体質的に発熱や記憶障害があるます場合稀に。しかし後遺症はほとんどないです、少し人格が変化する人くらいあるです。その変化、魔法生物のよる脳の改変あるによる直接的のなのか、情報注入? よる記憶改変よるものかは調査中あるます。私は後者だと思うます」
……なんだろう、大丈夫な要素が聞こえなかったが。
「わたしがニホン言葉をうまく喋るあるの、この魔法生物おかげです。簡単に説明するとですねぇ、この魔法生物、脳細胞を複写しながら置き換わります、そして被験者の脳に記憶を定着させます、第一世代…わたし、オリジンと呼んでいますけど、もともとは脳、寄生して操る魔物だったみたいです。ただ、生物操るだけなら幻覚魔法や魅了魔法なんかありますし、なぜこんな面倒なプロセス経るのかという疑問が……」
あ、スイッチ入りました。
「最初ですね、ブロブ? と思って、でも古代遺跡、最深部そのさらに下ある自然の洞窟に封印されてましたですよ。まるで太古の王の墓みたいな石棺にです。何千年放置されてたか、ほとんど乾いてまして、かき集めて、このコップ半分くらいですた。その古代の遺跡が、また変な遺跡でありました……」
ミシャさんの話は延々と続く。初対面で刃物を突き付けてきた女性とその日のうちに飲みに行くなんて、話のネタにはなりそうだな、なんて考えながら適当に相槌をうったり突っ込みを入れたりしながら、夜は更けていった。
結局、閉店まで居座り、タクシーを呼んだ。ミシャさんに宿泊先のホテルを尋ねたが、ヘロヘロに酔っぱらったミシャさんとの問答は埒を得ない。
待たされているタクシーの運ちゃんのイライラした空気に耐えられず、ミシャさんをタクシーに放り込み、とりあえず俺の部屋に連れて行くことにする。
しかし、この人大丈夫なのか? 初対面の男性に警戒心無さすぎだろ。まぁ、たぶん詠の知り合いだから、変なことする気はないんですけど。そんなことをしたら後々面倒なことになるに決まっている。
部屋に戻り、ミシャさんをベッドに寝かせ、俺も床に横になる。ちょっと一休みして、シャワーでも浴びようかと思っていたのだが、俺もそこそこ酔っていたので、心地よい睡魔には抗えず、うとうとと眠りに落ちてしまった。
その後、何時ごろかはわからないがドアを叩く音を聞いたような気がしたが、面倒なので無視した。もしかしたら夢だったのかもしれない。そのまま、また深い眠りへと落ちて行った。




